ありがとうございます。
大変に遅くなりましたが、ここに謹んで御礼を申し上げます。別途、お手紙と報告書を用意しておりますので、その発送が終わりますまで、どうかお許しいただきたいと思います。
先日、このブログでインド、ネパール、スリランカのご弘通ご奉公にご協力いただきたいとお願いし、銀行口座について載せさせていただいたところ、何とたくさんの方々から想像を絶する1442000円もの御有志をお預かりいたしまいました(涙)。
口座では、お名前しか分からず、こちらの過去のデータを調査して正確なお名前やご住所などを調べており、しっかりと御礼状、ご報告書などを送付させていただかなければならないと準備しております。
しかし、遅くなり心苦しく、この場をお借りして御礼、そして海外弘通のご報告をさせていただきたいと思います。
ビザの関係もあり、インドの清朋は5月17日に帰国いたします。2週間ほどの日本滞在になると思いますが、じっくりと報告を聞き、次の方策を練り、ご奉公を進めたいと思っております。痩せてしまっているので、たくさん食べてもらい、休んでもらいたい。
彼の存在により、インドでのご弘通が大きく動き出しました。この文章の最後に、先週の彼のご奉公報告の要旨をまとめて掲載させていただきます。
また、5月2日早朝から、急きょコレイア清行をネパールに派遣いたしました。
雨期を前にご宝前の護持や対策、HBSの土地の登記、近隣のラマ寺院との交渉など、彼がいなければならない様々なことがあり、派遣を決断しました。
彼も清朋と同じく5月17日に帰国する予定です。
6月24日(土)、ギャヌ・ダハール君の得度式を奉修する予定でおります。ネパールで6ヶ月、日本で3ヶ月の修行を経て、このまま精進を続ければ得度の允許を与えようと思っております。
ギャヌは、第1回 ネパール支援活動から参加し、その時に入信した青年です。そして、得度を決意した決定的なきっかけは、旭の死でした。
旭の死から1年半―。
彼の命が他の人の命を生かし、永遠に受け継がれてゆくことを目の当たりにする日が来ます(涙)。
ギャヌが得度すれば、スリランカの良潤と同じように、その存在や活動がアジアに於ける仏教再興運動の重要な、決定的な要素になると確信しています。
旭のおかげ、旭がいてくれたから、こうして海外弘通が大きく進んだのです(涙)。旭、ありがとう(涙)。君の生命と人生を受け止めています。
6月16日から7月1日まで、スリランカから良潤をはじめ、約30名の信徒が来日し、御縁のあるお寺にお参詣させていただきたいと計画を練っております。
来日する面々は、3年以上スリランカでご信心、ご奉公に精進してきた主要メンバーばかりで、全員が自費で巡礼の旅に来ます。
私も急きょ5月10日の夜から15日の日程でスリランカに出張します。
インド、ネパール、スリランカ-。
本当に、各地のご弘通を有機的に結びつけて、ご奉公を前へ、前へと進めてゆきたいです。
旭にも、しっかりと報告したい。
6月24日、清朋はインドに帰ってしまうけれど、ギャヌの得度式には良潤がいます。スリランカからの30名もいます。
翌日は大本寺乗泉寺の御導師をお迎えしての開導会-。妙深寺らしい国際的な、生き生きとしたご弘通を感じられるお会式とさせていただきたいです。
心から、インターネット、ホームページ、フェイスブック、SNSを通じて御有志くださった皆さまに、重ねて重ねて御礼申し上げます。
一円も無駄にすることなく、一天四海皆帰妙法の祖願を果たすため、活用させていただきますことをお約束いたします。
本当に、ご奉公に当たっている教務、良潤も、清朋も、清行も、何もかも足りない中で、食べるものもままならない中で、命がけでご奉公してくれています。
皆さまの御志を、現代の佛立菩薩、最前線に立つ佛立教務へ、必ずや届けます。
つい先日、炎天下のインドにいる清朋が、水の気化熱を利用したクーラーを購入させていただきました。本当に、今までよく耐えて生活していました。
「水の気化熱吸収を利用したクーラーを買わせていただきました。
空気の吸引口に水を這わせて、打ち水効果を利用して、空気を冷やします。インドでは広く使われているようで、涼しい風にホッとします。
