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2009年1月31日土曜日

失業率10%へ

 失業率の悪化について報道された。
 確かに報道が経済の悪化を叫びすぎだというのも事実で、こうした報道が消費を冷え込ませ、経済をさらに悪化させているのも確かだ。今の状態は、俗な言い方をすれば「これまでのツケが回ってきた」ということだから、もっと人間の生活や社会について深いレベルでのリーダーシップがなければ行く先もない。このまま政治不在の日本であれば光は見えてこない。
 4月以降、失業率はもっとひどい数字になると思う。恐ろしいことだが、10%を越えるかもしれないと思う。財布のひもを固くして、消費を冷え込ませるために書いているのではない。しっかりと行動を起こさなければならないということを申し上げたい。この時代でも、伸びている産業、伸びている企業、明るい会社、売上が好調な店舗、充実した家業がある。その本質を学び、自分でも行動を起こし、そこに突き進まなければならない。止まっているだけでは、決して幸せにはならない。行動を起こせ。負けるな。
 信行ご奉公もしかり。功徳を積むということは、こうした時期こそさせていただくべきだ。

スリランカの立正安国

 スリランカのセンターには、名古屋・建國寺の石川日翠上人の書、「一天四海皆帰妙法」という掛け軸と「立正安国」という掛け軸が、御宝前の両脇に掲げられている。
 私も同じ二つの掛け軸を、石川御導師に無理をお願いして頂戴した。一つは妙深寺本堂の御控之間に、一つは庫裡の御宝前の間に掛けさせていただいている。
 今年は立正安国論上奏750年の御正当年。まず、御法門では石川御導師の掛け軸の意味をお話ししながら、お祖師さまが何を教えられたのかを説かせていただいた。まず、人の心に正しいDharmaがあること。そこが起点であり、その輪が広がることで国や世界に平和がもたらされること。人のせいにはできない。まず、人の「心」であること。法華経本門の教え。

センターでの御講

 ここからはディリーパ君がオフィシャル・カメラマンとしてご奉公してくださった。私は一人で渡航しているので、カメラマンを兼ねるのはなかなか難しい。御講やお助行のご奉公に集中したいけれど、ブログなどで報告もしたい。ビデオカメラも持って行ったが、今回は断念。しかし、ディリーパ君がカメラを持って上手に撮っておいてくれた。
 センターに到着すると既に部屋から溢れるほどのお参詣者が待っていてくださった。今回は各地を廻るので、遠隔地からのお参詣はない。コロンボ近郊のご信者の方のみお参詣しておられたのだが、これだけ大勢のお参詣があることが嬉しい。みなさんにご挨拶させていただいた後、すぐに御講を奉修させていただいた。
 以前、スリランカに来た際にはお数珠を持っていない人が多かった。結縁の人、はじめて御題目をお唱えする人が多かったからだろうか。とにかく、年々「私はHBSのメンバーである」と自覚し、御本尊を自宅に奉安していただき、継続してご信心する方が増えてきた。あれから何年だろう。日本からお数珠を御有志させていただき、多くのお寺やご信者方が協力してくださった。京都の「中郷」さん(有名なお数珠屋さん)も、大変なご協力をしてくださった。いま、お数珠を求める人が多く、それらを頒布してゆく中で、多くのご信者方が見るからに「佛立信行をしっかりされているな」という状況になってきたのだろうと思う。嬉しい。

スリランカのファーストフード

 御講と御講の間、お迎えに来てくださったGamage氏と、道の途中で待ち合わせしたDr. Mirandaが合流してランチを取ることになった。いわば、「スリランカのファーストフード店」。二人とも私がスリランカの料理に何の抵抗もないことを知っているので、ここに案内してくださった。
 誤解していただきたくないので書かせてもらうと、コロンボ市内にはビルも立ち並んでいるし、コンクリートの建物もある。しかし、このお店は土塀で出来ている。最近日本の店舗などで塗り壁のデザインがあるが、このお店などは「本気の塗り壁」で(笑)、思い切りひび割れていて楽しい。スリランカの、このお店にとっても、こういうセンス、こういうデザインでしておられるのだろう。ほんと、美味しさが増す。
 きっと、何千年も前から同じように料理をし、同じように料理を並べ、同じように食べていたのだろうなと容易に想像できる。 あの土鍋、あのかまど、そこに入れられた食材、香辛料のきいたお料理。 インドやスリランカなど、発展の途上にある国について偏った情報で恐れを抱いている人が多いが、私はインドでもスリランカでもお水に当たったとか、食べ物でお腹を壊したということがない。もちろん、気をつけているからだが、こういうお店での食事も、ご信者さんのお宅で出していただく家庭料理も、すべていただいても何の問題もない。有難いことだ。
 これは身体が丈夫とか、そういうことではないように思う。御法さまからのお計らいはもちろんだが、スリランカは特に暮らしに関して清潔な国だと思う。海外でお腹を下す方の大半はストレス性のものだということだし、過剰な心配はしない方がいい。日本だって「危ないな」と思う場所で購入した食材はこわい。水も食べ物も、怪しいものは食べないものだし、どの国でも危ない。それよりも、食材の産地を偽造したり、一人50000円もする高級料理店「吉兆」などで一度出したお料理を信じて食べている方が恐ろしい。
 一度、現地で食事をしたら忘れられなくなる。本当に美味しいのがスリランカのお料理。みんなで楽しく食べる。食事中の話にも花が咲く。ずらっと並べられた土鍋の中から自分が食べたいものを選んでお皿に乗せるビュッフェのような食べ方と、もう一つは大きな葉っぱの中に食材を入れ、チマキのように蒸して料理されたものがある。今回、ミランダ博士のお薦めで、私はGamage氏と共に葉っぱに包まれたものをいただいた。本当に美味しかった。絶妙に味が染み込んでいて、「こりゃスリランカ風のチマキだ」と確信した。みなさん、いろいろと考えてくださっていて、日本人の舌を心配しておられる面もあるが、私には心配無用。ご供養、ありがたく頂戴した。
 ゆで玉子が入っていたり、煮魚が入っていたり、野菜やお米が一緒に入っている。それを食べるスプーンやフォークが曲がっているのも楽しい。ちょっと、横浜ではこんな風にご奉公することがなくなってしまっていて、楽しんでしまった。御講と御講の間の、ファーストフード店でのご供養。横浜でも、こうしたご奉公があってもいいな、と思った。

2009年1月29日木曜日

原正雄さんの思い

 昨夕、日本に帰国した。16時に成田に到着したが、17時半から新宿で打ち合わせがあり、成田からそのまま新宿に向かった。アメリカでのご弘通について、海外部長のご指導の下で国際弁護士の方に相談させていただき、非常に有意義な時間となった。
 今朝、朝は寒参詣。御法門の前に無事に帰国した御礼をご披露し、スリランカでのご奉公の概要についてお話させていただいた。とにかく、多くの方々が毎日ブログをチェックしてくださっているのだが、今回のスリランカご奉公では全く時間が無く更新できなかった。朝の8時からホテルを出て深夜まで外のご奉公。部屋に戻っても日本からのメールの返信に追われ、倒れるようにベッドへ。コロンボからGalleに移動した3日間はホテルの部屋にテレビもインターネットの環境もなかったから、更新が不可能だった。近況をお知らせすることができず、本当にご心配をお掛けして申し訳なかったとご挨拶させていただいた。しかし、とても内容の濃いご奉公となった。
 スリランカには自宅を開放したセンターがいくつか出来ている。「メイン・センター」と呼べる大きなホールのある場所もある。1つはウィージェセケラ氏のセンターで、土曜日の10時から御講を(Oko Meeting)を奉修させていただいた。9時にホテルまでアルンダティー姉が迎えに来てくれた。
 このセンターには妙深寺の元局長・原正雄氏が護持されていた大御本尊が奉安されている。この大御本尊は津波支援の際、被害地域での野外法要などで奉安される時のためにスリランカに奉迎させていただいた。その後、スリランカに渡航してみると、このセンターのメイン・ホールに奉安されていた。しかも、立派な大きな額に納められており、思いがけぬことに驚いてしまった。
 不思議なことに、こうした経緯の前後に、原さんとスリランカとの御縁が交錯している。津波支援の後、10名近くのスリランカ信徒が来日し、妙深寺にもお参詣くださった。その時、原正雄氏の奥さま・原しげ子さんがスリランカの方々と交流し、いたく感激してくださった。スリランカの方々のため、スリランカでの御弘通のために何かしたいと申し出てくださり、何と自宅を売却した資金の一部を御有志してくださったのだった。その亡きご主人の御本尊がスリランカのセンターに奉安されているとは。自宅の二階を改造して、さらに大きなホールを建設することになり、その経緯を説明して建設費として御有志をさせていただいた。
 昨年の10月、スリランカ開教10周年の際には、建設中のホールで御講を奉修させていただいた。原さんも涙ながらにお参詣され、知古のスリランカ信徒の方々と感激の再会、またホールの壁に掛けられたプレートを見て、そこに自分の名前が彫られているのをご覧になり、感激しておられた。原正雄さんのご信心、ご弘通の思いが、このように結びつけられたことに、心から感謝されていた。あぁ、このようにご信心、ご弘通の思いは受け継がれていくのだなぁ、亡くなっても、なおご奉公してくださる佛立信徒の真髄を見せていただいたような気がする。
 原正雄さんは、妙深寺初代ご住職・日博上人の右腕、永らく局長としてご奉公され、第二代ご住職・日爽上人の下でも献身的なご奉公を90才を越えられるまで続けられた方である。妙深寺が、横浜駅近くの岡野町から三ツ沢に移転する際にも、並々ならぬ尽力をされた方である。今でも、「この人は」と思えるような方が原さんに関係するお教化で、そのご奉公ぶりは今でも生きている。その原さんのご奉公がスリランカで生きている。妙不可思議なおはからい、御縁だと思う。
 御講は、まずお看経をいただいて、その後ウィージェセケラ氏のスピーチ、そして御法門。ウィージェセケラ氏は、私からのメールを読み上げてくださった。私は、今回のスケジュールの連絡が遅くなったために、ご信者方がお参詣できないのであれば御本尊さまへのご挨拶だけでもいいから伺いたいと書かせていただいた。その内容に感激してくださったそうで、「このセンターは、私たち家族にも帰属していない。まさに御本尊さまに帰属しており、HBSのご信者であれば、いついかなる時でもウェルカムであり、福岡御導師や長松御導師は事前に何の連絡をしなくても来ていただいて結構なのである。本来、HBSのセンターとはそのようなものである。私たちもお参詣とご奉公に今以上に励むべきである」とお話くださった。
 御講終了後、エカナヤケさんからお話を聞いた。私は、「ご家族みんな元気ですか?」と尋ねたのだが、彼は息子が学校の試験で大変な御利益をいただいたのだと話してくださった。
 スリランカの試験は、どの家族も子どもの将来を考えて日本以上に重要視している。それに賭けていると言っても過言ではない。その第1日目の試験で大変なトラブルがあり、家に帰ってみると妻も息子も暗い顔で、どうしようもない状態だったという。エカナヤケ氏は、「私たち家族には御本尊さまが付いてくださっているじゃないか。息子、お前にも御本尊さまが付いてくださっている。諦めたらダメだ」と言って、家族みんなでお看経させていただいたという。二日目、息子は御宝前にご挨拶して、お看経をいただいてから試験に行ったのだが、帰ってきた時の息子の顔は本当に明るかった。三日目も、英語の試験だったのだが試験がとても良く出来たと帰ってきてくれた。結果は、大成功。学校で1番になったのです。ちょうど、妻の50才の誕生日で、御本尊さまからいただいた何よりのプレゼントだったのです。私は確信しています。これは、間違いなくご信心でいただいた家族へのお計らいです、とお話ししてくださった。
 ありがたかった。この御講は土曜日、24日の午前。ご供養をいただいて、次のお席に向かった。

2009年1月28日水曜日

スリランカより帰国

 夕方、無事にスリランカから帰国。帰山後、御宝前に無事帰国・帰山の御礼言上させていただいた。今朝の新聞を見るとスリランカの記事。大統領の声明も掲載されていた。滞在中、スリランカにとって極めて重要な局面が訪れていたことを知った。ご祈願をいただいていた方々に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

