ページ

2015年8月2日日曜日

「いま、平和を考える」 長松清潤




平成27年度 妙深寺 開導会 併 終戦70年慰霊法要
「いま、平和を考える」
住職 長松清潤

本日は、終戦から70年という大切な節目に、妙深寺は、開導会にあわせて、特別な法要を勤めさせていただきました。お参詣いただきまして、ありがとうございます。

ドイツの哲学者・ヘーゲルは、
「我々が歴史を勉強すると、我々が歴史から学んでいないことが分かる」
と言っています。

第二次世界大戦当時、イギリスの首相を務めていたウィンストン・チャーチルは、
「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ」
と言っています。大変示唆に富んだ言葉だと思います。

さて、今も大勢の先輩からの戦争体験をお話しいただきましたが、こんな言葉に接するとき、私たちは、本当に70年前の戦争から学べているのか、不安にならないでしょうか?

私も大好きな『星の王子さま』を書いた、サン=テグジュペリという方が、こんな言葉を残しています。

「恐怖の描写をするだけであれば、われわれは正しく戦争に反対することにならない。生きることの喜びや無駄な死の非情さについて声高く述べるだけでも、同じように正しく戦争に反対することにはならない。数千年以来、母親の涙について語られて来た。だがその言葉も、息子が死ぬことを妨げ得ないことをしっかりと認めなければならない」

「お母さんが息子を失ってこんなに苦しんだんですよ」と言っても、それが歯止めにはならない。どれだけ恐ろしいものを見ても、恐ろしい体験を聞いても、本当のところ、私たちの心には届かず、戦争が無くなることはない、という言葉です。

いかがでしょうか?

戦後70年、私たちはこれまでも様々に学んできたはずですが、どれだけ心に刺さって、平和の大事を思えたでしょうか。

残念ながら、「平和」は、「戦争」からしか学べないと言われます。

私たちの宗派の広島のお寺に、伊田日雄上人という方がおられます。この方は、広島に原爆が投下されたとき、爆心から1・5キロの地点におられ、被曝をされました。

昨年8月6日、私はスリランカの青年たちと、広島の平和記念式典に出席をしました。その際、伊田御導師にもお話をお聞きすることができました。

御導師は、爆発の熱風で全身やけどを負い、頭と足からウジが湧いたとお話しくださいました。広島や長崎の場合、横浜や東京のような空襲の日だけの悲惨さや恐ろしさではなく、「被曝」ですから、放射能にさらされ、本当に長い間、ずっと苦しまなければならなかった。

そして、次のことをお話くださいました。

皆さん、戦争はなんでいけないんだと思いますか?伊田御導師は、こうおっしゃっています。

「戦争は、『どんなことをしてでも相手をやっつけてやる』という気持ちが起こってしまうから恐ろしいのだ」

そうですよね?絶対に勝たなければいけないし、自分の家族や子どもが殺されると思えば、相手を絶対にやっつけてやるという想いが起こってしまうものです。

それから、

「平和とは『絶対に守る』という努力がなければ守れない」

とおっしゃっていました。

さて、この写真をご覧ください。これは、アメリカの写真家、ジョー・オダネルという方が撮影したもので、そのご家族からお借りした写真です。実は来月7月7日から、京都佛立ミュージアムで「終戦70年特別展示『トランクの中の日本』~戦争、平和、そして仏教~」という展示会を開催するのですが、ジョー・オダネル氏は、終戦直後に従軍カメラマンとして来日され、焦土と化した日本、特に広島と長崎を撮影されました。『トランクの中の日本』というタイトルは、オダネル氏が、あの忌まわしい記憶を思い出したくない、ということで、43年間、トランクの中に、その写真のネガをしまっていたんです。ところが、40年以上がたっても相変わらず世界から戦争はなくならない。また、もしかしたら核戦争がまた起こるかもしれない、と思われ、覚悟をしてトランクを開けた。それが、後に小学館より出版された『トランクの中の日本』でした。

