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2009年10月31日土曜日

スケートボード

息子が、どうしてもというので、少しだけ公園へ。こんな時間も、体調回復にはいいかな、と思う。気持ちがいい。空、気持ちがいい。

彼は、最近手に入れたスケートボードの練習をしている。上手になれるのかどうか。X Gamesに出れるくらいになれればいいが。ま、見てる限り、ちょっと無理かな。いや、父親がそんなことを言ってたらいけないな。

それにしても、父親と息子の会話というのは面白い。こちらも勉強になる。

スケートの練習。ころんでもいいように、肘と膝にプロテクターを付けた。

そして、私は彼に言う。

「ころぶことを怖がっちゃいけないよ。ころんでうまくなるんだから」

ところが、どうやら転ぶのが大っ嫌いらしい。

「おいおい、転ばなきゃうまくなるわけないじゃないか。転びなさい」「イヤだ」「なんで?」「転びたくないから」「え?」「なんで?」「ねぇ、格好良いでしょ」

こんな会話が続く。

「おいおい、いま転んで上手くなったら格好良い。でも、いま転ばないで上手くなれなかったら格好悪いよ。だから、いま転ばないと」「・・・」「分かる?」「・・・」

そんな会話してました。

2009年10月30日金曜日

環八

昨日より体調は少しマシになった。今日は世田谷まで行かなければならないので、何とか起き上がり服を着て。うん、昨日までの頭痛はない。お供水をいただいて、車を運転。多摩川を渡って環八。排気ガスがすごい。

ご奉公が終わって、竹村堅裕師とゆっくりお話。久しぶりのご弘通談義。ありがたいことだ。

サイゴン

風邪みたいな頭の奥の鈍痛。なんだろな。今日は体調回復のために、贅沢に使わせていただいたようだ。数日走って数日休むようでは意味なし。明日は世田谷へのお参詣だし、体調万全でご奉公させていただきたい。

ベッドで読む本。今は2冊。一つはサイゴンの物語。私は小説よりもドキュメントや回顧録のようなものが好きで、今回もベトナム戦争時に特派員として駐在していた方の回顧録を読んでいる。難民の問題、政治の責任、思想というものの限界や危険性を考えさせられる。

おやすみなさい。

2009年10月29日木曜日

朝になりました

 トホホ。申し訳ありません。朝になりました。寺報の原稿、ギリギリになり。

 横浜に戻って、風邪気味。気持ちのいい朝だったのですが、朝参詣の際には咳が出て、咳が出て。庫裡に戻っても熱っぽく、「これは飛行機でインフルエンザでももらったかな?」と心配していました。

 昨日は身体を休ませておこうと思い、昼間はベッドに横になっていました。夜、寺報の原稿があったので書き始めましたが、なかなか筆が進ます、結局は朝に。とにかく、これで、1日、日曜日の、月始総講に間に合います。
 すいません、でも、少し休ませてもらいます。風邪っぽさ、抜けるかな。

2009年10月28日水曜日

角煮

 古い友人から電話があり、楽しかった。彼とは高校時代からの仲間で、大学時代もそれ以降もずっと仲間だった。
 時々ブログを見てくれていると聞いて嬉しくなった。励ましてもくれる。そんな、言葉がうれしい。ただ、「お前のは長い(笑)。毎日角煮出されてるようなもんだ(笑)。コラーゲン、もういいよって感じ(笑)」と言われて苦笑い。でも、短くできないんだ(汗)。
 とにかく、友だちはいいな。仲間はいい。あいつらに負けないためにも、頑張らないと。奴らに恥じるような生き方は出来ない。

気持ちいい

横浜の朝です。横浜の空です。気持ちいい。

2009年10月27日火曜日

横浜、編集長

横浜。

横浜の妙深寺。妙深寺モードにチャンネルを変える。

お迎え、岩澤清従師。ありがとう。上下ジャージ。分かる。仕方ない。ギリギリまで、妙深寺報の編集をしてくれている。妙深寺は、特に教務部は、ずっと野戦状態というか、野営してるようなもので、「お前、仮眠しろよ」などという会話が平気で交わされている。

ありがとう。清従師。

2009年10月26日月曜日

仁川と金浦

今朝は8時半前から帰国される方々のお見送り。関空と羽田、それぞれのグループがあるため、ホテルを出発する時間やフライト、空港も異なる。カンご住職もお見送りで2つの空港を行ったり来たりしてくださっている。

