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2015年11月25日水曜日

小原旭 告別式 歎読

小原旭 告別式 歎読

 法華経常住一切三宝諸仏諸尊、茲に来臨し給い、一切の障礙を払い、哀愍救護を垂れ、即是道場にして知見照覧なさしめ給え。

謹んで蓮師相伝秘要の対境、本地本法本門法華経の御本尊の御前にて、恭しく壇を設け、礼をもって謹んで営み奉る処の告別式、法要の一座。

去る平成二十七年十一月十六日、仏陀 釈迦牟尼世尊御生誕の地、ネパール国の大地震支援活動、ご弘通ご奉公の最中(さなか)、此の娑婆を忍土の一期と定め、二十有六才の若きを以て寂光の本宮に赴(おもむ)く一霊。

本門佛立宗 清光山 妙深寺 所属信徒、通称、小原(おばら) 旭(あきら)。

霊や無始已来謗法罪障消滅 出離生死証大菩提。

 此処に故人生前の行軌を回顧せん。

 通称、小原 旭。父に青森青松寺 小原信(しん)盛(じょう)御住職、母に旭川寺(あさひかわでら)の強信の家庭にて薫育を受けたる智美女をいただき、また祖父には仙台妙法寺をはじめ三か寺の御住職たる小原日諭御導師と、まさに御法の為に身を捧ぐ佛立の一家、小原家の長男として、平成二年一月三日、その生を受く。 

当時、小原信盛師は盛岡広宣寺の八戸(はちのへ)別院の担当としてご奉公され、奇(く)しくも一月三日、広宣寺初総講の日に、母の実家、旭川にて誕生す。以来、一家が一月三日に広宣寺の初総講に参詣するや、決まって御総講の後、夜には誕生日会を開いていただきたりと聞く。

旭川の「旭(あさひ)」と、高祖立教開宗の地、旭ヶ森の「旭(あさひ)」よりいただき「旭(あきら)」と命名されたる。

 元来、体が弱く病弱なれども、年子で一つ違いの妹、芳(かおり)女と兄妹仲良く支え合い、八戸別院にてご信者方の愛情を一身に受けて養育せられたる。やがて誕生せし次女の富(さかえ)女、二人の兄として常に優しく温かく接し、一家は佛立信心を柱として、楽しく、和やかなる時を過ごしたる。

 八才の時、父、信盛師の文能昇進・叙任式あり。団参と共に一家は本山宥清寺へ参詣し、京都や大原に足を運び、夜は親戚、従兄弟と共に歌を歌い、楽しき思い出、最上の時を過ごせしと聞く。

 小学校ではサッカーや野球の部活に入り、また書道を習い、この頃より英語を学び始めたる。

お寺の中でお仏飯のお下がりを頂き、また祖父や父の姿を見て育ち、小学校の卒業アルバムには「十年後の自分は、得度して、立正大学に通っている」と、妙法弘通の使命感を既に帯び、中学一年の幼きより親元を離れ、祖父 日諭導師の元、青森青松寺に寄宿し、新しい環境で一人、勉強や部活をしながらご奉公。

懸命に学生生活を送る中、平成十五年の夏、まだ中学二年生の少年は、同じく青松寺に寄宿せし野本信生師と共に、佛立教務の道を志し得度されたる。

さりとて、未だあどけなさの残る少年の身の上に、教務としての重責は想像し難く、心身の疲労の末、身に病を覚えし故に、親元の八戸に戻り、高校三年間は一家と共に過ごしたる。

幼少期より英語を得意とされし故人は、更にその才能に磨きをかけんと、高校卒業後は親元を再び離れ、日本外語専門学校に学び、英検二級を取得。さらに準一級を目指して勉学に勤(いそ)しみ、やがてイギリス、ロンドンに半年間留学。ホームステイ先で親切なる家族に恵まれ、異国の文化にも触れ、人として学ぶこと多く、人生観が変わり、大いなる成長を遂げられたる。

留学前、故人はインターネットを通じ、妙深寺の「ボーズバー」に心惹かれ、「どうしても横浜のお寺に行ってみたい」と両親に告げ、すぐさま行動に移す。月に一度開催のこのボーズバーにて、私と貴方が初めて出会いたることも、昨日の如くにおぼおゆる。

