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2012年12月12日水曜日

ハチドリのひとしずくとバンクシアの種


辻先生のご著書で世に伝えられた『ハチドリのひとしずく』の物語。とっても示唆に富んでいて、僕たち一人ひとりが、微力ではあっても無力ではないのだということに、気づかせてくれます。そして、ほんの数行の小さな物語を読むと、自分にもひとしずくの勇気が芽生えるのです。

『ハチドリのひとしずく』

森が燃えていました

森の生きものたちは

われ先にと逃げていきました

でもクリキンディという名のハチドリだけは

いったりきたり

くちばしで水のしずくを

一滴ずつ運んでは

火の上に落としていきます

動物たちがそれを見て

「そんなことをして

いったい何になるんだ」

といって笑います

クリキンディはこう答えました

「私は、私にできることをしているだけ」

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どうでしょう?素敵な物語ですよね。

"Think globally, act locally"

この言葉も、大好きです。どれほどグローバル化が進んでも、自分のいる場所、自分の国、自分の街で、自分に出来ることをするしかありません。

いま、日本社会の閉塞感は頂点に達しようとしているのかもしれません。これほどの問題を抱えながら、2009年の衆議院選挙よりも投票への関心が薄くなり、投票率も下回ると予想されています。西欧では神との契約を意味する「マニフェスト」という言葉を空文化させた民主党への失望がそうさせているのでしょうか。政治に期待できない。誰が悪いのか、何が問題なのか、全く見えず、目を眩ませられたままで、選択を迫られているのですから、仕方ないと言えば仕方がありません。

この国も病巣を「ステルス複合体」と呼んだ方もいます。まさにそのとおりだと思います。得体の知れない国家衰退のウイルスが、燎原の火のように広がっています。

しかし、たとえそうだとしても、最後まで失望してはならないと思います。

この数年間の政治に対する失望や怒りを原動力に、国家の骨格を為す大問題、憲法の改正や原発の賛否が問われています。私は、街頭で演説する党首や代表と呼ばれる方々の話を聞いていて背筋が寒くなる思いを抱きます。独立国家としての日本の尊厳を思うあまり、歴史を無視する発言まで飛び出しています。極めて愚かなことです。

私は、自分の著書の中で明治維新の誤謬を指摘しました。近代日本の幕開けに当たり、明治新政府の大権力者たちがどのような思想によって国家を成立させようとしていたか。極めて偏った国学である平田篤胤の復古神道思想の浸潤。神仏分離、廃仏毀釈、神道国教化、国家神道政策。そして、それらがもたらした大きな災禍。これが日本の歴史です。

敗戦後、いわゆる『人間宣言』の中に昭和天皇ご自身が念願して入れられた五箇条の御誓文。陛下は、日本国の辿った歴史の中に、世界に誇るべき思想や理想を見出し、同時に国民を襲った災禍の因を見出され、それを宣言されたのです。

正真正銘、千古不磨の大典を成立させるには、この歴史の重みを振り返らなければなりません。明治維新から昭和20年の敗戦まで、列強諸国に負けず劣らず、著しい発展を遂げた日本と日本国民の力、誇り。しかし、目覚しい発展を遂げる国家の根底で燻り続けた偏狭な思想。これについての検証が行われなければならないのです。

三島由紀夫は『人間宣言』を批判しましたが、彼の憤慨や絶望はこの検証にこそ向かうべきでした。今でも彼を尊敬し、彼の思想や行動に呪縛されているかのような政治家を見受けますが、私は三島由紀夫を憐れに思っています。いずれにしても、今回の総選挙で、国民の政治への絶望が、検証なき日本の転換に、利用されることのないように願います。

今、街頭に響く拡声器の声の中に、憂国の激情は見えても、明治維新の誤謬やその後の歴史に対する思慮は見えません。私はこれを憂慮します。

ハチドリのひとしずく。多くの生命を宿す森の火事は、果たして消えるでしょうか。

1890年ごろ、アメリカインディアンのある酋長が大統領に書いた手紙の一節が思い浮かびます。

「この土地の最後のバッファローが殺され、最後の魚がとられ、

最後の森がなくなり、最後の川が毒されたとき、

お金は食べられないということが分かるだろう」

資本主義や拝金主義だけが問題ではないのです。人間の志、人間の本業についての理解です。人間は、地球を破滅させるほどの愚かさと、宇宙の神秘に近づけるほどの可能性を持っているのです。仏陀は、可能性よりも愚かさばかりが前に出る人間に対し、魂の手綱として教えを説かれたのでした。

残念なことに、考え得る、ありとあらゆる方法で、その生きた教えを伝えようと動いても、

「そんなことをしていったい何になるんだ」

と、クリキンディを嘲笑う声と同じような反応があるかもしれません。一緒に歩んでゆける人も少ないかもしれません。燎原の炎はますます勢いを増してゆくかもしれません。それでも、小さなクチバシで、「微力であっても無力ではない」「一人が変われば世界が変わる」と信じて、自分に出来ることを精一杯してゆくべきなのです。

たとえ、怖ろしい炎が何もかも焼き尽くしてしまったとしても、大自然の営みは偉大です。

乾季になると大規模な山火事が発生するオーストラリアには、バンクシアという珍しい植物があります。バンクシアの実はとても固くて普段はなかなか開きません。しかし、山火事が起きて炎に包まれた時、バンクシアの殻は破れて種が放出され、それらが発芽して最初に新しい森を再生させてゆくというのです。走って逃げることの出来ない植物ですが、山火事すら生態系の中に組み込まれているとは感動します。

山火事に挑むハチドリ、焼けた森を再生してゆくバンクシア。それぞれに逆境に臨み、乗り越えるヒントがあるように思います。

総選挙が近づいています。私は、ぜひ選挙に行って、一票を投じていただきたいと思います。それは、ハチドリのひとしずくかもしれませんが、とても重要なことに違いありません。同時に、クリキンディはもっと多くの森の仲間たちに同じ行動を呼びかけるべきだったのかもしれません。そういう行動が出来たらいいと思います。

"Think globally, act locally"

1 件のコメント:

  1. ありがとうございます。
    心から同意し感銘する内容でした。
    先日、アメリカで生まれて初めて目の前で
    ハチドリを見ました。
    偶然だったのですが、とても感動しました。私も本当に力のない人間ですが、仏教徒としてハチドリとなり、自分の出来る限りのことを力いっぱいやらせて頂きます。
    力が湧き出ました。
    本当にありがとう御座いました!

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