2009年1月27日火曜日

突然タイトルが出なくなって

 昨日の夜、プログをアップした時から、タイトルの画像が無くなってしまった。最近、このブログも狙われているのかしら。変なことが続くな。それも仕方ないか。とにかく、あと数時間で帰国の途につきます。無事に、ご奉公が終了した。あと、ホテルを出発する20分前に一組のご信者さんが面会に来るだけの予定。ギリギリまで、目一杯のスケジュール。でも、ここまできたら、よほどのことが無い限りトラブルはないだろう。ありがたかった。

いってきます

 今朝も、早朝からホテルでミーティング。朝食の時間もなく、待ってくれていたが、そのミーティング中に次の方がお迎え。いってきます。

コロンボに戻って

 24日の朝、ホテルをチェックアウトして、午前の御講、午後の御講を奉修させていただき、その後そのままゴールを目指して出発。ゴールのホテルにチェックインした時には22時近くで、テレビもインターネットの環境もなく、そのまま就寝した。
 今まで、ゴール地域でのご奉公だったため、ブログの更新もできなかったが、とにかく充実したご奉公だった。メモ帳がいっぱいになってる。ありがたい。寝ます。

2009年1月24日土曜日

NIGHT SESSION

 今夜は、少し書けないこともあるが、スリランカ大統領がしばしば訪れるアメリカのスリランカ寺院の僧侶と、彼の寺院でのセッション。大統領ご本人は、昨夜からスリランカ平和構築及び復旧・復興担当日本政府代表の明石康氏が訪問中ということでスケジュール変更。しかし、非常に有意義な時間であった。

 彼の寺院には特別大きなスピーカーが設置されていて、綺麗な応接間から広い境内地に出ると特設の御戒壇が設置されていて、そこでセッションを行わせていただいた。

 なにせ、スケジュールの変更から今日の朝になってこのプログラムを組むのだから驚いてしまう。そして、「はい、話をしてください!」と来る。近隣に住む方々が100名くらいの参加。当然ながら日本人は皆無。彼らには、何がはじまったのかも分からないかもしれない。珍しい、日本人の僧侶が登場して、何を始めることやら、と。
 しかし、私の左手にいるアメリカ在住のご住職(ロスにお寺があり、訪米の際にはスリランカ大統領は彼の寺院を訪れる)が丁寧に紹介してくれた。

 驚くべきことかもしれないが、彼は丁寧に法華経について解説し、御題目についても説明する。「ホンモンブツリュウシュウ」と連呼して、法華経の「三車火宅の譬え」まで説き始めるのだから本当に驚いてしまう。「それ、意味、分かって、いらっしゃるのかしら、三車って、え?」と思うくらい、丁寧な説明。本当に有難い。

 少し練習して、参加者と御題目の大合唱。30分ほど、一緒にお看経をさせていただいた。その後、私のスピーチを30分。とても喜んでいただいた。有難かった。とにかく、時間がないので、また。朝から今まで。とても疲れてしまった。

2009年1月23日金曜日

バンコクの空港


 朝、ご信者さんからの電話で目が覚めた。午後のミーティングの連絡と確認。続いて、午前中にも面会したいという連絡。11時にお会いしましょうということで電話を切る。いよいよスタート。待ち構えていたかのようにご連絡をくださる。ありがたいことだ。
 朝食をいただいて、準備。資料を見て、頭の整理。横浜出発からスリランカ到着まで、まだまだ今回のご奉公の主目的でもある、10周年後のスリランカのご弘通体制についてビジョンが浮かんでいないように思う。福岡御導師と打ち合わせをさせていただいた内容を思い起こし、とにかく現地の方々の意見を聞き、それを集約したい。
 バンコクを経由したが、この空港がつい最近閉鎖されていたとは想像もつかない。これほど巨大な空港と商業施設を閉鎖してしまう市民の力とはどんなものだろう。仏教国の政治という側面からも、その時の政府の対応など考えさせられることが多い。
 いずれにしても、もうすぐ来客である。

無事、スリランカに着きました。

 一日中、移動を続けて、無事にスリランカに到着。空港から2回の検問に掛かっただけでホテルへ。運転手の方に聞いてみると、コロンボは極めて平静だという。
 LTTEの本拠地に迫る政府軍。今でも戦闘は続いているようだ。話によれば今日も激しい戦闘があったようで、双方の死傷者が出ているに違いない。パレスチナの問題とは異なるにしても、戦争の恐ろしさを再認識する思いだ。
 今回、たくさんの方々が御祈願してくださっている。ご連絡をいただいて、本当に有難く、力が湧いてくる。遠く離れても、無事を祈ってくださっていること。ホテルの部屋に着き、一人でお看経をさせていただきながら、「つながっている」という思いに何ともいえない温かい気持ちがこみ上げてきた。
 明日から、自分の出来る精一杯のご奉公をさせていただこう。

2009年1月22日木曜日

スリランカに行ってきます

 明日から、スリランカでのご奉公に向かう。
 今回のスリランカは完全に単独でのご奉公となり、明日朝7時前に妙深寺を出発する。バンコクで乗り継ぎ、コロンボへは22日の深夜に到着。翌日からご奉公を開始する。出来る限り、このブログでもご奉公の詳細をご紹介したいと思うが、いつものように尻つぼみにならないように気をつけなければ。
 今回は御講ミーティングを4席奉修させていただくことになっている。それぞれのセンター、地域での奉修となり、その前後に約30~40席のご信者宅へのお助行を予定している。ご信者宅へのお助行は私の切なる希望である。しかも、今回の地域はコロンボから遠く離れた地域で、なかなかご信者宅まで巡回することはできないでいた地域である。佛立の真骨頂であるお助行を通じて、ライフスタイルの中で生きるご信心の仕方を伝えてゆきたい。
 しかし、こうしたリクエストも、実際には「彼らのため」というよりは「自分の信心増進・信心改良のため」という方が強い。私は、日本の、妙深寺の中にいると、お弟子さんや素晴らしいご信者さんに守られている。お給仕をしてくださり、お敬いをしてくださり、本当に至れり尽くせりのご奉公を頂戴している。当然ながら、当宗の多くの御導師方がされているように、自身で御宝前にお給仕を申し上げ、常題目を実践し、自己を磨き続けることも大切だが、私のような愚かな者にとって、妙深寺から離れて海外でご奉公するという中に、猛烈な信心改良と信心増進のエッセンスがあると思っている。
 行ったこともない街、会ったこともないご信者、国も異なり、人種も違う。言葉もままならず、場合によっては完全に言葉が通じない。私のことを知る人も、事前からプロフィールを知っているかいないかも分からない。そんな環境の中に身を置いて、ご奉公させていただくことの素晴らしさが分かるだろうか。そこには、もう共通のご信心、御本尊、御題目しか無くなる。言葉も通じないのだから、下手な小細工も上辺を繕うことも許されない。もし、日本で安閑と過ごしていたり、地位に甘んじていたり、信心がニセ物ならば、すぐにメッキは剥がれ、何も伝わらないだろう。裸になって、彼らの前に立つ。立たされる。その時に得られるものは、計り知れないのだ。こうした機会を与えてくださった福岡御導師に心から感謝している。
 仏教の原点ではないか。スリランカでご奉公していると、綺麗過ぎる日本式の法衣すら邪魔に思えてくる。汗だくのご奉公だから日本で言えば改良服の方が動きやすいが、既に現場では「改良」服でもない。もっと「改良」されていい。もっぱら、作務衣でのご奉公になってしまっている。今の法衣はセレモニー用でしかない。
 では、日本の仏教は、やはりセレモニー用の宗教ではないか、と思ってしまう。日本で、ぬくぬくと暮らして、楽をしたい業界人が多い中で、本物の仏教者の道を歩めているかどうか。自分で確かめる試金石になっている。本門佛立宗の僧侶、教務。本当に素晴らしいと思う。教務であることを誇りに思う。そう思える。みんな、命を張って、人の為に動いてる。世間に人に、「そんなお坊さんがいるんだ」と知ってもらえたら嬉しい。
 本門佛立宗のお寺は生きたお寺だ。死んだ人ではなく、いま生きてる人、死んだように生きてる人、生きながら苦しんでる人、そんな人たちを助けるのが本来の私たちの仕事だ。口で綺麗事なんて、いくらでも言える。でも、私たちは本当に動いている。全身全霊で、ご奉公させていただいている。多くの人に、「あぁ、本当に、いたんだ!そんなことをしてくれる人間が」と思ってもらいたい。他の人の為に、寝る間も惜しんで、命削って…。本当に、ありがたい!と思っていただけるように。本門佛立宗の菩薩方の、そういう姿に人は自然に手を合わしてくださると思う。もちろん、人に、ではない。御法さまに、である。「法は人によって弘まる」だから。
 とにかく、明日からスリランカ。まだ、英語の御法門草稿を書かなければならないが。必死で、必死で、ご奉公させていただこう。

2009年1月21日水曜日

オバマ氏の就任演説

 1月20日、アメリカに新大統領が誕生した。
 アフリカ系アメリカ人、つまり黒人としては初の米国大統領である。当初、私はオバマ氏が大統領になることなどあり得ないと考えていた。そこまでリベラルな国であるとは信じていなかったからだ。自分の息子も米国民として生きる権利を得ていながら、近年のアメリカの傲慢さに嫌気が差し、ついには米国民を傲慢で保守的であると決めつけていたからかも知れない。
 ブッシュを選んだのもアメリカ国民であり、オバマ氏を選んだのもアメリカ国民である。オバマ氏を選べる素晴らしさをアメリカに感じると同時に、ブッシュを選ぶアメリカを危惧する。彼は団結を呼びかけているが、政治とは選択の連続である。誰かに支持されることを行い、支持されないことも行う必要に迫られる。それは、万民に期待される政治は徐々に万民の支持を失っていくことを意味する。多くの支持を得ている現在、万民に応えられる真の政治とは何かを追求する「旅(journey)」になるだろう。彼には、類い希な雄弁の才を持って、常に国民、あるいは世界市民と向き合い、それらとの対話を維持し、一部の人々に強いる忍耐を受け入れるよう説得を試みて欲しい。47才のリーダーシップに心から期待したい。
 もちろん、全幅の期待を寄せているわけではない。世界が歓喜した昨夜の就任式には、約4,100万ドルの献金が集まった。 大統領選の献金と同じように、大企業やロビイストの影響力を排除しようと試みてきたオバマ氏だが、実際には金融・保険・不動産業界を筆頭に、小売業界から広告業界まで幅広く献金を集めており、ロビイストからも300万ドルほど受け取っているという。
 選挙戦に於いて既に約600億円以上も出費し、就任式に41億円もの資金を使うアメリカ。それは、国威の高揚を目指し、危機を乗り越えるために必要な国家的なマーケティング・プロセスとも受け取れる。その背後に、やはり大企業からの献金と思惑がうごめいていることを注視しなければならない。国威を高揚させ、世界にアメリカのメッセージを発信し、国民に団結と義務を呼びかけた背後に、である。政治が、国民や大統領によって動かされているものではなく、金の掛かる政治という世界の背後で献金を続ける企業によって動かされている、動かされざるを得ないということにも、監視の目を光らせて欲しい。
 演説の中で彼が呼び上げた宗教名の中に「Buddhism(仏教)」や「Buddhist(仏教徒)」が無かったことを、仏教徒や仏教に関わる者は恥じるべきではないか。彼は「われわれはキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教、ヒンズー教、そして無信仰の人々の国である」と言った。いつから仏教はヒンドゥー教に吸収されたのか?世界三大宗教の中の一翼を担ってきた仏教が、この世界から期待される米国新大統領の就任演説から外されてることに、何とも歯がゆいものを感じている。もちろん、それらと肩を並べることだけがいいのではない。なぜなら、真実の仏教は、相対の世界で各宗教と対峙するものではなく、彼が演説で述べた、本当の団結、本当の平等、本当の普遍的な価値と義務を与えるものなのだから。
 つまり、真実の仏教とは、彼の目指す世界の先にあるものに違いない。新文明と新文明生活をもたらすために、新しいパラダイムは真実の仏教から学ぶべきものだと思う。それを世界最強のリーダーに認識してもらえるように、地道なご奉公を続けてゆきたい。

