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2024年6月24日月曜日

6月教区御講 御教歌「のりのためつとむるなれば身も家も 仏也けり浄土なりけり」

ありがとうございます。
6月月始総講の長松清潤ご住職のご法門です。
「のりのため つとむるなれば 身も家も 仏也けり 浄土なりけり」

真実の仏法、本物の仏教、唯一無二、本門佛立宗の教えと、その実践によっていただく尊い現証の御利益を教えてくださる御教歌です。
末法悪世の、罪障の深い凡夫が、どのようにして仏になるのか。どのようにしてお守りをいただくのか。どうしたら変身できるのか。どうしたら果報をいただけるのか。
私たちの住む地球、この世界、この国、この家、この家族、この私を、平和にしたい、もっともっと幸せにしたい。
そのための道、そのための教えです。
娑婆即寂光、常住不滅、定業能転。
朝に夕に御題目を欠かさず唱え、御題目を今身より仏身にいたるまで持ち奉ると誓い、少しでも菩薩行に努め、励むことが出来たなら、あなたが仏になる、あなたの暮らす家が浄土になる。
一歩ずつ、この尊い教えをいただいて、実践する。口唱と菩薩行、ご奉公に努め励むことが大事大切とお示しくださる御教歌。

「問、当宗は上行所伝の題目宗と承る。此御題目は、三大秘法の中にては、これ本門の題目也。何ぞ三大を一言に三大秘法宗と唱へ奉らざるや。
答、その不審尤也。それには其様に思はるべきなれども、かくのいはれある也。本門の肝心妙法五字を受持口唱すれば、此御題目の一箇に本門の本尊、本門の戒壇の二箇はこもる故に、三箇は一箇の題目にこもると申し、三箇之中一大秘法と申し奉る也。
問、三箇の一箇にこもるいはれ如何。
答、本門の本尊と申は、題目の中に案座し下へる十界の聖衆を申す。
本門の戒壇とは、本時の娑婆国土を申す。本門の十界は正報也、国土は依報也。依報正報と申す中の依報の国土の、本国土は戒壇也。経云、当知是処即是道場と説せ下へり。此本門の戒壇を惣じては、南閻浮提也、別ては日本国也。今又別ては行者所住の処也。一家内にては御題目を安置し奉る持仏堂を、戒壇と申し奉る也。これ惣中の別也。
されば此二箇は、御題目の上の二箇にして、この御題目なくば、本尊も戒壇もなし。此御題目が真の本門、根本本地の本法なれば南無妙法蓮華経と唱ヘ奉れば、此一箇に本尊と戒壇との二箇は自然にこもりまします故に、此御題目を要中の要と申し、大田抄に―つの大秘法と申し、門祖これを受て一帖抄には、三箇之中一大秘法と申させ下ひたり」(末代幼稚要学章三・扇全第八巻三五二頁)

御教歌「南無妙と唱ふる声が本門の 本尊なりとしるが成仏」

御教歌「御法味の絶ぬ家こそたのしけれ 守護の諸天もはなれ給はず」

「病神、貧乏神、疫神、三人兄弟。此経行者来れば三人去る。謗法あれば行者はしらねど守護諸天来たり給はず。その人しらねど三人いなす。終に死す。」11-278 「いなす」=「去らせる」

「病神、貧乏神、死神の三人兄弟。この三神を追払うふに術あり。自力は全くかなはず。其術とは所謂上行所伝の要法也。故に御弟子旦那は信心を第一と思ひ定むべし。さて我信行をかためて家族従者等にも及ぼすべし。」11-302

「末代凡愚の信心とは口唱行也。日々の営みは信謗共に人間のつとめ也。二世安楽の大法にはあらず。なさであられぬ人間の作業也。この妙法はまれに人身を得たるも。容易にはあひ奉り難き秘要の法なり。口唱の行怠らざれば一心の玉、経力の光りを放ち、家に病神、貧乏神の隠れすむ慮もなし。是諸大菩薩。諸天の来臨影響ましますが故也。」9-414

「信心をする人のすむ家なれば 悪鬼悪魔の来るたよりなし」
「謗法のあればよいことないとしれ 家に悪魔の出入りする故」
「信心を忘るゝ折ぞ油断なる それがすき間に鬼は入るなり」
「いはれてもさのみこわしと思はねば 死ぬるまぎはに鬼来る也」

「当流の御弟子旦那の活計は御法の為の活計ぞや、商売繁盛、子孫長久をいのりかへて、弘通繁昌、法灯長光をいのらば、現世安穏疑ひなし。御率公の為の一生と信行決定したる人をば、真の仏子、御題目の行者と申し奉る也。此の人決定して寂光浄土へ参詣し給ふ人也。諸天昼夜に守らせ給ふ御人也。いのらざれども現世安穏なり。」(一向令唱題目抄・聖典529)

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