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2020年10月19日月曜日

長野、涙のご奉公







































よく泣きました。日曜日。こんなに泣いた御法門はありません。


日曜日、長野本晨寺の高祖会、併せて創立90周年の記念法要を勤めさせていただきました。


新型コロナウイルスの感染拡大により、今年はじめての長野でした。長野市を囲む山々を見ても、その上に浮かぶ雲を見上げても、もう懐かしく、心あたたまる信州信濃のご奉公です。


涙が出るのは、私の人生の中で、とても大切な、そして厳しいご奉公だったこと、そしてそのご奉公を一緒にしてくださった堤深恭師をはじめ、多くの方々を想い、涙が出るのです。


「覆水盆に返らず」と言いますが、御法さまのお導き、あり得ないようなおはからいをいただき続けて、覆水が盆に返るような御利益をいただき、右往左往、七転八倒しながらも、本晨寺のご宝前で皆が一つになりました。今の、すべてのご信者さんの笑顔が最高の宝物です。


昨年7月に住職を交代し、一つ肩の荷がおりました。兼務の住職などよくないのです。よほどの理由がない限り、続けてはいけないことです。ご弘通を進め、お弟子方を教導し、次々と専任の住職を生み出してゆくことがご弘通であり、佛立教務道です。


長野でご奉公させていただくようになり、多くのご心配やご批判をいただきました。申し訳ないことでしたが、無事にご奉公の一つが円成したと思っています。


寂光塔の建立も成りました。故・石田保宣さんが待望されていたものです。素晴らしい、見事な、立派な、御題目塔です。近所の方々からも荘厳さを褒めていただいたようで、大変嬉しく思います。


石田さんというと、涙が出ます。長野でご奉公を開始した頃、石田さんの車でどれだけ長野県内を走り回ったか分かりません。家から家へ、転々と移動しながらのご奉公。車中では石田さんから長野の自然や特産物、山の名前、地域の歴史などをお聞きしました。振り返ると、なんとも言えない気持ちです。


創立90周年を記念する素晴らしい冊子『あけぼの』も完成しました。依田幹事長をはじめ、皆さんのご奉公の結晶です。


御会式と創立90周年が終わり、上田別院まで往復しました。ご宝前が見事に荘厳されて、感激しました。佛立開導日扇聖人の御真筆御本尊さまをご奉安させていただきました。松本現喬御導師に護持名をご染筆、御開眼いただいた御本尊さまです。


別院内も美しく、使いやすいように整えていただいて、上田市内でのご奉公が一歩前進したと思います。ありがたいです。


夕方、長野に戻って、幹部の方々と会食させていただきました。やっぱり、ジーンとしてしまう。とにかく、ご宝前を第一に、素直正直に、これからも異体同心で、楽しくご奉公させていただきましょう。どんなに末法悪世の様子が混乱しても、こちらはブレずに、真っ直ぐ、真ん中を進みましょう。確認し合いました。


「当宗は信心宗にて信者を尊貴す。故に寺院の大小、僧侶の高下をいはず。其人の信心の堅固強盛なるを貴む。」末法行者得分抄


手作りのご供養、婦人会さん伝統のスペシャルお弁当も最高でした。ありがとうございます。


以下、『あけぼの』に寄稿した原稿を掲載させていただきます。


「長野 涙のご奉公」


長野のご奉公を振り返れば「よく泣いた」という感慨があります。


廣瀬日謙上人からのご奉公を仰せつかった時、私はまだ三〇代の後半でした。複雑な背景を伺いながら、清水日博上人と廣瀬日謙上人との深い絆を想い、その御徳に縋りながらご奉公させていただこうと覚悟をいたしました。


何度かご披露いたしましたが、日博上人は日謙上人に得度をお勧めし、得度親となられています。以来、特別な法縁の中で、ブラジルのご巡教時も、日博上人が病床にある時も、日謙上人は横浜まで泊まり込みでご奉公くださいました。妙深寺にとって大恩ある御導師が日謙上人でした。その御鴻恩に報いることが私たちの果たすべき役割と思い、堤深恭師と共にご奉公が始まりました。


長野の皆さまには感謝しかありません。楽しい思い出がたくさんあって、こうして書いていても涙が浮かびます。長野県を北から南、西や東へとお連れくださり、御講やお助行へ伺いました。皆さんとの出会いに喜び、楽しい会話や笑顔、信州信濃の美しい自然に心癒されたものでした。移動する車の中での会話、山の名前、特産物のこと、史跡や景勝地についても教えていただきました。不思議と記憶に残っています。


本晨寺のご宝前のもとでみんなが一つになってご信心できるようになり、心から嬉しく思っております。あらゆる意味で御法さまのお導きを感じずにはいられませんでした。ここに書き綴れば紙面が足りません。感謝しかありません。本当に、ありがとうございます。


泣いてばかりだったというのは、ご奉公を開始した経緯を思っても涙、一緒に寂しいことや悲しいことを乗り越えながら涙、共にご奉公させていただいたかけがえのない方々とのお別れに涙しました。この尊いご奉公では命をカンナで削るような苦難や困難がありました。ご一緒くださった教講の皆さまに心から随喜し、深くお礼申し上げます。


私の生涯の中で、長野の思い出ほど苦しく、楽しく、嬉しかったご奉公はないと思います。長野でのご奉公は何ものにも代えられません。本物の佛立信心、本物のご弘通、本物のご奉公の一端を学ばせていただきました。本当に、ありがとうございました。


今でも心から本晨寺を愛しています。共にご奉公させていただいた方々の顔が浮かびます。思い浮かべては涙が出ます。


お祖師さまの御妙判に次のような御文がございます。

「鳥と虫とは鳴けども涙おちず。日蓮は泣かねども涙ひまなし。この涙世間のことには非ず。ただひとえに法華経の故なり。若ししからば甘露の涙とも云っつべし。」諸法実相抄


「鳥や虫たちは鳴いても涙を流すことがありません。私、日蓮は、鳥や虫のように声を出して鳴くことはありませんが、涙は止めどなく流れてゆきます。この涙は世間でいうような涙ではありません。ただひとえに、法華経に出会い、その教えのもとで共にご奉公させていただける法悦の涙なのです。そのように思えば天が降らせた甘い露と言うことも出来るでしょう。」


本晨寺のご奉公で流れた涙はお祖師さまの涙に近いものだったかも知れません。本当にありがたく存じます。


どうか、堤深恭ご住職のご指導のもと、教講異体同心、笑顔に溢れる本晨寺、感謝と慈悲とご信心でいっぱいの生きたお寺・本晨寺でありますように、心から願っております。


ありがとうございます。


長松清潤拝、

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