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2008年9月30日火曜日
ブラック・マンデー
2008年9月28日日曜日
スラム街でのご奉公 (動画)
アドレスをたどってみると、活き活きと、ブラジルでご奉公してくれているひろし君の姿が。斉藤御導師や御講師、吉川さんご家族やお教化子たちの手によって、8月の青少年の一座で、お参詣者が持ち寄ってくださったおもちゃが、確かに厳しい環境で育っている子どもたちの手に渡っている様子が、克明にレポートされていた。本当に、ありがたい。
実は、土曜日の夜、ブラジル教区長である斉藤御導師が横浜妙深寺にお参詣くださった。今回の来日は、ブラジル本門佛立宗の開教100周年にお参詣くださった寺院の一つ一つに御礼されるためということだった。心から恐縮し、その姿勢、そのご奉公に、本当に有難く、頭が下がった。
夕方、横浜に到着され、妙深寺に一泊してくださった。夜の補講にまでお参詣くださり、翌日の朝参詣でもご挨拶をいただいた。丁寧な御礼のご挨拶と、その後で、やはり先日のひろし君のご奉公に対してのお言葉があった。斉藤御導師ご自身も、あの場所に入ったのは初めてだったという。警察ですら、その地域の「ボス」に「許可」を得なければ入れないということだった。そのくらい危険な場所なのである。
斉藤御導師は、今回の青少年の一座のご奉公を受けてくださり、ひろし君と一緒に陣頭に立ってご奉公くださった。それは、ひろし君からのメールにもあったとおり、日本に出発する前日のご奉公であったという。大変なスケジュールの中、また危険を顧みず、ご奉公くださった。
さらに、斉藤御導師は、必ずや、このご奉公を続けて、あの地域に、苦しんでいる子どもたちのために、御題目をお伝えしたい、ご弘通ご奉公に精進させていただきたいと仰っておられた。大変に感動させていただいた。
まさに、いろいろな御縁がつながって、心と心がつながって、本物のご信心が伝播していく。言葉少なな斉藤御導師は、「こうした本物のご信者さんが、世界に100人欲しいですね」と仰っておられた。「100人」。そう、100人でいい。同感だ。なるほど、そう考えたらいい。今の世界に、100人でも、どんなことがあっても、上行所伝の御題目をお伝えさせていただこう、それしかない、やろう、やろうじゃないか、と声をかけ、励まし、実践する人が、100人でもいたら。斉藤御導師は、ブラジル人の自分でも入ったことがなかった危険な場所に、様々な手だてを作ってご弘通しようとしているひろし君の行動、ご奉公に心打たれ、「自分を反省しました。今まで何やっていたんだ、と思いました」と、妙深寺のご信者さんの前でお話されていた。前夜、「100人でもいたら、もっともっと世界は良くなります。頑張りましょう。世界を変えましょう」と御導師が話しておられた言葉が耳に残っている。
人数の多少によらず、異体同心はご弘通の基本。お寺の大小を比ぶるはアホ。そのお寺に、どこに出しても恥ずかしくない、本物のご信者さんが何人いるかが勝負、と教えていただく。本当に、お祖師さまの御本意を知り、人間の本業に目覚め、ご弘通を志し、実践する人。艱難辛苦を乗り越えて、苦難や困難に立ち向かい、臆することなく生きる人。徳は人にゆずり、苦労は自分に引き受ける人が、何人いるかが勝負。頭数がいても、本物がいないのでは話にならない。臆してどうする。開導聖人も、「だまされな贋(ニセ)の信者の多き世や」と御教句をお遺しになられている。そうした、本物のご信者さんを、何人育成させていただけるかが、教務のご奉公ですね、と斉藤御導師と語り合った。有難い。さらに、頑張ろう。
では、You Tubeの動画のリンクを掲載させていただく。 青少年の一座で、おもちゃを持ち寄ってくれた人たちに向けた、斉藤御導師の御礼の言葉から動画は始まる。ぜひ、ご覧いただきたい。
涙のご回向
2008年9月26日金曜日
横浜とJazz
会場は、横浜の中の横浜、開講記念会館。こんな素敵な場所をお借りして、大切な授業が行われている。有難い。
この赤煉瓦づくりの開港記念会館は、大正6年に横浜の開港50周年を記念して市民の寄附金により創建された横浜を代表する建造物。国の重要文化財でもある。