2009年1月19日月曜日

成人式

 18日、妙深寺では成人式が挙行された。第56回となる。第一回の成人式の方は、既に妙深寺の重鎮としてご奉公してくださっている。ちょうど、今回の允可証を作成するに当たり、昭和43年度のページを拝見したのだが、法深寺のご住職や野崎さんなど、錚々たる顔ぶれが並んでおられた。こうして、御宝前で成人式をされた方々が明らかに後のご弘通を支えておられるのだから、今回のご奉公も有難いではないか。
 今回の成人式でも、感動溢れる、涙が出るようなシーンがたくさんあった。特に、成人を迎えた一人のお母さんが早くに世を去られていた。ガールスカウトで活躍したお母さんで、私の母やお寺の者たちもご縁が深かった。みんな、その後の彼女の成長を見守ってきた。私の母などは前日から「あの子が、もう成人を迎えたのね。本当に、頑張ったわね。有難いわ」と泣いており、お寺の絆、ご縁、絆の大切さを感じていた。
 妙深寺では、また成人式でも妙深寺ならではのスペシャルご奉公を用意している。それは、着付けや髪を結うご奉公を、教養部(薫化会・青年会・ボーイスカウト・ガールスカウト・婦人会・壮年会・松風会)の有志の方々が成人者を待ちかまえてしてくださり、それに当たってくださった。最近は、地域での成人式もあり、日を変えて開催されているから、成人者は二度の着付けをしなければならない。これは色々な面で負担が多いだろうと考え、教養部がこのようなご奉公を準備してくれているのである。しかも、大変な人数で、プロの長沢さんや白川さんなど、瓜生さんが声をかけた人たちがズラッと控えてくれていて、温かい、妙深寺ならではのご奉公となっていることに感激している。
 この成人式も、眺めていると10名弱の成人者に対して10倍のご奉公者で準備と当日のご奉公を進めてくださっている。青年会の活躍はめざましいし、薫化会はもう人数が分からないくらい子どもたちが大勢いる。ボーイ、ガールも出し物で盛り上げてくれるし、壮年会さんは朝から炊き出しをしてくれていたし、婦人会さんは本堂で行う成人式の第二部に出すお食事の準備をしてくださっていた。コーラス部も歌の練習を。
 有難い。本当に、有難い。

2009年1月15日木曜日

悪夢

 京都でのご奉公。

 ニュースで流れるガザの惨状。どんな理由があっても、現在のイスラエルを擁護することは出来ない。この地球上で、軍事的に最も強大な国家の一つが、手作りのロケット砲しか持てない、経済的にも閉鎖された(彼らは200以上のトンネルを掘って武器を密輸しているといわれるが)まだ国家でもない自治政府と地域を攻撃している。もう、止めてくれ。理屈はいいから。これを見ていたら、頭が変になっていく。

 私たち以上に、アラブの同胞たちが女性や子供が殺されていくのを見過ごせないと泣いているだろう。彼らは報復を誓って団結する。悪夢が頭に浮かぶ。戦争を最大の景気対策と思っている人たちもいる。もう、世界戦争の直前だと思ってしまう。その悪夢とは。

 たまらず、シリアかレバノンがイスラエルを攻撃する。それぞれ、世論に押されて、イスラエルがどれほど巨大な軍事力を持っているか知った上で、捨て身の攻撃を行わざるを得なくなる。イスラエルは、総力を挙げて報復する。最初に攻撃をしかけた国はイスラエルによってその攻撃の数百倍の代償を払わされる。徹底的な攻撃と壊滅的な状況。そこに至ってイランなど沈黙していた国々が参戦し、さらに中立的な立場を取っていたアラブ諸国も参戦したらどうなるか。アメリカ、英国はイスラエルを支持、アラブを非難。日本はイスラエルへの支持を表明(アメリカ追従)。フランス調停。調停不発。世界大戦へ。

 いやな夢、悪夢だ。

2009年1月13日火曜日

点滴していただきまして…

 電源が落ちたかのようにダウンしたのですが、今日は御講が3席あり、何とかご奉公させていただけてよかった。
 朝、M先生が心配してくださり母に声をかけてくださった。お言葉に甘えて、御講から戻る16時過ぎに点滴を持って庫裡まで来てくださり、注入。お供水とお看経で治すべし!と怒らせそうだが、明日も3席の御講でウイルス(インフルエンザではありませんが)を撒き散らしてもいけないのでドーピングさせていただいた。
 本当に、M先生、ありがとうございました。

2009年1月12日月曜日

完全にノックダウン

 風邪をひいたらしく、完全にノックダウンした。身体がフラフラで、力が入らない。昨日は御講から帰ってそのまま倒れてしまい、今朝も何とか朝参詣、開講記念弘通発願式をさせていただいたものの、その後はバタン。
 何とか明日と明後日は御講席が3席づつ。何とか、この6席のご奉公はさせていただきたい。

2009年1月10日土曜日

寒供養と特別回向

 寒参詣で学ぶこと、させていただける功徳行について書かせていただいた。この期間は、特にいろいろなご奉公が出来る。

 寒参詣中は日々に統計を取っていただくので、教区毎に受付のご奉公がある。初代・日博上人の頃は戦後間もない頃で、「参詣はげまし会」と呼ばれていた。厳しい寒さや暑さの中のお参詣を、特に受付で「励ます」ご奉公だったのだろう。子どもの頃に瓜生さんもされていたと聞いているが、厳しい期間の最も厳しいご奉公である。朝の5時過ぎには家を出て、お寺には5時半~6時くらいから受付に座ってくださっている。本当に有難い。

 部長は冨塚さん。まさに、「はげまし会」のように本当に素晴らしいご披露でみんなを励ましてくれている。そして、昔から変わらずに受付のご奉公をしてくださっているのが、みんなの人気者である篠さん。この篠さんは妙深寺が誇るご信者さんの一人。いつも笑顔を絶やさず、どんな苦しい、厳しいご奉公でも率先してなさる。喜びを絶やさない方、いつも誰かの心を温かくされる方。この寒参詣の受付のご奉公に来るために同じ電車を使うそうで、その電話で知り合った方をお教化された。前々回くらいだっただろうか。そこに一緒に乗り合わせていた方と顔見知りになり、声を掛けてお友だちになり、お寺のお話をして一緒にお参詣、そしてお教化となった。その方は、ほぼ寒夏の参詣は全日参詣、教区御講の願主ともなり、ご信心に励んでおられる。ありがたーい。その他にも、受付の厳しいご奉公を率先して受けてくださっている方々、本当に感謝、感謝です。

 一般のお参詣者が積ませていただく功徳として、寒参詣の御供米や調理場でのご奉公を書いた。この阿仏坊と千日尼のご奉公にちなんだご奉公として、別に「寒供養の御有志」がある。それぞれ、自分の縁故の方のご命日や自分自身の誕生日、何かしら思いの深い日に、御法さま、お祖師さまにご供養を差し上げたいと志を立てて、させていただく。妙深寺の寺務所にお尋ねいただくと教えてくださると思うので、ぜひ思いのある日に功徳を積んでいただきたい。

 また、寒夏の参詣期間に限らず、妙深寺では昨年から朝早くから御塔婆浄書のご奉公を松風会(65才以上の方々の会)を中心にしていただいている。朝参詣の時に寺務所で申し込めば、その朝参詣中に御塔婆を立てて、ご回向させていただくことができる。進ちゃん(進之介くん)など、小学生でも頑張ってご奉公してくださっており、朝の御宝前に御塔婆をお持ちしてお給仕してくれる姿には感動する。今朝も進ちゃんはご奉公してくれていた。

 さらに、寒参詣では「寒参詣特別回向」というご奉公もある。ご供養と同じように、これだけ毎日大勢のお参詣があり、たくさんの御題目があがる中で、それぞれのご両親や先祖、縁故の方の法号(戒名)や俗名を明記して、その月命日などに志を立てる。妙深寺では御塔婆では御宝前への言上はさせていただかないのだが、特別回向は7時半過ぎに御宝前に言上させていただく。

 まだまだ、寒参詣中のご奉公や功徳行やたくさんあり、法城護持のご奉公、婦人会さんの導師へのお給仕、御総講時のお高坏、御酒、お盛物のご奉公などなど、挙げればきりがないが志が大切。知らないから出来ない、というのが一番かなしいことだから、書かせていただいた。明日は日曜日、12日の月曜日も休日。12日には開講記念弘通発願式と一万遍口唱会が行われる。それぞれ声を掛け合って、ふるってお参詣いただきたい。

お寺の掲示板

 今朝は朝参詣が終わってからトイレに入る間もなく千葉県までご奉公。慌ただしくて大変だった。土曜日の首都高速はガラガラ。本当に、物も人も動いていないなぁと実感。御講奉修時間までに間に合ったからよかったが、社会の状況を見れば喜んでばかりもいられない。

 さて、寒参詣などでお寺に来たら、お寺の壁に張ってある掲示などに目を通していただきたい。

 観光寺院のように格好良くしていたら良いのかも知れないが、妙深寺などは壁にペタペタと掲示物が並ぶ。ボーイスカウトの隊員募集のポスターもあるし、他寺院への団体参詣(団参)の募集、教養会(壮年会や婦人会、青年会や薫化会などの世代で分けた会)からのお知らせや報告など、大変な量になる。

 詳しく見ていただきたいものもあり、お参詣の際には注意してご覧いただければと思う。特に、玄関を入って靴箱の左側にあるのが『妙深寺 教区受持一覧』。これは普段お寺になかなかお参詣できないような方々のために作成したのだが、大好評。御講師の写真を掲載して、何かあったら自分が誰にご相談すれば良いか分かるようにしている。

 これらの写真はお寺の近所にある写真屋さんに撮っていただいた。御講師方へのご供養ということでお預かりしたお包みを、そのまま教務部の食事会などで使わせていただいても有難いのだが、ずっと残る形にさせてもらった方がいいのではないかと考え、この撮影にはその御有志を当てさせていただいたのだった。撮ってみて、「よっ、仏教界のレアル・マドリッド(サッカーのスター集団と言われたチーム)!」と冗談を言って笑っていた。

 受持御講師の選任や移動には、特に気を使う。今年は、このような布陣で御弘通ご奉公をさせていただく。ご弘通に進展がなければ、カミナリが落ちる。別名・ドラえもんのジャイアンと呼ばれる、怖い怖い住職が烈火の如く怒るのだった。ありがたい。

