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2009年2月28日土曜日

アラフォー、終わり。

 久しぶりの更新になってしまった。門祖会が終わって、ちょっと気が抜けたかな?いやいや、そうではない。席を温める時もなく飛び回っていたが、まぁ~花粉がすごい。花粉と一緒に風邪を引いたようで、いつもと鼻水が違う。こんなことじゃ、3月を迎えられん。
 実は、今日一日で「アラフォー」の終わり。実は、先週くらいに、初めて「アラフォー」という意味を知った。友だちが教えてくれた。なるほど、40前のことを「アラフォー」と呼ぶのね、そう、へぇー、と。「around 40」という略なんだ。おじさんにはちょっと難しかった。また、取り残されてたなぁ。
 そう、3月1日が誕生日なのだが、明日で40才。若い?「あら、まだそんな年だったのぉ?」「えぇ~、もうそんなに言ってたんですかぁ?」と、まぁ何とでも言って。年齢不詳が一番いいんだが、仕方ない。先月から局長のご挨拶で「え~、あと1ヶ月で、ご住職は~(笑)」とか、「今回の門祖会はご住職は30代最後の奉修でございまして~(笑)」とか、「40になったら惑わずと申しますのでぇ~(笑)」とか、大々的にご披露くださっているしなぁ(汗)。そう、仕方ない、40です!まだ。もう。
 実は、自分自身40になるということを人一倍意識していたと思う。だって、男として一番充実した10年にしなければならないし(実は30代のこともそう思ってた。思い出した・笑)、ここを充実させられるかどうかで、自分の人生が甲斐あるものか、価値あるものか、天に誉めていただけるか、呆れられるか、決まってくる。友人とも話をしていたのだが、俗な言葉を使えば、人生最後の10年間くらいに思って、とにかくいい男、欠かせない人間、他には見当たらない生命体を目指したい、と。まぁ、「いい男」は別として、御法さまにお褒めいただけるような、御本意にかなった生き方をさせていただきたい。
 もう、40か。まだまだ、惑ってばかりだな。修行が足りん。とにかく、明日は誕生日。月始総講。品尾お祖母ちゃん(曾祖母)の祥月ご命日。品尾お祖母ちゃんの恐ろしいくらいのご弘通への想いを想像し、思い起こして明日は過ごそうかな。祥月ご命日に生まれたのも、何かご因縁だと思うし。やるぞ。

2009年2月24日火曜日

ルーリン彗星の接近

 天文少年。宇宙大好き。これは、母親の影響だろうか。
 母は、日博上人が「地球の外に、きっと私たちのような命を持つ生き物がいるはずだ」と聞いて、いつも眼を輝かせて話してくれた。私も、夜の空などを眺めながら、子どもの頃からそんなことを考えていた。そういう思いを「宇宙からの贈り物」という文章にした。
 NASA(米航空宇宙局)は3月5日に太陽系外にある地球型の惑星を探す初の人工衛星「ケプラー」を打ち上げるらしい。若田さんが乗るディスカバリーが延期されているので、これも延期されるかもしれないが、地球に似た環境で生命の存在も期待してワクワクする。果たして、太陽系の外、この銀河系の中にどれほど地球方の惑星があるのだろうか。
 ケプラーには、超巨大な宇宙望遠鏡を搭載されている。ケプラーは恒星の前をたまたま通過する小さな惑星の影を捉え、この現象によって地球型の惑星を検出するらしい。
 これまで地上での同様の観測などで系外惑星約300個が見つかっている。そのほとんどがガス惑星で生命の存在する可能性は希薄。しかし、今回ケプラーの検出器は地球の大気の影響を受けないので、検出の精度が高く期待されている。3年半以上、銀河系内の恒星約10万個を連続観測するとのことで、報道では第2、第3の地球の候補はそれほど珍しくないことになると伝えている。
 有名な「ドレイクの方程式」によると、天の川銀河(銀河系)に人類と同じような高度な技術文明を生命が存在するかを考える上で、次のような公式が導かれている。
「N=Ns×fp×ne×fl×fi×fc×L/G」
 この銀河系に存在する高等文明の数を「N」とすると、「Ns」は銀河系に存在する恒星の数。「fp」は、その恒星が惑星系をもつ確率。「ne」は、そのなかで生命が生存可能な環境をもつ惑星の数。「fl」は、そこに生命が発生する確率。「fi」は、その生命が知的生命体に進化する確率。「fc」は、その生命体が他の星に対して通信をおこなえる確率。「L」は、その高等文明の継続時間。「G」は 恒星の寿命。
 数式1つ1つに数字を当てはめ、科学的に推定を加えると、現時点で人類と同じような高等技術文明を持つ知的生命体が存在する可能性のある星は約1000個。これは、想定できる数値らしい。
 しかし、この数式で最も重要なのは「L」。皮肉なことに、高度な技術を持ち、宇宙の存在を知る高度文明は、わずか10000年(別の本には100年とされているのだが)で崩壊するとされている。智慧を発達させると同時に人類は愚かさから自滅するという。
 残念ながら、1000個の恒星までの平均距離は、およそ100光年。文明の継続時間がもし10000年だとすると、地球圏外の生命と交信することは極めて困難だと思う。
 実は今夜、ルーリン彗星が地球に再接近する。地球と太陽との間の距離の半分?どういう距離なのか分からない。「近い!ヤバくない?」と思うが、遠いらしい。6130万キロ。昨年、台湾の鹿林(ルーリン)天文台が発見したことでこの名前が付けられた。NASAの観測で、この彗星は毎秒3000リットルもの水を吐き出して飛んでいることが分かっている。今回、この彗星が太陽に接近するのは初めてという説もあるが、いずれにしても周回軌道は数万年に一度しか地球に接近しない。
 前回地球に接近したとすれば旧石器時代。歴史のロマンだなぁ。人類をどのように眺めたのだろう。次に地球に接近するのは数万年後。人類は存在しているのだろうか。先年行われたギャラップ社の調査では、米国の45%の人が「人類は約一万年前に神により創造された」と答えている。ちょっとスケールが小さく感じる。そんなん、ルーリン彗星が通った程度のレベルやん。とにかく、百年に一度の経済危機が世界を覆い、オーストラリアでは史上初の47度の熱波と森林火災、中国では60年に一度の旱魃。そして、極めつけは数万年に一度飛来したルーリン彗星。なるほど。
 今年、立正安国論上奏750年。三災七難の中に、「日月失度難」「星宿変怪難」などがある。今年は日本でも皆既日食もある。そして、彗星の飛来。いろいろなことが符合していて、お祖師さまの「立正安国論」を拝見し、襟元を正して御意をいただける。御意をいただいたなら怖いものなんてないから。そうお諭しくだされている。
 今夜、夜空が晴れていたら、天文少年になろう。