本格的なエアコンが8万円、9万円以上するのに対し、1台1万2000ほどで、2台買わせていただきました。電気代も安くつくはずです(本格的なエアコンをつけるには、電気消費量を考えて、親会場までの電線を太くした方がよい、という話もありました)。
一番暑い昼間に、よく電気が止まるのが難点ですが…。」
厳しい時代の中、御有志くださった皆さま、全てのご信者の皆さまに、しっかりとご報告できるように、真摯にご奉公を続ける教務の姿、ご奉公の実際を、綴らせていただければと思います。
下記は、大きく省略いたしますが、清朋から届いた先週のご奉公報告です。
=====
「ご住職、皆さま、
ありがとうございます。
21日から27日まで、長期となりましたが、パトナ・ムザファルプルへ出張させていただきました。29、30日のガヤ訪問と合わせて、ご報告させていただきます。ただ今手元に拝受願いがなく、一部名前を省略しております。
21日
パトナ着。ニテシュさんの奥さん、アニータさんの実家にてお助行。
ロッジ泊
22日
今後の打合せ。
パトナで買い出し。
ロッジ泊。
23日
ムザファルプルへ移動。
●ムザファルプルはビハール州(ニテシュさん云く北インドにおける)の文化的中心地(cultural capital)。インドで高名な詩人Janki Ballabh Shastriがその生涯を過ごし、その旧宅には日本を含む世界各国から文学者が集まっていた。映画や演劇の制作、出版などが行われ、ボージュプリー語やマガヒー語など、地域言語での文芸活動もさかん。
ヒンドセナ(「インド地域への奉仕団」の意)という団体の事務所を訪問。
●ボージュプリー語による詩人のおじいさんがリーダーで、ニテシュさんを含め、メンバーのよき師匠という感じだが、とてもフレンドリーで魅力的な方。
特定の政治家には肩入れせず、人々の平等、自由を擁護する活動。社会派団体という感じで、出版・文芸活動に力をいれているという感じか。月刊誌「ウッタル(「答え」の意味))を発行。
●今回の訪問をウッタル誌で取り上げたく、HBSの紹介文を寄稿してほしいとのこと。
サンジット氏宅でご奉安。
●ヒンドセナのメンバー。ニテシュさんとは子どものころからの付き合い。ヒンドゥー教の儀礼にも参加せず、無宗教的立場を貫いてきた。4年程前、ニテシュさんが佛立宗への入信を希望されるようになってから、自分でも佛立のことを勉強し、共鳴するところがあり、今回入信の運びに。古くからニテシュさんと行動を共にし、今回食事と宿泊のお世話をしてくださったスジート君も、あのサンジットさんがご信心をするなんて、と驚いていた。
ご奉安の後、もう一度お助行に伺ったが、「御本尊のご威光を感じる」ということで大変喜ばれており、親戚か友人か、近隣に住む顔にぶつぶつが広がる症状に悩む10代後半の少年もサンジット氏のご縁で入信し、サンジット氏の御宝前に日参を始めたとのこと。またパトナに住む親戚の家にもご奉安をお願いしたいとのことです。
スジート君宅宿泊。ちなみに、スジート君宅ではコンクリートの床にみんなで雑魚寝しました。
●31歳。現在求職中。ニテッシュさんのお父さんの代から深い付き合いがあり、スジート君のお父さんが裁判所の事務かなにかの仕事の部下だったが、若くして急逝。お母さんも早くに亡くなり、ニテッシュさんのお父さんが息子のように世話をした。英語はほんの少し通じるくらいだが、ニテッシュさんとともに信仰活動に励んできたとのこと。今は言葉が通じない分、むずかしい面もあるが、一生懸命取り組んでくれます。あるいはネパールなら、ヒンディー語ですぐにでもいろいろ学べるか、とも思いました。
ニテッシュさん親子は本当に親身に、物心両面にわたって「教化子」の世話をされてきた様子でした。
24日
スジート君宅で御本尊奉安。
●共に暮らす結婚している弟さんもペンダント御本尊を拝受。
結婚後も友人と外でわいわい過ごす生活が抜けないとのこと。この日は御本尊拝授の後、いろいろと家のことをして過ごしたそうで、これもご利益だ、とニテシュさんも喜んでいました。
バイシャーリー(毘舎離国)仏跡訪問。