何と言っても、そのシンボルは「時計台」。36メートルの通称・ジャックの塔。明治末の焼失、関東大震災での倒壊や火災などを乗り越えて、復旧創建当時の姿を今に残してくれている。内部は公共施設として講堂や会議室を安価で提供してくれている。私たちもその恩恵に預かっているというわけだ。
今日の授業は宗学。宗学とは本門佛立宗の教義の根幹を学ばせていただく科目で、極めて大切な授業だ。なかなか、日頃から拝見しておかなければ忘れてしまっている特殊な言葉も多く、農道を走っていて突然高速道路に紛れ込んでしまったかのような感覚になる。フルスロットルになるまでに時間が掛かる(汗)。しかし、コツコツと、有難く、文字面だけではなく、信心として血肉になるように、実際の行動・菩薩行へと昇華できるように、腹にしみ込ませてゆくように、学ばせていただかなければならない。
とはいえ、ボーッとした頭で昼食へ。テクテクと横浜の中心街を歩く。先日、この近くを歩いていて驚いた、Jazzバーばかりがある交差点に立った。この前、この交差点の近くにあるお蕎麦屋さんで昼食をいただいたのだが、その角にある大きなジャズライブバーや小さなジャズのお店がたくさんあるのに驚いていた。40年近く横浜に住んでいるのに、こうした場所に来ることもない。なるほど、横浜は深い。
最近、聴いている音楽といえばゆっくりとしたJazzが多い。今年の4月、ブラジルを訪れた際に学校で音楽を教えておられる先生から本場のボサノバを教えていただき、CDまでプレゼントしていただいた。昼間聴いていると元気が出て、夜聴いているとしっとりする。同じ曲なのに色々な顔を見せてくれる。
音楽はいい。個人的には、しっとりと、シンプルなものが好きなようだ。チェット・ベイカーなど、独特な感触の声とトランペットを聴いていると、何ともいえないゆるやかな気持ちになる。ダイアン・リーブスの歌、特にMistyも好きな曲。俗っぽい話で申し訳ないが、真面目に勉強しつつ、こんなことを考えて歩いていた。
2008年9月24日水曜日
ブラジルのスラム街へ
ブラジルのひろし君からメールが来た。
有難いことに、ひろし君は第2回 青少年の一座 東京シンポジウムの際に、「ブラジルのスラム街におもちゃを送ろう」と呼びかけ持ち寄ってくれたおもちゃを配ってくれるというご奉公をしてくださった。アメリカ、ブラジルと、お仕事での出張ではあったが、いつも現地のお寺にお参詣し、特に今回はブラジルの斉藤御導師と共に青少年の一座で集まった私たちの温かい気持ちを届けてくれたのだった。
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清潤師さま
ありがとうございます。本日は、日教寺の朝参詣に行かせて頂きました。私の3人の教化子も一緒です。そしてクリスも・・・。そこで、吉川さんの息子の友人の方をお教化させていただきました。彼は2ヶ月ほど前から、お寺に来ていたのですが、どうしても決心がつかなかったそうです。いろいろとお話をさせて頂いた結果、気持ちよく入信してくれました。斉藤お導師も吉川さん親子も大変喜んでいただけました。本当にありがたいです。
そして、そのあとおもちゃ配りをさせて頂きました。本当にありがたかったのは、斉藤お導師が本日、日本に出発する日であるにもかかわらず、同行していただき、最初に訪れた保育所(スラム街の子供たちの一部を昼の間、ボランティアで預かっている)まで、ご本尊をおたもち下さり、みんなで(20名くらいの子供たち)お題目をお唱えさせていただいたことです。また、子供たちは、おもちゃに関して本当に本当に大喜びをしてくれました。ありがたく嬉しくて(決して可愛そうではなく)涙が出ました。本当に良かったです。
その後本物のスラム街に警察の方たちと行ったのですが、想像を絶するくらいひどいところでした。知らなかったのですが、保育所にいる子供たちは同じところに住んでいるとは言え、昼間の間は保育所で勉強や食事が出来るので、実は、すごく恵まれている方だったのです。
