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2026年4月13日月曜日

竹村随教師&ひかるさんの結婚式

 








令和8年4月11日の土曜日、前日の春の嵐が嘘のように晴れわたり、まさに仏天が祝福しているかのような素晴らしい佳き日に、木更津 妙蓮寺において、竹村随教師と鈴木ひかるさんの結婚式が執り行われました。


本当に素晴らしい結婚式でした。久しぶりに未来への希望が胸に込み上げてきました。圧倒的に、ありがたかったです。


厳かな法要から、妙蓮寺さまらしい温かい手作りの披露宴、オリジナリティ溢れるプログラム、楽しいムービーやゲームもあり、感動をたくさんいただきました。


「主賓として挨拶するように」と言われて、悩みながら文章を認めて行きましたが、あまりに会場が盛り上がっていたので少しシリアスすぎたかな。ごめんなさい。


とにかく素晴らしい門出に立ち会わせていただきました。木更津の妙蓮寺、間違いなくご弘通を最前線を突き進んでくださると信じます。


おめでとうございます㊗️🙏

ありがとうございます。


竹村随教師、鈴木ひかる様、結婚式

祝辞


ありがとうございます。

本日、四月十一日。昨日の春の嵐が嘘のように、うららかな光が天地をやさしく包み込む、この佳き晴天の日に、竹村随教師様、鈴木ひかる様のご結婚を、こうして皆さまとともにお祝いできますことを、この上ない慶びに存じます。


この慶びの日を迎えられました竹村家、鈴木家、ご両家の皆さま、妙蓮寺、広島佛立寺の皆々さまに、まず心よりお祝いを申し上げます。


現在の宗門で有数の弘通家・竹村日愛御導師ほどの御方ですから、お弟子様でありご長男でもある竹村随教師のご結婚式にあたり、私などよりも主賓にふさわしい人がいると思うのですが、御導師より、また随教師、ひかる様より仰せつかりましたので、謹んでご奉公、ご挨拶させていただきます。


春の光が、新たな命の息吹を感じさせる本日、ここ日蓮門下の聖地・千葉の地に、佛立史上有数の強いご信心と愛情で結ばれたご夫妻が誕生したことは、ご両人の果報はもとより、これまでの竹村御導師、久美子奥さま、何より妙蓮寺門末教講ご一同のご奉公の功徳、たゆまぬ御題目口唱による現証の御利益に他ならないと確信しております。


まるで、天地そのものが晴れの日をもって祝福しているかのようです。


ご列席の皆さまはよくご承知のとおり、竹村随教師はその性格明朗快活、頭脳明晰、野球選手でスポーツ万能、何より大切なご信心は素直正直、深く、篤く、ご弘通への情熱も並外れており、佛立教務の鏡、未来への希望そのもののような人物です。


鈴木ひかるさんと初めてお会いしたのは藤本琴乃さんと一緒、小学生の頃だったと思います。広島佛立寺の伊田日雄上人のご令孫であらせられ、鈴木行桂化主のご令嬢、上人へのお給仕に徹しておられる姿は寺内・布教区のみならず宗門きっての素晴らしいお嬢さまと誰もが思っていたはずです。


そのお二人が結ばれる。


昨年九月、婚約されたお二人と横浜で食事をさせていただきました。楽しい時間でしたが、「ご信心がなければ結婚しようと思わなかった」という言葉が心に残りました。お二人ともが、個々人の愛情よりも、ご信心で結婚するのだ、ご奉公するために一緒になるのだ、という決意を語っておられました。もはや、言葉はありません。本当に、素晴らしいことだと存じます。


人間は煩悩五欲に縛られて生きています。それをそのまま引きずって生々世々を流転している。その流転の中で、人間に生まれ、御法さまにお出値いし、お祖師さまのお弟子旦那として御本意に叶うように生きようとする。