コロンボへの空襲

 スリランカから衝撃的なニュースが飛び込んできた。
 20日夜、コロンボ市内が空襲されたという。反政府武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」が小型飛行機2機を使ってコロンボ上空に侵入、1機は市内中心部にある政府の国税事務所のビルに突っ込んだ。この場所は、いつも通っている道沿いにあり、ホテルから800メートルほどしか離れていない。そのビルに飛行機が?ニューヨークの同時多発テロを思い出して、恐ろしくなる。
 町中に対空砲が据えられているのは見ていたが、あれが領空を侵犯してきた小型飛行機に向かって発射されたのだという。小型機は爆弾を積んでいたということで、対空砲で撃墜され、ビルに突っ込んだ。
 事件後、コロンボ市内は停電し、住民はパニック状態に陥ったという。すでにLTTEがウェブで犯行声明を出し、訓練された者による攻撃だったことが分かった。政府は追い詰められたLTTEの次なる攻撃に備えてコロンボ国際空港を閉鎖したという。ご信者のみんなが心配だ。

2009年2月23日月曜日

物置で食べていただいているのです(涙)

 妙深寺の三大会となると、約100名ちかくの方々がご奉公してくださっている。100名のご奉公者が1200名の方々がスムースにお参詣できるように支えてくださっているのだ。
 そのご奉公をいただいている方々への扱いはひどい(汗)。いや、そんなことはない。冗談です。一生懸命にご奉公者へのホスピタリティーを総務部などで考えてくださっており、婦人会の方々、特にみのり会の方々は、ムチャクチャ美味しいおにぎりを作ってくださっている(このおにぎりは本当に美味しい。昨日も、奉修導師用にご用意くださった御膳は少し残してしまったが、夕方このおにぎりを2ついただきました)。
 でも、そのおにぎりを食べるのは物置(涙)。幕は張ってあるものの、物置ですよ(涙)。妙深寺の部屋という部屋は全部使ってしまっているから、ご奉公者がゆっくりご供養をいただく場所がない。子どもたちには第二本堂のロビーを開放したし(昔はここでいただいていた記憶がある)、みんなで我慢して、子どもたち、お参詣者の方のためにご奉公してくださっている(涙)。僕も、みんなと一緒に食べたいなぁ。やっぱり美味しそう。

お看経係のご奉公

 お看経係のご奉公。有難い。一生懸命に、みんなが唱える御題目をリードしてくださっている。こうした普段から慣れている方々でも、ご奉公の前にはしっかり練習してくださっている。妙深寺では、三大会となると特別の法要式を採用しており、ちょっと慣れないと難しいのだ。いや、新しい人に分かるように、唱えやすいようにしてあるから簡単なのだが、いつもの法要式に慣れている人の方が難しいかも。
 ベテランの方々、いつも御題目をたくさんあげられている方のお看経は安心できる。奉修導師としても、頼りがいがあって嬉しい(涙)。

子どもの広場もあるんです

 まだまだ、載せたいご奉公部署があって、また次回にまわしてしまったら載せる機会を失してしまうから、もう頑張って書いてしまおう。実は、門祖会の一座~三座まで、奉修導師として緊張してご奉公させていただいたので、電池が少々切れ気味。でも、もう復活しないと。充電、充電。充電終わり。
 天気はいいけど、私も花粉症なのでお鼻がムズムズ。お参詣の方々にもマスクをしている方が多かった。私もマスクしたかったけど、奉修導師がマスクなんて(汗)。真理先生にお薬をいただいたので、点鼻薬と目薬をさして何とかなった。有難い。
 子どもの広場は三大会すべてで開かれている。子どもたちを第二本堂のロビーにご案内。「ここでおとなしくしてて!」って。ちゃんと、薫化会の方が預かってくださる。会長の佐々木さん、ありがとう(涙)。テレビには本堂の模様が映っていて、御法門も聴聞できるようになっている!すごいでしょ?当たり前かな?トンチとパンチの効いたご奉公を目指しています(笑)。
 でも、本堂に子どもがいても負けません(笑)。日博上人の時代を考えれば、今はまだ子どもが少ない方だから。といっても、妙深寺は今ベビーブームだけど(汗)。御法門中に、エーン、エーンと泣き出しても、走り回っても、ご住職は負けないぞ!というオーラを出して、声を大きくして対抗してる。
 まぁ、御法門を聴聞している方々の方が気になるらしく、あまりにひどいと仕方なく本堂から出て行くように促されてしまうが。それでも、余程のこと。しかも、あまりお母さんに冷たくしないで欲しいな。「うるさいわね!子ども連れて出て行って!」というようなことは絶対に言って欲しくないな。子育ては大変だもの。そういう世代の人に、一番ご信心を勧めたいのだから。先輩のご信者さんも、上手に促す工夫が出来たらいい。そして、お母さんもお父さんも、お互いに思いやりを持てたらいい。こういう場面でトラブルが起きないように、お子さんを預かるご奉公がある。

