あの日、感じたこと。
あの時、誓ったこと。
あれから、たくさんの方とお会いすることが出来て、それぞれの人生が重なって、新しい道のりが始まって、4年。
今日、僕は京都です。
宗会という最も大切なご奉公の、第3日目。
1年目。
2年目。
3年目。
その日、その時間を、皆さんと一緒に手を合わせて、お参りさせていただくために、被災地に伺ってきましたが、今年はこちらから、お参りさせていただきます。
今日は、陸前高田市の福田さんのご自宅だった場所に建つ慰霊碑、大塔婆の前で、秋山ご住職にご唱導いただいて、釜石慈念寺の尾形ご住職、妙深寺の阿部信仰執事長ご出座のもと、慰霊法要を勤めていただくこととなっております。
今日も、高田は寒いでしょうか。
寒波、大丈夫でしょうか。
妙深寺でも慰霊口唱会をさせていただきます。
京都は、晴れています。
僕は、この世をはるかに見渡して、また自分自身を見つめて、まだまだ、出来ていないと思い、さらなる狂気的情熱を燃やし直して、生きてゆかなければならないと、思いを新たにしています。
危機感も足りないし、口だけの人間が多すぎる。
本当に、申し訳ない。
言葉だけなんて、嫌です。
ブログは、公開日記のようなもので恥ずかしいけれど、やはり、4年前のことも、しっかりと振り返ることが出来てしまうのです。
あの日、感じたこと。
あの時、誓ったこと。
振り返ると、自分もまだまだ出来ていない。
東日本大震災の直後、カール・ユングの言葉を紹介して、御法門を説かせていただいていました。
「人間にとって決定的な問いは、おまえは無限という状況に関わっているか、である。それが人間にとっての基準となる。無限の重要さを知っている時、人は自分の関心を不毛で、無意味な事物に向けることが出来ない。人間はただ、人生にとって本質的なるものを把握したときにのみ、有効な生活を送れる。そして、もし本質的なるものを持っていないとき、その人の生涯は台無しになる。」
人生を、台無しにしないために、生まれ変わり、死に変わり、してきたこと、これからもしてゆくことにフォーカスして、今を生きる。
本質的なことを見つけなさい。
本質的なことを見つけたら、自然と意味のないことに心が揺れなくなる、時間を使いたくなくなる。
気づいたら、捨てること。
僕たちは、あの日から、本質的なことを学ばせていただいたと思うし、本質的な生き方をしたいと思えるようになったと思う。
たくさんの方々の命と、たくさんの方々との出会いが、大切なことを、教えてくれたのでした。
東日本大震災には全人類に向けられた問いがあると思っています。
今日は京都からお祈りします。
申し訳ありません。
南無妙法蓮華経。
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