2009年1月9日金曜日

寒参詣で学ぶ、できる

 妙深寺の寒参詣。「キツイ」という声もあちらこちらで聞こえるが、それでも連日こうして朝参詣できる、早起き、早寝、何と気持ちの良いことだろう。
 普通の人は、「何を好きこのんで朝も眠いうちにお寺になんて行くんだ」「もっと寝ていた方が仕事もスッキリできるじゃないか」と思うかも知れない。しかし、実際にやってみてほしい。とにかく気持ちがいい。これは、たとえば大きな願い事があるとか、問題を抱えているとか、そういうことだけではなく、気持ちが良いこと、してみると有難いと思えること、嬉しくなることなのだ。
 毎日の生活や仕事の中でも学校の中でも、不思議な安心を味わえる、自分がいつもと違う、より良く変わっていることを実感できる。普通の生活では分からない、寒参詣など毎日お参詣する中で感じていくというもの。
 忙しい方、お仕事をしている方、ご家族でお参詣している方を見ていて、本当に有難く思う。夜勤明けに家に戻ることなく、そのままお参詣される方もいる。あるいは、2時間近くの道のりをお参詣される方もいる。その方は朝7時にお寺に着くとすると、5時過ぎには家を出ていることになる。この功徳はどれだけ大きいだろう。
 功徳を積ませていただくから、私たちは妙不可思議の現証、御宝前からのサインをいただく。自分のカルマ、悪循環を乗り越えて、自分の悪い点をお知らせいただき、改良できる、成長できることが嬉しい。毎日、気づける、気づき、enlightenmentがある。
 まず、功徳を積む。これは見えない貯金のようなものだ。そして、自分の罪障を消滅する。この「罪障」とは見えない借金のようなものだ。幸せの芽の上にドカッと乗っている岩が罪障だとしたら、それを取り除かないかぎり芽を吹くこともなく、大きく育つこともないから、常々に功徳を積み、罪障を消滅し、現証の御利益が頂戴できるように努める。
 この寒参詣は、功徳を積ませていただく絶好のチャンス。お参詣はもちろんだが、いろいろな功徳行をさせていただけるのだから、少しでもその方法を知って実践していただきたい。
 平日は毎日約300人のお参詣をいただく。そして毎日泊まりがけのご奉公でご供養をご用意していただいている。パッと初詣に行っただけで良い一年がくるなんて、考えてみたら滑稽だ。そんなコンビニエンスな御利益などない。寒参詣は、年頭から功徳を積み、本当により良き一年を祈り、送るための修行。ここで学び、実際に自分で積ませていただく功徳。
 寒参詣とは、お祖師さまが佐渡に流罪されておられた時のエピソードに由来して行う功徳行である。極寒の佐渡島に流されることとなったお祖師さまは、寒風が天井や壁から漏れて入ってくるボロボロの御堂に隔離された。自然、現地の人々は自分たちの信じる念仏を悪く言ってお咎めを受けた悪僧が流されてきたと聞きつけ、多くの者はお祖師さまを切ってしまおうと詰めかかった。阿仏坊もその一人だった。
 アミダ仏を悪く言う坊主など狂人に違いない、叩き切ってやる、と意気込んで塚原の三昧堂を訪れたのだが、阿仏坊は逆にお祖師さまに説き伏せられてしまった。改心してお祖師さまの信徒となった阿仏坊は、妻である千日尼と共にひもじい生活を余儀なくされているお祖師さまに日々に御供養をされた。極寒の道のりを歩いて、お祖師さまにご供養(お食事)を届けられたという()。そのご奉公、大変な功徳行を偲ぶために、私たちは最も寒い一ヶ月間、「寒参詣」をさせていただくようにもなった。
 寒参詣では、早朝の朝一番からご供養(朝食)をいただくことができる。これは、お泊まりの方が5時前に炊飯器のスイッチを入れ、用意してくださる。これも、阿仏坊と千日尼のご奉公を偲ぶご奉公で、一般の方には「なんでお寺になんか泊まるの~?」「こわくなーい?」と不思議がられるだろうが、これは「参詣する方へのお食事つくりの奉仕」ではなく、あくまでも「御宝前のお祖師さまへのご供養、お給仕」なのである。新しい方も泊まりがけのご奉公をしてくださっている。大変なご奉公だが、このご奉公の意味を知って、極寒の佐渡の朝早くからお祖師さまのお食事の用意をされた千日尼を偲んで、身体で功徳を積ませていただいていると考えていただきたい。身体で積む功徳。ありがたい。
 さらに、この寒供養で炊かせていただくお米は、お正月の御宝前にお供えさせていただくように呼びかけ、大勢の方が小さな手製の袋(これを作るのも大変だと思うが)にお米を入れて、現物としてご奉納いただいている。これは、まさに本当の食材をお祖師さまにお供えするという功徳である。
 小さな手縫いの袋。その袋を見ると「志」を感じて、ありがたい。最後には自分も食べさせていただくということもあり、新しいご信者の方も教えていただいてお供えされているようだ。寒参詣の初日、お教務さんとお参詣のご信者さんと一緒に、本堂の御宝前から2階下まで運び、寒参詣のご供養にさせていただくのである。
 毎日10升くらいだろうか、その「御供米」を炊いて、お味噌汁、お新香、たくあんなどを添えてご供養としている。その他、芋がゆの日や揚げ餅の日などもある。本当に、有難いことだと思う。
 まだまだ、書きたいことがあるが次の機会にする。御供米の小さな袋の写真。こうして手縫いの袋を作って、お米を入れさせていただき、お供えするのである。自分で名前を書き、まごころ込めてお供えしていることが、ひしひしと伝わってきて有難いと思われないだろうか。本当に有難い。また、こうした御供米の奉納が出来なかった方やお正月に間に合わなかった方でも、既にした方でも、「寒供養」といって御有志で御供養の功徳を積むこともできるので、それぞれが実践してくださっている。

2009年1月8日木曜日

明日から教区御講

 今日は、夕方に深尾家のお通夜のご奉公に行かせいただき、明日からは教区御講。時間がまったく取れず、ブログも更新できない。
 ただ、少し思うのは、なぜ人は自分の見たいものしか見えないのだろう。しかも、人のことは見えても、自分のことは見えない。なぜだろう、それは不幸の因なのに。
 なんどもなんども、そう思って、かなしくなる。ご信心は、そんな悪循環を繰り返す鏡を持たない凡夫のためにあるのに、その大切さも気づけない。つくづく、それを思うと、やるせなくなる。
 いろいろな方と、いろいろな場面で、いろいろな問題についてお話を聞くが、結局「凡夫転倒」「三毒強盛」という、私たち独特の悪癖に翻弄されていることを思う。
 せめて、ご信心に縁のある人、ご信心をしている人は、もう一度、自分の信心が本物か省みなければならない。私が気づけば、厳しく指摘し、お折伏させていただくが、それでも、分からずに、自分のことは見えず、人のことばかりに目が行き、不平を言う。それは、信心していると言えない。常々、改良を心がけなければ、口先、形ばかりの信心になり、信心しているつもりでも悪循環に戻ってしまう。

妙深寺報 平成21年1月号

 平成21年となり妙深寺報の1月号をお配りしている。
 1月は年頭ということもあり、巻頭言も既にこのブログにアップさせていただいた『世界が変わる年』、続いて新年のご挨拶や本年の受持教務の一覧、新たに発足した『東部連合』のご披露、柴山局長の新年のご挨拶と続く。また、立正安国論上奏750年のご正当の意味を解説し、妙深寺の総祈願について詳しく説明している。今年は、『立正信行』を胸に、一人一人が正しく信行を立ててゆこうと誓っていただきたいと思う。
 例月の通り、「菩薩の声」のコーナーでは、先生の「女性のつどい」でのスピーチ、ひろし君の護持御本尊奉迎・新規ご戒壇建立のお礼御講のご報告、その他たくさんの方々の声が掲載されている。
 この寺報、妙深寺に所属するご信者さんのために作らせていただいているのだが、妙深寺の外からも大変ご好評をいただていて嬉しい。先住日爽上人は、妙深寺の所属信徒が毎月必ず読める「読み物」として発刊しておられた。「義納金を収めておられる方々への、お寺の義務として一生懸命に出しなさい」ということだった。妙深寺の義納金(唯一、ご信者の義務として収めていただくお金)は月に500円。寺報は1部130円くらい。う~ん、このお寺、毎月370円お預かりするだけで本当に大丈夫かしらと思うくらいだが、有難いことにご奉公できている。毎月2000部の発刊となっている。
 とにかく、妙深寺に所属する方々のご信心が少しでも前に進まれるように、一生懸命に作らせていただいている。「毎月が自信作」、「来月号が最高傑作」と思い、声を掛け合って、頑張らねば。
 妙深寺や私にご縁のある方々、国内のお寺からブラジルやイタリア、韓国などに送らせていただいている。また、遠くのお寺やご信者の方々から問い合わせをいただき、ご有志までお預かりして送付させていただくようにもなった。妙深寺報に興味を持たれた方があれば、是非とも読んでいただきたい。バックナンバーは少なくなっているが、もし定期購読や昨年度分くらいまで読んでみたいという方があれば、連絡をしただいたら送付させていただきたいと思う(送付料だけはご負担いただきたいと思うが)。連絡先は妙深寺に電話していただいてもいいし、メールでお知らせいただいてもいい。
 とにかく、新年1月号は、増ページで読み応え十分。まだページ数が足りないくらいだった。是非、隅々まで読んでいただきたい。
 裏ページなど、プロも顔負けの出来た。私たちのこだわりが分かっていただけると思う。佛立はセンス。ありがたい。

2009年1月7日水曜日

『世界が変わる年』 再掲

 新年を迎えて、世の矛盾を思う。貧富の差は拡大し、もはや安定的な職業などなく、不安な気持ちで正月を迎えている人たちがいる。政治的過失ともいえる金融危機、それに伴う世界的な雇用の危機は、私たちの暮らしに直結し、大混乱と大変革をもたらすに違いない。

 真実の仏教は、混乱期に乗じて人々の不安を煽るものではない。苦難や困難を乗り越えて、安心や安穏を手にする為の方法を教える。

 仏教団体やその教職にある者は、内向きの話や仏教用語の解説等に終始している。世界の情勢や人々の暮らしに無関心過ぎて口惜しい。知識ではダメだ。「信」を説かねば人は救えない。ご弘通も出来ない。

「信を説かば御法弘まる。法門すれば信者すす(進)まず」

 新興宗教は、巧みに社会問題を取り上げて人々の不安な心に取り入るが、間違った信仰は人と社会の双方に不幸をもたらしてしまう。

 正しい心を持たなければ人間は幸せになれない。正しい心を持つ人が増えなければ、世界に平和は訪れない。世界中に邪な心を持つ人間が多くいたなら世界は混迷を深めてゆく。心の薬も鏡も持たず、心が濁ったままであれば、人間は何をしていて、何を持っていても、幸福に生きてゆくことは出来ない。

「佛法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。佛法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば、影なゝめなり」

 この単純明快な真理を自ら知り、信じ、実践してゆけるようにならなければ、仏教徒として混乱の世に挑むことすらできない。

 高祖日蓮大菩薩は、七五〇年前、時の最高権力者であった元執権・時頼に「立正安国論」を上奏した。これは、為政者や日本国家のみを対象にしたものではなく、調和を失った人と世に対して、その立て直し方を布告されたものである。

「牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり。死を招くの輩、既に大半に超え、悲まざるの族、敢て一人も無し。」

 立正安国論の冒頭。生きようともがき、生きることに嘆く人々の姿を見て悲しまぬ者はいなかった。七五〇年御正当に当たり、昨今の厳しい社会情勢に照らし合わせて、我が身に当てて拝見し直すべきだ。

 諸分野に専門家や研究者を抱え、世界各地に様々な宗教寺院が軒を連ね、多くの人が貧困や不平等と献身的に向き合い、幸福と平和と繁栄を模索している。この英知と人々の奉仕はなぜ報われないのか。

 それは、人々が未だ真実の佛法を知らず、偏った教えを信奉しているからに違いない。多様化することは宇宙の業の一つだ。しかし、多様化し、乖離したものを一つにする「法」と「信仰」がなければ、対立と闘争を繰り返すばかりで、深い意味での調和と真に継続的で普遍的な発展が約束されない。

 立正安国論の結文には、

 「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ」

とある。敢えて「汝」「あなた」に呼びかけ、混迷する社会を自分自身で乗り越えよ、と諭された。

 全ては自分の問題であり、全て自分で解決できるはずだ。まず、その覚悟をもって人生に対処しようとするのが真実の仏教徒である。

 如何に社会が理不尽であろうと、矛盾が溢れていようと、今や仕方がない。諦めることを勧めているのではい。他者への依存ではなく、自分が世界を変えてみせるという気概、一人が変われば世界はより良く変わってゆく、一瞬で世界は変わるのだと確信を持ち、力強く生きることを勧めている。因果の道理で説かれる真実の生き方は、宇宙誕生以来敗北したことがない。

 権益を有する者と有しない者、学歴のある者と無い者、富める者と貧困にある者、強者と弱者など、人はそれぞれ立場も環境も異なる。決定的な線引き、絶望的な差別も未だに根強くあるかもしれない。しかし、「汝」が生き方を変えれば、世界も国も身も心も、安全にして定まることができる、と説かれている。それを実現するための佛立信仰であり、佛立信仰とはそれを実現できるものだ。

 ベルリンの壁の崩壊から二十年。また世界は大きな変革期を迎えた。このままの体制が続くはずはない。危機的な状況が目の前に迫っても、慌てず、嘆かず、まず「心を立て直す」「正しく信心を立てておく」「信心を立て直す」と腹に決めて、再生と躍進の好機としていただきたい。「立正安国論上奏七五〇年」に当たり、私たちは「立正信行」と題して、共に危機を乗り越えてゆきたい。それこそ、お祖師さまの御意だと考える。

 時代が厳しく、状況が刻一刻と変化すると、視界が狭まり、目先のことしか見えなくなってしまう。結果として、先を読み誤り、大切なもののプライオリティーがつかなくなる。人間関係のトラブルが増え、人への思いやりがなくなる。言い方はぞんざいで、自己中心で、上辺の嘘も増える。仕事でも家庭でも、口先だけの言葉や思いつきの言動で、悪循環に入ってしまう。

 このような時代、年だからこそ、今さら愚癡を言っても始まらない、不安に怯えていても、極端に開き直っても仕方がない。佛立信心を心の柱として、自分の果報の中、流れの中、御縁の中で、最大限の努力をしていれば、必ず報われる。お導きがあり、お見守りがある。これは絶対に間違いない。

 今まで、いつも御法さまからの御縁をいただき、チャンスをいただいてきたことを思い返し、全て完璧なタイミングだったのだから、この難局でも、視界を良好に保ち、心が乱れ言動が定まらないということのないように、御法さまからのお見守りやお導きがいただけるように、「立正信行」を目標にして本物の信心を進めていただきたい。その覚悟、その生き方こそ、佛立信者の真骨頂であり、妙不可思議の御利益をいただく肝だと思う。「今正しく是れ其の時なり」