なぜなら警察が関係している保育所ということで、大半の親が嫌がってこどもを行かせず、1日中、麻薬や暴力、犯罪の真っ只中で、生きなければいけない子供たちが、まだまだ、そこには数百人もいたからです。警察の車5台(10数名の警察官のみなさん)と斉藤お導師をはじめとして教務さんが3名、そして私の教化子3名にクリス、吉川さんのお母さんと息子の全員で行かせて頂きましたが、斉藤お導師をはじめ、地元の方々が誰も今までスラム街に入ってことがなかったことから、その事情がつかめず、全員びっくりして、ここではご本尊をおかけしてお題目口唱ができませんでした。
なにしろ、ここでもおもちゃを配らせていただいたのですが、とにかく無秩序で子供たちが車に殺到し、たいへんな騒ぎだったのです。ただ、救いは、それでも子供たちは日本からのおもちゃに目を輝かせ、大変に喜んでくれたことです。全部、拾った木を集めて作られた家は、狭く暗く日も差さず不衛生で、本当に悲しい場所でした。それでも子供たちだけでなく大人も、みんな人なつこい人たちでした。そして本当に今日一日で、たくさんの人たちと握手をさせて頂きました。
私は、教化子プラス吉川さんの息子プラスクリスに、「ここに、いくらお金を持ってきたとしても、家をきれいにしたとしても彼らの生活は変わらないし、苦しみは変えられない。彼らを救えるのは本物の仏教、お題目しかない。だから絶対に、ここにいる人たちだけではなく苦しんでいる人たちにもっともっと、お題目をお伝えしていこう」と話して、みんな気持ちを、一つにし改めてご信心に燃えました!ありがたい!
そして、斉藤お導師と必ず、ここに戻ってきてお題目を、ここの皆さんに(子供だけではなく)お伝えしましょう、とお約束をさせて頂きました。なので、次もおもちゃを持って再びブラジルに来て、今度はスラム街の子供たちにお題目をお伝えさせていただきます。そのときは、是非ご住職とご一緒させていただきたいです!日水上人が生きていらっしゃったら、お一人でも、このスラム街に入っていかれ、ご弘通をなさったと想像し、また燃えてきました!
さらに、あらためて青少年のみんなの気持ち、海を越えた思いやりの気持ちに本当に感動しました。実際は青少年のみんなの力なのに、代表してこのような場所にこさせていただいたことは、申し訳なく、ありがたく、もったいなく本当に言葉がありません。
でも子供たちには、みんなの気持ちが絶対に伝わりました。本当に大喜びをしてくれたのです。 本当に本当に、いろいろなことを教えていただきました。ありがた過ぎます。死んでもがんばります!
今日の模様は、ビデオで撮ったので、またお見せできます。みなさんにも是非、ご披露させていただきたいです。ご住職にも心から御礼が言いたいです。本当にありがとうございます。また現薫師、信仰師、ケンジ、多大なるご奉公、本当にありがとうございました。
最後になりましたが、青少年の一座のスタッフのみなさんへのご披露は、どのようにさせていただいたら良いか教えていただけますと幸甚です。、ここに書いてあるようなことを、そのままお伝えさせていただいても宜しいのでしょうか?では、引き続きがんばります!
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上記のようなメールをいただいた。本当に、本当に、いろいろな協力を得て、同悲同苦の菩薩行、和光同塵、教弥実位弥下の実践。机上の空論など、何の意味がない。仏教は実践、絶え間ない菩薩行の行動ということを、痛感する。若者たちの思いが、ブラジルのスラム街に届いた。御仏の教え、お祖師さまの大慈大悲、御題目の光が、苦しむ人々の心に届いた。
帰国を待っています。
2008年9月22日月曜日
明日は秋季総回向
かわいいモンスター
2008年9月20日土曜日
ウェブ会議システムの活用
2008年9月17日水曜日
備えあれば憂い無し
2008年9月15日月曜日
中秋の名月
2008年9月13日土曜日
スリランカへの団参
2008年9月11日木曜日
7年目の9.11
あの夜、確かキッチンでニュースを観ていたと思う。先住がご遷化してから時間が経っておらず、手探りのご奉公を必死に続けていた頃だった。
衝撃的な映像だった。私たちが観ていたのは、ウェザーニュース用の定点カメラだったと思うが、それでも黒煙に包まれるニューヨーク、そして、あの街の象徴だったワールド・トレード・センターの燃え上がる映像は身を震えさせた。
