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2025年5月23日金曜日

【生きるために死を考える】命を輝かせるために意識すべきこと【5月佛立倶楽部】

長松清潤の仏教チャンネル。オープンから1ヶ月が過ぎました。

ラジオと同じく、仏教ルネサンスに向けてご奉公を進めています。

ショート動画、佛立倶楽部御講の法話、これからは視聴者の方々のご質問にお答えしてゆくQ&Aもアップしてゆく予定ですー。

ひとまず、5月の佛立倶楽部御講では「生きるために死を考える」がテーマで、切り抜き動画を見ていると「少し暗かったかなー」と反省するのですが、それでも「この命、この人生を最大化する」ためには避けて通れない大切なテーマだと思って取り上げさせていただきました。

御法門とは違う、ラジオとも違うので、お時間のある時にご覧いただければ嬉しいです。

下記はメモですので、参考になればと思います。

御教歌
「しなぬ人 一人もなし心得よ 臨終の事 大事也けり」

< 日蓮聖人/ 妙法尼御前御返事 >
「夫以れば日蓮幼少の時より佛法を学び候しが、念願すらく人の寿命は無常也。出る気は入る気を待事なし、風の前の露尚譬にあらず。かしこき(賢)もはかなき(愚)も、老たるも若きも定め無き習也。されば先臨終の事を習ふて後に他事を習ふべしと思ひて、一代聖教の論師、人師の書釈あらあらかんがへあつめ(勘集)て此を明鏡として、一切の諸人の死する時と、並に臨終の後とに引向へてみ(見)候へば、すこしもくもりなし。此人は地獄に堕給ふ、乃至人天とはみ(見)へて候を、世間の人人、或は師匠、父母等の臨終の相をかくし(隠)て、西方浄土往生とのみ申候。」

< 仏典 紹介 >
「天にも海にも、山の洞にも、死を逃れられる地はない」『ダンマパタ』128

「愚かな者は『雨季にはここに住み、冬季・夏季にはここに住もう』と言って思いを巡らす。しかるに、死は、そのように思い巡らす者をさらって行く――眠れる村を押し流す洪水のように。」『ダンマパタ』286‑287

「熟した果がいつ落ちるか知れぬように、生まれた者は常に死にさらされる。賢者は世の習いを知り、嘆かない」『スッタニパータ』3.8 Salla‑sutta〈矢の経〉Sn 574‑580

「百年の内に人は死ぬ。たとえ長命でも老いに勝てぬ。死に際して“わがもの”は尽く離れると知り、賢者は執着を離れる」『スッタニパータ』4.6 Jarā‑sutta〈老いの経〉Sn 811‑813

御教歌
「死ぬる時 たのしみのなき人はみな 世にあるをりに 怠たれるなり」

「生きるために死を考える」

行から見る死。
唱えることでコネクトできる。
究極の時間。
「さとり」は、今、ここに、行の中にある。
「南無妙法蓮華経」とは生命であり、永遠への鍵。

御教歌
「一人来て独帰らむ道なるを 妙法五字にともなはるとは」

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