 百年に一度の大恐慌だろうと、

「欲なくばこわい物なし信あれば 人を助くる楽しみもあり」

との御教歌を胸に、朝夕のお看経を怠らず、人間の本業・菩薩行を忘れず、あらゆる人間関係の中で、活き活き、強く、明るく、正しく生きてゆけるはずだ。
戦争、地震、疫病、飢饉など、極めて深刻な事態に直面するかもしれないが、「立正安国論」の御意、危機に備えて不屈の信心を培い、苦悩する人々をも支えて欲しい。

 危機を乗り越えて世界は変わる。変わらなければならないし、変えなければならない。その新文明の先駆として、佛立信者が試される。世界が変わる年。それは、世界を変えるべき年だと思う。

2009年1月6日火曜日

寒参詣スタート

 今日から寒参詣がスタートした。
 波乱が予想される一年の初めに、佛立信者は1月6日から2月5日まで寒参詣に精進する。今朝、妙深寺はたくさんのお参詣者で溢れ、大変に有難かった。「やるぞ」という気合いを入れていかなければ。
 何度も書かせていただくが、今年は「立正安国論上奏750年」の御正当年である。それは、心の柱として正しい「法」への信心を立てる、「信心」の立て直しをすることに違いない。柱が弱っていたら、少しの風で吹き飛ばされてしまう。嵐が来ることが予想される中、柱を補強しなければならないということ。その実践が寒参詣である。
 妙深寺では、寒参詣中の1月11日、18日、24日に「一からはじめる(今さら聞けない)信行講座」を開催し、『現代に活かす立正安国論・序説』と題してご奉公を進める。2月21日、22日は、妙深寺の春の「門祖会」で、やはり『現代に活かす立正安国論』をテーマに奉修させていただきたいと考えている。さらに、例月の教養総講と夜の補講に於いて、「立正安国論」の素読と現代訳の読み下しを行う。原典に触れさせていただくことで、これから起こる社会的な「現証」に対処できる佛立信心を育む。
 お祖師さまは本尊問答鈔に於いて、
「是の如く佛法の乱れしかば、王法も漸く尽きぬ。結句は此の国、他国にやぶられて亡国となるべきなり。此の事、日蓮独り堪(かんが)へ知れる故に、佛法のため王法のため諸経の要文を集めて一巻の書を造る。仍て故最明寺入道殿に奉る、立正安国論と名けき。其の書にくはしく申したれども愚人は知り難し。所詮現証を引いて申すべし」
とお諭しになられている。私たちが立正安国論を学ぶことは少々難しいこととし、立正安国論の「実践」、つまり日々にある信行ご奉公こそが大事とお示しになっておられる。「所詮現証を引いて申すべし」とは、そこに書かれた論に囚われるのではなく、すでに蒙古襲来な世の中に顕れている現証を見て万人が理解できるであろう、とお諭しになられている。
 この「現証」は、社会の中に溢れてくる「出来事」に他ならなかった。しかし、今一度、「なぜ、この現証が明らかに顕れたのか」といえば、お祖師さまの身命を顧みない、まず「立正」を世に指し示されたというご奉公があった。「立正」なくして「現証」はない。自己満足、自己完結では、いくら「正しい」と思っていても現証は顕れない。そのことを知り、日々の信行を見直し、立て直し、立ててゆきたいのだ。
 とにかく、寒参詣である。暇な人はいない。しかし、忙しいからこそ、日々可能な限り1ヶ月間のお参詣を目標にして、一年のスタートを切っていただきたい。

2009年1月4日日曜日

さっちゃんからのメール

御住職様、

 ありがとうございますm(__)m

 こちらこそ私事でブログに載せて頂けるなんて本当に恐縮です。

 私は今回「お題目を唱えれば唱えるほど苦しくなったり、お寺や御宝前に向かう事が本当に辛い」というような事ばかりで他のご信者さんには誤解もされるのではと体験談でもとても悩み心配しました。

 清顕師にはその時々で色々な意味や仏様の教えからお話しして頂いて私自身は御信心を疑ったりはしませんでしたが私の体験談だけではその大切な事を上手くお伝えできませんでした。

 どうか御住職様のフォローをいれて頂き、読まれる方がやっぱりこの御信心の御題目の力は有り難くすごいものだとわかって頂けたら、私はそれだけで今までの事が救われますし本当に有り難いです。

 どうぞ宜しくお願い致しますm(__)m

 年始からお忙しいと思いますがどうかお身体には気をつけられて下さいませ。

 ありがとうございますm(__)m

 合掌、

佐智子、

さっちゃんの体験 ~心の闇から~

 このブログが始まって以来、最も長い文章を載せさせてもらおうと思う。この年、このタイミングだからこそ、どうしても載せたい。

 この文章は、妙深寺に所属するさっちゃんから年末に届いたメール。このメールで、私は一年を締めくくることが出来た。彼女は、昨年ずっと苦しんでいた。多くの方々が抱えている心の病と同じように、彼女は心の闇の中を彷徨っていたように思う。

 清顕のご奉公、貴子ちゃんのご奉公、青年会のお助行など、本当に言葉には言い表せないほど素晴らしいご奉公によって、彼女は暗い闇の中から出てきてくださった。その声、そのお話は、多くの同じ状態にいる人たち、同じ症状や病気を抱えている人たちの希望になると信じる。

 今年も、多くの困難がある。しかし、その困難は、このご信心で乗り越えられる。乗り越えさせてあげることが、本当の信行、佛立菩薩道である。こうしたご奉公ができず、口先や手先で「佛立」を語っている者は恥じるべきである。

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 私はちょうど去年の11月大好きだった会社を退職しなければいけなくなり、その後すぐ体調を崩しました。それからプライベートで辛い別れがあったり色々と上手くいかなくなり教化親の杉本貴子さんに相談させて頂いていましたがその貴子さんが入院をされ、100本祈願を決定させて頂きました。その時はご利益を頂き無事に貴子さんも退院され、私も元気になれたような気がしましたが、相変わらず仕事は決まらず、また身体の調子が悪くなり体が重く起き上がれなくなっていき不安になりました。そして今度はお正月に兄と一緒に100本祈願をさせて頂きましたがその直後、母が怪我をして手術、入院しました。両親には御祈願させて頂くからねと言っていたのですが、実際は、仕事も決まらず、しんどくなっていて、誰かに相談したかったんですが、でも両親にもそれを言えず自分の事でいっぱいいっぱいでした。それはきっと仕事をしていない不安からきてるのだと思っていました。

 1月半ばにやっと仕事が決まり働き始めましたが、働き始めても気分ものらず身体のしんどさも変わらず、入社して早々、休みがちになり家にいてもやっぱりなかなか起き上がれず、一人暮らしの生活もどんどんひどい状態になっていきました。また、私はもともと抜けていて日頃から、些細な災難にあったりヘマをしたり、そういうことはあっていましたが、いつも大難を小難にして頂いて守って頂けてると感じていましたし、あまり気にするタイプではなく笑い話にできていました。それが日に日に笑えなくなり、起こることすべてにどんどん打ちのめされていく感じでした。  そんな自分の変化に不安になり、他の人のお助行に頑張らないといけないんだ、、ご奉公を頑張れば状況は良くなると思っていましたが、それでも何をするにも辛く、お助行に向かっても、ご奉公をさせて頂いても辛く感じてしまい、何かご不敬があるのではないかと自分の信心が間違っているのではないかと思わずにはいられませんでした。それまでは友達と会ったり遊んだりということが大好きだったのにそれさえも辛く感じ人に会うこともしなくなりました。

 でもなんとかご奉公はさせて頂いていましたが、本当に身体が鉛のようで立ち上がれずもうダメだ、休みたいと思っても御奉公ではなかなか休みますと言えず、結局頼みごとも断れなかったり切羽詰まりどんどん悪循環のうずにはまっていくような感じでした。どんどん辛く思う気持ちが強くなり、突然涙がでたり、「辛い、きつい、しんどい」と声が聞こえてきて二重人格ではないかとも思い始めました。それでも自分では「大丈夫。頑張らないと」と言い聞かせ「きっともっと他の人のためにさせて頂かないといけないんだ」と思い、どんどん身体がきつくなるのを無視して必死になりました。

 でももう、頭もおかしくなり始めて、例えば、ご飯を食べたのか思い出せなかったり、電車に乗っていてもフッとどこに向かっているのかわからなくなったりしてきて、不安が限界に来て、家族に会いたくなり、母のお見舞いということにして3月に少し実家に帰ることにしました。が、この時になんとか飛行機の搭乗口まで行けたのに、何がどうしてか目の前で意識が止まったかのように動けず飛行機に乗ることが出来ませんでした。この時はさすがにパニックになり姉に電話で「私、おかしい、もう実家にも帰れない、皆にも会えない」と泣きながらどうしたらいいのかわからなくなってしまいました。姉も心配して、「大丈夫だよ、明日新幹線に乗れば帰ってこれるから大丈夫」と言ってなだめてくれましたが、私は不安でひとりでいることが出来なかったので新横浜駅の近くに住んでいた朱里ちゃんのお宅に泊めてもらいました。朱里ちゃんと話していても涙が出てきて、おかしな状態だったと思います。

 結局、次の日の朝、何本か遅れたけどなんとか新幹線に乗ることができ、帰れました。帰って家族に少し話しを聞いてもらいたいと思いましたが、母は入院中で色々大変な話を私に聞いて欲しかったみたいで、父も退職を前に仕事も忙しく家事と看病で疲れきっていて結局自分の話をすることができませんでした。横浜に戻ってきてからもしんどいのは相変わらず続き、色々な人からも顔色が悪いと言われる様になりましたが、ちょっと体力が落ちてとか花粉の季節だからと返していました。青年会の人からも「さっちゃん無理しないでね、休んでね」と声を掛けて頂いていましたが、もう自分では考えることも自分をコントロールすることも出来ず、「どうしたら無理をしないんだろ?どうしたら疲れないんだろ?どうして皆は普通に出来るんだろ?」と、どうして、どうして、の自問自答するようになりました。

 この頃には貴子さんが私を見て「お講師に相談させて頂いた方が良いよ」と言ってくださっていましたが、私は「ただ頑張らない私が悪い、こんなんで相談なんかできない、もっとちゃんと頑張らないとダメなんですよ」と言っていました。でも、家でもお看経もあがあらなくなり、不安は増すばかりで貴子さんをはじめ、何人かの青年会の人にも家にお助行に来て欲しいとお願いしていました。来て頂くと少しは大丈夫になるのですが、すぐしんどくなり辛い、辛い、という声が聞こえて夜も眠れなくなり顔も腫れ上がってしまいました。それまでずっと「大丈夫、私は大丈夫」と言い聞かせていたけれど「もうダメだ、立ち上がれない」と思うようになり、姉に体調が悪いと相談して退職した父に少し横浜にきてもらえないだろうかとお願いしました。

 この時に丁度、清顕師の耳に私の話が入り連絡を頂いてお助行に伺いますと言っていただきました。私は、「疲れが長く続いていて自分自身ちょっとおかしいと思います」というような事をお話しました。そして。「ちょっと詰助行をさせて頂きましょう」と言ってくださり安心したのですが、二日目には突然涙が止まらなくなり、唱えれば唱えるほど辛さは増し、お助行も続けられなくなったりしました。私は「きっと罪障が出てるんだ」と思いました。

 ちょうど4月の連休には青少年の一座のご奉公でスリランカへ行かせて頂くことになっていましたがギリギリまで不安で難しいようにも思いましたが清顕師が一緒に行って下さる事になり無事に行かせて頂くことができました。その後、帰ってきて次の日には父が横浜に来てくれ、兄も出張から帰ってきていたので一緒にお参りし安心して自分でももう大丈夫と思えたのですが、父達を空港まで送った帰り車をぶつけてしまい、また不安に襲われました。普通にそういうことが起きれば誰もがその時はパニックになり不安になると思います。でも私はそれが引き金のように次の日になっても一週間たっても、不安が消えず何をするにもビクビクするようになりました。また頭が割れるように痛くなったりで体調は悪くなり、顔は腫れ上がり身体に湿疹もできそれを隠すことも出来なくなり人に会えなくなり会社もお寺も行けなくなりました。

 休んで色んな方から心配して連絡を頂いていたのですが、もう自分でも「大丈夫」というごまかしがきかなくなり寝ても休んでも心身ともによくならず、休めば休むだけ状態は悪くなっていきました 清顕師がまたお助行に来てくださるんですが、自分でも頑張らないとと思うのですが、そう思うって頑張ろうとすればするほど辛さが増し落ち込んでいきました。

