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2016年10月27日木曜日

開導聖人と谷森善臣

清啓寺での修学塾が終わり、今夜宿泊するホテルまで来させていただきました。


なかなかゆっくり勉強する時間が持てないので、とても贅沢に感じます。


開導聖人と明治天皇や三条家との接点はいろいろあるのですが、もっとハッキリと示したいと思っていました。


「谷森善臣(種松)」という人物がいます。この人物は幕末から明治期に活躍した国学者で、三条家(三条西家)の侍臣の家に生まれています。この三条西家の幕末の当主は三条西 季知(すえとも)で「七卿落ち」の一人。三条実美とも極めて親しい間柄の人物でした。


この谷森種松が長松清風、開導聖人の下を訪れて、歌について談笑している様子が御指南に出てきます。


「谷森種松のきて鶯はきけりやわかやとにはなるるとすれどまたなきそめしなといへるをききて~」


鶯の歌を軽く詠み返しているあたり、完全に開導聖人が格上のようなやりとりの様子が「てこのかたま(扇全15巻13頁)」に出てきます。じっくりと研究したいものです。


開導聖人と明治天皇との接点は『仏教徒 坂本龍馬』に書いたとおりです。「みのりの露 壱(扇全7巻378頁)」にあります。


「一昨年東京御御師匠宅 高崎氏へ歌一葉。

同人いはく、三条公の方々 予が短冊三、四葉あり。外に求め得ず。六、七首を得て書写せしめ、当今門人の手習いの手本とせりと。

天皇に清風が短冊天覧に入りて御手習いの手本とす。

天皇ののたまわく、かばかりむつかしき書はなしとて宮中御ならひ也。

をかしきこと也と香谷方へ高崎義正来たりて話しと云々。玉田来て語る云々。

玉田いはく、オヂサン、あまりたくさんそうにお書きなさるなといへり。

清風いはく、わしは機嫌次第でゴザルと申したり。」


開導聖人、かっこいー。

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