今回、最も感動的だったのは、韓国・本門佛立宗に新しい組(地域のグループ)が誕生したことと、カンご住職とチカちゃんへのお祝いだった。

韓国は、キリスト教徒が多い。街中は教会だらけだ。また、反日感情が強かった時代の名残で、ご弘通はとても難しい。韓国のキリスト教については、日本のキリスト教化に失敗したマッカーサーの話や、「ヒトラーの教皇」と呼ばれたピウス12世の話をしたいところだが、いずれにしても残念なことに、韓国では一国のキリスト教化が成功してしまった。韓国の方々に、はっきりと佛立仏教の素晴らしさをお伝えしたいが、若者の文化にまでキリスト教が浸透してしまった現在では、それも難しいという。

また、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と聞いただけで、日蓮門下のカルト教団と同じように思われて、拒否反応があると聞く。

そんな中、今回は韓国・本門佛立宗にとって久しぶりに新しい組が誕生した。これは大変なことであり、新しい時代の始まりを告げるほどのインパクトがあると思う。

ソウルから約300キロ離れた場所だが、昨年の12月からカンご住職が丁寧に指導を続け、今回、組の創設までたどり着いた。まだ10軒に満たないご信者方だが、ご弘通に燃えて生き生きしておられた。ありがたい。

困難な中をやり遂げてこそ、ご弘通ご奉公。山の中に閑居して、自分一人法華経を清浄に信じています、修行しています、というだけではダメだ。こうして、難しい中で、葛藤や奮闘を重ねてこそ、正しい佛立信行となる。

御法門、御聖教、御指南には、「勧戒」の二門、「与奪」の二筋がある。勧め励ます門、戒める門。与える御法門、奪う御法門。こうした定規を持たず、勝手に御妙判や御聖教、御指南の文字だけを追って判断や解釈を試みても何も分からないし、正しい信心の道は歩めない。「師」とは、それぞれの信行のレベル、成長の度合い、み仏や本門佛立宗のミッション、いろいろな要素を見て、ある時は与え、ある時は奪い、ある時は勧め、ある時は戒めてくださる。師を失えば、この判断ができなくなるから恐ろしいし、悲しい。哀れにも迷う。

謗法は恐れなければならない。しかし、恐れて閑居しているだけでは末法の修行にならない。厳しい状況の中に飛び込んでご弘通ご奉公されている海外弘通の現場。特に、韓国での新しい組の創設はいいお手本だ。負けてはいられない。

また、その韓国に、20代でありながら妙深寺で部を創設し部長(組長)のご奉公をしてきたチカちゃんが嫁ぐことになった。これも妙不可思議なおはからいだと思う。チカちゃんには、これからカンご住職を支え、お仕えして、益々韓国でのご弘通を進めてほしい。妙深寺にとっては大損失であり、大打撃だが、御法さまの御采配だから頑張るしかない。

そのチカちゃんのお披露目を、お昼のご供養の際にさせていただいた。たくさんの方々に祝福していただいて、本当にありがたかった。サプライズだったので、カンご住職もチカちゃんもひどく照れていたが、韓国青年会のハンさんからカンご住職に、理事長の奥さまからチカちゃんに、綺麗な花束を送った。こんな日が来るとは(涙)。ありがたいことだ。きっと、この出来事も、韓国・本門佛立宗の未来を変えるインパクトを持つに違いない。チカちゃんは、1000本祈願を成就したほどの、本物中の本物の佛立信者だから、きっと困難な中でも、カンご住職と共に、ご弘通を切り拓いていくだろう。

2009年10月25日日曜日

ハンガン

ハンガンを渡っています。懐かしい。

実は、今からすると想像できないと思いますが、18年前に、日本代表として初めて韓国に来たんです。ジェットスキーのプロとして選んでいただいて。ハンガンで、韓国の方々を前にしてデモンストレーションやレースをしました。その時にいただいたクリスタルのトロフィーは、今でも大切にしています。懐かしい。人に歴史あり。

韓国の結婚式会場

披露宴会場の視察です。ソウル市郊外のホテルに隣接した式場です。日本の、ギラギラした感じではなく、道峰山の森の中にある落ち着いた会場です。二人らしい。あたたかい。いいですね。

無事円成(涙)

韓国での大法要が無事に円成いたしました。ホッと一息です。これからソウルに戻ります。少し渋滞。

これから3月の披露宴会場の視察に行きます。さながら視察団。取り巻きや介添えが多い(汗)。愛されてるなぁ、二人は。さ、疲れてる暇はない。視察です。

写真は、ハ理事長のお孫さん。大学生ですが、韓国の民族舞踊の銀メダル。私たちに素晴らしい舞踊を観せてくださいました。ありがたいです。

いよいよ当日

いよいよ当日です。韓国ソウルは晴れ、気持ちいい朝です。

昨夜、団参に参加されている豊中・良風寺のご信者さまお二人とお会いしました。横浜にもお参詣くださった方々で、感動しました。11月に伺わせていただくのですが、無茶苦茶に緊張しています。