 清顕師はずっと何かあったらなんでも相談してくださいと言って頂いていましたが、私の中では「もう何かあるから辛い訳ではない、そして例え何かあってもお題目を唱えるしかないし、何を言ってもお題目しかない、そう結論があるので何もお話することはない。そして今はお題目が逃げ場にもならない苦しさに耐えるしかない。そういう私の気持ちが法謗なんだ」と思って、そんな思いしかないので話すことが出来ず、言葉も出てこなくなりました。今まで必死にもがいてなんとか立ち直らないとと思っていたのが、それさえも疲れてきてしまい、もう良くなりたいとも思わないし、何も望まないと諦めるようになりました。それでも清顕師は「諦めるのは早い、頑張らなくて良いから続けようと言ってお忙しい中お助行に来てくださるのですが、まったく良くなる気配もなく、申し訳ない気持ちと迷惑をかけている罪悪感で苦しくなりました。

 他にはもっと大変な病気をしていらっしゃる人もいるのに、私は病気でもないのに甘えてばかりで、どうして頑張れないんだろ、自分の事ばかりの自分が許せないし、ご奉公も出来ない上に皆に心配かけてしまい、それが罪障でよくならないんだと思って責めても、それでも立ち上がれず前向きにはなれませんでした。そんな葛藤のくり返しに疲れ果ててもう逃げたくて、清顕師や貴子さんにも来て頂くのも負担になり、「もう来ないで下さい、来られると困ります」と拒否しました。

 そして、本当にひとりになって、すべての接触を絶ったとき、全く何も感じなくなりました。考えることもやめ、思うこともやめ、何事も無かったようにただ時が過ぎました。何も聞こえないし辛くもないし、あんなに泣いていたのに涙もでない。ある意味、解放されたような感じでした。それから二週間くらしたとき、家族が連絡が取れないと心配して清顕師がまた来てくださいました。でもその時は私はからっぽになっていて清顕師がお話されていても何も受け入れることが出来ませんでした。清顕師は「病気じゃないから、ちょっとウツっぽくなっているだけで絶対よくなるから」と励ましていただいていましたが、私はもうお寺の人に迷惑をかけたくないので病院に入院したい、病気と言ってもらえた方が少しはらくになるのにと思っていました。清顕師が毎日来られてはずっと「南無妙法蓮華経と言って」と言われて自分では言おうと思っても出てこなくなったとき、「あ~私はご信心を亡くしてしまったんだな」と思いました。

 この時、御住職にも家に来て頂いたのですが、申し訳ないことに何をお話されたのか思い出せません、ただ「さっちゃん、なむみょうほうれんげきょう 唱えられないか?考えないで、良し悪しも、自分の状態の変化のあるなしも考えないで只唱えたらいい、とにかく唱えて、気にしたらいけない」と、紙に南無妙法蓮華経の文字を書いて、一字づつ教えて下さいました。その時、帰りに「一緒にお寺に連れて行って頂きたい」と言えたのはご住職が来て下さったお陰です。

 次の日からも清顕師が夜迎えに来てくださりお寺に連れて行って下さり、一緒にお題目を唱えてくださるのですがやはり言葉が出てきません。自分では唱えようとしているのに言葉が頭の中で消えてしまうのです。それを客観的に不思議だと思ってる自分もいて、清顕師が隣で一言づつ「な」「む」「みょ」と言って教えてくださるのですが、聞こえてくる言葉がすぐに消えて私は「言葉がない、ない」といっては言葉の出し方もわからなくてまるで言葉を知らない赤ちゃんにでも教えるような状況でした。

 そうして毎日お寺の御宝前に向わせて頂き片言で言えるようになっていくと、またどんどん苦しく、辛くなって涙も止まらなくなりました、体調もこの時が一番悪く、眠れず動悸息切れ眩暈、立ちくらみなどもひどくなりました。また夢と現実の区別がつかなかったり、時間帯がわからなかったり外を歩いていてもどこかわからなくなったりの状態になってしまい、よく倒れていました。電車に乗ろうとして倒れて救急車で運ばれてからは乗り物にも乗れなくなり、また清顕師が来てくださらないんじゃないかと毎日不安で不安で本当に精神状態がギリギリになってしまいました。

 御住職も清顕師もお寺で生活していいんだよと言ってくださっていましたが、人に会う事が怖くて苦痛な状態の私はお寺であっても誰かに会う可能性がある場所に行くのは難しくひとりで家にいましたが、でも清顕師も心配してくださり信仰師のお宅にも泊めていただいていました。清顕師に毎日来ていただいていましたが、ある日他のご奉公でだいぶん遅い時間になっていて私も横になっていたのを気遣われて「今日は帰りますね」と言われて帰られた時、私の中でなぜか「もう終わりだ」と強く思ってしまいました。

 お題目を唱えれば唱えるほど辛くなったのですが、でもやっぱり心の奥底ではお題目しかないことを私はわかっていたのだと思います。なのでそれが無くなったらもう終わりだとしか思えなかったのです。そして私はもうここには居れないと思い、清顕師に「実家に帰ります」とメールをして、でも私は実家に帰る気はなくどこか遠くへ行きたいと次の日羽田へ向かいました。この時清顕師が「私は家族と向き合わなければいけないと」言われていましたが、私はその意味がさっぱりわからず「どうして家族が関係あるんだろ?きっと清顕師はもう付き添うのは大変だから家族に任せたいんだ」と思いました。

 なんとか羽田へついたもののやっぱり途中で倒れてロービーで横になり、夜になって清顕師や貴子さんや家族が心配してずっと連絡してくれていたのに出て清顕師が羽田まで迎えに来てくださいました。 先月も清顕師がお話しされていましたが、清顕師自身も、もうここまできて、本当にどうしたらいいのか分かられなかったそうです。それまでは優しく寄り添って下さって話せなくても良いと言ってくださっていましたが、その日はもう顔色も変わられてて「もうダメだ、こんなことの繰り返しじゃ、どうしたいのかわからない、さっちゃんはどうしたいの?」と怒ってあって(本当に恐かったです)、清顕師が恐くて上手く話せなくてパニックになって必死に考えて頭に浮かぶのは、「ただ、ただ一緒にお参りをして欲しかった」それだけでした。その後も色々と話をしたのだと思いますが、覚えていません。

 次の日には両親が九州から迎えにきて実家に帰ることになりました。帰る前に清顕師が両親に今までの経緯を話して下さいましたが、両親はなかなか状況がわからなかったようです。とにかく姿がひどかったので身体を心配し、食べさせて、休ませてあげたいと思いお参りも負担になるのでと思っていたそうです。でも私は実家でも落ち着かず、不安でどうしようもなく、ただお参りをしないと!ということしかなく、でも自分で唱えることができないので、何よりも家族に寄り添って「一緒に唱えよう、お父さん達が唱えてあげるから大丈夫」と言って欲しかったのです。何もしてもらいたくない、何も欲しくない、何も聞きたくない、今のこの苦しみをどうすることもできない、ただお題目だけに執着していて、私にはそれしかなくて、それを家族にも分かってほしかったのです。

 でも私には言葉がなくて、頭の中で伝えたいことが、聞いてほしい事がたくさんある半面どうしても話したいと思えない自分もいて、言葉がでなくて、とても辛かったです。両親の事に関しても清顕師はどうしてこんなに苦しんでいるのに両親に助けを求めないのか、会いたくないのか、ということが引っ掛かっていたようで、「さっちゃんは家族と向き合わなければいけないし、家族にしか出来ないことがある」と言われていました。実家の御宝前の前でひとり泣きながら、やっぱりここ(実家)に帰ってきても一人だと感じる私は本当に孤独でした。

 そして、清顕師がおっしゃったように「どうして私はこんなに辛くて苦しい時に両親の顔が浮かばなかったのか」考えました。それはもう長い間、家族にさえも気を使ってしまう自分が作られていて、甘えるということができない自分がいて、家族も「さちこは大丈夫、しっかりしてるから」と安心していたそうです。実際、母親との関係は昔から逆転していて、私がいつも母の悩みや愚痴を聞き、私で出来ることであれば母の友達の相談までのっていました。そして、母は体も弱く、何かあると寝込んでしまったり病気になったりして、実際、この時も私が泣きたいのに先に母に泣かれて具合が悪いと言われると、私は自分が助けて欲しい事を何も言えなくなっていました。父は反対にとても強く、自立していてなんでも自分の力でできる人で、出来ないのは努力が足りないからと、自分にも他にも厳しく、5月に来てもらった時も「甘えてばかりじゃだめだ、努力をしないと」と言われていたので、それ以降、益々弱音を吐く事ができなくなっていましたし、父はちょっとでも面倒な話を避けたがる人で話を聞いてもらえると思えなかったのです。両親ともに言えるのは、まず話を聞いてもらえると思えなかった。そして私も話したいと思えなくなってしまった。これが私が本当に孤独になった理由ではないかと思います。

 私は、今回辛くなった時、自分ではもう頑張れない所まできていたので、誰かに相談して「頑張りなさい」と言われることが怖かったのです。頑張ることを受け入れられないから、相談することもできなくなっていました。

 とうとう両親にも何も話さず横浜に戻ろうと思っていたのですが、それを見ていた姉が両親を呼んで、「どうして佐智子がひとりでお参りしてるのに一緒にお参りしてあげないの、どうして、話を聞いてあげようと思わないの、これじゃここに居ても同じだよ」と話を切り出してくれました。私は本当に何も話したくないと思っていたのに、その時不思議と背中を押され両親に今までの私の気持ちを話しました。

 「私も今気付いたけど、子どもが本当にピンチの時に両親の顔も思い出さなかった、両親に助けて欲しいと思いもしなかった、それは家族として本当に寂しく悲しい事だと思う」

 そう言って、自分が今まで自分の中に抱えて重かった想いを両親に話しました。父も、母も泣きながら私の話を聞いてくれました。そして「本当にごめんね、お母さん達が佐智子に甘えてた、これからは話を聞くし、何でも話しなさい、すぐ助けに行くから」と話してくれました。父の涙を見たのは人生で初めてでした。

 私は話したくないという気持ちが強かったので、両親にこうして話が出来たことが不思議でした。それはずっと私のご祈願、御助行をして下さった皆様のお導きとしか思えません。

 それから横浜に戻ってきて、丁度夏季参詣が始まり、ご住職からも「完参できるように頑張らないとね」と励ましのお言葉を頂き、清顕師や貴子さんにサポートして頂きながら夜お参詣させて頂いていました。そして次の週には姉が姪っ子を連れて3週間の滞在で来てくれ、その間は姉がお寺参詣、自宅でのお看経と手を取ってくれ安心しだんだん落ち着いていきました。それまでは話せないし人と会うことは絶対的に難しかったのが、姉が代わりに話をしてくれ盾になってくれるので少しづつ人とも触れ合えるようになりました。 そして以前から清顕師にお話を頂いていたお厨子を荘厳して頂き、自分では本当に少しづつだけど回復してきてるように感じていましたが、実際、姉達が帰った後は大丈夫かと尋ねられると自身はなく姉も清顕師も心配して、またご住職にお忙しい中時間を作っていただきお話して下さいました。色々とお話下さったと思いますが、申し訳ありません、あまり覚えていなくて「今までのさっちゃんじゃなくて、新しい、無理をしない、そのままのさっちゃんに生まれ変われば良い」というような事を言って頂きましたが、この時はまだそのお言葉の意味もわからず、そんな事ができるとは思えないと思っていました。

 ただ、この時にご住職から「どうしてこんなに長くかかるのか、どうしてさっちゃん自身が良くなりたいと思わないのか、」とのお話しのなかで、それは自分自身がずっともう一つの心の中で疑問に思っていたことでご住職から「良くなりたいと思わないのは、もう前の頑張っていた自分に戻りたくない」と思っているからじゃないかと言われ、その時に、本当そうだな、と気付きました。もう疲れてしまって、以前のように人の事ばかり気にして、自分を無視して頑張ることは出来ない、コントロールもできないし、そうして自分が壊れてしまうのが恐くて進めなかったのだと気付きました。清顕師に「自分が良くなりたいと思って自分のご祈願を立てさせて頂いたら御利益が頂けるから」と言われていましたが、これが私にとっては本当に難しかったです。人の為のご祈願には気持が入るのにどうして自分のお願いができないのか、どうして良くなりたいと元気になりたいと思えないのか、そんな自分の気持ちさへを動かすことが出来ない私には希望さへ持つこともありませんでした。とりあえずご住職に言われたように、何か自分のご祈願を立てさせて頂くことになり一人でお寺参詣できるようにと半紙にご祈願をたてさせていただきました。

