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2011年6月23日木曜日

イラク戦争

新聞に、イラク戦争を振り返る記事があった。

日経新聞の「わが人生」でベビー・ブッシュ氏が戦争に突入した判断は間違っていなかったと縷々述べていたが、結局イラク戦争の大義とされた大量破壊兵器は発見されず、アルカイダとの関係もなかった。でっち上げと言ってもいい。そのために何千名もの米兵が死んだ。

ウィキリークスはイラク市民の死者数がNGOの集計より1万5000人多いことを明らかにし、昨年4月にはあの衝撃的な米軍ヘリによる民間人射殺の映像を暴露した。米軍は交戦規則の範囲内と強弁するが、おぞましいゲーム感覚の殺人が行われているのを誰もが知った。

あの時のことを思い出す。2003年3月。春分の日に始まったイラク戦争。4月のバグダッド陥落。8月の国連バグダッド事務所での自爆テロ。次々に殺されていく市民たち、子どもたち。何もできない。何もしないで、いいのか。

8ヶ月後、私はイラクから数百キロ離れたイスラエルに一人でいた。何としても、中東で、しかも、この戦争の大きな要因になってる宗教対立の根源とも言える聖地で、仏教徒として何かをつかみ、何かを伝えたかった。

聖書を片手に聖地を歩いた。旧約聖書に載るカペナウム、新約聖書の舞台ガリラヤ湖の湖畔。ほんの、三ツ沢公園程度の敷地に聖地が密集したエルサレム、パレスチナ自治区のベツレヘム。

何の問いかけも、迷いもなく、大義を失っても強欲な権力者たちは止まることはなかった。ある者は将来の不安を語り、ある者は経済の大事を語り、ある者は日米同盟、ある者は国連議決、ある者は平和のために必要なのだと言った。そんな言葉が踊る中で、子どもたちが親を失い、親たちは子どもを失った。

あの時も、一人で空港にいた。やるせなく、むなしく、しかし、情熱が沸々と胸に湧いていた。いつか、ものを申す。佛立仏教徒が、世界に言うべきことはなにか。

身命を削って、こうした愚挙によって命を失った人たちのためにも、生きている者が声を上げなければ。

私がイスラエルから帰国した数日後、日本人外交官2人がイラクで殺害された。1ヶ月後、フセイン大統領が拘束され、2006年の12月、大統領は処刑された。

今回の東日本大震災で失われた貴重な命よりも多くの命が21世紀に入ってからイラクで失われた。人間とは、かくも恐ろしく、愚かなものか。

原発事故後、誰もが電気の消費量を気にするようになった。原子力発電が本当に人類にとって夢の科学技術なのか疑問に思う人も増えている。エネルギーは、過去200年の間、人類の戦争の原因だった。今のパレスチナ問題ですら、イギリスの油田権益から生まれたと言っていい。

ここで、人類が気づくべきことが山のようにある。全ては結びついている。全ては密接に関係している。関係していない、と言うのは嘘か、まやかしか、洞察力が足りない。

一人の空港。

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