とにかく、本日は韓国・本門佛立宗100周年を2012年に控えて、ターニングポイントとなる重要な日です。チカちゃんにとっても、大切な日です。御導師方も、全員が応援してくださっていて、心強いね。ありがたいですね。頑張ろうね(涙)。

2009年10月24日土曜日

あっちこっち

今は、予想はしていたが、大渋滞に巻き込まれつつ、団参者一同の待っ夕食会場に移動中。本当に、ひどい渋滞。渋滞を見越して30分と言っていたが、もう45分が経過している。ナビゲーションの到着予想時刻は19時となっている。倍の時間がかかっている。

そんな車中だか、スリランカから電話。カスンからだった。明日の会議の内容について意見を求められた。福岡御導師にお聞きしなければならない件と、一般的に回答できる件と。

しかし、ここは韓国。トランシーバーを片手に慌ただしい。ブラジルの件も。現薫師がしてくれてるかな。

横浜から次男の写真。ありがたいです。

新清寺

新清寺にてお出迎えのご奉公です。たくさんのご奉公者が準備してくださっています。ご信者さんの笑顔は世界共通、あたたかいです。本堂では、いいお看経があがっています。お迎えのお看経です。たくさんの悩みや苦しみを抱えながら、御法さまに助けていただいた方々がいることを、御題目の透き通った声から感じます。

二手に分かれて

朝食をいただいて、空港でお迎えするチームと、新清寺で準備・お迎えするチームに分かれます。

私たちはお寺に向かいます。

2009年10月23日金曜日

金浦空港

金浦空港で、第一陣、大阪からの方々をお迎えします。いま到着されたようです。

ソウルを歩く

朝、ホテル周辺を散策して歩いた。お参詣の方々から尋ねられたら、コンビニや電気店などご案内できないと。とはいえ、本当は起きて髪を切っている途中でバリカンのバッテリーが切れてしまった。悲惨なことになるところだが、一応は整ったところでよかった。おかしいな。出発前夜にフル充電したはずだが。翌日見たらコンセントから外されてしまってあった。充電は終わったものと思っていたが、違ったんだな。悲しいな。短期間だから充電用のケーブルを持ってきてないし。後発組も既に空港だろう。というわけで、バリカンを買おうとして外に出たのだが、結局見つからず。ただ、ホテル周辺の地理やお店には詳しくなったはず。60名の方々からはいろいろなリクエストがあるはずだし、ご奉公を成就させていただくためにはよかったかな。

2009年10月22日木曜日

ソウルの交通事情

これがソウル市内の交通事情か。聞いていた以上の渋滞。金曜日と土曜日の渋滞は、今日よりも激しくなるらしい。お参詣の方々の移動時間などを考えてゆく。お会式の奉修時間、帰りのフライトなどを計算。それにしても、激しい渋滞。普通、15分でいけるところが1時間かかる。

いい勉強になる。韓国は日本と違って車庫証明がいらない。一度法制化を目指したが、いろいろな、政治的、経済的な理由から頓挫。とにかく、車が多い。裏道は駐車スペースの奪い合いのような感がある。お寺の前にも雑然と車が並んでいるが、不法駐車でもないらしい。

打ち合わせ

韓国、鶴松寺で打ち合わせ。カンご住職は、一人で本当に大変なご奉公をされている。少しでも、私たちでサポートできれば。

奉修当日、60名のお参詣者をご案内する食堂に連れていっていただいた。理事長夫妻がテーブルの配置や韓国と日本の国旗、佛丸の旗や歓迎の看板を確認。メニューまで特別に店主と作っていただいたそうで、ご馳走になってしまった。申し訳ないことです。

これから、まだ差定や栞やスケジュールの確認。いよいよだ。

空港の差

無事、ソウルに到着しました。仁川・インチョン国際空港。先日少し話題になっ大きい空港です。

今回は松本海外部長と一緒に関西空港から出発しました。それにしても、関空は規模が小さく、ゲートに入ってからの店舗も少ないし、参ります。素人が考えてもハブ空港にはとてもなれません。バンコクやシンガポールの規模の大きさやホスピタリティーの高さとは比べようもありません。薬を買いたかったのに、買えなかったし(涙)。