楽しいご奉公 ご奉公は楽しい

 妙深寺は楽しい!楽しいって思っていただけるように、昨日の門祖会の奉修が終わった後、本堂で御礼のお看経をさせていただいて、その後で清康師と綾子ちゃんの結婚式のビデオを放映した。みんなゲラゲラ笑ってくださって、よかった。まだご奉公中の部署もあったので申し訳なかったが、時間的な制限があるのでご容赦いただいた。
 御礼のお看経では、奉修が滞りなく円成できたこと、各部署のご奉公が無事に終えられたことを御宝前に御礼申し上げる。また、ご奉公中に「知らず図らずの御不敬や懈怠」があったことをお懺悔させていただく。そして、あらためて、それぞれの罪障消滅、信心増進、御利益感得をご祈願させていただだくのだ。
 これだけでも、佛立信心の基本理念、教えが活かされていて、ありがたい。ご奉公は「させていただく」もの。「やってやった」では功徳にならない。御教歌「願くはつかひ給はれ奉公を するなんどいふ 身分ではなし」。そして、頑張ってさせてもらった中でも、何か心得違いや間違いがあったのではないかと省みてお懺悔。とにかく、ありがたい。
 今回の門祖会では、前の項でも書いたが新しい試みがたくさん。接待のご奉公を担当する婦人会さんの部門でも新しい方が着物を着てご奉公してくださった。接待の場所は庫裡の二階で、お給仕の練習。今回は御衣をたたむご奉公などはなかったのだが、本当に綺麗な所作でご奉公してくださった。
 御教歌「信心のよわさつよさはことの葉に あらはれ所作に見ゆるもの也」。お祖師さまは「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」とお諭しになられている。お給仕のご奉公は、私たちが御法さまを前にして所作振舞を学ばせていただくことに他ならない。
 本堂内の席上を整えたりご案内したりするご奉公から、寒風の中の駐車場のご奉公、受付のご奉公、厨房でご奉公者のご供養を作ってくださるご奉公などがあり、そうした部署や方々を挙げれば切りがないが、そういう方々の御力で多くのお参詣者をお迎えできている。写真を撮っていただいていたので、ご紹介したい。
 もう、今日の横浜は雨。一日ずれていたら大変だった。もちろん、世界的には雨の日だって必要だ。佛立第11世日颯上人はお会式が雨の奉修になると「お百姓さんが喜ぶ」と仰っておられた。オーストラリアでは47度の熱波に襲われ、まだ山火事は燃え続けている。中国は60年に一度の旱魃に襲われている。しかし、やはり今回の春のように温かいお天気の中で、大勢の方々にお参詣いただけたことは、この上なく嬉しい。

2009年2月22日日曜日

ご奉公者募集中

 御会式での工夫は、本当にすごい。みんなが、いろんなことを自発的に行ってくれていて、もう僕の出る幕がない。
 今回、特に新しい挑戦は「ご奉公者の募集!」というご奉公。第二弘通部の方々が発意でスタートしたご奉公で、大勢のお参詣がある御会式の場を利用して海外部や広報部、施設部のご奉公者を募るというもの。土曜日の奉修が終わった時点で「いや~、もうこんなに申し込んでくれましたよ!」と申し込みの紙を見せていただいた。ほんとだ。すごい。
 名前とメールアドレスを書いていただいて、こうして連絡を取ってご奉公しようね、ということだった。有難いなぁ。司会のご奉公も、シナリオは杉崎さんが完璧に作ってくれているし(妙深寺のお会式ではシナリオを作っている。分かりやすい言葉を使って、お参詣の方にご披露できるように作ってくださっているのである)、司会者を囲む方々もスムーズな座の流れを完璧に作ってくれている。表でも裏方のご奉公でも、本当に工夫や新しい和気藹々の雰囲気を作ってくださっていて、うれしい。
 ありがたい。

お教化のできる門祖会!盛大に奉修!

 土曜日、日曜日と、妙深寺の平成21年度・門祖日隆大聖人・門祖会が奉修された。いま、奉修の直後で、心地良い疲れと共にブログを書いている。
 二日間ともに快晴の下、現時点での参詣数1261名(他寺院・ボーイスカウト・ガールスカウトを除く)のお参詣をいただいて、本当に盛大に奉修させていただくことが出来た。また、今回の門祖会は住職が奉修導師ということだったので、他寺院からの団参もいただかず、完全に寺内のみで奉修させていただくことになっていたが、北は北海道から南は九州、関西から関東近郊の寺院から多くのお参詣をいただいた。
 参詣将引のご奉公では、「お参詣します」という方の集計を部長さんがしてくださっているのだが、今回は直前まで例年よりも少ないのではないかと心配していた。しかし、土曜日の第一座で432名のお参詣。では、土曜日にお参詣をいただきすぎて日曜日のお参詣が少ないのではないかと心配していたが、そうではなかった。本当に、お参詣者の方々の功徳、ご信心がありがたい。
 今回の門祖会でも、昨年秋の高祖会に続いて薫化会の子どもたちが練習を重ねて法鼓のご奉公をしてくださっていた。いったい、何人の子どもたちが法鼓を叩けるようになっているのだろう。交代交代で、それぞれの座ごとに交代して叩いてくれている。しかも、うまい!じょうず!すごい!教えている参与さんよりうまいんじゃない(笑)?
 今回のお参詣者の方々を拝見していて、妙深寺の三大会(さんだいえ)の傾向が分かった。本当に新しい顔ぶれの方々が増えている。また、ご信者が多くの友人や知人の方を誘ってくださり、いわばそうしたご信者ではない方々のお参詣も多い。数年前から「感動あるお会式企画」の部署を作り、それぞれ工夫をこらしたご奉公を進めてきてくださったのだが、完全に実りの時期を迎えたのだろう。丁寧な説明、ご案内、ご挨拶など、分かりやすい、お友だちを連れてきたくなるようなものにしてくださっているのだろう。
 それぞれの座の奉修直後に、奉修導師と出座教務諸師が御控之間に下がるのだが、これを今回は新しい方々との交流の時間にさせていただいた。つまり、奉修の後で本堂の後ろに来てくだされば、私もお参詣者の方々とお話ししたり、ご挨拶させていただけるのである。今回、こうしてご信者さんではない方ともふれあうことが出来て、本当に充実したお会式になった。
 昨日の夕方、土曜日の奉修後に、安彦さんから連絡があった。「ご住職、いらっしゃいますか?時間をつくれますか?」と。私は「はい」と答え、安彦さんは「では今からお寺に行きますから、お時間ください」と言って電話を切った。30分後くらいして安彦さんがお着物を着た女性をお連れになった。お話をお聞きしてみると、安彦さんは「ご住職が誰とでも会わせてくださいって仰ったのを聞いて、もう自分でも分からないのだけど、この方がされているお店に行って、お寺のことをお話ししていたら、では行こう!となってお連れしたの」ということだった。その女性といろいろなお話をする中で、「ぜひ、私もご信心させていただきたい」となり、その場で御本尊拝受願いをお書きになり、「こんなに清々しい気持ちになったのは久しぶりです」とお喜びいただいてお帰りになった。お教化のできる御会式。本当にありがたい。
 もっともっと、書かせていただきたいことがあるが、今日は大阪からゆかなちゃんもお参詣くださったし、ベルリンから平成のミケランジェロ・田口行弘くんがお参詣くださり、本当に有難かった。田口くんのすごさについては、また別の項で書かせていただきたい。彼は、本当に才能を開花させ、世界が認める芸術家として大成しようとしている。今回は第12回 文化庁メディア芸術祭で「Moment-performatives spazierenが優秀賞と受賞し、国立新美術館での表彰式に出席するための来日。本当に、すごいなぁ。お参詣も、ありがたい。
 門祖会、またまた素晴らしいご奉公をしてくださった皆さまに、感謝、感謝。

