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2007年11月26日月曜日
歴史に残る七五三
夜明け前の本山・宥清寺
最初の「本山奉仕会」が行われたのは昭和27年とお聞きしたと思う(いまは確かに思い出せない)。その当時の偉大な御導師方が京都の宥清寺に集い、朝一番から御宝前のお給仕、内陣から外陣までのお掃除、回廊の雑巾がけなどをされたという。「これぞご信心!お給仕!」というお手本を、当時の御導師方はお示しくださったのだろう。以来、198回にわたって本山奉仕のご奉公は続けられてきた。昨年までの3年間は、佛立開講150年を記念して全国の住職方が参集し、本山奉仕のご奉公に上がった。私はちょうど1年前、この第196回の本山奉仕に当たらせていただいた。
それにしても、いろいろな理由があって急遽担当することになった本山奉仕だが、今回は「寺院・教会の役員の部」と題して、支庁・布教区から代表者がお集まりくださった。住職や御講師方の本山奉仕とは全く違った感慨で、各寺院で幹部としてご奉公をされている講務の方々の本山奉仕を拝見することが出来た。私にとっては、こちらの方が刺激になる。
受付のご奉公をさせていただき、一人一人にプログラム等をお渡しした。点呼を取り、班を編制し、これからの3日間の本山奉仕に於ける注意事項、集合時間、服装などを説明。点呼から開行式などで進行させていただいたが、なかなか難しい。その夜は法悦殿に泊まって本山奉仕の進行管理をさせていただく。
朝、5時15分に起床し、5時45分に庫裡に集合。右の写真は暗くて見えないかも知れないが、本堂の回廊をお掃除されている本山奉仕の方々である。気温は4度~6度。京都の中でも、北野は本当に冷える。本山修行中の、身体の芯まで冷える寒さを思い出した。本山の御講師が、今回の本山奉仕は歴史に残るほどの寒さだと言っておられた。そんな中、みなさんは雑巾を絞り、一生懸命に本山の回廊をお掃除くださった。
夜明け前の本山、厳かな本堂内。お給仕、お掃除の終わった本堂内は、一瞬の静寂が訪れ、続いてお参詣者の唱題の声。何ともいえない雰囲気がある。
実は、ご信者ではない外国の方を京都にお連れし、観光案内をしたことがある。みなさんもご存じのような京都の観光地、特に金閣寺や竜安寺などの観光寺院にも連れてゆき、庭などを見せた。仕方ない、海外でも有名な場所なのだから。
しかし、そこに引き続いて、私は彼らを本山・宥清寺にお連れしたのである。本堂に案内し、御宝前の前に座っていただき、少しだけ御題目をお唱えさせていただいた。
ご信者ではない外国の方。京都を後にする前に感想を聞いてみた。「私が連れて行った中で、どこが一番素敵だった?」と。すると、なんと「ゆーせーじ!」と答えるではないか。ご信者ではないのに!「え?なんで?」と聞いてみると、「いや、何ともいえない荘厳な雰囲気があって、感動したのです」と。
ありがたい。その本山を、御本意に叶うように護持させていただかなければならない。歴史的建造物とか、宝物があるからとか、そういうことではなく、生きたご信心で護持しなければならない。ご弘通で護持しなければならない。
とにかく、本山奉仕の方々の、純粋なご信心の姿勢、必死のお看経の姿には感激した。勉強させていただいた。幹部の方々が、本山の本堂で、このように修行されているということも、少し知っていただきたいと思い、ブログに載せさせていただいた。本当に真剣に、真摯に、ご奉公くださっていた。
ありがたい。
2007年11月22日木曜日
ご奉公の結実!!高祖会盛大奉修
この天気については、後日談というか、当日談がある。毎度、奉修局ではYahooなどで天気図やアメダスをチェックしている。そこで逐一「雨雲の動き」などアニメーション画面で天候の変化をチェックするのだが、この日曜日はどう見ても神奈川県の横浜地域を雨雲が避けるようにして二手に分かれていたというのだ。嘘のような話だが、担当者云く「ホントーです!」とのこと。ありがたい。不思議なものだ。
小林御導師は、私の尊敬するご弘通家。はじめてお会いしたのは先住のお怪我の直後だった。当時、先住のお怪我は非常にセンセーショナルで、家族の思いとは裏腹にいろいろな怪情報などが飛び交って、たまらなかった。お折伏というか詮索というか、もう父を失うかもしれないという不安の中で、そうしたものに翻弄されて涙が止まらなかった。
そんな時、鈴江御導師はいち早く「必ず御利益を頂戴する。現証を顕してくださる」と仰ってくださり、私たちはその暖かいお言葉にお縋りして御宝前に座り、御祈願をし、看病をしていたのだ。そして、あれは先住のお怪我からほんの数日後だったと思うが、名古屋・建国寺の石川御導師と博多・光薫寺の小林御導師のお二人が、わざわざ横浜・妙深寺にまでお出で下さった。私は打ちひしがれて本堂の後にある御控之間でご挨拶をお受けすることになった。当時、私は24才だった。
