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2017年10月10日火曜日

三鷹駅







朝一番から動き出し、中央線で三鷹駅へ。


北口を出て待ち合わせの喫茶店。無事に京都佛立ミュージアムの次回展示の打ち合わせが終わりました。


昨夜も原稿を書き続けていて、少しウトウトしても頭から離れず、2時半には起き出して書いていました。


今日お会いした小美濃清明先生は、幕末史研究会の会長、全国龍馬社中副会長であり、龍馬没後150年にあたり角川書店から『坂本龍馬大観 ~没後150年目の真実~』を出版されます。


出版不況の中、坂本龍馬に関する本もキワモノばかりになっている昨今。


硬派の、正統派の龍馬研究家が、強引なトンデモ説ではなく膨大な資料を丁寧に紐解いてくださることは本当に貴重です。


先生はまだまだ書き足りないと仰せでしたが、没後200年まで確実に残るであろう価値ある一冊に違いありません。


先生から、この京都佛立ミュージアムの挑戦に、重ねてお褒めの言葉を頂戴し、身が引き締まりました。


関家新助先生のレジメをお渡しすると、重ねて感動くださっていました。


こうした研究成果の融合は、未来の糧になると信じます。


まだまだ、まとめなければならないことがたくさんあります。


久しぶりの中央線。


電車に乗っていて、心から驚くのは、心に何らかの疾患を抱えている方の多さでした。


半数以上、あるいは7割以上の方々が、大変な生きにくさや、大きな心の闇を抱えて生きておられると感じます。


今日から総選挙が始まりました。


この国にとって、大切な節目となってしまう選挙。


投票日は妙深寺の高祖会と重なっておりますが、絶対に投票に行っていただきたいと思います。


18才の青年たちに投票権が与えられた、最初の選挙。


京都佛立ミュージアムの次回展示では、明治維新の影に光を当ててゆきます。


「明治維新」という言葉は王政復古の当初使われていない言葉でした。


明治も数年が過ぎてから、為政者たちが血で血を洗う権力闘争、権謀術数の数々を隠し、それらを美化する標語として生み出したと言われています。


歴史的にも思想的にも「復古」と「維新」は異なる意味のはずですが、これを相互に補完させて近代ナショナリズムが誕生しました。


この矛盾、この事実を、真正面から受け止めなければ「日本国」を理解することは出来ないと思うのです。


暮夏思想、朱子学、山鹿素行、本居宣長、平田篤胤。


山鹿素行の『中朝事実』には次のような言葉があります。


「仏教を禁じて、儒教にこそ人倫が存することを顕彰したまい、また日月の明るく照らすように人道が知徳に基づくことを明示たまう」


「中朝たるわが国は、神国にほかならない。天神地祇、つまり天地の神を皇室の祖先としている。つまり天地そのものが宗廟の神にほかならない。」


「仏教の如きは徹上徹下悉く異教なり。およそ西域は外朝の西藩なり。その水土西に偏り、天地・寒暖・燥湿甚だ異なり、民のその間に生ずるものは必ず偏塞の俗あり。釋氏は彼の州(くに)の大聖たり。その水土人物を融通して以てその教えを説く。その道は西域に可(よろし)くしてこれを中國(日本)に施すべからず。夫れ耳を信じ、奇を好むは人情のついえなり。何れの時か否(しからざ)らんや。釋教ひとたび通じて人皆これに帰し、天下終に習染してその異教たることを知らず、牽合伝会して神聖を以て仏の垂迹と為す。猶ほ腐儒が太伯を以て祖と為すがごとし。あぁ、是れ何ということぞや。」


全く、海援隊の『閑愁録』にある「天竺の仏法と云ふべからず。皇国の仏法なり。」という言葉と異なる論旨です。この考え方、偏った狂信的な思想が、幕末には多数を占め、為政者の思想信条となっていたことを忘れてはならないはずです。


しかも、この『中朝事実』を、明治天皇のために殉死したといわれる乃木希典は、その死の直前、2日前に、幼い昭和天皇(11才)に謁見し、自ら書写して手渡しています。


「ご成人あそばされ、文字に明るくおなりあそばした時には、必ずお読みくださいますように。」


学習院の院長、つまり昭和天皇の通っていた学校の校長先生にあたる乃木は、こう語って手渡したと伝えられています。


大正元年以降、どれだけ多くの出版社から『中朝事実』が次々と出版されたことか。


英国公文書館に眠る『藩論』は、著者不明とはいえ日本人が唱えた最初のデモクラシーが書かれていると絶賛されています。


議会制民主主義の確立を謳い、天皇親政すら政権担当能力がなければ行うべきではないということが明記されています。


明治元年の12月、このようなことを書いて出版するのは大変な覚悟のいることで、思っているだけでも罰せられるほどだったはずです。


しかし、龍馬暗殺から1年後、残された同志たちはこれを出版した。


英国公使パークスは驚愕し、英訳して英国外務大臣に書簡を送ったのです。


あ、次の予定が迫ってます。移動しなければ。


教えざるは師の失(とが)、学ばざるは弟子の失(とが)と言われます。


がんばろう。

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