ページ

2013年6月19日水曜日

Cloud Atlas

この宇宙には万物に相通じる普遍の法則があります。

それは特別この地球に限ったことでもなく、生物に限ったことでもなく、動物に限ったことでもなく、人間に限ったことでもなく、民族や言語、宗教や思想にすら関係なく、事実、現実、そうなる、そうである法則。それを、知っているか、知らないか、信じているか、信じていないかにも全く関係なく、流れている法則。

ある人はそれを垣間見て思想とし、ある人はその一端を覗き見て文字にしました。

古代から続く人類の営みの中で、様々な文明が生死の境、「私たちは、どこから来て、どこに行くのか」「私たちは何のために生きているのか」という根源的な人生の疑問に挑戦し、その先にある世界を夢想し、垣間見、覗き見、それらを継承し、こうして伝承してきました。

果たして仏陀は、この人類の根源的な疑問に挑戦し、宇宙に流れる、流れ続ける、万物に共通する普遍の法則と真理を覚知し、近づき、一体となりました。それを私たちは「覚(さと)り」「成道」と呼びます。そして、仏陀はその法則と真理に基づいて、ここから遠く離れたまま生を終える人々を導くために具体的なメソッドを示されました。

この根源的な、人類の、人生の疑問に答えるのが、仏教であり、私たちの信仰です。これこそ、人生の、信心の、修行の、人間関係の、愛の、仕事の、根源的なモチベーションになるものです。このことを外して、仏教はなく、信仰はありません。

変な書き出しですが、ご講有にご親修いただいた長松寺の開導会が無事に奉修され、緊張が解けたのか翌日は力が抜けてしまいました。本当に、有難い限りでした。横浜に戻り、火曜日の神奈川布教区住職会の準備などをしていたのですが、ずっと心の中を巡っていた不思議なことを、書き留めてみようと思いました。だから、こんな書き出しになりました。

いつものように、とても長いです(涙)。自分へのメモのように書いています。

内容よりも脚本と映画作りそのものに感動し、何度も観ている映画があります。社会派サスペンスというか、刑事ものというか、きっと何度も観る人は少ないと思います(汗)。

『ザ・バンク 堕ちた巨像(原題は"The International")』という映画で、主演のクライヴ・オーウェンをはじめ、脇を固めるナオミ・ワッツなどの名優が迫真の演技をしています。クライブ・オーウェンは男っぽくて、何度観ても「男はこうでなくっちゃ」と思います。

それ以上に、この映画の作り方、脚本、映像、アングル、カット割り、音楽まで、素晴らしいと思い、つまり、監督の凄さを感じていました。

トム・ティクヴァ。明らかに才能に溢れた気鋭の監督。まだ48才。彼らが設立した"X Filme Creative Pool"は世界の映画界の中で異彩を放っているといいます。

しかし、実はつい最近まで私はその名前すら知りませんでした。

先日、スリランカへの出張の際に、ある映画を観ました。シンガポール航空のエコノミー席はコンテンツが充実してます。最新作から何から何まで揃っています。眠くもなるし、分かりやすい映画を選ぶことが多いのですが、今回は多くの映画の中から172分という、ちょっと異常に長い、3時間ちかくの映画を選んでしまいました。

この映画に、うなったのです。

『クラウド アトラス(Cloud Atlas)』

素晴らしいものは、素晴らしいのですね。眠くなることもなく、その映画の世界に深く入り込み、映画が終わってから唸ってしまいました。主演はトム・ハンクス。もちろん、最高の演技は約束されています。しかし、それ以上に、またまた、そこに流れる思想、原作から脚本、映像、アングル、カット割り、音楽にまで魅了されたのです。

すべて、あとで気づいたのですが、この作品の監督もトム・ティクヴァ。さすがでした。絶対的に難しいテーマ、展開です。それを、よく映画に出来たなぁと感動しました。あの『マトリックス』のウォシャウスキー姉妹との共同監督。『マトリックス』もそうですが、また人類に世界観の転換を迫るような作品です。

