政治に関心が向かなくなって久しいのだけど、先日たまたま見た予算委員会で篠原孝さんという方が話しているのを聞いて妙に納得し、やはり議論は大切だと思ったので記しておきたいと思います。
私はそれまで篠原孝さんという政治家やその信条を全く知らなかったのですが、ボソボソと話しながらも、その示した内容は、今の時代を俯瞰したかのようで、一つの真理でした。絶大な人気を誇る安倍首相も思わず苦笑いしておられました。
議論は、いいですね。建設的な議論、つまり目的を同じくしている双方が、恣意を廃して、お互いを尊重しつつ行われる議論は、本当に大切です。ディベートの虚しさとは隔絶しているものです。
篠原氏は、アイロニーを含みながら、それでも穏やかに、安倍首相を尊重しつつ話していました。
首相は『美しい国へ』『新しい国へ』を著しておられる、私も読ませていただいた、美しい国、誰もが求めるところ、しかも、利益ばかりを追求する国や社会ではなく、もっと別の尊い価値観によって、この美しい国土や国民を守らなければならない、と述べている。
しかし、この「美しい国」の理屈と、福島第一原子力発電所の事故、汚染水の問題、東京電力の問題は、整合性が取れているのか。
日本の、経済的な利益が優先され、風評被害を恐れるあまり、正確な情報もなかなか開示されず、美しい国土が汚されたままになり、当該地域に住んでいた国民が苦しんだままになってはいないのでしょうか、と問いかけた。
また、現行の憲法が、占領統治下にあって主に米国から押し付けられた憲法であるから、改正して独自の憲法を制定せねばならないという強い信念と、ほぼ米国が経済的に圧倒的な力を持ち、ルールメーカーになり得るTPPという枠組みに参加して、日本のルールを国際社会の関係性の中で変えてゆかなければならないという判断と、整合性があるのでしょうか、と問いかけたのでした。
とっても深い話だと、僕は感じました。
物事の整合性は、とても大切です。
御法門で「凶悪な殺人犯にも彼なりの正当な理由があり、それを主張するもの」とお話させていただくように、三毒強盛の凡夫の性は整合性を奪う癖に満ちています。
お給仕の大事を説きつつ、師を蔑ろにしたり。自分の生の中に整合性や普遍性を持たせることが修行であるのに、なかなかそうはならないのです。
今の時代を、今の人に囲まれ、今のペースで生きていると、気づけないことがあります。それを明らかにしてくれる「議論」というものは、やはり捨てたものではないですね。
この国が、もっともっと、強く、美しくなることを、切に願います。
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