私は、すぐに友人たちに電話をした。訳も分からず、とにかく電話した。家族は揃っていたが、これから一体どうなるんだろう、覚悟しなきゃいけない時代が来た、というようなことを、横目でテレビを観ながら話していたと思う。
全世界の人の現前で、あの事態を見せしめることがテロリストたちの思惑だったに違いない。ある意味で、その意図は達成されてしまった。私たちは、恐ろしい時代の幕開けを、あの映像から思い知り、そして事実、恐ろしい時代の幕は切って落とされたのだった。
今朝、妙深寺ではYaccoさんが同時多発テロの犠牲者に対してご回向をしてくださっていた。お参詣の方々も同じ気持ちで御題目をお唱えになったと思う。もちろん、7年前の今夜、あのニューヨークで起きたテロの犠牲者のみならず、あのテロによってヒステリックに行われた対テロ戦争、政権浮揚をも狙ったかのようなブッシュ政権が推し進めた「不朽の自由作戦」と、偽の衛生写真を見せつつ突き進んだイラク戦争など、あの夜を起点として起きた紛争とテロ、戦争による膨大な犠牲者の方々の霊を、心から悼んだ。
精神的な病いではないが、「オール・オア・ナッシング」の選択肢を狭められた状態で、進められた戦争。日本も、「国益」と称して追従することを余儀なくされた。余儀なくされたといえば語弊があるかもしれない。当時の小泉首相の判断は、国民の得知らぬ米国との密約を察するに余りある迅速な対応だった。「国益」ということは、あの戦争によって犠牲となった全ての人々と、その後の世界に対して私たちには責任があるということである。「自分の利益」によってあの戦争を肯定していることになるのだから。私も含めて、である。恐ろしいことだ。
米国同時多発テロの衝撃は、あの夜に限定されたものではなかった。あの夜、犠牲になった方々だけが犠牲になったのではなかった。あの夜を皮切りとして、テロリストたちの意図したところに引きずり込まれた米国との戦闘、攻撃、テロリストの反撃、テロ、報復によって、世界中の人々、特に犠牲となった非戦闘員である子どもたちや女性たちが相次いでいる。先日のアフガニスタンで命を落とされたNPOの方も、7年前の夜から始まった一連の紛争による犠牲者であるかもしれない。
こうした一連の出来事を経済的な理屈が後押しする。いま、イラクでは石油企業が跋扈し、その利権を西欧諸国が競って獲得しようとしのぎを削っている。ロシアなど、石油燃料資源を国際政治の強力な武器として活用しようとしている強国が誕生している時代にあって、中東、特に膨大な原油を埋蔵するといわれるイラクを安定化させることは責務であったという声も絶えない。テロによって不安定化すれば、日本のライフラインである安全な航路を確保できないという事実もある。だから、現在に至るまで、あの夜から始まった戦争は肯定され、支援すべきだという理屈だ。
政治の責任は重い。そして、その政治は、突き詰めれば国民一人一人の責任となる。しかし、情報は国民にとって非常に限られている。私たちは、限られた情報の中で選択を強いられ、そうであるがために立場を保留しながら、無為に時間を過ごしてしまう。今でも続く紛争は、深い傷を人々に残しながら、同じようにこれからも大きな代償を強いてくると思う。
私は、同時多発テロで攻撃を受けたとされるペンタゴンを見て、複雑な心境になった。去年もワシントンに訪れたが、テロ後に初めて訪れたのはブッディスト・トランス・アメリカの収録の約4年前だった。私には、このペンタゴンに対して本当に攻撃があったのかどうかは分からない。陰謀説などを唱える本が何冊も出版されている。私もそれらを読んだ。限りなくクロに近いが、何とも確証には至らない。これも、ブッディスト・トランス・アメリカで訪れたダラス、あの場所で起こったケネディー大統領の暗殺事件と同じように真相は闇の中なのだろうか。
ワシントンのホワイトハウスの前に、年老いた女性がいる。映画「華氏911」のラストにも登場した女性である。彼女は、過去何十年も世界最強の超大国であるアメリカの元首、ホワイトハウスの前に野営して反戦・非暴力を訴えている。確か、彼女は国連に勤めていたはずだ。反核運動に身を投じ、彼女のテントの前には広島や長崎で被害を受けた子どもたちの写真も並べられていた。なんという勇気、行動だろう。