2009年2月21日土曜日

門祖会の前日

 明日は妙深寺の門祖会。
 まだ、御法門の最終稿が上がらない。まだまだ、奉修のギリギリまでかかってしまうかもしれない。このような形ではいけない。もっともっと前から準備させていただくべきものだ。準備は数ヶ月も前からしてきたつもりだが、まだ完成しない。
 御法門。御教歌を選ばせていただくだけでも、34首を挙げさせていただいて、その中で、本門祖会のテーマ「現代に活かす立正安国論」、そこにお参詣される方々を思い浮かべ、特に立正安国論の御意をいただきながら推敲を重ねていく。特に、大会(だいえ)には普段はなかなかお参詣できない方々、御法門の聴聞できない方々も来られるから、そこが難しい。厳しい教えを分かりやすく、行いやすく、と。
 立正安国論は日扇聖人全集19巻17頁から、開導聖人がお書き入れされてある原文が掲載されている。その冒頭だけ拝見させていただいても有難く、また深く、説かせていただくには覚悟がいる。しかし、特定の人だけが分かっていても仕方ない。立正安国論の御意をいただいて、「動き出す方々」になっていただき、人も世の中も平和で安穏になっていただきたいのだから、頭を抱えてしまう。
 とにかく、頑張ります。

2009年2月19日木曜日

お坊さんは嫌い?

 ある人からメールをいただいた。お坊さんの悪口を言われて気分が悪くなった、と。しかし、よく考えてみると自分もお坊さんは嫌いなので、「僕もお坊さんは嫌いです」と書いたら、「嫌いというのはいけません」と返信があった。なるほど。
 確かに、「嫌い」という言葉や意識はよくない。自分では、世界で最も素晴らしい「仕事(こう言っていいか分からないが)」が「佛弟子」「僧侶」「お坊さん」であると思っている。その思いが強くあり過ぎて「嫌い」という言葉になってしまったのかもしれない。本当に、世間の人が考えるのとは真逆で、プロスポーツマンよりも、会社の社長よりも、華やかな世界で活躍するプロデューサーよりも、「お坊さんは格好良い!」と思っているから。しかし、それは理想論だ。「嫌い」というのはよくないと言われても、それも一面きれい事で、しっかりと自分の言うべき事、守るべきものに対しては、ただ単純に受け入れることが良いろはいえない。
 いつも言っているが、万人は救いたいが、残念ながら万人は救えない。父の愛と母の愛に違いがあるように、時に厳しい眼で果たすべき使命や役割を考えてみることも必要だ。特定の「お坊さん」を名指しして「嫌い!」と言っているのではなく、自分も含めて「僧侶」「お坊さん」の現実を見てみると「嫌い」と言いたくなる。なぜか。それは、私たちがモノを売っていないからである。私たちは「佛の教え」を説かせていただいて生きている。その「教え」「生き方」が何でも良いはずがなく、理想と現実の中で圧倒的に「お坊さん」は分が悪い。世間の人に「くそ坊主」と言われても、「生臭坊主」「坊主丸儲け」と言われても仕方ないところもある。
 いや、お坊さんも頑張っている、良い人もいる、と言われても、いろいろな定規を当てて考えてなければ、やはり的を得ないと思う。すべてを愛して、争いもなく、と仏教の大原則である平和主義は、消極的なものではないと思う。本物の仏教者は、積極的平和主義であり、しっかりと線引きしないと。
 御仏は、様々な経典の中で、佛弟子への注意を喚起している。まず、一番心に置かなければならないのは、仁王経の「護三宝者転更滅破三宝、如師子身中虫自食師子非外道」という文で、「外道や悪人は如来の正法を破り難い。しかし、外道には破られなくても、佛弟子等が必ず佛法を破る。獅子の体内に寄生して、ついには獅子を死に至らせる虫のように」というもの。仏教は究極の教え、世の中や人々の心の闇を照らすもので、それは「外道」、つまり仏教以外の宗教には破ることの出来ない教え。
 しかし、残念ながらそれを壊してしまうのは「佛弟子」、つまり「お坊さん」ということだ。有名な「師子身中の虫の師子を食む」とは、現代では組織などの内部にいながら害をなす者や、恩をあだで返す者を言うが、元来は佛弟子でありながら仏法に害をなす者を言った。お坊さん自身が佛の教えを破って、それで平気になることを指す。
 お坊さんの中にも、必死で生きている人、修行に励む人、それぞれにいて尊重すべきだと思う。しかし、これも「教」「行」「証」で冷静に分別して、①その信じる道が佛の教えに適っているか、②その行っていることが自己満足で完結していないか、③実際にその人によって救われている人がいるか、というチェックも必要だと思う。一つでも欠けていたら、ちょっと残念なことになるはずだ。
 死んで、閻魔様の前に行って、「お前は真面目に頑張ってたけど、仏さまの教えていることからズレてたね。残念!」とは言われたくない。まして、自己満足の修行者ならば、イスラムの戒律を守って修行しているムスリムや修道院でマリアに貞節を捧げた尼僧などの足下にも及ばないのではないか。正法正信、正法邪信、邪法正信、邪法邪信という定規も必要だと思う。「サッダルマ(正法)」を求めることと、正しくサッダルマに沿って生きていくことの、指標になるような生き方を、お坊さんができればいい。
 別の御経には、お坊さんが正法正信(正法を正しく信じる)でない場合は、「食法餓鬼」となると説かれている。
 「食法餓鬼と申は、出家となりて佛法を弘むる人、我は法を説けば、人尊敬するなんど思ひて、名聞名利の心を以て人にすぐれんと思て今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法餓鬼とて法をくらう餓鬼と申なり。当世の僧を見るに、人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり、是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり。是は未来には牛頭と云ふ鬼となるべし。又人にしらせて供養をうくるとも、欲心に住して人に施す事なき人もあり。これは未来には馬頭と云ふ鬼となり候。」
「悪象等に於ては畏るゝ心なかれ、悪知識に於ては畏るゝ心をなせ。何を以ての故に、悪象は但身をやぶり意をやぶらず、悪知識は二共にやぶる故に。此悪象等は但一身をやぶる。悪知識は無量の身、無量の意をやぶる。悪象等は但不浄の臭き身をやぶる。悪知識は浄身及び浄心をやぶる。悪象は但肉身をやぶる。悪知識は法身をやぶる。悪象の為にころされては三悪に至らず。悪知識の為に殺されたるは必ず三悪に至る。此悪象は但身の為のあだ也。悪知識は善法の為にあだ也」
 自分への自戒と反省もこめて。

