ミルトといえば、神奈川布教区のグランデ・ファミリアで、イタリアを代表してご紹介した人である。私の2度目のイタリアご奉公の時、彼は私のインタビューに応えてくれた。彼が妻のエンリカといただいた御利益、何度か子供を流産して諦めようとしたが、良誓師からのご指導をいただいてお参詣を開始した。そこにイタリアのご信者さんたちが代わる代わるお助行してくださるようになり、エンリカは無事に妊娠することができたのだ、という感動的なお話だった。
それにしても、この悠樹・フィリッポ。まぁ~、今回で二度目だったのだが、ヤンチャで元気で、うちの次男坊と同じくらいモンスターだった。僕の前で犬とずっとボクシングをしていたし、お看経の前に小さな犬用の出口に身体を突っ込んで抜けられなくなっていた(笑)。いや~、元気なのだから、有難いなぁ。
「御題目をお唱えする」ということは、こんなに身近で、大切なことなのだ。ミルトの姿勢から教えられる。だって、みんな、愛する彼女との、最初のお泊まり旅行で、朝のお看経をしっかりできる?そのくらい、ご信心が本物、本当だということだ。これはすごいよ。
今や、エンリカは素晴らしいご信者さんになられた。彼女の御題目口唱は誰より思いが込められていると感じる。そのくらい彼女のお看経の姿勢は素晴らしい。
ミルトは保険関係の仕事をされているが、ここ一年ほど仕事の状況がよくなかったという。ただでさえ、今のイタリアは経済状況が厳しい。一人の収入で家族を支えていくことは容易なことではないと聞いた。そんな状況にもかかわらず、彼は持ち前のご信心で毎日欠かさず親会場へお参詣をされ、お参詣をされるたびに御有志をされ、事務の役務ご奉公にも励まれてきた。こうして功徳を積んでいる人が必ずいただくように、厳しい状況だった彼も、最近になって仕事の量が倍に増えたという。今借りている仕事場のオフィスを購入することが視野に入ってきた、とこのお話を翻訳してくれた麻樹ちゃんから教えていただいた。
日本の若い人たちに教えてあげたーい。なんか、邪魔そーに、格好わるそーに、端っこに追いやられる雰囲気があるからなぁ、日本。それって、結局はご信心が自分のものではないということだ。押しつけではなく、自分で、精一杯の思いを込めて、「御本尊さまを自宅に迎える」という気持ちが大事。御宝前が自宅にあるのと、無いのとでは、天地雲泥の違いだ。無くても良いと思って生きていることこそ、幸せへ遠回りしていることなのに。
ありがたい。
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