二人の約束、結婚は、すでに法華経の行者として生きるための出発であり、契りであるという。


高祖日蓮大菩薩は

「生生世世の間ちぎり(契)し夫は大海のいさご(沙)のかずよりもをゝくこそをはしまし候けん。今度のちぎりこそまことのちぎり。」

云々と御妙判遊ばされています。


生まれ変わり、死に変わり、これまで海の砂ほどの相手と契りを交わしてきたが、法華経の行者として生きる今回の契りこそ、永遠の中の永遠、真実、本物、二度とない結婚である、とお諭しくださっているのであります。


この御妙判に二人の想いを照らしてみれば、私たちはこれ以上ない真実の契りの機会に立ち会っていることとなります。


ただ、随教師、あなたは佛立教務として素晴らしいお師匠さまをいただき、素晴らしいご両親に育てられ、妙蓮寺という果報あるお寺の中で真っ直ぐに成長し、ご弘通の器となられました。


ひかるさんは遠く故郷を離れ、ご信心を頼りに、あなたを頼りに、嫁いで来られます。もちろん、お師匠さまも、久美子奥さまも、ご信者の皆さまも、ひかるさんを温かく見守り、導いてくださると思いますが、人間はそれほど強くないものです。


どんな日も、誰よりあなたは、彼女を理解し、守り、導き、今日の日を思い返して、お二人揃って、手に手をとって、御本意に叶うご奉公ができますように、伏してお願い申し上げます。


それにしても、主賓の挨拶とは堅苦しいものです。


このような晴れの日に申し訳ないと思いますが、ご両親と同じ世代の私は失望や絶望の中にあります。


世界に目を転じれば絶え間ない紛争、戦争、無辜の子どもたちや女性、お年を召した方々が傷つき、苦しんでいます。


かつて東日本大震災の折、ご講有は「私たちのご奉公不足である」とご訓示を発せられました。あれは天災、自然災害です。自然災害でさえ、私たちのご奉公不足を自覚せよ、と仰せでした。


現在は人災、人間の引き起こす災害が世界を不幸に陥れている。この惨状を見て、私たち佛立教務はどのように反省すべきでしょうか。ご弘通が低迷しているのを、みんなも同じだから仕方がないなどと言って誤魔化すことは出来ません。


ここに、お二人がご一緒になられる、竹村御導師率いるこの木更津妙蓮寺さまから、全宗門、全世界がより良くなるようなご弘通を、苦しみ、悩む人びとが、現実、確実、ここに救われるという、御題目のご信心の真髄を、世界中に、ご覧に入れてもらいたい。


今日は随教師のご学友も大勢おられると思います。私は彼のお父さん、竹村御導師と本山の同期でした。朝から晩までずっと一緒にいて、たくさんのことを語り合いました。


でも友達じゃございません。会って遊んだり、ご飯を食べたり、そんなこともほとんどいたしません。


ひたすらに「法友」です。ご信心の、ご弘通の、御法さまのもとでの、友達です。ご弘通ができなくてどうする、ご奉公ができなくてどうする。そこだけ、いつも語り合い、切磋琢磨して、ここまで来ました。


でも、半ば、今は失望しております。人生を振り返り、ご奉公不足を痛感しております。


なぜ、ご弘通が進まないのか。

師弟とはなにか。

信心とはなにか。


御本意に叶うご奉公というのは、常に戦いです。自分との戦いです。ご宝前と向き合い、この末法悪世との勝負です。


開導聖人の御指南に。

「すえのよのわれら如きの悪人は、御題目より持つ法なし、弘め弘めて弘め死にせよ、折伏をして万人ににくまるゝとも、教主釈尊おひとりにほめられたらばそれでたんのう」


御法さまに褒められるよう、今生では、不運で、不遇であろうとも、ご弘通ご奉公に気張り、未来の佛立のためになるよう、弟子らを育てて、門末の皆と共に私心なくご奉公させていただいてください。


どうか、お二人で手に手を取ってお気張りください。お二人のご奉公の成就と、妙蓮寺様、佛立寺さまの益々の隆昌発展を祈念しております。


令和八年四月十一日 長松清潤 合掌

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