石川御導師と小林御導師は、落ち着き、そして威厳がありつつもご丁寧に、本当の心の底からの労りとお慈悲をもってお言葉をかけてくださった。ここでもしものことがあったら一大事であり、宗門にとって致命的なことになる、何としてもここで現証の御利益を顕していただきたい、と。この時の、断固とした優しいお言葉を、私は絶対に忘れないと心に誓っている。
こうした決定的な瞬間に来てくださり、お助行してくださり、真心からのお言葉をかけてくださることが、どれだけ傷ついた家族を救うか。私は身を以て体験させていただいた。だからこそ、自分自身も、教務諸師も、いざという時に動けなければご奉公にならん、と言っている。それが深夜だろうと何だろうと、火消しと同じ。駆けつけてご奉公していただきたい、と。それはその家族の心に一生刻まれる。
私にとって光薫寺の小林御導師は最も苦しい時にお助行くださった変化(へんげ)の菩薩。後に、両御導師の息子さんを妙深寺で預かることになるとは、先住のお怪我の時には思いも寄らなかった。先住が現証の御利益によって、49日間の意識不明の果てに完全復活してから間もなく、小林信翠師(当時は横浜国大の大学院生である要慈くん)と石川清優師(同じく当時は大学生の英樹くん)を妙深寺でお預かりすることになった。
私は妙深寺の本堂にある四畳半の教務室に寝泊まりしていたのだが、この二人は先住とご一緒の庫裡に住むことになった。まぁ、特にこの信翠師は頭が良くて、僕なんかとは全く正反対の性格で、ケンケンガクガクの議論をしたものだ。理屈ばっかりこねていると、「うるへ~!」と怒鳴りたくなるので、兄弟のように喧嘩というか、じゃれたものだ。清優師も、先住のスタイルもあって、本当の家族のように暮らした。考えてみると、よく妙深寺に息子さんを預けられたものだと小林御導師と石川御導師の決断に驚くと共に、今ではご弘通の上での友であり、良いご奉公をどれだけできているか競うライバルだ。決して情実に流されることなく、ご弘通を真っ正面から語り合える朋友、法友として、深い絆ができた。それも計算されていたのだろうか分からないが、両御導師とはそういう方だった。
まさに、念願叶って小林御導師の御唱導をいただいた。御導師の御法門は来月号の寺報に詳しく掲載させていただきたいと思っている。その内容は、「現証」には4つの相があるということ。
「法難」「御利生」「お知らせ」「御罰」である、と。この御法門は、ビデオ撮影をしていたひろし君などの目を開いた。ひろし君は大感激していた。
高祖会も、今年のご奉公を踏襲して、御導師にわがままを言って特別の法要式。まずは、一年間の妙深寺で溢れた笑顔をVTRにして放映。奉修前に「高祖会」の意味を解説するアナウンスを入れる。そこで、司会者から奉修御導師についてもご紹介。
続けて、ゆっくりお迎えの御題目をお唱えし、その中を奉修御導師、出座御導師、御講師方が着座。無始已来の唱和、如来滅は拝誦せずそのまま高祖会奉修の言上をお願いし、続けて唱題。ここまで10分。そして、そこから奉修御導師御法門を頂戴する。
妙深寺の三大会は、「お教化の出来る御会式」でなければならない、と言っている。妙講一座の拝誦の仕方、法要式については導師に一任されているのが開導聖人の御指南である。考えに考えさせてもらうと、最もご信心の尊さを届けたい人、ご信心に対して斜に構えているような息子さん、娘さん、お孫さん、お友だちなどは、御題目を唱える前の前置きが長すぎると、我慢できなくてすぐにパッと本堂から出て行ってしまう。それをしないために、説明をしっかりした後は、一気に「御題目口唱」「御法門」「御題目口唱」と持って行きたいのだ。そういうことを考えて、奉修をお願いしている。
開導会で岩崎さんという女性がお教化になった。御会式終了後には本堂の後ろでお連れしたお友だちなどと談笑しながらご信心のことを語り、そこでお教化になる。岩崎さんもその一人だった。この方は、ずっと死のうと思って歩いていたという。そこに柴山さんが妙深寺のチラシを持って、フラッとお寺参詣を紹介された。そして、開導会にお参詣して、私も本堂の後ろで岩崎さんにお会いした。そして、ご信心をされるようになり、夕方になると柴山家で一緒に夕看経をし、御題目口唱をテープに撮り、家でも御題目をお聞きするようになられた。今では、あれほど死のうと思って悩んでおられた家庭内の問題も解決に向かい、御講席には欠かさずにお参詣されている。
今回の高祖会でも、たくさんのお教化が出来た。有難いことだ。小林御導師の御法門はもちろん、ご奉公で疲れているにもかかわらず奉修後にたくさんのお話をお友だちにして、ご信心の有難さをお伝えし、私も御導師をお見送りした後にそうした方々とお話をさせていただいて、そして御本尊拝受のお願いをお受けした。
何と何と有難いことだろう。毎日、有難いことばっかり。ゆっくりデスクに座れないのがいけない。キチンと定期的にブログも更新します。15時からご奉公なので、また怒濤の更新ラッシュをしようと思う。
昨日で11月の御講が全て終了したので、ちょっとだけ時間が出来た。では、怒濤の更新ラッシュを乞うご期待!
