台風が近づいていてそれどころではないかもしれませんが、今年の中秋の名月は今日9月30日。台風が過ぎた西日本では綺麗に見えるかもしれません。
僕は、昨日の深夜、あまりにもカーテンの外が明るくて、立ち上がって窓の外を見てみました。まるで外に誰かが来ているような、何か特別なことが起こっているかのような不思議な明るさでした。
カーテンを開けて外を見てみると、夜空に見事な月が浮かんでいました。藍色の空、月の光りに照らされている世界。とっても不思議な光景です。
中秋(仲秋)の名月は旧暦の8月15日。お盆の中日に当たります。古来日本人は、こんなにも煌々と輝く月の光りの下で、亡くなられた方々に思いを馳せていたのですね。その気持ちが、少し分かったように思いました。
カーテンの外の光り。灯りの乏しい世界では、もっともっと、不思議な、特別な気持ちになったはずです。愛する人が帰って来てくれたような、戻ってきてくれたような、そんな気持ちになったのではないでしょうか。
闇夜を照らす満月の夜は、この世とあの世の境界を淡くするものなのかもしれません。お盆とお月さまは、本当は切っても切れない特別な関係がありました。太陽暦、太陰暦という話ではなく、月夜に抱く人間の心として、そんなことを思いました。
『竹取物語』は中秋の名月に照らされた夜を、物語のクライマックスにしています。世の羨望を集めたかぐや姫は、帝や翁の制止も虚しく、月の世界から来た人々に連れ帰られてしまいました。
中秋の名月を眺めていると、物語にあるその不思議な情景が、本当にあったことのように思えます。『竹取物語』は『源氏物語』よりも古い物語です。この古い物語の中では、富士山はまだ噴火していました。「富士の山」という名前の由来も『竹取物語』で明かされています。
台風の被害が心配ですから、それどころではないのですが、『竹取物語』をもう一度読み直してみると、日本人が持つ素晴らしい感性に気づけると思います。ファンタジーとアイロニー、政治的なメッセージまで隠されています。
私たちも、見える世界と見えない世界に、功徳を見たり、罪障を見たり、業を見たり、寂光を見たりします。想像力の無い人は目先のことばかりが先行して、右往左往してしまいますし、後悔する生き方に終始してしまいます。でも、ご信心に出会った私たちは、御法さまを見て、ご宝前に向かって、因果を見て、現在から過去、現在から未来を見て、罪障消滅、積功累徳のご信心修行に励みたいものです。
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