 姉達が帰ってからなんとか一人でお参詣ができるようになり少し気持ちも安定してきたように思え、自転車にも乗れそうな気がして仕事に行く時に乗ってみることにしました。が、乗って少し行った所で頭がふらっとし坂道で横転してしまいまいた。坂道だったのでスピードもあり自転車が背中に降ってきて下敷きに倒れ挟まれて動けなくなってしまった所を通りがかった人が助けてくれましたが頭や手足から血もでていてパニックになってしまい、ショックでまた声が出なくなってしまい病院にも行けませんでした。なんとか家にもどりましたが震えがとまらずそのまま動けなくなってしまいました。

 夜になって、その日たまたま清顕師から「今日は何時頃お参詣されますか」とメールを頂き、今までだとこんな風に事故にあったり倒れても電話で話すこともできず誰にも助けを求めることが出来ず、ただ泣いて落ちていく一方でしたが、その時は目の前に手を差し伸べて下さったように感じ、自分から電話をかけることができました。清顕師が来て下さり、手を握ってくださって、安心してまた涙が止まりませんでしたが、この時初めて、「あ~御法様はずっと見ていらっしゃる、こんな私でも見守って下さってると」感じることができました。そしてお寺参詣もさせていただく事ができました。清顕師も「こういう事があっても極端に落ち込んだりお参詣しようという気持ちやお看経という気持ちが結果的に折れなかったという事がさっちゃんが本当に少しずつだけど強くなってる、信心が増進している証拠だと思います。それが何より有り難いです」と言って頂きました。でも清顕師もきっと心の中で「なんで?、なんで今またこんな・・・」と思われていたと思います。必死に「こんなことは誰にでもあるし、僕もしょっちゅう車ぶつけるし」と私がまた落ち込まないようにお話してくださいました。また会社の方も心配して病院を紹介して下さり頭のMRIから全身のレントゲンまで撮ってもらいましたがどこも異常はなく一週間の治療ですみました。

 そうしたこともありながらなんとか無事に夏季参詣をさせていただく事ができました。

 しかしまだまだ浮いたり沈んだりの毎日で、心は埋まらず、両親も心配して「いつでも駆けつけるからね」と言ってくれていたので、その言葉に甘えてみようと両親に来てもらうことにしました。

 両親は一か月滞在してくれ朝参詣や自宅でのお看経を一緒にさせて頂きました。少しづつ両親との間で会話ができるようになり一か月を過ごした後、一度帰ることになりました。 両親を見送って「大丈夫。もう大丈夫」と自分に言い聞かせていましたが、次の日に熱がでて、体中に湿疹ができ、また家からでれなくなりました。お寺参詣もできないし、清顕師にも連絡ができないしでまたひとりでいるなか不安になり、熱が下がってやっとお寺に向かうのですが近くまで来ると頭痛がして足も止まり寺内に入ることが出来ず、泣きながら帰る日々が続きました。一週間くらいたっても入れず階段を上ってきたところの公園でお題目を唱えていました。その時に清顕師からメールがきて、公園にいる事を伝えると、迎えに来て下さり、一緒に本堂に入って下さいました。その時に、清顕師から「もう一度、もう一度、御助行をさせて頂こう、今度は青年会の皆にお願いして、皆で詰め助行させて頂こう」と言って下さり、早速、次の週から来て下さることになりました。

 やはり、随分と皆と会ってなく、話してもいないので、来て頂くまでは心配と緊張で具合が悪くなりましたが、ここは乗り越えたいと思い、ずっとお題目を唱えてお迎えさせて頂けました。青年会の皆さんは御助行の呼びかけをして下さり、平日の8時という、仕事などでお忙しい中、毎日5~6人以上の方が来て下さり、それは本当に一生懸命にお題目を唱えて頂きました。そのあまりにも必死なお題目の姿を見て、皆の想いが自分の中に入っていくのがわかるのです。そして今までもう何も感じなくなっていた自分の気持が涙とともに「嬉しい、、ありがたい、、」と心の奥底から感情が湧いてきて胸がいっぱいになりました。

 それは本当に不思議な体験でした。自分の気持ちさへどうすることもできず、動かすことができなかったのに、皆さんのお題目によって引き上げられたような感じでした。そして今までずっと、心の中に塊のような物があったのがすうっと取れたのです。理解できないと笑われるかもしれませんが、私には本当にその物体の存在を感じ取ることが出来たのです。それは消えてしまった後に気付いたのですが、明らかに辛い物体がないのです。気持も軽く、もちろん身体も軽く、その物体を説明したいくらいでした。きっと私の罪障という物体だったんだと思います。そして「あ~私は病気だったんだ」と思いました。

 一週間のお助行の中にはお助行が初めての小林遼太郎君や入信して間もない柳沢琴絵さんや初めてお会いする正くんの彼女さんまでもが家に来て下さり、一生懸命御題目を唱えて下さいました。中でも渡辺麻美ちゃんは何カ月か前にお寺ですれ違った私を「私だとわからなかった」とそのショックに泣きながらお寺でお参りしてくれ、ずっとお助行をさせて頂けるようにご祈願して下さっていたそうです。詰め助行でも毎日毎日仕事が大変な中を頑張って早く終わらせ、間に合うように走って家まできてくれました。他にも本当にお一人お一人の想いが私には伝わってきて、そんな、皆さんの想いが、お題目の力となり私の心を動かしてくれたのだと思います。

 今までは、お助行中でもどんどん具合が悪くなり、なかなか続ける事が出来なかったのですが、今回は3日目から皆と合わせてお題目も唱えられるようになり、お参りの後皆とお茶しながら、少しづつ話もすることができるようになりました。また満願の日には午前中に貴子さんの家での部お講にもお参詣させていただく事ができ、お助行が終わる時には只々、涙が溢れてきて皆さんにも自分の言葉でお礼を伝えることができました。皆も涙ながらに喜んでくれ、「あ~本当にこんなに有難い信友がいるだろうか」と抱き合いました。

 その日の夜に御礼お参詣をさせて頂き、御宝前の前でお題目を唱えていると今までの事が思い出され、また涙涙のお題目でした。その後、ちょうどお当番をされていた清顕師にもお話させて頂くことができました。次の日には貴子さんと連合お講にもお参詣させて頂く事ができ、本当にふたり、ありがたい思いでいっぱいでした。

 ただそれからも今までが今までで長かった事もあり、身体もまだ本調子にはなれず熱がでたり目眩がしたりという事があり、すぐ万全にはなれませんでした。ご住職をはじめ、清顕師もお講師方もスリランカに行かれていた時には、やはり不安になり、また両親に来てもらうことになりましたが、これが今では御利益だったと思います。

 両親に来てもらって私も落ち着ついたころ、ずっと以前から父が胃が痛むと言っていたのが気になり、皆で病院に行くように言っていたのですが、なかなか気が進まず市販の薬を飲んでいました。でも丁度父が福岡の病院で働いていた時の同僚の方が横浜の大和の方に研修で来られていて、その人に会いに行くついでに検査もしてもらうように連絡をしました。そこで、わかったのが胃の腫瘍でした。

 両親は、私が心配をしてまた調子が悪くなったり自分を責めるのではという事を一番に心配をして、たいしたことないと言っていましたが、やはり私も家族も正直「なんで今?まだですか?まだ試練は続きますか?」と御宝前の前で泣きました。

 しかし、清顕師に「本当に御信心はタイミングだと思います。今、さっちゃんが元気になってのお父さんの腫瘍。前のさっちゃんだったら受け止められなかったのかもしれません、でも今のさっちゃんは御題目の御力を感得したのだと思いますから、今だったら臆することなく向き合えると思います。『難は菩薩の積功累徳』です。これでお父さんへの恩返しの孝行ができます」と言って頂き、受け止めることができました。自分自身が元気になって、次へのステップが自分の一番大事な父の為に祈ることができる機会を与えて下さったのだと。そう思えることが出来ました。また、家族でも「今一度、ここで家族が一丸となって、本当の意味の原家の罪障消滅、信心改良をさせて頂こう、家族が助け合おう」と話をしました。

 両親が地元へ帰り、離れて、離れてはいるけれど、朝夕のお看経を同じ時間にさせて頂き、朝参詣も一緒に頑張ろうと父が毎朝電話をくれるようになりました。一人ではなかなか負けてしまうけど、こうして家族が少しの言葉をかけてくれるだけで頑張れるのだと、離れているけれど一緒にお参りさせて頂けてると感じることが出来ることが本当に励みになりました。こうして頑張ることができるようになってふっと気づくと、ずっと薬なしでは眠れなかったのが眠れるようになり、頭痛も眩暈もしなくなっていました。

 朝、お寺までの階段をのぼるのさへ嬉しくてありがたくて、朝日が輝いて見えるようになりました。そしてなにより皆さんと一緒にお題目をあげられることの喜びは、お題目を唱えられなくなった私にとって本当に新鮮でした。手術までも皆さんにご祈願・お助行を頂き、4㎝近くあった腫瘍も穴を数か所にあけることで内視鏡で行えることになり、また開いてみると胃の裏であったのに取れやすい形であったことなど、とても短時間で負担なく終わることができました。それからも検査結果を東京へ移してということになりまた不安がよぎりましたが、そのお陰で気を抜くことなく続けてお題目口唱させて頂けたこと、またご住職をはじめ、皆さんが「気を抜かずにしっかりご祈願させて頂きましょう」と声をかけて下さり本当に心強かったです。

 はじめは、絶対良性でないと腫瘍も無くなるようにご祈願しなくてはと、それは自分の努力にかかっているような考え方をしていましたが、清顕師から「ご法様もおすがりして頂いた結果がどんな結果であってもお計らいですよ。自分考えだと本当はお計らいを頂いていてもそれに気付かない事になりますよ」とお話頂き、色々な事は考えず只、ただ一心にお題目を唱えさせて頂く事ができました。そうして検査結果を良性と頂き、家族一同、本当に「あ~本当に有難い。。本当に有難いね」と涙ながらに喜びました。ご住職をはじめ、皆様が私たち家族と同じように共に迷い苦しみ、共に励ましあい共にお題目を唱え御利益を頂け、共に喜びを感じて頂けた事、それが私たち家族にとっての一番の幸せであります。身にしみて感動しました。ご住職、これが本当の佛立家族なんですね。

 私は今年一年、こんなに辛い思いをしてわかったことは人は自分の事でさへどうすることも出来なくなる事がある。それは今、こういう時代のなかで誰でもがそうなる可能性があり御信心していても罪障と向き合わなければいけない時期がある、ということを。色々な事があって追い込まれていきましたがだからと言ってどれが原因なのか自分でもわかりませんし、自分が持って生れた業を正確に知ることもできません。ただ、こうして私はすべての心を失った時、唯一、お題目が残されていたからこそ助けて頂く事ができたのだと身をもって感得しました。

 先日のニュースで飯島愛さんの訃報を聞き、とても自分と重なりました。本当にとても可哀相な寂しい最期だったのだと思います。私もこうして助けていただかなければ同じようになっていたのだと思わずにはいられません。私は死にたいとかそういう意志さへも持つ余裕がなかったように思えますが、よく倒れていた時、誰も助けてくれなければ、こうしてお講師が来て下さらなければ同じように有り得た状況だったと思います。今思うと私が倒れる時も、いつも誰かがふっと現われて病院なり自宅まで送っていただいていました。しかも、私は大部分それが誰だったのか思い出せないのですが、今思うと御法様が守ってくださっていたとしか思えません。そしてそれはたくさんの皆様が私のご祈願、御助行をしてくださったからだ事によるお守りだと思います。

そしてこんな状態でもなんとか仕事を辞めずに済んだこと、これも普通の常識では考えられないようなお計らいを頂きました。働き始めから休みがちでひどい時期には一週間も二週間も休み、会社に行けても話もできず、具合が悪くてほとんど仕事は出来なくなっていました。もうごまかしもきかなくなった時やめることを決心し話をしましたが、それでも「大丈夫ですよ。みんなにも話をして無理なことはサポートしますので」と言って頂きました。職場の皆さんが心配して気を使って頂き、本来サポートの仕事なのに逆にサポートして頂いたりで、本当に助けて頂きました。この不況の中、有能な方でさへ職を失う時代にこのような待遇はどう考えてもあり得ないと思います。今考えてみると前の大好きだった職場を退職しなければいけなくなった時はどうして?なんで?と苦しんだけど、今の会社でなければこの状態で仕事をさせて頂く事はできませんでした。 御利益は、後になってみないとわからないと教えて頂く事がわかりました。それがこの御信心の有るか無いかの違いなのかもしれません。