2007年11月21日水曜日
2007年11月18日日曜日
ちょっと、すいません
2007年11月14日水曜日
高祖会の感動を
「御会式(おえしき)」とは、お祖師さま(日蓮聖人)の祥月御命日にあわせて(近い週末を選び)各寺院の教講一同が会して報恩の一座を営むもの。本門佛立宗では、この「御会式(高祖会)」と、門祖日隆聖人の「門祖会」、開導日扇聖人の「開導会」を合わせる、「三大会(さんだいえ)」と呼んでご奉公させていただいている。お寺の一大行事である。
今回の御会式は、またまたいろいろな工夫を凝らしてご奉公させていただいた。御唱導の栄を賜ることができたのは、九州博多・光薫寺の小林日元上人。光薫寺といえば、本当にご弘通の思いの熱い、活気に溢れたお寺で有名である。何より良い御弟子さんがたくさんおられる。私も何度かお伺いをしたことがあるが、一騎当千のお講師方に圧倒された。「御弟子さんを見れば、その師匠、そのお寺が分かる」と言われるが、なるほどと思った。そして、あの頃から数年が経って、小林信翠師も本当に情熱的な弘通家の片鱗を見せているし、荒木源定師は手作りのお道具をご信者さんみんなと一緒に作りながら親会場を建立。「無より有を生ずる」ご奉公を展開してくれている。ありがたい。
週末の予報はずっと雨のままだった。土曜日も日曜日も残念ながら雨の予報。ご祈願を続けさせていただいてきたものの、土曜日の朝は雨が降っていた。これは私の罪障。お参詣者の皆さまには申し訳なく思った。
しかし、本堂は、全く入りきらないほどのお参詣者で、完全に溢れていた。もともと妙深寺でも、御会式は日曜日だけの奉修だった。それが土曜日に「前日の座」として奉修し、お身体の不自由な方に車で本堂玄関まで入れるようにしようと考えて始まった。何年前だっただろうか、私は参詣部の参与をしており、この前日の座のお参詣者数を本堂の上の小窓からカウントしたことがある。その当時で150名を少し上回る程度だった。
その「前日の座」を「第一座」として奉修させていただくようになってから、徐々にお参詣者が増えてきた。この高祖会では、光薫寺からのお参詣者数を外しても397名のお参詣があった。10数年前から比べると倍以上のお参詣者だ。土曜日のニーズが多いのだろうか。
しかも、今回は特別な土曜日の奉修となった。その理由は、光薫寺からの団参者の方々が、この土曜日の座にお参詣されたからである。つまり、光薫寺の皆さまは横浜に2泊もしていただいたのだった。金曜日にはお祖師さまの御遺跡を巡り、土曜日の妙深寺高祖会の第一座にお参詣。
何と言っても、ご弘通に定評のある光薫寺の皆さまである。とても緊張した。しかし、緊張して力み過ぎてもいけないし、突然良いご奉公をしようと思っても出来るわけがない。いつものようにご奉公、御法門させていただこうと頑張らせてもらった。
そして、第一座の終了後、光薫寺と妙深寺の交流会が企画され、和やかな中で実施された。このご奉公は、神奈川布教区のオレンジ会でもチーフ・ディレクターとしてご奉公して下さっている杉崎さんの力がなければ決して出来ないご奉公。杉崎さんの企画は、コミュニケーションの下手な私たちを、いつも上手に導いてくれて、素敵な和を作ってくれる。もちろん、ご信者さん同士は、さすがにあっという間にうち解ける。
最初は自己紹介をしながら5人の人を見つけて握手。そして、本堂のイスを三角形にしてグループに分け、その中に話をリードする人が決まっており、自己紹介をしたり、「ありがたーい話」をしよう!と声をかけてディスカッション。もう、本堂のあちこちで、笑い声や拍手喝采。これは、見ている私も驚いた。
この交流会の最後には、光薫寺の方から次々と素晴らしい体験談が語られた。別の機会に載せさせていただきたいと思うが、親子のこと、仕事と家庭とご信心、嫁いだ先のご信心、最初の御講で感じたこと、ご主人の事故、改良、御利益、と次々に素晴らしい話が飛び出した。ありがたかったぁ。
最後に、みんなで記念撮影。笑顔に満ちた高祖会。大盛り上がりだった。
っえ?これって高祖会?そう、すごい御会式でしょ~。こんなに他寺院の方と交流できて、じっくりとご弘通の刺激をもらえて、ご利益談で涙して、冗談に笑いあって、最高の高祖会になった。まだ、第二座と第三座のご報告をしなければならないが、本当に心から光薫寺の御導師、お講師方、お参詣の皆さまに御礼を申し上げたい。ありがとうございました。
そして、妙深寺のご奉公者のみなさま。本当に、本当に、ありがとうございました。
2007年11月13日火曜日
69才のピアニスト
ずっと以前からお願いし、お約束していたことがあり、ちょうど高祖会奉修後の日曜日、それが実現した。高祖会のご奉公ほど大きな行事が終わるとホッと一息というのが普通なのだろうが、止まっていることは性に合わない。夜にはお約束した場所に一人で向かった。
以前、妙深寺の奉修御導師もお勤めいただいた御導師で、私の父と渋谷・乗泉寺修行時代からのご友人。その御導師と奥さま、お嬢様と待ち合わせをして、ある場所に向かった。
私の父はJAZZが好きで、家の押し入れには廃盤のようなJAZZのレコードが山積みになっている。今やレコードをかける機械が壊れてしまっているので回して聴いたことはない。しかし、いつか父の好きだった音楽を聴いてみるのも良いだろうと楽しみにしている。