この時よりの短き間なれども、貴方は誰にも語れぬ自らの心の内に秘めし悩みを私に打ち明け、我が顔を見るや、ポロポロと涙を落とす。その姿、真に忘れがたし。

二年前、我が勧めにより、教務としてのご奉公を離れ、病(やまい)克服の為、一人妙深寺の近くに転居す。共に交換日記を付け、共に病院へ通い、一進一退の中、様々に語らい、御題目を唱え重ね、業と闘い、必死で苦しみの山を乗り越えんともがきたる。

妙深寺での新たな出会い、信者方との縁も深めゆき、中でも第二の母とも覚えし黒崎とし子女を慕い、何でも心を開きて相談し、参詣やご奉公は言うに及ばず、妙深寺農園での作業や、塔婆の浄書のご奉公などを通して、人間学を教わる。

かくて、故人の病は、御宝前よりお計らいをいただき、速やかに回復の兆しを見せ、医師より「これ以上の治療も薬も不要」との言葉に、私と手を取り、抱き合いながら喜びしこと、生涯忘れがたし。

やがて故人は、人の為に生きる志を旨に、介護の仕事に従事せる。

一昨年の十一月には、フィリピンの巨大台風災害の支援活動に参加。あらゆるしがらみや葛藤、病気を乗り越え、かつて夢に描きたる海外弘通の最前線についに立ちなん。

またこれまでに幾たびか、東日本大震災被災地、陸前高田、大船渡の支援活動に加わり、昨年二月はインドに赴き、デリーに於ける教化ミーティングをはじめ、釈尊成道の地・ブッダガヤ、法華経説法の地・ラージギル・霊鷲山にてご奉公。妙深寺インド親会場建設の地、霊鷲山にほど近きバライニ村にて、貧しき子どもらに文房具などのプレゼントを手渡したる。

そしてこの度のネパール大地震支援活動。人を寄せ付けぬかの如き山地険しき環境にたたずむサムンドラデヴィ村。地震により崩壊せし学校の校舎建設がため、過酷なご奉公に身を投ず。星空の元、同行の教講や現地のスタッフと火を囲み、それぞれに自らの紹介と、この活動にかける意気込みを語られる中、故人は自ら英語で、「自分は生まれ変わる為にここに来た」と口にせる。

明くる十一月十六日の朝、八時からのお看経を前に、「自分は先にお看経をしてもいいですか?」と、皆より三十分早く、トタン屋根の仮設校舎に懐中御本尊をお掛けして口唱を始むるや、それを見ていた学校の子供らが、周りを囲むように座り、共に御題目を唱題せん。その美しき姿、言葉すら通じぬ如何なる地に於いても、上行所伝の御題目を人に勧め、唱えさせんとす、菩薩ならん。

午前の作業に取りかかり、昼を前にする頃、資材を積んだトラックが坂道を上(のぼ)ること能(あた)わざりしに、学校の完成を待てる子ども等の為に、皆で懸命に引き上げ、押し上げんと力を入れた刹那。俄(にわか)に前に進みし車に、故人が挟まれたる。骨折の疑いありと、悪路を急ぎ車で病院に向かう。痛みの中にありても、その叫びを「南無妙法蓮華経」の声へと換え、命のかよわん際(きわ)まで、唱えて唱え尽くせり。

故人はこの支援活動前に百本祈願を志し、出国前に八十三本を数えたる。今思えば最期の最期、その人生の際(きわ)に満願を果たせるかな。

車中で容態が急変し、人工呼吸、心臓マッサージを受くるも虚しく、再び目覚めること能わず。かの村より悪路三時間の道のりを乗り越え、ようやく病院に着きし時、その同時同刻に、向かいの方(かた)より、図らずも清潤も日本より到着したり。この広き世界で、一分も違えず、共に海外弘通を夢見、約束した清潤と、かようなる形にて相まみえる。それは恰(あたか)も故人を引き取りに、迎えに行かんが為に遣わされし如くなり。

不思議なるかな、誰にも迷惑を掛けぬようにと、自らの死期(しき)を知るかのように、自らの部屋の掃除を済ませてネパールへ旅立つ。

故人が記せし最期の手帳には、
「御宝前様よ。本当にこの世にいて、俺に道を下さるなら、なるべく、いや早く俺を死なせて下さい。そして、来世は“今世の張良”と言われるくらいの英傑、東郷重位(ちゅうい)にも負けないくらいの武人、強さを持つ、織田信長公や初代ウェリントン公、ナポレオン、児玉・大山大将、西郷隆盛、ランヌ・シャープくらい、知略、人徳、武威、人格、優れていて、上に立つ、素晴らしい人間に生まれ変わらせてください。」
と残したる。

