12月19日夕方、この2週間ほど夜を徹して御祈願をさせていただいてきた妙深寺の事務局長(檀家総代)、柴山迪昭氏が帰寂されました。
大変残念で、悔しく、悲しく、言葉もありません。住職として局長の命を救うことが出来なかったことに、大きな責任を感じています。
しかし、なんとご長男、ご長女、次女の睦子さんがインターネットで声をかけ、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と御題目をお唱えする中で息を引き取るという、考えられない最期となり、今さらながら柴山局長の今日までのご奉公の功徳、お助行の功徳、妙法の御経力、その妙不可思議さ、妙験を感じております。
私も、12月19日の夕方、ご家族が病院へ行かれたことは知りませんでした。
ご長男・克久さんのお仕事の都合で午前が午後となり、夕方になったと。お仕事を終えて病院に到着し、先生からの説明を受けた後、ガラス越しに局長に声をかけられたそうです。
局長の子ども達3人が見守り、御題目をお唱えする目の前で、50、30、20と、瞬く間に血圧が下がってゆくのが見えて、そのまま心電図が「ピーッ」と直線になり、まさに同時同刻に、臨終を迎えられたのでした。
そのようなこと、まるでドラマや映画です。そのタイミング、その瞬間、その奇跡。
局長、待っておられたのです………。
信じてお祈りしてきましたが、勝子奥さまをはじめ、3人の子どもたちが、奇跡と歓喜して感謝する最期となり、心から有難く思っております。
一昨日お顔を拝見したのですが、神々しい、穏やかな、変な言い方ですが元気そうなお顔で、とても11月初旬から入院していたとは思えない様子でびっくりしました。
人の一生は死顔に現れると教えられ、死化粧だけは自分ではできない、生き恥かいても死に恥かくな、と教えられてきました。
亡くなられたのは残念なのですが、こうした奇跡のような出来事に感謝し、疲れも忘れ感動して過ごしております。
あらためて故人を想い、当たり前のことは何一つない、だからこそ生きている間の修行、つながること、与えること、支えること、生き切ることの大事、尊い行いの積み重ねこそ、人生の醍醐味であることを感じました。
妙深寺 第十二代事務局長
柴山迪昭
通夜式 令和2年12月22日18時〜
告別式 令和2年12月23日13時〜
いずれも妙深寺本堂において住職の私が導師を勤めさせていただき、お見送りをいたします。
南無妙法蓮華経ー。
よろしくお願い申し上げます。
ありがとうございます。
長松清潤拝、
微力ながら自宅御宝前にて、御祈願、御回向の御題目口唱させていただきました。合掌m(__)m
返信削除