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2011年9月8日木曜日

イスラエル渡航記 「アブドゥラ国王の暗殺」

イスラエル渡航記 「アブドゥラ国王の暗殺」
(妙深寺報 平成16年12月号より)

 ホテルを出て、徒歩で旧市街に入りました。旧市街は古い城壁で囲まれています。旧市街に入る門は全部で八つありますが、一部は東エルサレム地域であり、非常に危険ためヤッフォ門から入ることにしました。

 ダマスカス門などのある東エルサレムは一九六七年までヨルダン領でした。ヤッフォ門の近くには有名なダビデの塔があり、ここから城壁に登ることが出来ました。城壁は旧市街を囲んでいるため、エルサレムの中心部が一望出来ます。歴史の重みを感じながら、細い城壁の上を歩いてゆきました。

 右側の城壁の外にエルサレム最大の教会「マリア永眠教会」があります。最終日に訪れました。この教会は一九一〇年から第一次世界大戦中に十年かけて建てられ、地下には桜の木と象牙で作られた永眠するマリア像がありましたが、史的な根拠が何も無い真新しい教会でした。

 ユダヤの聖地である「シオン山」もこの場所のことでした。富士山のような大きな山を想像していましたが、それは小さな丘でした。その丘には、ダビデ王の墓があり、映画「シンドラーのリスト」で有名になったオスカー・シンドラーの墓もあります。とにかく、世界広しと雖も、こんな小さな場所にゴチャゴチャに理由の複雑な建物や場所が点在している(させている)のも珍しいでしょう。

 グルッと城壁を周りながら、旧市街の中に小さなサッカー場があり、子供たちがサッカーをしていました。それが何とものどかなことのように思えて微笑ましかった。

 さらに進むと正面にオリーブ山、手前にアル・アクサー寺院が見えました。この場所、糞門と呼ばれるモスクや嘆きの壁に最も近い大きな門の近くで、一九五一年ヨルダンのアブドゥラ国王が暗殺されました。暗殺者はパレスチナ人の独立急進運動に傾倒する青年で、彼もこの場所で射殺されました。同じアラブの同胞と言いながら、パレスチナ人はイスラエルと和平を進めようとするヨルダンの統治が許せなかったということでした。

 ヨルダン国王の出自はハシーム家。ムハンマドに繋がる系統で、聖地メッカの太守を勤める名門ですが、アラブの混乱は十字軍の頃と同様、内輪での紛争が絶えないのです。

 暗殺の直前、国王の周りには厳重な警戒体制が敷かれていました。国王は、

「なぜこんなに大勢の兵士で私を囚人のように取り巻くのか。彼らを下がらせよ」

と言いました。隊長がそれでも必要ですと言うと、

「ここは神の家だ。ここでは誰でも安全だ」

と答えたと言います。その言葉が終わらないうちに一発の銃声が響き、彼は即死しました。

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