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2016年8月1日月曜日

『サイコパスと仏教』 妙深寺報 平成28年8月号 巻頭言

神奈川県相模原市の重度障害者福祉施設で、入所者十九名が次々と刺殺され、二十六名が重軽傷を負う、世にも恐ろしい凄惨な事件が発生してしまいました。社会で最も弱い立場にある方々を対象とした「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」は戦後最悪の大量殺人事件です。

あまりにも非道な、惨い、狂気の事件に、数日間言葉が見つかりませんでした。

今年二月、二十六才の容疑者は衆議院議長公邸を訪れて「障害者が安楽死できる世界を」と書いた手紙を手渡し、警察の取り調べに「重度障害者の大量殺人は日本国の指示があればいつでも実行する」と述べていたと言います。

犯行直後、彼はインターネットに「世界が平和になりますように。ビューティフル・ジャパン(原文英語)」という言葉と赤いネクタイをつけたうすら笑いの自撮り写真をアップしていました。

狂気の果てに、計画的に淡々と行われた凶行。容疑者の達成感に満ちた晴れやかな顔が、この事件の本質的な問題を表しています。この顔を見ながら人間の心に悪魔が巣くうことを再認識しました。

先日はドイツのマクドナルドで子どもたちを狙った銃乱射事件があり、南仏のニースではトラックが歩行者に突入して無差別に多くの人びとを殺傷しました。米国のフロリダ州オーランドで発生した銃乱射事件では、ナイトクラブに突入した一人の容疑者が五十人を殺害、五十三名を負傷させました。それぞれ、たった一人が起こした大量殺人事件で、イスラム国との関係が指摘されています。

しかし、今回の事件は特定の宗教に限定されず、この日本社会の中で、狂った正義感から身勝手な憎悪を膨らませた、平成生まれの青年が生まれ、存在していることを私たちに突きつけたのです。

隔絶された情報の中に生まれる偏狭な宗教テロリストより、その心の闇は深く歪んでいます。いずれにしても、世界中で同じような事件が増え続けています。

「サイコパス」という言葉があります。多くの専門家が今回の事件を評して「典型的なサイコパスが起こした事件」と述べていました。

「サイコパス」とは簡単に言うと「良心」や「善意」というものを「持っていない人間」という意味だそうです。「感じない」のではなく「持っていない」という定義に恐ろしさを感じます。

良心を持たない「サイコパス」という人間の存在を宗教者である私はどう考えるか。真実の仏教はどのように受け止めるのか。思索を続けています。

お祖師さまは『観心本尊抄』の中で次のようにお諭しです。

「無顧の悪人、猶妻子を慈愛す。菩薩界の一分也。」

「何ら顧みない悪人ですら自分の妻子にだけは愛情を抱く。人の心に存在する菩薩界を示している。」

極悪非道の者にも一分の菩薩心があるという真理を述べています。十界互具、一念三千の御法門です。

しかし、今回の容疑者の狂気や態度を見ていると、一分の良心も感じられず、まさに「サイコパス」「良心など存在しない」「反社会性人格障害」という定義を当てはめたくなります。さらに、インターネットに溢れる彼の主張や犯罪に同意する人びとや称讃する人びとの多さに悪世末法の深い闇を見る思いがします。

虐待を繰り返されてきた児童は人間としてごく当たり前の感情や行動が分からず、丁寧に我慢強く待たなければ救えないと言います。

彼らは愛や恩を感じにくいのです。その欠落した感情は子や孫にまで続いてしまうと言います。虐待の世代間連鎖です。

同じように、神経系のドラッグや遺伝子操作による粗悪な食品も「サイコパス」を生み出しているのかもしれませんが、原因は判然としません。分かっていることは、現実に起こったこの悲惨な事件と、事件を引き起こした狂気の人間の存在です。現代は人が壊れてゆく時代、壊れやすい時代です。

「心を失った人」が、偏った宗教や思想に出会って、過激化したり、正義を振りかざして、人を傷つけ、断罪したりするようになります。偏った思想や宗教も人間を誤らせますが、心を失った人、心の壊れた人もまた、間違った自分を正当化するために偏った宗教や思想を必要とします。

「ヒトラー思想が降りてきた」と措置入院中に容疑者が言ったそうです。ナチスは障害者を「生きるに値しない生命」と呼び、組織的に殺害しました。その思想に彼は共鳴していたと言うのです。

ナチス・ドイツに限らず当時は世界中で「優生学」という学問が興隆していました。ダーヴィンの生物進化論を誤解し拡大解釈したのが「優生学」です。社会の発展や人類の進化のために適者生存や自然淘汰が正当化され、民族浄化の正当化まで叫ばれるようになりました。日本でも人種改良、民族優生、民族衛生が唱えられ、実施されていました。

戦後、恐ろしい戦争の反省から、これらの思想は否定され、忘れられてゆきました。しかし、今また共感や協調よりもそれぞれの正義が掲げられる時代となりました。正義を掲げるからこそ生まれる憎悪が世の中に広がっています。

平成二十五年六月三日、横田弘さんという方が亡くなられました。横田さんは脳性マヒで重い障害を持っておられましたが、障害者の生存権確立運動の先駆者として活動された壮絶な人生を歩んだ方でした。ご長男が法灯相続くださり、妙深寺で葬儀を行いました。

葬儀後、『障害者殺しの思想』という著書を頂戴しました。この本を拝読し、それまで知らなかった社会の問題、暗部、盲点、私たち自身の心の闇を思い知りました。本年『われらは愛と正義を否定する―脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』という本も出版されています。

仏教とは「自覚の宗教」です。人間感情、国民感情に訴える宗教はありますが、仏教は次元が違います。人間を知り、自分を知るのです。胸の内にある心を知らない間は自分の人生が始まっていないのと同じです。人間は、鬼や悪魔にもなれば、神や仏にもなれるのです。神は自分の中にいます。鬼や悪魔も自分の心の中にいます。

油断していると、自分の心も壊れてゆきます。傾いてゆきます。闇が広がります。御本尊を見据えて御題目をお唱えすれば菩薩の心が前に出てきます。心の闇を照らす妙法。人間には御題目のご信心が必要です。ご弘通が足りません。

<参考>
『障害者殺しの思想』
http://www.amazon.co.jp/dp/4768435424

『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』
http://www.amazon.co.jp/dp/4865000534

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