梅の花 友人の死

 妙深寺の境内にある梅の木。毎年、寒参詣中に一粒の花が咲き始めたと思ったら、次々に花開いて春の訪れを感じさせてくれる。
 今週末は門祖会が奉修される。今年最初の大会(だいえ)となる。テーマを、「現代に活かす立正安国論」として私が奉修させていただくこととなっている。今年は如何なる年であり、その年を如何にして過ごしていくべきかを、「立正安国論」の御意をいただいて説かせていただきたいと思っている。
 また、準備ご奉公の金曜日だが、明日のみ京都に行かせていただいて、本山宥清寺で奉修される日宥上人の御年回に出座させていただく。お声をお掛けいただくだけでも勿体ない。末座にて御題目をお唱えさせていただき、一分の御報恩をさせていただきたいと思っている。京都でのご奉公が終わったら一刻も早く横浜に戻って門祖会の準備をさせていただかねば。御法門を研鑽する時間がない。
 先週、私の高校時代の友人が急逝したと連絡があった。実は昨夜、通夜があって駆けつけた。また、古くからの友人たちが集まっていた。高校時代の友人。自分の高校時代は、同学年の中でもひときわヤンチャで、本当に振り返ったら恥ずかしくなるくらい騒がしかったと思う。昨日の夜、先に逝ってしまった友人を見送りながら、ほんの少しだけ旧友と会話を交わしたが、それぞれがお互いの顔を見ながら驚いていた。変わったな、変わってないな、と。
 先に逝った友人の高校時代の姿を思い浮かべていた。廊下を走り回る姿。阪神が優勝した時など、大騒ぎしていた。卒業後、一緒にジェットスキーに行ったこともあった。彼は高校の教師になった。高校時代もサッカー部で活躍していたが、教師となってからも少年サッカーの指導者として活躍していたのだろう。焼香に並ぶ私の前に、ユニフォームを着た少年たちが20名以上も神妙な顔で良い子に並んでいた。40才で世を去った友人を思い、彼が残した軌跡を感じて、御題目を唱えさせていただいた。涙を拭きながら、参列者をしっかり見て、ご挨拶していた奥さんが痛ましかった。
 無常だ。一緒に過ごしてきた仲間、お世話になった先輩の病や訃報が、最近特に続いている。年齢のためなのだろうか。いや、そうではない。しっかりと、生きていかなければならないという彼らからのメッセージを大切に受け止めなければならない。遺された友人たちとも、そう話し合っていた。いつ、何があるか、分からない。いま、もう一度会っておこう。話をしておこう、と。同窓会など、ついぞ考えたこともなかったのだが、そういう気持ちになった。
 父が、とにかく友人を大切にせよ、と教えてくれた。しかし、なかなか難しいものだ。ベタベタとくっついて話をすることも上手ではないし、どうしても「久しぶりだな」となってしまう。ごく最近になって、もっと友人のために自分に出来ることがあっただろうと反省している。本当に、大切な友人たちだから。
 昔は、肩を張っていたし、見えていなかったこともあったし、理想に燃えすぎていた。でも、今は、等身大で、ゆっくりと人生を語れる。もっと身近に感じられる。ひろし君が、いつも自分の友人のために尽くしているように、俺も少しは頑張らないと。

2009年2月16日月曜日

神奈川新聞さま!

 ありがたいことに、今朝(16日)の神奈川新聞の朝刊に、妙深寺を大きく取り上げていただいた。ありがたい。
 今月初旬、神奈川新聞の記者の方から妙深寺にご連絡をいただいた。信仰師がお話をお聞きすると、県内の様々な情報を取り上げてくれているバザール紙面で妙深寺を紹介したいとの事。早速私に連絡をくれて、夕方お寺まで来てくださった。
 わざわざ妙深寺まで来てくださった記者の女性とお会いし、お話をしていて嬉しくなった。その記者の方は、県内の情報を集めるために、積極的に取材し、情報を集めておられるのだろう。インターネットなどを通じて、膨大な企業や団体、催し物などにも目を通す。その方が、「実は1年くらいまえからブログを拝見していて、とても共感できるなぁと思ってデスクと話をしていたんです。やっと来れました」と言ってくださった。
 いろいろなことを、「のれんに腕押し」「糠に釘」のように、一生懸命ご奉公を積み上げているものの、「どこまで届いているかな」と心配していたりしたが、一年も前から見ていてくださった方がいたとは。しかも、今日こうして記事として紹介してくださるとは。とても、嬉しいご縁をいただいた。
 立正安国論上奏750年の御正当の年。さらに頑張ってご奉公させていただかないと。もう、神奈川新聞さまさま!です!

2009年2月14日土曜日

お兄の誕生日

 昨日、お兄の誕生日ということで東京に行った。
 21時半からの誕生会で、とても楽しい、嬉しい時間だった。清康の結婚式で、久しぶりに大親友の正太と会い、また久しぶりにお兄の誕生日の会合に参加することになった。こうした昔懐かしい先輩、友人との会合が嬉しい。
 朝から御総講、教区御講2席と立て込んだスケジュールだったが、是非ということで東京に向かった。東京では、正太、そして山根くんと一緒に少し食事をして、お兄の誕生会に。
 お兄とは正月の特番で一緒にミシシッピーを縦断したヒロミさんで、あの時のことから色々なことを含めて、懐かしく思い出し、お兄の誕生日を祝い、有意義な時間を過ごした。また、お兄の誕生日に駆けつけてくれた憲武さんとも久しぶりにお会いして、また有意義な時間になった。
 ブログ用ということで、正太が写真を撮ってくれた。お兄と写真を撮ることなど、今まで10年以上も過ごしているが初めてじゃないかな。少々照れた。お兄は、いまや加圧トレーニングのスタジオを経営されており、とても人気がある。ミシシッピーの番組からは既に11年が過ぎた。お兄の事業が発展していることは本当に嬉しい。ぜひ、「加圧トレーニングスタジオ : Body Conscious KAATSU STUDIO 51,5」のウェブをチェックして欲しい。樫木トレーナーのブログにも誕生日会の模様が詳細に出ている。恥ずかしいが。
 とにかく、久しぶりにお兄にも、正太にも会えて、話が出来て、嬉しかった。トライアスロンをやれよ、ということには自信がないが。憲武さんにも、久しぶりにお会いできて、ご挨拶ができて良かった。
 貴重な一日だった。

