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2007年5月24日木曜日

スリランカの青年会

 なかなか本題に入れない。アメリカの渡航記もインドのセッションについても、途切れてしまって申し訳ない。今日は午前中は明日6:30からの門祖総講の御法門と寺報の原稿を書くことに費やさなければならない。時間が無く、日々のご奉公に追われていると、アメリカやインドのことを継続的に書けなくなってしまう。

 昨夜、 スリランカのガマゲ君からメールをもらい、返信をした。ガマゲ君はスリランカの青年で妙深寺にもお参詣してくれた。それ以来、スリランカでご奉公があるとお参詣され、いまは学生生活と就職活動で忙しいということだが、一生懸命にご信心に気張っておられる。
 サンジェーワ君という青年も妙深寺にお参詣してくれたが、彼とは同世代で、スリランカという自分の国をよくするためにも、ご信心とご弘通、青年たちが信仰心によって力強く生きていけるようにと活動を続けている。

 今回、メールには添付ファイルがあり、たぶんケーグル地区だと思うが、ヘラスさんの家での御講風景の写真を送ってくれていた。ウィージェセケラ・ジュンコウ師のお看経の姿、御法門を説かれている様子が分かる。有難いことだ。

 信仰に縁の薄い日本では考えられないことかも知れないが、スリランカでは信仰が人々の心や生活と密接に結びついている。切っても切り離せない。

 そして、その信仰を原因として、ヒンドゥー・ナショナリズムを掲げるLTTEはヒンドゥー教徒であるタミル人と仏教徒であるシンハラ人を分断しようと恐ろしいテロを繰り返している。近年の自爆テロはムスリムよりも、このLTTEのヒンドゥー・ナショナリスト集団が最初だとも言われている。

 その宗教と人々が密接に結びついた国では、国の興隆や人々の生活の向上も、同じように宗教に非常に関係している。人々はそう信じて疑わない。青年や、HBSのリーダーたちが何より感動しているのは、スリランカ人の多くが信仰している小乗仏教の「ネガティブ」な教えではなく、HBSの「ポジティブ」な仏教だという。

 私たちは気づいていないかも知れないが、御題目のご信心は順調な時に驕らず、逆境にも屈しないという、極めて力強い、人生の柱となる教えである。しかし、同じ仏教でも部派仏教(僧侶を中心とした修行から生まれた宗派。一般に小乗仏教と呼ばれる)は、必ずしも一般の人々にとって「実生活」に適用させ、「実生活をより良くする」ということにはならないというのだ。彼らは、そこにあるのは戒律と、人生を消極的に生きるということだと言う。そして、多くの人が敬虔な仏教徒であるにもかかわらず実生活で消極的になり、向上心や慈悲心を持てないのはこうした教えが関係しているのだと、彼らは言う。

 だからこそ、HBSの教え、法華経の教えを彼らは私たち以上に生活に密着させて信仰している。いや、そもそも「信仰」は生活から離れようがないから、これも日本人的な言い回しだろう。彼らにとって、法華経の教え、御題目のご信心は、生活を良くし、青年に活力を与え、国を良くし、多くの人々を救うのだと、実感として確信しているのだ。

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