1981年、全てを捨てて彼女はこの場所に居座ろうと決めた。本当のところ、彼女の心に何が起きたのかは分からない。しかし、猛烈な焦燥感、正義感、危機感によって、彼女は世界最強国家の元首に対して直接行動をすることを決めた。
アメリカの多くの人たちは、「彼女が居座ることを許しているアメリカこそ、やはり民主的なのだ」と言うかもしれない。確かに、ロシアや中国では一夜で退去させられているかもしれない。しかし、彼女も同じだ。何度も退去を命じられたが、不屈の精神で戻ってきた。アメリカの民主主義は、単に矛先をかわすだけのためにあるのではないはず。
私には、彼女を気が狂っていると言い切る気持ちはない。彼女の行動に対して敬意を抱いている。今年、彼女にはカステラの差し入れを持って行った。ワシントンの街並みは凍てついていた頃だったので、とても喜んでくれていた。30年近くあの場所にいて、反戦・反核を訴え続けてきた彼女の、使命感と行動力が私にあるだろうか。常に、反省させられる。評論家にはなりたくない。私も、2003年11月、イスラエルに向かった。あの当時、行動しなければいてもたってもいられなかった。あの紛争の近くに身を置き、愚かな人間の行為を学びたいと思った(しかし、相次ぐ渡航者の拉致や誘拐、殺害事件を見聞きすると、今でこそそれらが無謀であることも学習したが)。
私は、当然ながら、本門佛立宗の僧侶として、こうした一連の事件の背後に宗教的背景を見出していた。「文明の衝突」というつもりはない。どうしても単純化できない。しかし、イスラエルに渡航しながら、過去から現在に至る大きな歴史の流れの中の、カルマとしての憎悪の連鎖、そして近・現代に於ける中東にまつわる歴史、アメリカの政治を左右している宗教団体やユダヤロビーについても学ばせてもらった。
そして、エルサレムの城壁の上で、気が遠くなるほど複雑に絡み合った糸をほどくためには、同じ時間がかかると考えた。つまり、3000年か、5000年か、と。ただ、私たちには御仏の教えがある。とにかく、真実の仏教が、一人一人の心を通じて広まってゆく必要がある、伝えていく必要がある、と確信した。それは、政治的な活動では叶うはずが無く、現在まで続く海外弘通と、それと連動した国内での佛立信心再発見、ご弘通ご奉公でなければ達成できないと思ってきた。とこで結びつくのかと思われる人もいると思うが、私の中ではつながっている。
ワシントンからフィラデルフィアを経由してニューヨークへ。ひろし君と一緒に訪れたグランド・ゼロ。あの同時多発テロの起きた現場で、御題目をお唱えさせていただき、短い時間だったが御本尊をお掛けし、正装し、一座を勤めさせていただいた。ほんの、わずかな時間、しかし、私にとっては、深い、深い、重い、重い、大切な時間だった。あの時、様々なことを願い、そして誓った。あの日の夜、ニューヨークのホテルで泣いた。
グランド・ゼロから近い教会に、犠牲者の遺族たちが捧げたモニュメントやメッセージを飾っている教会がある。私たちは、そこを訪れ、それらを目にした。突然の悲劇に、癒えない深い傷を背負ったご家族の悲鳴が伝わってきた。しかし、同時に、それらは、あの日以来続く悲劇の先にいる家族と同じ、癒えない傷である。
自分の家族を想いながら、突如として愛する人と別れなければならない苦しみを想像した。無論、第二次世界大戦の東京や横浜等で行われたで大空襲や広島・長崎の原爆による犠牲者やそのご家族をも想い返す。妙深寺にも、多くの犠牲者のご家族がおられ、そのご回向も毎月させていただいている。
しかし、この場所の出来事は、現在も進行している戦争の、ある起点であり、その戦争の一端を我が国も担い、未来に対する責任を負っていることを思い起こさなければならないのだと想う。
文章がまとまらないが、明日は龍ノ口の御法難の日である。来年は立正安国論上奏750年。私たちが感じなければならないこと、やらなければならないことが、たくさんあると思う。もっともっと、私たちも行動しなければならないのではないか。自分のためだけに動いていると、結局は自分たちを追い込んでしまうことになる。他を想い、そして自分の出来ることを考えるべきだ。
「Think Globally, Act locally」
先生がブログで書いていた言葉を思い返していた。今日、いろいろな想いを抱いて、これからのご奉公のことを考えていた。