2009年2月11日水曜日

昔からの仲間

 昔からの仲間が集い、最高でした。


 本当に、感謝、感謝でした。

2009年2月10日火曜日

息子の成長

 昨日、息子が突然言ったこと。嬉しかった。きっと、結婚式で、いろいろな人たちの顔、お話、つながりを見ていて、いろいろなことを感じたのだろうな、と思った。

「ダディー、僕、大きくなったら、ダディーのチームに入りたい。それで、ブツリュウシュウになりたいんだ」

 彼にとって「ブツリュウシュウ(佛立宗)」というのは「お教務さん」という意味らしい。目くじら立てて教えてもいないので、「ブツリュウシュウ」でもいいかな、と。

「へえ、お前、そんなこと言ってくれるんだ。嬉しいな。よっしゃ、いつかお前もダディーのチーム、ブツリュウシュウだな」

 息子の成長。たのもしいが、そんな気持ちがいつまで続くやら。とにかく、最高の子育ては、必死に御法さまの御意に適うよう、生きている姿を見せることだと信じて、コツコツ頑張ろう。

母への花束贈呈

 今日は御講が無いのでブログを更新しまくっている。どうも、背中が痛くて仕方ない。久しぶりに、風邪でもないのに調子が悪いなぁ。珍しい。そろそろガタがきたかな?単なる寝不足か。
 結婚式について書いた。とても感動的な結婚式となり、みんなのお祝いの気持ちが爆発したような日になった。本当に嬉しい。この時間を共有できたこと。人生の中でも貴重な時間だったと思う。
 二人は、しばしの休暇。帰国したら怒濤のご奉公だから、せめて一週間程度は身体も心も休めて楽しんできて欲しいと思う。すぐに門祖会もあるし、綾子ちゃんにとっても慣れないお寺の中でのご奉公が始まる。その前に、精一杯のお休みを。妙深寺は「常在戦場」を掲げて頑張っているんだから。教務部の猛者たち、清和会(教務の奥さま方)の方々も、この日ばかりは心から祝福し、笑顔が絶えなかった。
 清康は、高校に入学すると同時に横浜の妙深寺の庫裡に住むことになった。当時、私は24才。京都の本山から帰ってきたばかりだった。中学生の頃、当時の清康は全く人見知りをして、無口で、気難しい子どもだった。弟の左右治や妹の実博は天真爛漫で明るくて人なつっこい性格だったのだが、この長男だけは気難しかった。
 そんなヤスを妙深寺で預かることになった。先住(先代のご住職・長松清凉師)と母は待ち望んでいたかのようにヤスを庫裡に住まわせた。本山から帰山したばかりの私は、本堂の四畳半の教務室に寝泊まりすることになっていたから別々ではあったが、こうして新しい生活が始まった。
 そして、彼は先住の事故・お怪我に遭遇したのである。本人も結婚式で言っていたが、それまでご信心に反発していたのだが、先住のお怪我で一気に御宝前へ向かわなければならなくなり、御題目を唱え、先住が奇跡の回復を遂げたことで、これが本当の仏教の御力か、現証の御利益か、ということを実感したという。
 その後、大学卒業まで、ほぼ8年間を横浜で過ごした。そして、その間に、私と社会勉強をし、先住の病気があり、先住のご遷化もあった。その間の心の変化、いつしか得度を決意し、先住ご遷化の数時間前に剃髪をいただき、「清康」となった。
 そうした経緯の中、結婚式の最後にサプライズが。私は何にも聞いていなかった。もう、余興も出し終えてクライマックス。そのままご両親への花束贈呈かと思いきや、突然清康がマイクで語り出した。
 「私は、高校入学と共に妙深寺の庫裡でお世話になりました。どうしても、ここで、感謝の心を込めて、花束を送らせていただきたい方がおります。それは、先住の奥さま、寿美江奥さまです。高校時代、サッカーで汚れたパンツから何から、ずっと何も言わずに洗ってくださり、お弁当をつくり、こんな私を育ててくれました。本当に、何と御礼を言っていいか分かりません。今日、私があるのは、奥さまのお陰です。私の第二の母です。(要旨)」
 そして、感動の花束贈呈。おいおい、聞かせておけよなー、と思った。姉ちゃんは知ってたのかなぁ。チノブ姉さんがヤスの結婚式の裏方として、いろいろと相談していたからなぁ。スクリーンには、先住と母の写真が映し出されていて、何ともいえない、忘れられない瞬間となった。
 うーん、考えさせられる。人生は深いな。とにかく、ありがたい。

