2月5日、寒参詣最終日の今日は、本山宥清寺に御礼参詣をさせていただきました。
有難かったですー。この後、10時に京都新聞さまがミュージアムまで取材に来てくださるので、少し早めに帰らせていただきました。
本山のご宝前でも、あおい君やよしひろ君のご祈願をさせていただきました。昨夜の長松寺でも、それぞれ言上させていただきました。
開導聖人が麩屋町の御館に入られたのは明治17年(1884)の2月。つまり、今月から数えてピッタリ130年前に、開導聖人はここにお住まいになられたのでした。
そして、すぐに五五の御指南を開始され、同時にお母さまのご命日である4日に、開導聖人ご自身が願主・席主となられた「長松席」の御講を始められました。
その御講が、現在も毎月4日に「役一総講」として奉修させていただいているお総講。この御講は、開導聖人から始まって、今月で130年間。戦争でも、貧しくても、途絶えることなくご奉公させていただいてきたのだと、代々そのように申し伝えられてきました。
昨夜も、遅くまで大勢の方にお参詣いただき、有難い次第でした。あおい君のことをご披露しましたら、吏絵ちゃんのお母さまをはじめ、皆さんがお助行くださると申し出てくださいました(涙)。有難いです。
もう一つ、うれしいことがありました。
それは、よしみちゃんです。よしみちゃん。統合失調症をはじめ、様々な診断をされて強い薬を出されていた彼女。数年前は、何度も何度も自殺未遂をして、「いま、薬を飲みました」というメールを見て、慌ててご両親に電話をかけて、緊急入院するということが、何度も、何度も、ありました。
長松寺にお参詣くださり、ご信者さんとのご縁もいただいて、たくさんの人から励ましていただいたり、教えていただいたり、支えていただいて、過ごしてきました。
昨夜、そのよしみちゃんが、本当に、すっきりとした、スーッとした、澄んだ笑顔で、先日病院に行ったら、本当に、大変よくなっていて、もうそろそろ病院の卒業を考えよう、と先生に言われたと、教えてくれました。
本当に、本当に、うれしかった。
あの頃は、会うたびに、いつも握手をして、ハグをして、目と目で話していました。
笑顔が、キラリ。ここ最近、本当に、心身の調子がいいと思っていましたが、こんなに元気になるなんて。
そして、そして、自分から「御礼」と書いた小さなお包みを出して、私に差し出してくださいました。
数年間のことを振り返り、このお包みが、アルバイトでいただいたお給料の中からお包みくださった、よしみちゃんの本当の志で、ずっと社会にも出れない、仕事も、バイトももちろん出来ないと言っていた頃を、思い出して、うわーっと、なりました。
本当に、重たい、重たい、御礼です。謹んで、言上させていただきます。
まだまだ、いろいろあると思いますが、もう大丈夫だね。分かったよね。自力では無理なことが、たくさんあって、やっぱり御法さまのお力添えをいただいて、心のバランスを取って、ご信心で、歩んでゆこう。
そうしたら、大丈夫。僕らもいる。
ありがたかったですー。
0 件のコメント:
コメントを投稿