渋谷修行時代からのご友人である御導師も、父と同様にJAZZがお好きだとお聞きしていた。私は勝手に、父とは過ごせなかった時間を、御導師に父親代わりになっていただいて実現してみようと思うようになった。そして、数ヶ月前から「一緒にJAZZを聞きに行ってください。連れて行ってください」とお願いしていたのだ。そして、その願いが叶う日が11月11日の日曜日だった。
高祖会のご奉公が無事に円成した後、18時を過ぎて、表参道にあるBlue Note Tokyoに向かった。実は、御導師のお嬢様は永年ここに勤めておられたという。すごい。御導師もJAZZがお好きで、奥さまもJAZZがお好き。その影響で、彼女もJAZZが好きになり、このお店で海外のアーチストたちのコーディネートを手がけてこられた。特に、彼女は世界的なベーシストのレイ・ブラウンと深い親交を結んでいたとお聞きした。来日した折には、彼女でなければダメと言っていたほどらしい。ありがたい。素晴らしい人格を、世界的なアーチストから認められたのだろう。さすが、御導師のお嬢さま。
その彼女のコーディネートもあり、日曜の夜のBlue Note Tokyoは、素晴らしいシートだった。感慨深く御導師と一緒に座り、とにかく疲れた心と身体に、父を思いながらJAZZの旋律を血液に入れさせてもらった。その夜は、お嬢様のお薦めもあり、「McCOY TYNER TRIO with special guest GARY BARTZ」と題したセッションだった。McCoyは、69才だという。その69才のピアニストの織りなす音楽に、あっという間に魅了されてしまった。
もちろん、高齢のためか、素人の私が聴いていても、ミスタッチやリズムの外れることもがある。しかし、その全てが、彼の全てに照らして素晴らしい「音」だと感じられた。また、ドラムスの何とも言えないリズムがいつまでも耳に残っていて心地よかった。
考えてみれば、69才になってもピアニストの彼は世界中を飛び回り、多くの人を魅了し続けている。自分で音を作り、組み立て、セッションに入るゲストとリハーサルを重ねて、彼の音を聞きに来る人たちを楽しませよう、喜ばせようとプロ根性を燃やしている。自分が69才になった時にも、元気でこうした生き方が出来ているだろうか。人を心から喜ばせ、心から楽しませることが出来るだろうか。
プロ根性。どんなに高齢でも味わいのあるセッションが出来るはずだ。教務、導師として、私もそうなりたいし、そうでありたい。日本中、世界中を精力的に飛び回り、ご弘通させていただきたい。どんなに高齢になっても、体力を維持してご奉公させていただきたい。ある意味で、「音」を織りなすのが本門佛立宗の導師という者なのだから。
「この公演が最後かも知れない」とお嬢様から聞いた。本当に貴重な機会に参加できたと思う。高祖会の疲れも出ない。一瞬一瞬が充実している。また勉強させていただいた。公演を終えて、一人で東横線に乗り、たくさんの人の顔を見ながら反町まで帰ってきた。疲れていたと思うが清顕師に連絡をして、反町まで迎えに来てもらった。
本当に、感動の高祖会と共に、素敵な体験をさせていただいた。
2007年11月12日月曜日
ブレないで生きる
多くの御利益を振り返り、その中で最も素晴らしい現証の御利益とは何であったかと考えてみれば、「ご信心をいただいてよかった」と本人が気づいてくださる御利益、人間の心の中に佛立信仰が芽生 えてゆく御利益であると思う。
開導聖人の御教歌に、
「信心のおこるばかりの御利益は 世にたとへなき たから也けり」
とある。単なる病気治しのご信心、困った時の神頼みで止まっていたのでは本当の仏教、佛立信心ではない。確かに、御題目をお唱えし、心からご祈願させていただけば、必ず御法さまは応えてくださる。しかし、そこから先が大切である。
本門佛立宗のご信心に於ける 「御利益」は、一般的に使われている「現世利益」と大きく異なる。
インテリを自称するような人は、仏教が「御利益」とか「現世利益」というのは、欲望を是認するもの、現実的で唯物的だと小馬鹿にすることがある。ある面では一理ある。
しかし、むしろ御仏の説かれた道を実践し、何の験や効果も無いとしたならば、その方がおかしいではないか。御仏のお心、願いに適わない。信仰をすれば、何かが起こる。それは当たり前のことだ。
ただ、単なる「現世」の「利益」だけなら、何故にこれほど欲深く、エゴに満ちた人を救ってくださるのか、願いをお聞き届けくださるのかという疑問も残る。たとえば、強欲で傲慢な人間の寿命を数年間延ばしたり、今までも人を傷つけ、これからも間違いや過ちを続ける人間の願いを叶えてくださるのは何故なのか。
だから、本門佛立宗の御利益は、「現証」と前に付けるのである。世間で言うところの「利益」とは断固として一線を画す。荒凡夫と呼ばれる私たちに、正しい信仰の道、上行所伝の御題目の有難さや尊さを「現に」「証明」するためにいただくのが、私たちの「御利益」なのである。故に、本門佛立宗のご信者は、常に目の覚めるような「現証の御利益」を見聞きするし、自分自身が体験することになる。
私たち人間が抱える本当の病は、病院では治らない。苦しみの原因、不安になる理由、怖さ、恐ろしさ、悩みや取り返しの付かない失敗の根本的な原因、病巣は、「ご信心をいただく」ことでしか治らない。上行所伝の御題目のご信心をいただくこと以外に、私たちが抱える根本的な病気は治らないのである。