その映画の内容を映画紹介のページから引用させていただくと、「19世紀から近未来まで、6つの異なる時代に生きる人々の姿を描いた、デヴィッド・ミッチェルによるベストセラー小説を、『マトリックス』シリーズのウォシャウスキー姉弟と『ラン・ローラ・ラン』のトム・ティクヴァという3人の監督で映画化。トム・ハンクス、ハル・ベリーらがそれぞれ違う時代のキャラクターを複数演じている。」とあります。

また、映画のサイトには、次のような言葉があります。

「時代が変わっても、場所が変わっても、愛する人と必ずめぐり会うー」

「世に二つと存在せず、誰もが幾度も繰り返し見たくなるような、破格の世界観を持つ作品を生み出したい。」

「その人生は悪人で始まるが、様々な数奇な経験を経て、ついには世界を救うまでに魂が成長していく男の物語だ。」

「そこに生きる人々は、姿が変わっても引かれ合い、何度も何度も出会っては別れ、争いと過ちを繰り返す。親子、夫婦、兄弟、恋人、友人、あるいは敵同士となっても、いつかはその愛を成就するために−。」

「かつてないエンターテイメントを生み出した。そして映画というジャンルさえも軽々と飛び越えて、観る者の魂にダイレクトにつながるのは、「私たちは何のために生きているのか?」という、人類の永遠の疑問への答え。」

こうして書いても映画の内容は分からないかもしれませんが、まさに、この紹介文のとおり、とっても感動したのです。

それは、ダライ・ラマが観世音菩薩の生まれ変わりとか、そういう特別な輪廻転生を指しているのではなく、僕にも、あなたにも、彼にも、彼らにも、あなたにも、当たり前のように当てはまる普遍の法則、輪廻、そして転生ということを、あらためて広く世の人々に感じさせる、語りかけます。

このことの大事、この真理、この法則、このことを、あらためて、人々に知らしめる。遠くの、特別な、誰かの、何かの話ではなく、自分の、ここの、こうしたこと。とても、とっても、大切だと思います。

生命が続く。生命は続いている。だから、厳しい、だから、尊い、だから、怖い、だから有難い。

時に誤解され、勝手に解釈され、悪用すらされて差別を生み出した輪廻転生という思想です。だからこそ、真実の仏教に依らなければならないのですが、とにかく、広く、身近に、このことを伝えようと試みたこの作品は素晴らしいと思いました。

よく、この複雑難解な作品を映画に出来たものです。実に、原作はポスト・ムラカミ世代の気鋭の作家、デイヴィッド・ミッチェルによるもので全米ベストセラー。彼は18才からバックパッカーとしてインドやネパールを旅し、日本にも8年間在住していました。奥さんは日本人ということですし、インド文化はもちろん、日本文化や日本文学にも深い影響を受けているはずです。

そうした背景があればこそ、この主題に挑み、こうした素晴らしい、分かりやすい、心にスッと届き、残るような作品が書けたのだと思います。見事な原作と映画に、すでに仏教という宝物をいただいている教務として、言葉の分かりにくさ、伝え方の下手さ、文章力、文才の無さなど、哀しく感じます。

すでに書いたとおり、この主題はデイヴィッド・ミッチェル氏が最初に挑んだものではなく、人類が挑み続けてきたテーマです。ニーチェは「永劫回帰」とし、三島由紀夫は『豊饒の海』として作品を遺しました。それらはある意味で断定的で、断片的なものかもしれませんが、間違いなく『Cloud Atlas』に至る系譜の中にある思想や作品群です。

そして、それ以上に、根底に流れる最も重要な思想は、仏教に引き継がれ、仏教によって明らかとなった普遍的な輪廻思想に違いありません。

そして、もう一つ。ここに登場する人物。

こうして、世界的な価値観の大転換に挑む時、つながる人たち。

デイヴィッド・ミッチェル氏は、なぜ『Cloud Atlas』というタイトルを選んだのか。

彼はあるインタビューでこう答えています。

"Cloud Atlas" is the name of a piece of music by the Japanese composer Toshi Ichiyanagi, who was Yoko Ono's first husband. I bought the CD just because of that track's beautiful title. "

