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2016年11月19日土曜日

自由と漂流

それはまぼろしだよ。


それはまやかしだよ。


かわいそうに、またゲームが始まりました。


シーソーゲーム。


ゲームを始めた。


つかれるだろうなー。


まあ頑張ってください。


気をつけて。


今朝、フッと、頭によぎった言葉。


大変だなー。


三食昼寝付き、上げ膳に据え膳、しかも心優しい女性たちにずっと囲まれ、見守られ、呼べばすぐに飛んで来てくれるー。


そんな憧れの生活が「病院」にあると言われたら確かにそうだと頷くしかないですね(笑)。


時間を無駄にいたしますな。


妄想や幻想、こだわりやわだかまり、迷信・ジンクスから離れて、今回の命をマックスまで輝かせ、限りなく自由に、生き切るべきではありませぬか。


自由を求めて、実はただ漂流しているだけの人の世。


仏教的な自由を伝える難しさよ。


生老病死は避けられず、いつか自分も病院や看護士さんのお世話になる。


しかし、だからこそ、気持ちよくハードに、軽やかで濃密に、生き切ることが幸せです。


死んでからゆっくり休む、今は行かせて欲しい。


今日も、幸せです。


お看経が、ありがたい。


いま、長野に向かっておりまする。

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