病気が治る、事業が成功する、ダメなものがダメでなくなる現証の御利益は、ただご信心を起こすために現していただいたものだと言える。信心が起きる、ご信心が芽生える、それを人生の軸として、ブレない生き方がスタートできるということが、何よりの御利益であり、迷うことなく、人を助ける「菩薩」となってゆくことが真の「現証の御利益」なのだ。
御仏の願いはお祖師さまの願い。お祖師さまの願いは、御仏の願いである。それは、ありとあらゆる人の幸せを願い、ありとあらゆる人の苦悩を取り除こうとされる、大慈大悲の切なる願いなのである。上行所伝の御題目とは、その御仏とお祖師さまの「願い」がすべて込められた「お薬」に他ならない。だから、そのお薬を誰もが服用し、悪循環の苦悩から抜けだし、幸せの道を歩み始めること、その事業、その使命を受け継ぎ、引き継いで、御仏やお祖師さまの末の末の弟子、ご信者として、ご弘通、広宣流布のご奉公に励むことが大切なのだ。御仏やお祖師さまの「願い」「思い」を一分でも汲んでこそ「仏教徒」と言えるのだから。
仏教は「癒し」ではないと思う。仏教は「安心」なのだ。キリスト教的な発想では、疲れて傷ついた者たちが神の前に跪いて、赦しや癒しを求めるのだろう。しかし、仏教は癒しではなく安心なのだ。
本当に、ご信心をいただくことが出来れば、それは即ち「安心」なのである。もう迷うことがない、グラグラと生き方にブレることはない。良いことがあっても、悪いことがあっても、若くとも老いていようとも、「安心」をいただいて、ブレずに生きていける。
言い方が抽象的になって申し訳ないが、私はこのようにご信心を表現させていただいている。信心とは覚悟。世間一般で考えている「信心」と本門佛立宗の「ご信心」とは雲泥の差があるということを知っていただきたいのだ。本物の佛立信仰とは、世間で言うような他力本願ではなく、「現世利益」を追い求めるだけのものでもなく、もっともっと身近で、人生の一大転換となる素晴らしいことなのだ。
私は確信している。本門佛立宗のご信心をしている人は、本当に素敵だ。もちろん、所属しているだけの「ぶらさがり信者さん」ではダメだし、分からないと思うが、本物の佛立信者は、存在そのものが世界の中で輝いている。こんな素敵な存在はいないではないか。
ブレないということは、例えば当然だが宗教にも迷わない。本門佛立宗は八百万の神を否定しない。南無久遠の御文でも「地神」「水神」とあるし、諸天善神とも言上する。
ただ、上行所伝の「御題目」が現され、ご信心をいただいた以上、ブレないのである。全ての神々は御題目と共にある。あっちの神社、こっちのお寺と、迷うこともない。占いやお守りなどにも迷わない。一本、正しく筋を通すのがご信心。
人生には、様々な出来事がある。良いことも悪いことも同じように起こる。ご信心をいただいても、人間としての業である生老病死は訪れる。ましてや我が身の罪障を思えば、都合の良いことばかりが起こるはずはない。
しかし、ご信心をいただいたら、ブレない。心に迷いがなくなる。恐れがなくなる。安心なのである。
お祖師さまは、
「詮するところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん」
と開目抄にお認めになられている。ご信心をいただくということは、断固たる安心の境地の中で、他の人のため、御仏の御本懐を遂げて、命を輝かせること。世間では驚きもし、一喜一憂して、迷いながら果てる人生が、ブレなくなるのだ。
「天に見捨てられようとも、たくさんの難に遭おうとも、この身体と命と賭けてご覧にいれる」と。
私は、何より大切な現証というのは、ブレないで生きれるようになること、なれたことだと思う。
11月 妙深寺報 『時代は仏教、佛立宗!』
高祖会のテーマ『佛立の現証を知ろう』を冒頭に掲げて、スリランカのお二人についてのエピソード、御講やお助行で感じたことなどを集めた。これを読まないなんて、「勿体ない!」「どんだけー」と思ってしまう。
そう「字が多くて読めない」「字が小さくてぇ~」などと言う人がいるが、こちらも努力をしているが、それ以上はしない。傲慢かも知れないが、編集している者はそうした努力をし続けているが、私などはある意味で「読まないものは結局何をしても読まない」と思っている。だから、とにかく良い内容があるかどうかで決まる。ブレていられない。
また、これからはPDFでも配信できるようになるかもしれない。私は数年前からPDFで配信できるように、バックナンバーがインターネット上で閲覧できるようにしてもらいたいとリクエストをしてきたのだが、清従師がようやくこれを実現してくれた。プロトタイプを送ってくれたのだが、この出来がとても良い。もう、いつでも配信できるようになるだろう。もちろん、個人情報もあるから、所属寺院や氏名などを登録していただかなければならないと思う。本当は本門佛立宗のご信者さんに限定しなければならないと思う。しかし、一方で、誠実な方には、宗外の方であっても読んでいただきたいとも思う。そうした点も、清従師に考えていただくようにお願いしている。
裏表紙は、妙深寺で大ブームとなっている言葉、『時代は仏教、佛立宗!』である。もう、この言葉、使いすぎて、どこでも言い過ぎて、もう言っている本人は疲れてきた。
しかし、世界を見てみても、日本を見ても、社会や人を見ても、問題が山積し、不安感や不透明感が蔓延する中で、この言葉しか浮かばないのだ。『時代は仏教、佛立宗!』って。
