いま新幹線で横浜に戻っています。
12月3日は名古屋、4日は朝から京都で会議、夜は麩屋町の長松寺で本年最後の役一総講を勤めさせていただきました。
そして、そのまま園美さんがお連れになった18才の女の子のお話を聞いていました。
いろいろな気持ちが交錯しました。
12月5日は、永遠に、決して忘れられない、ブラジルの同志3人が亡くなった日。
長松寺のご宝前に彼らの写真と法名を書いた壇を設け、特別のご回向言上、お焼香をさせていただきました。
平成とはどんな時代だったか、これから問われるでしょう。
藤本御導師がご遷化になり、僕は『仏教徒 坂本龍馬』という本を書き、御導師の御霊前にお供えさせていただきました。
あの本を書けたのは、あってはならないほど、極めて悲しい出来事、まさに平成の弘通家、尊敬する藤本淳悦御導師のご遷化があったからとも言えます。
本山の本堂をお借りして、フラフラになりながら24時間のお看経をさせていただきました。ご宝前におすがりしながら、その意味を問い、24時間のお看経を2度させていただきました。
そもそも、自分の人生の中核を為した父の事故は、極まって悲しい出来事でした。
平成5年4月3日のあの事故がなければ、僕の人生はこうではないし、僕のご奉公はこうではないし、僕の性格もこうではなかったはずです。
あれほどの悲しい出来事が僕を作り、『佛立魂』という本も執筆させてくれた。世界中でこの現証の御利益についてお話しできるのも、この実体験があったからこそです。
明日、ネパールから清行が帰ってきます。今さっきメールが来て、最後の朝参詣を終えてカトマンズまで無事に入ったと。
これからジーワンさんの家で最後の御講を奉修して、空港に向かうとのことです。
グッタリした旭を抱きしめた、3年前のネパールを、僕は永遠に忘れない。
ヒマラヤの空に響いた僕の慟哭は、今でもどこかでこだましているはずだ。
しかし、旭を失い、彼のことを想い、僕たちはまた真実のご弘通ご奉公に歩みを進めた。
旅行に毛が生えたような海外弘通はない。恥ずかしくないか。本物は本物を証明してゆかなければならない。軸がなければ判別もできないのだから。
極まって、悲しいこと。
あり得ないほど、悲しいこと。
御教歌「きはまりてかなしき時にあらざれば まことの信はおこらざりけり」
悲しい出来事は、何を教えようとしているのか。
残された僕たちは、何を学び、何をさせてもらえばいいのか。
極まって、悲しい時でなかったら、真実の信、本物の信心が起こらないのだ…。
極まって、悲しい出来事は、真実の信を教えようとしているのだ…。
ブラジルの3人のご住職。2年前、この12月にブラジルに飛んでいったこと。この前、ブラジルに行った時も、ずっと2年前のことを、思い返していました。
この2年、Facebookで伯是師や教正師や教竜師のご家族、奥さまや子供たちの写真や投稿を見て、一人涙したり、感動したり、励まされたりしてきました。
先日、教竜師のチエミ奥さまからメッセージと写真を送っていただきました。6ヶ月だったルミちゃんが大きくなっていて、お看経のビデオも送ってくれて、また泣いてしまいました。
かわいいし、元気だし、立派だし、えらい(涙)!
本物です、みんな(涙)。
教正師のダニエラ奥さまからフェリペの写真をいただきました。あの時、5才だったフェリペ。立派だよ。本当に。また泣けてしまう。
悲しいなんてもんじゃない。普通なら立ち上がれるものではない。でも、ご信心で立ち上がり、前を向き、しかもたくさんの幸せをいただいて、過ごしてくれているということ。
伯是師のサトミ奥さまも、サリちゃんも、3才だったゼシン君も、Facebookで美しくなったなぁ、元気そうだなぁ、と心強く思ってる。
ご家族のため、特に子供達のためならば、いつでも、留学でも、寄宿でも、何でもしてあげたい。日本の学校に通ったらどうだろうな、と提案したりしています(涙)。
月日は経ちますね。でも、当事者であるご家族にとったら、ずっと時間が止まったままだったり、するものです。
僕も、佛立家族として、絶対に彼ら3人のことを忘れず、心に刺して、これからもご奉公させてもらいたい。
「なきあとを とぶらふつまも まれなるを
うれしかるらん うれしからまし」
伯是師の最後の御教歌、御法門。
2年前も書きましたが、コレイア清行師は、子どもの頃に伯是師から教えてもらったことを思い返して、ネパールでご奉公していると言っています。
伯是師の教えは、
「ご奉公はわがまま言わずに頑張れ!やれ!」
「文句を言うな!」
「汚い、他の人がやりたがらないご奉公はもっとたくさんの功徳が積める」
「裸足で歩け、シャワーはなし」
「24時間ご法様のために生きなさい!」
というものだったと。
恥ずかしく思います。ここまでの気持ちで、信心で、覚悟で、いま僕はご奉公できているだろうか。
同志たる、法友たる、本化上行の流類、その門下の兄弟、教竜師、伯是師、教正師のご回向を、長松寺で、本山宥清寺で、妙深寺で、ブラジル各寺院で、ネパールで、全世界で、させていただきました。
佛立開導日扇聖人の御指南。
「我れこそ真の御弟子ならめと、何事をも祖師に願ひ忘るるまなく慕い奉りながら、師の御教えに従はざる所あり。愚かなる我を分別に思い定めて、御教を用ふるもの少なし。不幸の至り、不覚の至りなり。但しは心づかざるの罪障の程、思ひやられてなげかはし。」
「如説抄云、昨日は人のうへ、今日は身の上なれば、草露の日影を待つばかりぞかしと。
この御文を日毎によまぬ日もなくして、此の御教えに従わざるは愚なり。用いざるは不孝ものなり。よくよく思へ。心一つの置き所なり。この置き所大事なり、大事なり。」
ありがとうございます。
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