 故人、帰寂の日より数えて四十九日目が一月三日の誕生日とは、この定業能転の筋道、御法さまより他に誰にか描けたる。御宝前のご采配、凡慮の及ばぬ現証。かくも早く、自らの望みを叶えし、小原 旭(あきら)、その名、その人間の記憶は、未来永劫、ご弘通の歴史に刻まれたり。

故人は辺境の地で貧しく苦しむ人を助け、自らを顧みず、不惜身命、御弘通の為に命を捧げたる、これ「法華経を身に読む者」「真実の出家」「佛立教務」なり。

高祖日蓮大菩薩、龍ノ口御法難を振り返りお認めの御妙判に、

「今夜頸切れへまかるなり。この数年が間願ひつる事これなり。此娑婆世界にしてきじ(雉)となりし時は、たか(鷹)につかまれ、ねずみ(鼠)となりし時は、ねこにくらわれき。或はめ(妻)に、こ(子)に、かたきに身を失ひし事、大地微塵より多し。法華経の御ためには一度だも失ふことなし。されば日蓮貧道の身と生れて父母の孝養心にたらず、国の恩を報ずべき力なし。今度頸を法華経に奉りて其功徳を父母に回向せん。其あまりは弟子檀那等にはぶく(配当)べしと申せし事これなり 云々」

帰寂の後、祖父と母、妹二人がネパールに到着し、唱題の中、対面を果たすや大地が大きく振動す。家族がかの村に行けば、それまで曇りし周囲が一変に晴れ渡り、仏陀釈尊誕生の地、遥か向こうの天空に、真っ白な雪を湛えたヒマラヤが、見事な威容を表したる。かくて帰国直後の二十二日早朝八時二十分には空港近くを震源にして同じく大地が鳴動す。果たしてこれらは現証より他になにかあらん。

我ら妙深寺教講一同、その短くも尊き一生、命に謝し奉り、一層の異体同心、御弘通御奉公、常精進、一天四海皆帰妙法の祖願達成に向け邁進(まいしん)する事を誓うものなり。

今その功徳を鑑み、後信の範たらんことを顕彰せしめんが為、法号を授与して、
本地院信昇日旭信士
と号す。

願わくはこの哀愍の歎徳を受け、寂光の本宮に安からしめんことを。かつ生々世々、生まれ変わり、死に変わり、行菩薩道の誓願に任せて、師と、弟子と、生を共に相まみえ浄佛国土の大願成就に精進せんことを請い願うのみ。

妙法蓮華経とは、上は悲想の雲の上、下は奈落の炎の底までも、皆この光明に照らされて、一切の群生、諸々の苦患を逃るるものなり。

経に曰く「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」「於我滅度後 応受持此経 是人於仏道 決定無有疑」。

高祖曰く「日蓮は日本第一の法華経の行者なり。日蓮が弟子旦那等の中に、日蓮より後に来たり給ひ候らはゞ、梵天、帝釈、四大天王、閻魔法皇の御前にても、日本第一の法華経の行者、日蓮坊が弟子旦那なりと名乗って通り給ふべし。此の法華経は三途の河にては船となり、死出の山にては大白牛車となり、冥土にては燈となり、霊山へ参る橋なり。霊山へましまして艮の廊にて尋させ給へ。必ず待ち奉るべく候」と大慈大悲大恩報謝。

納種在識 永劫不失 名字信行 即身成仏。

右、喪主、妙深寺 今般寺葬に準じて執行す。

仰ぎ願わくは、妙深寺ご弘通隆昌発展、宗門興隆、ネパール大地震支援活動  完遂、当山所属教講、小原家並びに家内、一門の面々、只今参詣、参列の面々、謗法・罪障消滅、定業能転、信行増進、ご奉公成就、現世心中諸願決定成就円満一切無障礙。

惟時 平成二十七年十一月二十四日
本門佛立宗 妙深寺 第四世住職 清潤、旭、棺中の霊位を敬って曰す。

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