しかも、自分のご信心と思いを、とても簡潔に言い表してくれる。伝えてみると、「うーん、分かります!」って言っていただいたり、言った直後に「なるほど!」って同意してくれたりするのに驚く。みなさん、結構「仏教」に期待している。プラス、「佛立宗」を知らなくても、何となく僕たちの勢いに押されて「へ~、そうなん、、、?!」と思ってくださり、佛立宗にも期待してくださる。いや、本当に『時代は仏教、佛立宗!』なのだ。私はそう確信している。
大勢の人たちが、『時代は仏教、佛立宗!』という掛け声の下に、妙深寺を目指してくださっている。こんなおちゃめな裏表紙を作るなんて、ほんとーに清康師はイケテル。あとは、妙深寺の海老蔵である清康師に彼女を見つけないと、本当にアイツは一生独身のデザイナーのようになってしまうのではないか。顔を見る度に、結婚相手を探してこいと言っているのだが、成果が全く見えない。あれ?話が脱線した。
いや~、清康師の裏表紙、ええなー。
アルンダティー女史からのメール
Thanks a million for chanting for me. Sorry i took some time to reply. I had to bed rest for 3 days. Today i came to work in the office. I feel much better. Results of the operation could be informed only on 22nd of November.
Its Ok. Your chanting of odaimoku has increased my faith to Gohonzon. Thanks you so much of taking all the trouble for this. I really do appreciate that and Please do chant odaimoku for me for the success of this operation.
I hope everything is going well in your Temple and all of you are keeping well.
We are looking forward to see you soon in Sri Lanka.
Namu Myoho Renge Kyo
Yours faith fully
2007年11月10日土曜日
高祖会 第一座
また、追って報告させていただきたいと思う。ありがたい。
2007年11月9日金曜日
9日12時から
みなさんにもご披露したアルンダティーの手術、そしてお助行だが、本日9日の日本時間午後0時からだった。スリランカの午前9時は日本の午後0時なのに、それを日本の午前6時と勘違いしていたのだ。
あぁ、参った。私は朝参詣で本堂に座るまで全く気づかず、そのまま言上をさせていただき、そして御題目をお唱えしながら、「あっ」と気づいた。気づかせていただいた。
ご披露をさせていただいていたので、その時間から御祈願をしてくださっていた方々に申し訳なかった。ただ、たくさん御題目を上げさせていただくことは有難かったかなと思う。
今日は高祖会の準備ご奉公。9時30分からの開始だ。アルンダティーにも時差の計算を間違ったままメールを送ってしまったので、訂正メールを入れるつもり。
とにかく、彼女の手術が無事に成功し、御利益を感得できるように祈るばかり。
2007年11月8日木曜日
イタリアでのご奉公について
2007年11月7日水曜日
9日にアルンダティーのお助行を、
アルンダティーさんは、スリランカで最も早くからご弘通活動をしているウィージェセケラ氏の長女であり、ウィージェセケラ・ジュンコウ師の妹さんである。スリランカにご奉公に行かせていただく際には、いつも司会者やコーディネート役を買って出て、ご奉公してくださる。ご本人も、数え切れないほどの御利益を体得していて、ご信心がブレることがない。
御題目を心から信じて、お看経をよくされる。お参詣、御法門聴聞も素直に、率先してなさる。眼が綺麗で、ひまわりが咲いたような瞳を持っておられる。
現在のスリランカにはいくつかのグループがあるが、アルンダティー女史はいつもお父さんをサポートして、他のグループとの連携も取ってくれており、誰からも好かれる大変に聡明な女性だ。ビジネスウーマンとしても成功しており、先日までベルギーに農業プラントの技術者・開発者として長期の出張をしていた。
先日のシンガポールにもスリランカから合流してくれて、一緒にご奉公してくださった。津波の支援活動の際には妙深寺にもお参詣してくださり、妙深寺のご信者の方と和気藹々の交流をしてくださっていた。右の写真の、左から二番目がアルンダティー女史である。一番左がお母さんのナンダさん。一番右がラジ女史、その隣がドクター・ミランダ女史である。後ろにはエカナヤケさんも見える。
とにかく、その彼女からのメール。題名は「To Rev. Nagamatsu Odoushi(親愛なる長松御導師へ)」というもので、そこに書かれていたのは御祈願の依頼であった。プライバシーもあるので、一部文章を割愛させていただくがご紹介する。小さな手術を9日金曜日の午前に受けるそうなので、どうか彼女ために御題目をお唱えしていただけないだろうか。
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Dear Rev. Nagamatsu Odoushi
How are you keeping?
