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2011年9月7日水曜日

イスラエル渡航記 「ローマ法王」

イスラエル渡航記 「ローマ法王」
(妙深寺報 平成16年7月号より)

「縁」は、まるでやまびこのように、こちらが発信しなければ返ってこないものだと教えていただきますが、また不思議なご縁をいただいて、尊敬する素敵な方と巡り会うことができました。

 イラク問題のコメンテーターとして活躍する酒井啓子姉(アジア経済研究所参事)と偶然お会いすることができ、感激しました。深い洞察力と一貫して政治色を排する立場を貫く酒井姉は、数少ない中東情勢の有識者の中でも、最も信頼できる方です。「民族主義とイスラーム — 宗教とナショナリズムの相克と調和」等の著作物は、中東に疎い私たちの理解を促す素晴らしい本です。私にとっては、とても嬉しい出来事でした。中東に端を発した三つの宗教が入り乱れ、そこに政治が介在し続け、民族主義が台頭する現在の世界地図の中で、何を考え、何をすべきなのかを教えてくださる方です。私個人としては、本門佛立宗の教講に対して講義をしていただきたいと考えている程です。

 私がイスラエルに滞在した期間は、一週間程度です。その短い期間の中で、テル・アビブからゴラン高原、エルサレムやベツレヘムへと、レンタカーとタクシーで廻りました。国の大きさは日本の四国くらい。人口は645万人程度で東京都よりも少ない。エジプトやヨルダン、レバノンと国境を接していて、イラクとは500キロ程度しか離れていません。人質事件などを考えると、良い時期に行けた、無事に帰国できて良かったと思います。

 私はガリラヤ湖畔で、カペナウムをはじめ、パンと奇蹟の教会や、ペテロ首位権の教会、山上の垂訓教会などを廻りました。特に、カペナウムから車で3分、緩やかな丘を登ると、山上に綺麗な緑に囲まれた教会があります。8角形の教会は、中東が西欧の権益に支配されつつあった1930年に建てられたそうです。名前の通り、この丘でイエスの有名なフレーズが生まれたと伝えられています。

「求めよ、されば与えられん」

「狭き門より入れ」

「幸いなるかな、心貧しき者〜」

などがそれです。

 ここでローマ法王がこの教会を訪れた時の写真を見ました。私は子供の頃、先住とローマ法王のテレビを見て話をしたことを思い出しました。その当時、私はキリスト教の何たるかなど知りもしませんでした。ただ、全世界で平和を呼びかけ、障害を持つ子供たちの頭にキスをするヨハネ・パウロ2世の姿を見て、非常に感銘を受けました。

 私は父に、

「素晴らしい人じゃない。あんな風に歩きながら手を取ってキスをしてあげているよ。佛立宗の偉いお坊さんでも御会式に来たって手も取らないし、挨拶もしない人もいるよ」

と言いました。中学の頃だったと思います。先住は、

「そうだな。大事なことだ。でも、こういうことができても、教えが間違っていたらダメなんだよ」

と答えました。当時の幼い私には理解できませんでしたが、中東の根の深い問題や三大宗教を学ぶようになって、ようやく先住の言葉の意味が分かるようになりました(しかし、佛立教務の障害を持つ方への理解は未だに足りないと思っていますが)。

 2000年3月24日、ローマ法王ヨハネ・パウロ・二世はイスラエルを訪れました。そして山上の垂訓教会のすぐ近くのコラジムで大規模なミサを行い、近隣諸国から10万人の青少年が集まりました。前日、法王を囲み、宗教間の融和をテーマにした会合が行われましたが、その場は大変な騒乱となりました。

「エルサレムはイスラエルの首都だ」

「いや、パレスチナの首都だ」

 会合ではユダヤ教、イスラム教双方の指導者が「聖都」の権利を主張し合う、極めて政治色の強い論戦の場になってしまったのです。

 ユダヤ教の筆頭ラビは、

「法王はエルサレムを永遠の首都とするために来たに等しい」

と発言。すると、イスラム教徒が、

「パレスチナ民族のエルサレム。イスラエルはアラブ占領を終わらせ、獄中のパレスチナ人を解放し、難民が故郷とするパレスチナの土地に戻れるようにすべきだ」

とまくし立て、双方が激しく罵り合いました。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であるエルサレム。1967年の第3次中東戦争で旧市街のある東エルサレムをイスラエルが武力併合して「永遠不可分の首都」としましたが、パレスチナ側が東エルサレムを将来の独立国家の首都として要求、帰属を巡って激しく対立しています。

 法王は険しい表情のままで、会合が終了する前にイスラム教徒側は退席し、極めて後味の悪いものになりました。中東問題の根は果てしなく深いのです。

 丘の上にある教会は、先住の言葉の通り、教えの中身を知りさえしなければ、静寂の中に鳥のさえずりが響く、本当に素敵な場所です。しかしながら、その感動も、この湖が血で満ち溢れたという、宗教がもたらす災禍を知らずにいる間だけの話なのです。

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