分断と対立を煽る政治家なんかに負けてはダメだ。
ウクライナ危機の回避を祈る。が、とてつもない巨大な力が、人びとを分断し、引き裂き、対立を煽っている。
人間は弱いし怖いし欲も深いから、放っておけばズルいことも悪さもやる。悪口を言い、時にはウソも言い、自分のテリトリーを守り、それを広めようとする。
獣と変わらない人間の一面だから仕方ないと言えば仕方ないが、人間としての可能性はそんなものではないはずだ。
バイデン氏が正しいかプーチン氏が正しいか、どっちに付いた方がいいか、得か、損かという議論は後に回して、この時代に、相も変わらず政治家の野心に振り回されて人生を破壊されるなんてあってはならない。
戦争を開始する理由はいくらでもある。それは今に始まったことではない。
1936年、ナチスドイツはヴェルサイユ条約やロカルノ条約を破棄し、静かにドナウ川西岸のラインラントに進駐した。そして、1938年、ヒトラーはオーストリアを併合し、直後にその触手をチェコに向けた。いわゆるズデーテン併合に至った。
1939年、ナチスはポーランドに侵攻。第二次世界大戦はこのドイツのポーランド侵攻と、直後のソビエトによるポーランド侵攻から始まった。
2019年、欧州議会は独ソが同時に行ったポーランド侵攻を「2つの全体主義体制による密約が大戦に道を開いた」と決議、採択している。
全ての戦争は大義を掲げる。大義を掲げて国民を煽って開始される。過去の全ての戦争、進駐、侵攻も侵略にも大義がある。いつも、同じようなことを言っている。
たとえば、いまウクライナ危機で語られているような「◯◯系住民が差別や迫害を受けている」は過去から使い古された常套句だ。
ナチスの侵攻は「ドイツ系住民が差別や迫害を受けている」とか「そもそもそこは我々のものであった」とか、そうした「大義」によって行われた。そして、世界は地獄を見た。多くの人が地獄を味わった。「大義」とされるものの裏にある権力者の野望や意図を見逃してはならない。
第二次世界大戦後、人類は月に立った。宇宙から見た地球に国境はなかった。それを目の当たりにした。地球は真っ暗闇の宇宙に浮かぶ、はかない、か細い、吹けば消えるような尊い生命の星であることも知った。
しかし、気づいたのは一部の人に過ぎないのかもしれない。国境が無い地球を見たのは国旗の付いた高価な宇宙船の窓からだった。
宇宙開発競争と言われる昨今も、宇宙に行って人類がどれだけバージョンアップしたか、価値観がより良く変わったかを問う人は少ない。残念ながら宇宙でもビジネスと安全保障の話ばかりだ。
政治的な理由、民族的な理由、経済的な理由、申し訳ないがこれらは宗教者からしたらとんでもないささいな問題である。
僕たちは国を超えられる。国と言う概念も、法制度も、人間が生み出した不完全なものだ。それだけを信仰して命を捨て、息子の命を差し出すことなど無い。私たち坊主は戦争が始まる前にこのをことを語らなければならない。戦争が始まればこのような意見は非国民と揶揄され、非難され、抹殺される。
どうか、これほど何度も繰り返してきた、同じ理由、使い古された常套句で対立しないでほしい。政治家に対立させられているだけだ。人間を見て、人間に気づいて、人間であってほしい。
POWER TO THE PEOPLE.
WAR IS OVER, IF YOU WANT IT
写真はアポロ17号で撮影された『ザ・ブルー・マーブル』
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