マータラ・エリアでの御講

 午後、マータラという街で御講を奉修させていただいた。
 この街は、コロンボから南岸沿いに延びる鉄道の終着駅。コロンボからは160キロほど南にある。涙型の島・スリランカの最南端・デウンダラ岬までわずか5キロ。最も南部にある都市といっていい。この街で、ガンガー女史という一人の女性が、本門佛立宗の教えを伝え、ご弘通に励んでくださっている。
 コロンボからの距離を考えても、相当の田舎なのだが、サーフスポットも多くあり、南国を思わせる珊瑚礁の海が広がっている。リゾートはもっと北部に任せているらしいが、落ち着いた雰囲気のこの街を愛する人も多いらしい。
 実は、私は海岸線に出ることなくマータラに入ってしまった。この街の名前は何度も聞いていて、街のことも知っていたのだが、ずっと田園風景を見て、内陸部を走っていたらこの町に着いてしまっていたというのが実状。いつも、こういう感じだ。
 また、この街は、スマトラ沖地震・津波の被害を最も受けた地域で、このMatara(マータラ)には6メートル近くもの津波が押し寄せ、甚大な被害をもたらした。ビーチ沿いにあるホテルやゲストハウスはすべて瓦解して、約5000人の方が亡くなったという。現在は元通りに街の機能は戻っているように思うが、恐ろしい爪痕は街の随所にも、人の心にも刻まれている。
 このエリアで活動しているガンガー女史をサポートしてくれているのは、実は一つの寺院である。ウィジャヤーラーマル・テンプルという上座部仏教の寺院を開放して、御本尊を奉安させていただき、その寺院の住職や僧侶等も参加した中で、法華経の教え、御題目口唱の意義、本門佛立宗の教えについて説かせていただいている。
 この地域のリーダーであるガンガー女史と地域在住の信徒、住職と僧侶らも参加しての御講を奉修させていただいた。開放してくださったホールを借り、御本尊を奉安させていただいて一座のセッション。津波被害のこともあり、あの当時のこと、被害に遭われたご家族のことも思いつつ、御題目をお唱えさせていただいた。この遠隔の地域でも、無始已来から御題目、南無久遠まで綺麗に唱えられる方々がいるのが嬉しい。
 短めにした私のスピーチでは、コロンボとゴールでの御講と同様に、仏教は難しい哲学ではない、もっっと皆さんのライフスタイルに密着したものであるということをお話しした。朝、あなたが起きた時、家を出る時、家に戻った時、寝る前、あなたの生活の随所に法華経への信仰を立てていくのである。それが出来れば信者、出来ていなければ未だ不信者ということになる。信仰は、パートタイムなものではないこと。非日常を体験するものではなく、日常の中にあること。First Buddhaの実践。御初穂の信心のお話。
 御講終了後、その寺院のご住職とお話をさせていただいた。驚くべきことを仰っていた。彼はユニークなプロフィールの持ち主で、もともと若い頃はカトリックを信仰していたという。キリストの教えに傾倒し、その教えを学んだ。しかし、学んだ末に仏教とキリスト教を比して、やはり仏教の教えこそ人々を救う教えだと確信して僧侶となった(このプロセスはスリランカの国情を考えると特異なケースである)。その後、こうしておよそ70才ほどだと思うのだが、今に至るまでスリランカの上座部仏教の僧侶として生きてこられた。
 その彼が、私に言ったのである。「今の仏教はダメなのです。このままではダメだと思っていたのです。仏教は、あなたの説くようなものでなければならない。活きた教えでなければ人々は救われないのです」と仰った。「私も同感です。どうか、今後ともご協力いただきたい」とお話しした。
 遠い国で、しかも遠隔の地で、このような出会いの下で法華経本門の教えを語り合えることは嬉しい。上座部仏教に生涯を捧げた高僧が、今や法華経に説かれた御仏の真意、お祖師さまの教えを学びたい、人々にこの教えを説かせていただきたいと思っていること。このことは世界的な仏教の流れを変えるだけのインパクトがある。
 ローマ市がダライ・ラマ氏に名誉市民の称号を授与したらしいが、仏教は決して政治的な活動の一部ではない。彼が、仏教の基礎を紹介する役目を担ってくれているとしても、真実の仏教がこれから世界に向かって教えを説いていかなければならない。その役目が私たちにはあるはずだ。もっと研鑽し、そういう土壌でご奉公できるようにならなければならないと思う。

カスン君のお家へ

 新興住宅街(といっても、いつも書いているように、私にはちょっとしたジャングルにしか見えないが)を徒歩で歩いてカスン君の家に行くことにした。ディリーパ君と二人で気持ちの良い散歩気分。みんなはワゴン車に分乗して移動した。ワルナさんはほんの短い距離なのだがちょっと道を間違えて大笑い。楽しいお助行だ。
 カスン君の家も新しく建設中とのこと。既に外観は立派に完成しているのだが、家の中の細かい部分はこれからなのだという。壮麗な家になっている。コロンボで活躍している長男のカスン君の親孝行もあるのだろう。スケジュールとして、このカスン君のお宅で昼食をいただいた。
 お母さんは自慢の腕をふるってくれていた。エビなどの海鮮の料理もあれば多種多様な野菜を使ったお料理もあった。私は、この昼食ではスリランカ式に右手を使って食べることにした。なかなか上手にならないと右手で食べ物を口の中に運ぶのは難しいものだ。しかし、郷に入っては郷に従えで、スリランカの料理などは手で食べた方が美味しく感じる。事実、ちょっとしたポイントを教えてもらったので、上手に食べられるようになった。そして、まごころのこもったご供養は本当に美味しかった。
 カスン君のお宅は現在小さな御戒壇を奉安しておられる。いま、Galleのセンターのような大きな御戒壇を自分でデザインしているとのこと。コンピューター・グラフィックを使って仕事をしているデザイナーのカスン君だから、きっと素晴らしい御戒壇を建立されるのだろうと思う。また、お助行させていただくのが楽しみだ。3人兄弟で、しっかりとご信心、ご弘通ご奉公をしてもらいたい。

2009年2月9日月曜日

ジャヤシンハさん宅へのお助行

 次のお宅はジャヤシンハさんというお宅。このお宅は既にカスン君のご実家がお教化されていて、御本尊が立派にご奉安されていた。カスン君はスリランカHBSで活躍する青年会のホープである。カスン君はコロンボの中心にオフィスを構えている。若いのに、家賃7万円近くを支払っていると聞き驚いた。日本と比べても大変な家賃ではないかな。仕事をこなし、ご奉公を優先して、本当に頑張ってくれている。その実家のご近所で、彼らがお教化したというのがジャヤシンハさんというご家族である。
 新しい、立派なお宅なのだが、ちょっと面白い。この地域は新興住宅街。しかし、スリランカで家を建てるということは、建つまでずっと待って、完成してから引っ越して住み始める、というものではないらしい。建設は、とてもゆっくり進むのである。だから、建設途中の家に、家族みんなが住んでいる。このお宅も、素晴らしい家なのだが、まだまだ建設途中で、そこら中に建築資材などが置かれており、むき出しのコンクリートもある。
 玄関を入ると吹き抜けのホールがあり、その向こう側に御戒壇がご奉安されていた。フェンスで仕切られていて、吹き抜けのホールをのぞき込めるようになっているのだが、日本の感覚からすれば不思議な空間でもお看経となる。とにかく、このご家族の精一杯のご信心、ご奉公。家族の人を身近に座らせて、お看経スタート。名前を聞くと、ニマルシリ・ジャヤシンハさん、ワンミアッチ、アルナさん、ダヌシカ、プシュパさん。御宝前に言上してお助行させていただいた。