I'm fine here. I'm busy with the new job but I like to work hard. I heard that you will vist to Sri Lanka very soon. It is a good news to all the HBS members in Sri Lanka.
Nagamatsu Odoshi, I need a help from you.
(中略)
So I have to do a small operation on this Friday (9th November 2007) at 9.00 am. Dear Odoushi, could you please chant for the success of this operation. I'm sorry i'm bothering you like this. But please chant odaimoku for me.
In my life all the time I received countless benefits from Gohonzon So I have a strong faith that this will work out successfully.
I hope all the members in Myoshinji Temple are keeping well. I will write to you soon.
Nam Myoho Renge Kyo
Yours faithfully
Arundathie
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何か書かれているかといえば、11月9日の午前9時から小さな手術をしなければならなくなった。ついては、この手術が成功するように御題目をお唱えしていただけないだろうか、という。本当の兄妹のように思っているから、と。ただ、彼女はこれまでも数え切れないほどの御利益をいただいてきているから、手術は成功するに違いない。そして、妙深寺の全てのメンバーを気づかっているコメントで結ばれている。
私からも早速返信をした。
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Our Dear Arundathie,
I certainly received your mail and your request.
I will do anything for your happiness.
We are chanting to the Odaimoku for you on Friday.
Nine o'clock of Sri Lanka is 12 o'clock of Japan.
We will begin to chant Odaimoku and to pray from 12 o'clock in Myoshinji temple.
We will chant the Odaimoku for you at time when your operation is begun.
I know strength of your faith.
I am convinced that you get benefit without fail.
We are family of HBS.
I am always pray for your family’s happiness.
Please settling down in operation,
Yours in the Finest Dharma,
Namu Myoho Renge Kyo,,,,
Seijun Nagamatsu,
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とにかく、御祈願をさせていただくと書かせていただいた。スリランカと日本は時差が3時間ある。手術の始まる時刻、スリランカの9時は、日本の12時だ。手術と同時刻から御題目をお唱えして、御祈願することが出来る。その御題目のバイブレーションは、必ず彼女に届くだろう。
私たちは世界中に家族がいる。いや世界中の人々が家族なのだ。アルンダティーさんが兄妹のように思ってくれているのも嬉しいし、彼女のために御祈願させていただけることがもっと嬉しい。先に挙げた写真に映っているミランダさんやラジさんは私の姉のようだし。
上の写真はシンガポールでの一コマだが、スリランカからお参詣に来てくださった子どもたちと遊ぶのも毎回の楽しみだ。上座部仏教のお坊さんはそんなことはしないから、眼をグルグルさせている。この子たちとは写真の撮りっこをしたり、彼の持っていた最新鋭の携帯電話にインストールされているスノーボードのゲームで遊んだ。とにかく、みんながHBSのファミリーである。
さて、9日。どうか、アルンダティーと御縁のある方、いや直接は知らないという方も、朝参詣に併せてこの御祈願からお助行に参加していただきたいと思う。
「Arundathie H. S. Wijesekera(アルンダティー・ウィージェセケラ)、手術成功、経過良好、御利益感得のお願い」
生命が担保されると欲望が多様化する
2007年11月4日日曜日
今朝の空