彼は、日本の偉大な作曲家、一柳 慧氏の『雲の表情(Cloud Atlas)』という作品にインスピレーションを得たと言っています。そのCDを購入して、自分の作品のタイトルにしたと答えています。そうして原作『Cloud Atlas』は、映画『Cloud Atlas』となりました。ここに登場した一柳 慧氏は、オノ・ヨーコさんの前夫であり、今なお世界的に活躍を続けてられておられます。

つながるものは、つながるのですね。すごい系譜です。

こうして書いてきて思い返すのは、このタイミングで人類が気づかなければならないのは、やはり仏教思想に違いないと思います。

今や、誰もが、あまりにも孤独な世界の中で生きています。iPhoneやSNSで、みんなとつながっているなんて、冗談のように、実際には孤独な世界が広がっていて、それを見ると愕然としてしまいます。

誰もが不干渉になり、誰もが干渉されることを嫌う。スピリチュアルに興味はあるけれど宗教は嫌い。組織に入るのは論外。縛られるのは嫌い。一方的に教えられるのも嫌い。だから、自分で取捨選択できる占いがいい。そう、取捨選択できないと、受け入れられない。

ストレスの因だと思っていることがストレスを解放することで、近道だと思って選んだ道が遠回りであることに気づけない。

本当の愛もなく、本当の人も居ない。自己完結、自己中心の世界。それでも、それを肯定するために、自分一人の、取捨選択できる宇宙観を取り寄せて、繋ぎ合わせて、なんとかしてる。納得してる。しようとしてる。

そこには、輪廻による教え、転生による昇華はないのに。

だから、もう一度、原点に戻って、私たちもご宝前に向かい、無始已来の御文を噛みしめるべきではないかと思います。

「無始已来、謗法、罪障消滅、今身より、仏身に至るまで、持奉る、

本門の本尊、

本門の戒壇、

本門事行、

八品所顕、上行所伝、本因下種の、

南無妙法蓮華経、

南無妙法蓮華経、

南無妙法蓮華経」

「限りなく遠いむかしから、私は、生まれては死に、生まれては死に、"たましい"の旅を続けてきました。

 そして、この度は人間として命を与えられ、ようやくこの素晴らしい御法にお出値いすることが出来ました。

 その間、きっと、妙法の存在を知らず、知っても、そしったり、信じることもなく、自他の成仏を妨げる罪を作ってきたでしょう。

 また、生きていく上で、貪りと怒りに支配された生き方をし、善く生きる道理を正しく捉えることができないままに命を費やしてきたことでしょう。

 そして、他の命を奪い生きなければならない自分の業を謙虚に受け止めず、さまざまな誤った生き方を積み重ねてきたに違いありません。

 このことに気づき、心からお懺悔いたします。

 これより、この身が仏の身と成らせていただけるその時まで、

 本門の御本尊さま、この宇宙の真理、み仏の命を持ち続け、

 本門の戒壇、この教えに従い、菩薩行を続け、

 本門の御題目をお唱えしてゆきます。

 本門事行八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、、。」

ずっと、このことを拝見しているから、この度の命、これからの命、過去と、現在と、未来と、すべてに確信を抱いて、過ごしてゆけたらと思います。

数十億の人が生きていても、関係のある人はほんのわずかです。

生まれ変わり、死に変わり、ずっと続いて、巡り会って、時には愛し合い、時には傷つけ合って、続けてきたのです。

このことに気づいた者が、関係のある人、そして自分を含めて、よりよい関係へと昇華させなければなりません。その関係は、切れないのですから。

すてきなストーリーでした。つながりでした。展開でした。

「時代が変わっても、場所が変わっても、愛する人と必ずめぐり会うー」

「そこに生きる人々は、姿が変わっても引かれ合い、何度も何度も出会っては別れ、争いと過ちを繰り返す。親子、夫婦、兄弟、恋人、友人、あるいは敵同士となっても、いつかはその愛を成就するために−。」

「「私たちは何のために生きているのか?」という、人類の永遠の疑問への答え。」

答えはここにある。ここに、あります。ずっと前から。これから、ずっと先も。

0 件のコメント:

コメントを投稿