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2011年11月30日水曜日

オウム裁判の結審に思う

11月の終わり。明日から12月。ついに師走か。

幸い次男の熱は下がった。よかった。ずいぶん痩せたように見えるが、子どもは熱を出すたびに成長するものだ。眼がうつろになり、息が荒くなるのを見ているのは辛いが。

何とか今日締め切りの原稿は書き上げた。熱で頭がボーッとするが、気合いが足りないだけだろう。明日は月始総講。スイッチを入れ直す。

11年前、月始総講の参詣数は150名前後だった。今は200名前後になっている。自覚ある次世代の方々が増えていると感じる一方で、ここから輪を広げてゆかなければならないという課題もある。

オウム裁判が結審したというが、いまオウム以上に孤立し、分裂し、小グループ化した新宗教の枠にも入らないセクトやカルトが胎動し、誕生している。

「組織嫌いの神秘好き」という傾向は顕著で、細分化した自己中心的なグループが個々に集合と分裂を繰り返している。このようなカオスの中で、統合失調症に似た症状を持つカリスマ的な宗教指導者が出てくれば、またカルト的な事件が相次ぐのではないか。残念ながら、政治的にも、経済的にも、社会的にも、その素地は整いつつある。

正しい仏教、正しい仏法はどこにあるのか。仏教のアイデアこそ、人類が次のパラダイムへ扉を開く鍵となるはずだが、現在はむしろそこから離れてしまっている。

オウム事件は総括されていない。オウム真理教に魅了されたエリートたちの心理や社会背景、エセ科学や深層心理学、カルト的な新興宗教の闇は、解き明かされていない。いま、仏教以外の危険な道に迷い込もうとしている人たちが数え切れないほど多くいる。

しっかりせねば。

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