野良ゾウとのご奉公、恐ろしくもあり、楽しくもあり、何とも愉快だ。
ここはスリランカ南部にご奉公に行く途中で通過した国立公園。道路沿いに果物を売っている露天があり、小さな小さな村もある。
このゾウたちは何と400頭くらいの群れを作っていて、彼らが集団で移動している姿を見たら、その壮観さに言葉を失うほどだという。
しかし、この写真に写っているゾウは怪我をしているのだそうで、この露天の近くにいて観光客からもらうバナナやマンゴーを待っているのだ。また、時折食べ物を探してゾウが農園に入り込んだり、怒り狂ったゾウが人を害することもあって、細い電気を流した鉄線が張られてしまっている。「野良ゾウ」と言っても、なかなか人間と共存していくのは難しい。
大草原の中でゾウを間近にすると、やはり怖さも感じる。イルカと一緒に泳いだり、クジラのジャンプを見たりした時は、「間違いなく心が通じている」と感じられることもあったので、近づいていってお話をさせてもらおうと思ったが、ちょっと怖かった。(情けない!)
手塚治虫さんの「ブッダ」という漫画には、お釈迦さまとゾウのエピソードがたくさんある。残念ながら、今やインド(特にビハール州などのブッダの御遺跡のある地域)ではなかなか見られなくなったゾウを、ご奉公の途中で間近にすると何とも感慨深くなるのだ。
豊かな自然、多くの動植物たち。自然とのつながりをこんなに身近に感じられる。
ご奉公中に、ゾウや牛、ピーコック(孔雀)や猿(白くて人間のような猿)が間近にいるスリランカ。
そして、仏教史上、スリランカは特別の意味がある。私は、「たまたま」福岡御導師がスリランカとご縁が出来、ご弘通がスタートしたのではないと思っている。それは「たまたま」でも「偶然」でもなく、「必然」であり特別な「シナリオ」があるのを実感している。スリランカは、仏教史がひっくり返るくらいの重要な役割を果たしてきた国であり、その歴史や遺跡の中には聖地インドさえも超える重要な史実が埋もれている。そうした研究が進めば相当のインパクトが世界中を駆けめぐると思っている。
スリランカには、法華経の弘まらなければならない理由があり、上行所伝の御題目が弘まらなければならない理由があったのだ。世界中の誰よりも、スリランカの人々がそのことを実感している。
私は、このスリランカでご奉公させていただけることを心から感謝している。
清顕師と清翔師も、こういう大自然の中でご奉公しているのだろう。彼らも御法さまはもちろん、福岡御導師やスリランカのご信者さんたちに感謝しているに違いない。
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