その中の一枚がこの写真で、長崎で撮影された一人の少年の写真です。

ジョー・オダネル氏は、この写真について、自分の気持ちを書き残しています。

「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで、見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で弟を見送ったのだ。
私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?」

こういう言葉を寄せられています。

当然ながら、この撮影をしたオダネル氏も被曝しており、2007年に亡くならたのですが、それまで50回以上の手術を受けたと言います。そして、亡くなった日は、長崎に原爆が落とされ、この写真が撮られた8月9日でした。

オダネル氏は書き遺しています。

「爆心地が目の前に広がっていた。一瞬息が詰まった。地球に立っているとは信じられない。見渡すかぎり人々の営みの形跡はかき消され、瓦礫が地面をおおいつくしていた。私はたったひとりでここに立つ。まるで宇宙でたったひとりの生き残りであるかのように。徹底的に荒れ果てた地表には、鉄管や煉瓦が不気味な影を落としている。まわりの静けさが私を打ちのめした。私は体を失った彫像を見つめる。口はからからに乾き、眼には涙がにじむ。やっとの思いでつぶやいた。『神様、私たちはなんてひどいことをしてしまったのでしょう』」

ヘーゲルやチャーチル、サン=テクジュペリが言っているように、私たちは、やはりまた戦争を繰り返してしまうのでしょうか。

終戦70年の今年、みんなで平和を考え祈るべき年であるのに、年が明けてすぐに中東でイスラム過激派組織の兵士が日本人の首を切り落とし、あるいは、シリアでの内戦は激化し、ロシアとウクライナの戦争、中国も不気味に軍備を増強している。そして日本でも、憲法の解釈を変更して、集団的自衛権の行使容認という方向に進んでいます。

私は『仏教徒坂本龍馬』という本の中で、「憲法9条を守れば平和主義者で、靖国神社に参拝すれば愛国者だなんて冗談じゃない」と書きました。

「靖国に参拝したから愛国者で、憲法九条を擁護すれば平和主義者であるというのは、双方共に問題の矮小化である。そうしたことはこの国のために命を擲(なげう)った人々の霊魂に対する侮蔑であり、人間の本性に対する無知であり、平和や繁栄の軽視であると考える」

それぞれの立場や考え方の人があると思いますが、もっと徹底的に、人間の業、人間の本性、欲望の際限のなさ、人間の正体を見つめなければならない。

それを見つめられたのが「仏さま」。この世には「仏教」という希望がある。逆を言えば、「仏教しかない」のです。

戦争は、「正義」と「正義」の戦いですから。どんな悪人にも「正当な理由」があり、戦争には必ずその国の「大義」があります。

日博上人は『一実』の中で述べられています。

「『戦争を否定するが故にこの戦争が起こる』これが真実の矛盾であります」

戦争は、平和のために起こるものだという。

そして、靖国神社に参拝すれば愛国者だというのも私は間違いだと思います。

幕末維新の仏教改革者・佛立開導日扇聖人の、ある一首の御教歌が、京都長松寺に残されています。

それには題名が付けられており、

「東山霊山に石のしるし建たる戦死の武者弔ひのうたよめと人のいひければ」

とあります。京都、東山の霊山に、ある石碑を建てたい。それは、戊辰戦争で亡くなった方々を弔うためにということで、当時、京都で有名な歌人でもあった日扇聖人に、「歌を一首詠んでほしい」という依頼があった。

「東山の霊山」というのは何かというと、東京にある「靖国神社」の前身「東京招魂社」の、さらに前身の「京都招魂社」のことなんです。

この招魂社に対して、戦死した人のために歌を詠めと言われて、開導聖人が詠んだ歌が次のようなものです。

「かつも妙まけるも妙のいくさしてころしたものもまたしぬる妙」

この御教歌をいただいている本門佛立宗のご信者さんは、この国の近代史や世界史に対しても、本当に大切なことを教えていただいている。

敵、味方、あらゆる人々が、一人ひとり、家族の無事を、それぞれの神仏に祈りました。それぞれが正義を掲げ、戦った。しかし、「勝った勝った」言っている人間も、また死ぬ。