●パトナ(パータリプトラ)の北、ガンジス川を渡った先にある。釈尊の時代からよく知られた商業都市で、自治制・共和制(「サンガ」制度)を取り、その仕組が仏教サンガの運営方式として採用されたとのこと。釈尊はこの地に三度滞在され、最晩年に霊鷲山を離れ、ご入滅の地クシナガラに向かわれた際も、ここに三ヶ月ご滞在になった。アショカ王時代に建てられたストゥーパや完全な状態で残るアショカ・ピラー(インドの国章のもととなった)がある。
ビンビサーラ王や阿闍世王も恋に落ち、後に仏弟子となり阿羅漢果を得たという遊女アムラパーリーゆかりの地でもある。ヴァイシャーリー出身のニテシュさんの一族はこのアムラパーリーと同じ氏族とのことで、娼婦を出した氏族ということで(!)(カースト的に低位ということかもしれませんが)、非常に嫌な思いもしてきました、とのことでした。
帰路、スジート君の親戚の簡易食堂に寄る。こちらも御本尊奉安希望とのことです。
スジート君宅泊。
25日
スニルさん ペンダント御本尊拝授
●社会活動家で、コミュニティラジオの運営を行い、インド各地をまわっている。ニテッシュさんから佛立宗の教務を連れて行くから、とだけ連絡を受け、心のこもった歓待の支度とともに、いわれずとも御本尊奉安の準備もしていらした。残念ながら清康師にお供いただいたご弘通御本尊はすべてご奉安となり、今回はペンダント御本尊のみ。
スニルさんと、スニルさんのお父さんと、お友だちの方が拝受された。ダリット出身。非常ににこやかな方で、フェイスブックでもいろいろな活動報告を投稿しておられます。
ヒンドセナのオフィスを再度訪問。原稿依頼あり。
スジート君宅泊。
26日
ヒンディー語も話されない、ラジクマーリーさん、ペンダント御本尊拝受。スジート君の住まいの大家さん。家畜を飼い、定住せずに暮らしていたが、インド政府の支援プログラムを受けて、地主に。体調不良を助けてほしいとのことで、お姑さん(サムンドリ・デヴィさん)から依頼を受ける。スンカニ村で「ラジクマール」というあだ名を付けていただいたことがあり、お姑さんの名前もサムンドラデヴィ村とほぼ同じで、非常に名前のご縁を感じました。
ニテシュさんいわく、症状から察するに重いご病気。小学校高学年くらいの息子さんがおり、この子は英語も話す。24日の男の子とともに、切実にご利益を求められている方々とご縁をいただき、大変身が引き締まります。
サンジットさん宅お助行。サンジットさんご一家の随喜があり、ニテッシュさんから、今夜は特にいいセッションになりました、との感想もいただきました。
スジート君宅泊。結局宿泊・二食つきで、4泊お世話になってしまいました汗
27日
リナさんペンダント御本尊拝授。
スジート君の住まいの上の階にある幼児向けの学校に子どもが通う。
親会場に帰山。
本門佛立宗のご弘通を周知したいという希望が出ております。会場を借りて結縁の機会を設けたいと思っております。
28日
デリーへの電車の手配など。
29日
バライニ村のアロック君(アミット君兄)、ラフール君・リシュ(リス)君兄弟、御本尊拝授。
ガヤへ移動。ロッジ泊。
30日
シェーカー実家訪問。シェーカーのお兄さん、ラヴィ氏ご家族に迎えていただく。リフォーム工事中。預かっていただいていた小包の受け取りや、円との両替、食事もごちそうに。トウィンクルちゃんも5歳に。ご住職や清康師のこともよくおぼえておられました。お商売もぼちぼちとのこと。
その後、ラヴィ氏の車に乗せてもらい、ブッダガヤへ。ダスン君と一緒に大菩提寺、マハーボディーソサエティ他見学(お寺のデザイン研究をさせていただきたく、回らせていただきました)。
ラヴィ氏が建設指揮をとっている、チベット仏教系のアマン・リンポチェ氏の団体のオフィスへ。この団体で社会活動をしている方にお話を伺うことができました。 ビハール州で、マオイストが支配する地域の村を歩かれ、調査を行うとともに、教育や食事改善、農業改善などの事業に携わってこられた、シッキム出身の方です。英語も堪能で、兄弟はアメリカに住んでいる、エリート層の、かなり意識の強い仏教徒の方でした。
お話が長引いたため、予定を変更しもう一泊。
以上、ご報告させていただきます。
清朋 拝、」
0 件のコメント:
コメントを投稿