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2018年6月10日日曜日

信心は心の手綱



































長松寺の開導会、仏天のご加護をいただき、盛大に奉修いただくことが出来ました。


何よりもお天気がよくて、よかったですー(涙)!


ご講有はもとより、皆さまのおかげです。ありがとうございます(涙)。


昨日の時点で、雨の予報は9時が70%、10時で80%、11時になると90%でした。


巨大な台風の影響かー(汗)。


ところが、今日は晴れ間も見える京都の涼やかな日曜日となり、11時15分を過ぎたお看経の最後に10分間くらいスコールが降っただけで、お参詣の行き帰りも雨に降られず、本当に有難いご奉修をいただきました。


ありがとうございます。


いろいろなご奉公が濃密に重なっておりますが、こうしてまた一つ節目を無事に越えさせていただいて、ありがたく思っております。


本当に、ありがとうございますー!


いま、次男と二人で新幹線に乗っています。


昨夜、いつも利用している新幹線の中で、本当に恐ろしい、痛ましい、忌まわしい事件が起きたと聞き、戦慄しています。


この新幹線が血の海となり、また新横浜から小田原が凶行の現場となるとは。


秋葉原事件から10年と報道され、附属池田小事件から17年と報道されたばかりでした。


「精神疾患」とひとくくりにせず、僕たち人間全体が考えて、社会全体で取り組まなければならないと思います。


何があるか分からない世の中です。


妙深寺では決して忘れることのないように、増え続ける児童虐待事件による犠牲者のご回向、ご祈願をしていますが、また恐ろしい事件が起きてしまいました。


結愛ちゃん、5才。


「もっともっときょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」


結愛ちゃんの悲しみ、痛み、まっすぐな気持ちを想うと、泣けて泣けて仕方がありません。


ただ、祈るばかり。


いや、祈るばかりではいけない、なんとかしないとなんともならない世の中だから。


人間は、菩薩にもなれば、悪魔にもなるのだ。


心の鬼が地獄へ連れてゆく。


魂の手綱を持たなければ、いつおかしくなっても不思議じゃない。


他人事はない。


信心とは、心の手綱。


自分を知ること。


人間を知ること。


南無妙法蓮華経ー。

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