『ダンマパダ(法句経)』という、仏さまの古い経典に、次のような一節があります。

「すべてのものは暴力に脅えている。
すべてのものは死を恐れる。
己が身にひきくらべて、殺してはならない。
殺させてはならない。
すべてのものは暴力に脅えている。
すべての生きとし生けるものにとって命は愛しい。
己の身にひきくらべて、殺してはならない。殺させてはならない」

また、『スッタニパータ』という経典にある「慈しみ」と題された一節には、

「一切の生きとし生けるものは、
幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも強剛なものでも、
悉く、長いものでも、大きいものでも、
中ぐらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」

これが、仏さまの祈りなのです。仏教なのです。

さらに、スリランカに伝わる、『慈悲の瞑想』では、次のような一句を唱え、祈ります。

「私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いが叶いますように
(中略)
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いが叶いますように
(中略)
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いが叶いますように
(中略)
私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いが叶いますように
(中略)
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いが叶いますように
(後略)」

自分や周囲の人の幸せを祈り、かつ自分が嫌いな人、自分を嫌いな人のためにまで、祈る。これこそが仏教です。

私は、「この世界には仏教という希望がある」と言いたい。

宮沢賢治さんの言葉、

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

「願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」(法華経化城喩品第七)

みんなが幸せになってほしい。

色々な主義主張はあるが、絶対に戦争を解決の手段としてはならない。

だから何をするか。やはり、正しい仏の教えを伝えていくしかないと私は確信をしています。そのために全身全霊、命をかけてご奉公をさせていただいています。

平和のために。

お祖師さまは、

「万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨壌を砕かず、代は羲農の世と成て、今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を御覧ぜよ。現世安穏の証文疑ひあるべからざる者也」

このお祖師さまの言葉を最後に紹介して、今日の法話とさせていただきます。

1 件のコメント:

  1. 先ほど「かんさい情報ten」で清潤様のお話を拝聴いたしまして、大変に共鳴いたしました。テレビ番組の解説では本日分は紹介されてなかったため検索いたしまして、ここにたどり着きました。TVで『壁』について触れられていて「人は壁を作ることで自分を防御しようとする」しかし大切なのは「もっと徹底的に、(自分の中に在るとおっしゃられた?)人間の業、人間の本性、欲望の際限のなさ、人間の正体を見つめなければならない。」『壁』を取り払って(とおっしゃったかうる覚えです)自分も他者もみつめ直してみることが「平和」を築く一歩となるというように話されていて、そう、その通りですね、と思いました。実は私はカトリック教会の信徒です。清潤様の「いま、平和を考える」の法話を読ませていただいて、さらに誠にその通りとうれしくなりました。ただひとつ辛い思いになりましたのは『この世には「仏教」という希望がある。逆を言えば、「仏教しかない」のです。』というお言葉です。「ダンマパダ」という古い経典のお祈り、スリランカの「慈悲の瞑想」の内容と丸ごと同じことをキリスト教の私たちもお祈りしております。もし可能でしたら「暴力とゆるし」ジャン・ヴァニエ著(出版:女子パウロ会)をお読みいただけたらありがたいです。日夜、日本のためのみならず世界に向かっても人々のために働いておられるのでお時間は無いかもしれませんが、移動のお時間にでもお読みいただき、キリスト教を信じるわたしたちとの共鳴も是非広げていただけたらと思います。多くの方に観に行ってほしいと思い「トランクの中の日本~~」の写真展のことをFBでシェアさせていただこうと思います。「敵味方を隔てる世界に、未来はあるのだろうか?」これは本当に深い問いかけだと思います。合掌。濱本緑(神戸市在住、66才)

    返信削除