6年ぶりの福岡御導師の御唱導、有難かったです。雨が降っていましたが、ここで降らずにいつ降るの、というタイミングだったと思います。
むしろ、いつも言っているとおり、ご弘通が勢いよく衰退しているのに「晴天」なんて、ちょっと滑稽です。おこがましい。うぬぼれ。有難い雨のはずですね。今日、むしろ雨の中で満面の笑みでご奉公くださった方々に、心から感謝いたします。ありがとうございましたー。
福岡御導師から学ばせていただいたことは、たくさんあります。最初にお会いしたのは、32年も前のことです。その時も、笑ってしまうくらい、ご迷惑をお掛けしました。マキちゃんと会ったのも、その時。かわいかったなー。僕はホテルに懐中御本尊を忘れたくらいのお馬鹿さんでした。
そして、教務として、学ばせていただくようになったのは、もう、20年も前のことです。
まず、「消化」。率直に、ここまで、消化しないと、人に伝わらないんだな、と思いました。素直正直という大切な教えや姿勢に甘んじているとだけではダメだということを、痛感しました。
というのは、読んだこと、学んだこと、聞いたことを、そのまま難しい言葉や名目を使って説明する人が多い中で、必死に、消化して、伝えようとされてきた、その姿勢に、感動しました。これ、正直な気持ちです。
実際、何も考えず、古い御法門帳を取り出して、読み上げることも出来るんです。それを、ご信者さまも手を合わせて聴いてくださったりするのです。どこを、どう判断して良いか、分からなくなるくらい、ここに落とし穴があるのですが、そういうことも麻痺するくらい、有難いご信心の教えがあって、そうこうしている内に、内側に、内側にと向いていってしまいます。
なぜなら、時間を経れば経るほど、そこでしか通じない言葉が溢れてゆくから。
そのままだと、分かっている人にしか分からない、分からない人には分からない、分かっているであろう人も、実は分かっていない、という恐ろしい世界が来てしまいます。
福岡御導師に教えていただいて、何より感じたのは、この「消化」の痕跡で、すごいなーと思いました。
ここから、佛立教学は、頭ではなく体験で学ぶ大事を痛感しました。すべては示されているのですから。体験であれば、その深い論理を、さらに分かりやすく人に伝えられます。
そして、もう一つは、「挑戦」。僕は、ベッドの中で悩んだことを、忘れられません。
なぜ、福岡御導師には出来て、僕には出来ないのだろう、と悩んだことがありました。もう15年近く前のことです。
自分は、いろいろな意味で根性がないと感じていて、それを突き破る挑戦をしている方が福岡御導師でした。その後を付いていったら、何とか真似ごとができるようになりました。そんな状態で、成長させていただいてきたのが、今の自分でした。
簡単なようで、簡単ではないですね。
「消化」と「挑戦」。
「偉そうにしてるけど、お前は本当に消化してるのかー」
「お前は、甘んじていないかー」
ずっと、思う。かなしいから。なぜ、そこで甘えるのかな。
「そこ、ふんばると、次はもっと強くなるのに」
いっつも、そう思うんです。簡単に、処理する人が多くて。
そこで処理するから、処理できない。消化してない。昇華できない。
全く関係ないのだけど、僕は『Swallowtail Butterfly ~あいのうた~』という曲が大好きです。
今夜、何度も聴きました-。いいわー。
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