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2011年7月14日木曜日

ディアボロス

「ディアボロス」とは「悪魔」。今の見えざる闘争を見ていて、これをタイトルとした映画を思い出す。

A・パチーノとK・リーヴスが共演したオカルト・サスペンス。フロリダに住む青年弁護士ケビンが引き抜かれてニューヨークに行く。豪華なアパートを用意され、順風満帆な人生が始まるところだったが。

私は、この映画に込められたメッセージが好きだ。当然ながらキリスト教やその悪魔についての概念がストーリーに反映されているが、一人の人間が生きていく中で陥りやすい様々な誘惑と、その裏に潜む危険を見事に描き出していると思う。

キリスト教で使う七つの大罪。その中の「虚飾」「強欲」「色欲」「憤怒」「傲慢」。映画の中で主人公が見事に絡め取られていく姿が描き出されている。愛する妻が狂っていく姿。自分の過ちや暴走に気づかず、すべてを得ているようで、すべてを失っていく姿。

それらが全て悪魔の仕業とするのが西洋的だが、それが映画の意図したメッセージではないだろう。誰もが陥り、誰もが知らず知らずに大切なものから離れ、失っていく現代社会に対する警鐘を鳴らしているのだと思う。

いま、見えざる激しい闘争が続いている。国民は、そのことに気づき、それを見極めなければならない。すごい構図だ。経産官僚は原発利権諸団体の先兵となって組織的に暗躍しているし、日経新聞なとは経団連の御用新聞化している。一方、対抗する勢力も二の矢、三の矢を用意して挑む。巨大過ぎて視界に入らないかもしれないが、メディアも困惑するほどの闘争が行われている。

ビジネスをしていれば権力にすり寄りたくなるのは当然だ。それを止めるのは、何か。やはり、利害か、それとも愛か、義か。この映画を観ると、様々なことを考えさせられる。

人間の特性、大罪の項目がくすぐられて、あれよ、あれよという間に道を外れてゆく。それでは本人も、周りの者も不幸だ。

罪の意識などない。殺人犯にも立派(?)な理屈があり、正当性を主張し、後になって「あの時は仕方なかった」と後悔の弁を述べる。

ディアボロス。ビジネスを優位に進めてさせてくれる経産官僚等、今回こそはその資質が判然とする。経団連を脱会した気鋭の事業家もいるが、この闘争のどちら側にいるかで、それらは判然とするだろう。

いずれにしても、「ディアボロス」が潜んでいる。個人の欲望や虚飾が、多くの人を不幸にすることがないように願う。

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