シータカンティさん宅へ御本尊奉安

 御講席で特に記憶に残っていることがある。あるコロンボから来た男性が、御戒壇の向きについて質問された。御本尊を奉安する時、御本尊の向きは、北向きがいいとか南が良いとかありますか?というものだ。私は、「人間社会は時代と共にジンクスのようなものを増やすが、本当の仏教にジンクスはありません。HBSの信仰では、方位方角を気にすることはありません」と応えた。
 次に伺ったお宅。地元でスパイスを売っておられる家業で、自宅の表で店舗をされておられる。Galleのセンターから車で10分くらいのお宅。今回、お教化になったそうで、御本尊を奉安させていただいたジャヤヴィーラ・シータカンティさんという方のお宅。その日はお店を閉めて御講にお参詣、そして御本尊をお迎えするに当たって家族全員でお迎えくださった。家族全員でのお看経。はじめて伺うお宅だから、御本尊奉安の前に家族全員の名前をお聞きする。エランダ、マリンダ、ダメットゥ、チャトランガさん。言上するのに舌を噛みそうになるが、御宝前に言上させていただく。全員そろってのお看経は本当に有難いことだ。
 御戒壇は、スリランカHBS独自にデザインした汎用御戒壇。お盛物にはバナナ。お花を綺麗に供えてあり、御天目もスリランカのお砂糖入れのような綺麗な容器にご用意してくださってある。一つの御蝋燭、御香炉。お助行には数十人のお供がいて心強い。御講から、ワゴン車3台でスリランカ南部をグルグルと廻った。ありがたい。

Galle御講でのご供養

 御講席では、必ず食べ供養がある。Galleでも、真心のこもったご供養を用意してくださっていた。
 日本の妙深寺では、諸事情によって食べ供養の形式を変えたりしているが、上座部仏教の文化として食べ供養はスリランカの方々にとって非常に重要で、現在のところそのままにしてご奉公していただいている。これもスリランカの文化伝統の一つだが、御講席のご奉公中にコップに入った「水」を導師に持ってきていただくと、それが「ご供養ですよ」という合図。合図、というかお誘いのご挨拶だそうで、無理矢理そのお水を飲もうとすると、「いやいや、ご供養の準備が整いましたという合図です。飲まなくても良いですから奥の部屋に来ていただけますか」という。そういうことで、奥へ。
 奥には、見事に用意されたご供養が。多種多様な果物、カレー、お菓子などが用意されている。どれも、今では見慣れた食べ物なのだが、正式な名前を知っていたり、知らなかったり。カレーも用意してくださっていたけど、ちょっとお腹がいっぱいで食べられない。私の大好きな「Hopper」もあったのだけど。これは、お米から出来たものなのだが、ホットケーキのような作り方があったり、やわらかい麺のようなものがあったり、とにかくカレーと混ぜるととても美味しい。私は全世界、どんな国でも、状況でも、出していただいたご供養は美味しくいただくようにしてる。
 自分のプレートに乗せたのは、写真の手前にあるとおり、お菓子。葉っぱにくるまれた甘さ控えめのお菓子。中には柔らかいお饅頭のような美味しいお菓子が入っている。小さなケーキのようなものも、お腹いっぱいだから取ってみた。これはどのお菓子とも比べられないなぁ。もともと、日本ではほとんどお菓子を食べないし、種類も味も分からない。でも、小さいから取らせていただいたのだけど、甘かったなぁ。紅茶もいただいたのだが、砂糖がドバッと入れてあってすごく甘い。福岡御導師曰く、「紅茶に砂糖を入れるというよりも、砂糖に紅茶をかけてるという感じ」である。
 でも、ご供養は有難い。

2009年2月8日日曜日

清康・綾子の結婚式

 清水清康と兼子綾子ちゃんの結婚式が7日12時30分から妙深寺の本堂に於いて挙行された。相模原妙現寺御高職・鈴江日原上人の御唱導をいただいて、素晴らしい晴天の下に二人は御宝前に結婚の誓いを立てた。
 清康は、私の従兄弟であり、学生時代から妙深寺の庫裡に起居して高校に通い、大学に入ってからは当時社会に出ていた私と一緒に仕事を手伝ってくれた。沖縄ロケ、ミシシッピーの縦断ロケ、その他たくさんの仕事に同行したり。たくさんの時間を過ごして、たくさんのことを教え込んだと思っている。当時の仲間も参集して、大変なお祝いになった。
 彼が佛立教務道を歩み始めたのは先住ご遷化の日。息を引き取られる直前に、横浜市立病院の病室で剃髪得度をした。劇的なスタートであり、その一事だけとっても、死にものぐるいで佛立の菩薩行に励む戦士として、命がけでご奉公させていただかなければならないと本人も思っていると思う。
 彼らは妙深寺の御宝前に夫婦の誓いを立てた。私も事前に相談されていなかったので、内容も順序も知らなかったのだが、素晴らしかった。一つ目が、夫婦二人で人助けの生き方、つまりご弘通ご奉公に精進させていただくということ。二つ目が、一信者として、日々に信心を磨いていくということ。三つ目が夫婦としてお互いに敬いあい、思いやり、よき家庭を作っていくということ。この内容、この順序が素晴らしい。ただの恋愛感情ではない、同じ方向を見て、プライオリティーをしっかり見据えたスタートであることを感じ、本当にありがたかった。
 鈴江御導師からの訓辞は、佛立教務はご弘通の戦士である。とにかく、イヤなことも、腹の立つことも含んで、耐えに耐え、命をかけてご奉公させていただき、生きてゆくもの。まず、そのことを忘れぬように。その上で、そういう戦士の帰ってくる家を、綾子さん、つくってな、笑顔で迎えるだけでいいから、とお話しされた。ありがたい。
 披露宴は16時からだったが、この披露宴も大いに盛り上がった。妙深寺の底力、実力、トンチとパンチ、ウィットとスパイスの効いたお寺であることを、まざまざと見せつける披露宴となった。オープニングの映像も、余興も、出し物も、すべてに於いて妙深寺のイズムを表した。神戸からご多忙の中、福岡御導師も駆けつけてくださり、素晴らしいスピーチをいただいた。大脳生理学の本を読んでみると、恋愛感情は3年しか持たんと書いてある。「3年目の浮気」とは科学的な話。だからこそ、恋愛感情だけで成立している関係は先が見えている。しかし、今日結婚した二人は「同じ方向」を見てスタートした。本当にめでたいと思う、と。素晴らしい内容。万人に感動を与えてくださった。
 古くからの大先輩、友人たちも駆けつけてくださり、素晴らしい時間を過ごした。うれしかった。心から嬉しい時間を過ごすことが出来た。ヤスの先輩とは私の友人で、本当に気心の知れている仲間であり、かわいい後輩もいる。先住が亡くなって9年。友人たちも、いろいろな角度から私を見守ってきてくれた。彼らに、見ていただけただけでも、嬉しい。大きな節目を迎えられた。そういう気持ちになれた。今までの自分の人生を振り返り、有難さがこみ上げてきた。そして、ちょっと俺も人生を見つめ直さないとな、再スタートだな、と思った。