本堂に入る直前、そこに窓があり、遠くに横浜の港が見えると何度か書いてきたが、今朝は本堂に入る前に立ち止まってしまうほど、朝焼け、雲、光のコントラスト、高層のビルや風車の影がぼんやりと浮かび上がっていて、何とも言えなかった。
随行の清仁師にカメラを持ってきてくれるように頼んだ。走って持ってきてくれたカメラでパチリ。空が青い。
何年前だろう。マウイ島のハレアカラ山から朝焼けを見た。ハレアカラ山は標高3000mを超える火山だが、何と車で頂上まで行くことが出来る。真夏であろうとものすごい寒さで、その時もIwasakiさんの家から毛布をたくさん持って行って、毛布にくるまって外に出る。空気が薄い。私たちが頂上に着いた時、空はまだ真っ暗だった。
そこでガチガチ震えながら夜明けを待つ。太平洋のど真ん中に浮かぶ島。その島にある富士山に近い標高から日の出が見えるなんて。太平洋の向こうから太陽が上がってくるのを、観光客だろうか、大勢の人たちが見守っている。お年寄りもいれば、星座の説明を受けている観光客もいるし、ホテルから抜け出してきたような若いカップルもいる。みんな毛布にくるまっていた。
今もそうだが、その頃も松井孝典氏の著作を読みあさっていて、ちょっとした天文少年だった。天体望遠鏡を持って、そこに映る何千万キロ、何光年も先の星に思いを馳せる。星たち、星座、星雲。そんな世界、宇宙を感じながら、俯瞰的に地球、人間圏を眺める。その繰り返し。ありがたい。
熱心な法華経の信者、宮沢賢治が御仏の説かれた壮大な宇宙論から「銀河鉄道の夜」を書いたように、法華経のスケールの大きさは旧約聖書の創世記などの比ではない。法華経を拝見していると、何個も、何個も、星雲や、生命の存在した星を飛び越えていく感覚が湧いてくる。時間も、空間も、飛び越えて宇宙に存在、偏在していく感覚。そうした世界から地球という天体に集まってくる感覚。帰って行く感覚。戻っていく感覚。
そうしたものを宮沢賢治は彼独特の感性で受け止め、豊かなイメージと壮大なスケールの童話を書き上げたのだろう。本当に、彼のように御仏の世界を描き、実践できる人も素晴らしいと思う。
私はと言えば、もっと現実的だし、小賢しい。『宇宙からの贈り物』として「ドレイクの方程式」などを紹介して、宇宙を正しく見据えることを薦めた。壮大な宇宙を小馬鹿にしたような占いや風潮があるのを嘆かわしいと思って。
とにかく、私は空と雲が大好きで、いつまでも眺めていられる。そして、地球を体験できる朝焼けや夕陽を見ることが好きである。さらに飛躍すると、地球と宇宙を大実感できる『スカイダイビング』だって好きであった。先輩に連れて行かれて、ライセンスまで取ってしまったのが『スカイダイビング』であった。これはまた別の機会に話をしたい。そして、実は隕石も好きである。特に、『アエンデ(Allende)隕石』には興味が尽きず、ワシントンのスミソニアン博物館で見た時には大感激した。
この隕石は、1969年2月8日、現地時間の午前1時に、メキシコのアエンデ(Allende)近郊に落下した隕石。落下の際には周囲が明るくなるほどの大火球が目撃され、大きな爆発音で村人が目を覚ましたという。全部で2トン以上の隕石がバラバラになって落下し、その範囲は150平方キロメートル以上に及んだ。
アエンデ隕石は、太陽系が超新星爆発のガスなどが集まって出来始めた時、最初の高温の段階でガスから凝縮した塵が45.66億年前に固まった太陽系で最も古い物質であることが分かっている。当初、歴史上はじめて太陽系外から飛来した隕石と考えられていた。この壮大なスケール、想像がつくだろうか。
そういう経緯もあって、太陽系外物質の発見や、アミノ酸の検出により生命の起源の問題にまで謎を投げかけたのであった。まぁ、とにかく、そういうことの大好きな天体少年なのであった。
ここに出した2つの写真は、スミソニアン博物館を歩いていた時、偶然目の前に飛び込んできたアエンデ隕石の展示。感動して写真を撮った。
小さなアエンデ隕石の欠片は、私の宝物でもある。
2007年11月3日土曜日
高祖会まで1週間
2007年11月2日金曜日
11月は断食からスタート
多くの方から現在の妙深寺の雰囲気をお褒めいただく。心温まる、家族のようだ、活気がある、感動がある、、、、、等々。しかし、私はもっともっと改良しなければならないことがあると思っているし、自分も含めて、妙深寺の欠点はたくさん見えている。そこを何とか、今の教務部が一丸となり、さらなる改良を実践し、ご弘通発展に向かうことが大事だと思っている。
だからこそ、昨日の教務会では楽観的な話ではなく、非常に厳しい面、教区内の詳細なご奉公の状況、ご信者の抱えておられる悩み、家族や法灯相続に関する問題点などについて話をさせていただいた。そして、みんなで心してご奉公に当たろうと決意を新たにした。
そんな会議が終わり、フラフラっとした。実は、今日2日が病院での治療と処置で、1日の月始総講はほぼ一日絶食という状況だったのだった。教務会でもチューチューと病院から出された補給ゼリーや小さなビスケットを食べていた。
今日、朝から病院に行って治療を受けた。恥ずかしながら、小さなポリープを取っていただいたそうだ。う~ん、ありがたい。しかし、断食から11月がスタートするなんて、ラマダンのムスリムみたいやなぁ。いや、ラマダンは夜中にガツガツ食べられるし、健康に悪いなぁ。でも、これを機に、もっと健康に気をつけよう。身体を絞ろ。