 また私は本当に周りの人に恵まれました。家族にしても教化親の杉本貴子さんにしても、諦めずに御法を疑わず、ただ一心に祈ることを諦めなかった貴子さんの志に助けられたのだと思います。私が一言も話せず、お題目も唱えず、意識がない状態で、それでも私の手を引いて御宝前の前へ連れて行ってくれ、ひとりで涙ながらにお題目を唱えられていた姿を今は思い出しては胸がつまります。

 貴子さんの口癖で、「共々に」と言われるように本当に辛さも苦しみも悲しみも、共々に、受けられたと思います。そしてこの教化親・子のご縁を頂いたことを、とても偶然には思えません。これからもずっと、『共々に』、そして他の人とも『共々に』、一緒に歩けるような、そんな貴子さんのような信者になりたいと思います。

 そして、今回ずっと傍で御奉公して下さった清顕師には、本当に言葉では言い表せない想いです。大変なご奉公をさせてしまいました。私がもうこの世で清顕師しか助けてくれる人はいないというくらい究極に追い込まれている中でかなりの重荷であったと思います。ご自身のご奉公でお忙しい中、毎夜、毎夜、迎えに来て下さり、色々な配慮をしてくださり、また色々なお役を頂いていた私のご奉公までも受け持たれ、本当にすべてをお任せしてしましました。そしてなにより状態の悪い中では目が離せないほど本当に心配されたのだと思います。私の前では「大丈夫、心配ない、必ず良くなる」と貫いて、声をかけてくださっていましたが、後日談では、一緒に悩み、色々と揺らいであったのだという事をお聞きし、本当に自分だけが迷い苦しんでいたのではなかったんだと、思い知らされました。それなのに私は、「どうして?なんで?」と答えを求め続けその度に色々なお話をして頂きました。大変身を削られたと思います。本当に申し訳なく思っています。この前のご法門では自分が気付かせて頂くことがあったと言って頂き、少し救われました。

 先日、光薫寺の御導師もおっしゃっていただいていましたが、私はここ妙深寺だったからこそこの体験を御利益にさせて頂けたのだと思います。これからはこの御利益を頂いて、自分なりに自分の出来る精一杯で同じように苦しんでいる方を御救いできるような器にさせて頂けるよう、「弘通の器になれるよう」日々お題目で精進させて頂きたいと思っています。

 私の今年の目標は御助行を頂いた方への恩返し助行をコツコツ回らせて頂きたいと思っています本当に本当に長い間、ありがとうございました。

2009年1月1日木曜日

『世界が変わる年』

 新年を迎えて、世の矛盾を思う。貧富の差は拡大し、もはや安定的な職業などなく、不安な気持ちで正月を迎えている人たちがいる。政治的過失ともいえる金融危機、それに伴う世界的な雇用の危機は、私たちの暮らしに直結し、大混乱と大変革をもたらすに違いない。

 真実の仏教は、混乱期に乗じて人々の不安を煽るものではない。苦難や困難を乗り越えて、安心や安穏を手にする為の方法を教える。

 仏教団体やその教職にある者は、内向きの話や仏教用語の解説等に終始している。世界の情勢や人々の暮らしに無関心過ぎて口惜しい。知識ではダメだ。「信」を説かねば人は救えない。ご弘通も出来ない。

「信を説かば御法弘まる。法門すれば信者すす(進)まず」

 新興宗教は、巧みに社会問題を取り上げて人々の不安な心に取り入るが、間違った信仰は人と社会の双方に不幸をもたらしてしまう。

 正しい心を持たなければ人間は幸せになれない。正しい心を持つ人が増えなければ、世界に平和は訪れない。世界中に邪な心を持つ人間が多くいたなら世界は混迷を深めてゆく。心の薬も鏡も持たず、心が濁ったままであれば、人間は何をしていて、何を持っていても、幸福に生きてゆくことは出来ない。

「佛法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。佛法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば、影なゝめなり」

 この単純明快な真理を自ら知り、信じ、実践してゆけるようにならなければ、仏教徒として混乱の世に挑むことすらできない。

 高祖日蓮大菩薩は、七五〇年前、時の最高権力者であった元執権・時頼に「立正安国論」を上奏した。これは、為政者や日本国家のみを対象にしたものではなく、調和を失った人と世に対して、その立て直し方を布告されたものである。

「牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり。死を招くの輩、既に大半に超え、悲まざるの族、敢て一人も無し。」

 立正安国論の冒頭。生きようともがき、生きることに嘆く人々の姿を見て悲しまぬ者はいなかった。七五〇年御正当に当たり、昨今の厳しい社会情勢に照らし合わせて、我が身に当てて拝見し直すべきだ。

 諸分野に専門家や研究者を抱え、世界各地に様々な宗教寺院が軒を連ね、多くの人が貧困や不平等と献身的に向き合い、幸福と平和と繁栄を模索している。この英知と人々の奉仕はなぜ報われないのか。

 それは、人々が未だ真実の佛法を知らず、偏った教えを信奉しているからに違いない。多様化することは宇宙の業の一つだ。しかし、多様化し、乖離したものを一つにする「法」と「信仰」がなければ、対立と闘争を繰り返すばかりで、深い意味での調和と真に継続的で普遍的な発展が約束されない。

 立正安国論の結文には、

 「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ」

とある。敢えて「汝」と「あなた」に呼びかけ、混迷する社会を自分自身で乗り越えよ、と諭された。

 全ては自分の問題であり、全て自分で解決できるはずだ。まず、その覚悟をもって人生に対処しようとするのが真実の仏教徒である。

 如何に社会が理不尽であろうと、矛盾が溢れていようと、今や仕方がない。諦めることを勧めているのではい。他者への依存ではなく、自分が世界を変えてみせるという気概、一人が変われば世界はより良く変わってゆく、一瞬で世界は変わるのだと確信を持ち、力強く生きることを勧めている。因果の道理で説かれる真実の生き方は、宇宙誕生以来敗北したことがない。

 権益を有する者と有しない者、学歴のある者と無い者、富める者と貧困にある者、強者と弱者など、人はそれぞれ立場も環境も異なる。決定的な線引き、絶望的な差別も未だに根強くあるかもしれない。しかし、「汝」が生き方を変えれば、世界も国も身も心も、安全にして定まることができる、と説かれている。それを実現するための佛立信仰であり、佛立信仰とはそれを実現できるものだ。

 ベルリンの壁の崩壊から二十年。また世界は大きな変革期を迎えた。このままの体制が続くはずはない。危機的な状況が目の前に迫っても、慌てず、嘆かず、まず「心を立て直す」「正しく信心を立てておく」「信心を立て直す」と腹に決めて、再生と躍進の好機としていただきたい。「立正安国論上奏七五〇年」に当たり、私たちは「立正信行」と題して、共に危機を乗り越えてゆきたい。それこそ、お祖師さまの御意だと考える。

 時代が厳しく、状況が刻一刻と変化すると、視界が狭まり、目先のことしか見えなくなってしまう。結果として、先を読み誤り、大切なもののプライオリティーがつかなくなる。人間関係のトラブルが増え、人への思いやりがなくなる。言い方はぞんざいで、自己中心で、上辺の嘘も増える。仕事でも家庭でも、口先だけの言葉や思いつきの言動で、悪循環に入ってしまう。

 このような時代、年だからこそ、今さら愚癡を言っても始まらない、不安に怯えていても、極端に開き直っても仕方がない。佛立信心を心の柱として、自分の果報の中、流れの中、御縁の中で、最大限の努力をしていれば、必ず報われる。お導きがあり、お見守りがある。これは絶対に間違いない。

 今まで、いつも御法さまからの御縁をいただき、チャンスをいただいてきたことを思い返し、全て完璧なタイミングだったのだから、この難局でも、視界を良好に保ち、心が乱れ言動が定まらないということのないように、御法さまからのお見守りやお導きがいただけるように、「立正信行」を目標にして本物の信心を進めていただきたい。その覚悟、その生き方こそ、佛立信者の真骨頂であり、妙不可思議の御利益をいただく肝だと思う。「今正しく是れ其の時なり」

 百年に一度の大恐慌だろうと、

「欲なくばこわい物なし信あれば 人を助くる楽しみもあり」

との御教歌を胸に、朝夕のお看経を怠らず、人間の本業・菩薩行を忘れず、あらゆる人間関係の中で、活き活き、強く、明るく、正しく生きてゆけるはずだ。
戦争、地震、疫病、飢饉など、極めて深刻な事態に直面するかもしれないが、「立正安国論」の御意、危機に備えて不屈の信心を培い、苦悩する人々をも支えて欲しい。

 危機を乗り越えて世界は変わる。変わらなければならないし、変えなければならない。その新文明の先駆として、佛立信者が試される。世界が変わる年。それは、世界を変えるべき年だと思う。

班長さんへの手紙

 ありがとうございます。

 平成二十一年となりました。何度もご披露して参りましたが、今年は、「立正安国論上奏七五〇年」の御正当の年であり、その大切な教えを現代に活かし、自分の生活、ご信心に活かすべき年であります。

 誰でも分かるとおり、世界的な経済危機が迫ってきています。もはや対岸の火事などと言っていられません。一両日中にご信者方の生活にも暗い陰を落とし、影響が出てきます。本当に恐ろしい事態で、心配でなりません。

 ご信心は、政治や医学で救えない人を救う使命があります。本来の仏教、本当の宗教はそうでなければなりません。平和の時の信心ではない。危機や乱世の時こそ、信心の真髄を理解し、本当の御利益を感得すべき時です。

 それを、このテキストを読むお役中だけでなく、妙深寺に御縁のある全ての人、皆さんに関係する全ての人に伝えていくのが本当のご奉公です。どうか、「政治でも救えない人を救うのが私たちなんだ」と思ってください。そして、実践していきましょう。

 何度お話をしても、ご信心に前向きにならない方もいます。人間とは難しいものですね。自分自身が、本当に人間の力ではどうしようもない事態に陥らなければ手を合わせる心もお参詣しようという気持ちにもなりにくい。

 しかし、それで仕方ないと思います。凡夫とはそういうものです。セーフティーネットという言葉がありますが、私たちのご奉公は、ある意味でこれに当たります。普段は興味も無く、うるさそうにしている人でも、危機に際して皆さんの言葉を思い返します。平生の態度に躊躇して、こちらからの声かけ、働きかけを怠っていたら、私たちの怠慢、懈怠となりますから、とにかく危機を目前に控えて、ご奉公を徹底してさせていただきましょう。

 本年は、「立正信行」をテーマにしています。「正しく信心を立てる」「ご信心を立て直す」を目標に、合い言葉にして、危機に備えたいと思っています。

 皆さんは想像ができますか?貧困に喘ぎ、衣食住に事欠く人たちが溢れている横浜を。すでに、愛知県の豊田市などでは職を失った人たちがスラム街のようなものを作り始めていると聞きますし、市の税収も九割減ということです。もう犯罪が増え始めたと聞きます。横浜でも同じような事態が訪れると思って、とにかく、立正安国論にあるように、飢饉や疫病、地震や戦争があると考えおいてもいいと思うのですが、まず確かに現証の御利益がいただけるように、私たちから「立正信行」を目指して、御法さまに「惜しまれる」人にならなければなりません。

 「娑婆の夢に迷ふべからず。菩提の道、怠るべからず。懈怠、不参、謗法といふは、みな迷ひに引かれ、悪縁の深き故也。今度は此の悪縁を思い切ること、娑婆信行中の第一の肝要也。これより外に大事なる御法門はなき也」

 御教歌に、「欲なくばこわい物なし信あれば 人を助くる楽しみもあり」

 欲に迷うことも、悪い縁に引かれることもなく、ご信心を第一にして、菩薩行とご奉公を楽しみにして生きていけば、百年に一度の経済危機が訪れようと怖いものはありません。必ず、御法さまのお見守りとお導きがいただけます。それを、一人でも多くの人に教えてあげていただきたい。功徳を積んでいない人にとっては、最悪の事態となります。全てを失う恐ろしさ、怖さ、情けなさに、生きる希望も失ってしまいます。どうか、こんな時代だからこそ、功徳の積み方を教え、信心に導いてあげていただきたい。まず、寒参詣、全力で取り組みましょう。