信心という行動
『妙深寺報』 9月号
御講は佛立宗の命ともいわれるもので、各ご家庭では教区のみなさんのご奉公をいただいて準備を進めてくださり、導師を迎えられる。
今年から、10時、12時、14時という開始時間で横浜各地を廻っていく。移動時間は10分から30分程度で、各ご家庭には多くのお参詣者が集い、奉修導師の到着を待つ。
妙深寺報の9月号は、8月に奉修された鈴江御導師の特別御講の特集である。また、夏期参詣と特別御講の際にお話してくださった方々の記事も掲載されている。今回も読み応えがある。
中でも、お父さまの病気と青少年の一座を通じて様々なことを感じ、お計らいをいただいたと語ってくれた森山くんのお話は目頭が熱くなる。素敵な青年だなぁと、佛立信心をいただいている青年の感性の素晴らしさ、優しさ、思いやり、感謝の気持ちに頭の下がる思いがした。むしろ、こうしたお話を聞いていると私の方が日々の自分を反省する気持ちになる。
裏表紙は、青少年の一座のスナップを集めたもの。綺麗に整えてくださり、有難い。もう、夏も終わりに近づき、横浜には涼やかな風も吹いているから、あの暑さの中で奉修された「青少年の一座」も遠い日の出来事のように感じられるが。
現在、鋭意DVDを制作中。一人でも多くの方に、あの日の模様と感動が伝わるようにと思って頑張って編集作業を進めてくれている。
青少年の一座は、まだ終わることなく続いている。九州では第3回の準備が進んでいるし、第2回の実行委員会でも一緒にご奉公した方々との絆を大切にして、お助行の輪を広げてくれている。
2008年9月9日火曜日
事故米?汚染米?
それについて、誰に頼ったら良いのか分からないし、対応が見えてこないのが、もっと恐ろしい。誰が誰を守っているのかな?政治、悪いですね。
2008年9月8日月曜日
どうなってるの?
ジャーナリズムの問題も語られている。時間が経てば社会には腐敗がつきものだから仕方がないと言われればそれまでだが、各界と報道機関が密着して、社会部がスクープを取り上げても政治部がそれを取り下げさせるなど、異常な状態が続いているというのである。こうした癒着はメディアで仕事をしていれば容易に想像がつくが、何とも情けない。
今夜は「鹿児島産うなぎ」と表した商品が産地偽装していて、それをニュース番組が購入し、検査機関に持って行って、偽装が明らかになったというもの。それを取材し商品を購入したのが神奈川県というのだから、地元である。なるほど、産地偽装の問題も身近な問題として受け取ることが出来て有難い。
報道番組では、厚生労働省にもその商品と検査結果を持ち込んだ。食品Gメンなる方々(名前だけ非常に権威があるように思う。確かに、これは連邦捜査局/FBIの捜査官、「Government men」という言葉の略なのだから)が出てきて、「これは怪しいですねぇ」と言うのみ。そこからはレポーターが偽装が発覚した会社の会長に突撃インタビューを行って、理不尽な回答を得て終了。何とも、またイヤな気持ちになる報道だった。
この国には、政府があるのか、その政治・行政を支える官は機能しているのかと、恐ろしく不安に思うし、憤りを感じるのが普通だろう。誰が守るのだろう、誰が取り締まるのだろう、この事態を。JAS法の問題点をコメンテーターか解説者が述べていたが、それを是正し、改正していくのが政治家の責務なのである。それを忘れて、何の存在意義があるのだろう。
本当に、情けない。総裁選挙などで惑わされている場合ではない。株式会社・自民党、株式会社・民主党など、そのレベルの低い話に付き合っていたら仕方ない。本物の政治家がいないものだろうか。既得権益の代表者として仕事をしている小粒な御用聞きのようなことでは、国家の運営は出来ないのではないだろうか。人々の関心を引く消費者庁などを作って、また膨大な経費を浪費するよりも、現在の法の盲点をあぶり出し、社会に内包する問題点を改善するために既存の省庁に本来あるべき仕事をさせることが政治家の勤めではないのか。
あぁ、今日は夕食後も、ニュースを観ていたがためにイライラしてしまった。こんなことではいけないな。ニュース、観ない方がいいかしら。いや、国民として放置していて良いわけがないな、こういう問題は。