民主主義には時間とコストがかかると言われますが、仁川はほんの数年で巨大なハブ空港として誕生したのだからすごいことです。成田の空港建設問題と比して、猛烈な推進力による国家主導プロジェクトであることが分かります。

とにかく、保守といっても世間知らずで既得権益を守っているだけでは置いていかれますね。偏った思想や中途半端な計画に翻弄されている人々が苦しんでしまうだけ。

話題の空港を見て、その差や背景を考えてしまいました。ご信心の世界でも、偏った捉え方や、逆に中途半端なやり方ではいけないということを教えていただきます。何事も、覚悟と、論理的な思考が求められます。どこか欠けると、うまくいかないんですよね。

カンご住職にお迎えいただいて、これからソウルの鶴松寺に向かいます。

クレジットカード改革法

大丈夫か。米国で、クレジットカード改革法が前倒しで施行される可能性があるとのこと。第二のサブプライム問題のようにならないといいが。12月1日など、いろいろな日付が上がっているが。

とにかく、これ以上、経済的な危機が、また年末にかけて、高まるようなことがないように、と思う。

特別なミッション

朝日が眩しい。

電車で空港に向かっています。また、後ほど書きますが、今回の韓国ご奉公には、もう一つ特別なミッションがあります。妙深寺から、韓国に嫁ぐチカちゃんの後方支援。今回、チカちゃんには女性応援団もついてきて、無事に韓国でのご奉公がスタートできるようにしたいと思っています。

2009年10月21日水曜日

韓国

明日から、韓国でのご奉公です。松本海外部長に付いて、走り回って、ご奉公させていただきたいと思っています。

不覚、しかし、

 昨夜、不覚にも、気づかなかった。携帯電話。メール。22:22分の受信。
 先日、留置場まで面会に行った青年からのメールだった。出てきて、仕事をして、ご家族も決意して御本尊を奉安された。家族で越えねばならない高い壁がある、何としても家族一同で御宝前に座して、御題目を唱える中で乗り越えていただきたいと、ご奉公を進めてきたつもりだった。
 昨夜のメール。気づいたのは1時前。彼からのメールは、また、訳が分からなくなった、親父が分からない、何を考えているのか、何がしたいのか、行けるとこまでいっちゃおうと思っている、覚悟はある、こんな俺を見たくないのは分かってます、でも、聞いてほしかった、とあった。不覚。すでに2時間以上が過ぎている。
 すぐに返信した。どうしたんだ、なんでなんだ、会いたい、親父とお前の人生は別、人のせいにしないと誓ったじゃないか、話を聞きたい、電話してくれ、と。電話番号を書いて、メールした。
 躊躇した。ご家族に連絡することを。しかし、時間が遅いことを承知で連絡。しかし、つながらなかった。不安が募る。何があったのか。
 1時間ほどしてから、彼からの電話。また出てくれるか心配だったが、お金のこともあるのですぐにかけ直すから待ってろと伝え、かけ直した。出てくれた。そこから、彼の、いつものように、丁寧すぎる言葉、声。しかし、その声が、どこか震えていた。「どこだ?」、「街を歩いています」。
 1時間あまり、何が起きたか聞いた。また、馬鹿なことをした。もう、訳が分からない。まったく、分からない。「お看経はしてくれていたのか?」「いや、出来ていなかった」。
 彼は、鋼のような身体をしている。身体を鍛えている。しかし…。
 お前は、でかいエンジンに未熟なドライバーが乗っているのと同じだ、いま、鍛えなければならないのは、お前の心。そんなにエンジンをでかくしても、スピンして、壁にぶつかってばかり。いま、鍛えるのは、心じゃないか。その心を育てること、そのために、俺たちがいるじゃないか。
 訳が分からない、それは分かった。俺は、お前の心の奥が透き通るほど綺麗なのを知っている。でも、きっと、心がインフルエンザにかかったように、病気になってる。分かるか。訳が分からないっていうんだから、そうだよな。その薬は、信心じゃないか、御題目じゃないか、そう言ってきたじゃないか。
 そんな会話を続けた。街から家へ。帰れるか?帰れるのか?帰った後、明日、明後日からまで、具体的にお話しした。こうしよう、こうしてくれ、出来るか。少し、預けて。訳が分からないと言っているのだから、少し、身体を預けてくれ。いいだろう。
 彼は、素直に聞いてくれたが、電話を切ってからも、不安で、心配で、御宝前で、行ったり来たり。気を紛らわすが、4時くらいまで寝れず、何度も目が覚めた。本音。俺は、信心がない。不覚だった。しかし、話ができてよかった。感謝してる。ここからだ。
 朝、頼りになるご信者さん、ご親戚と連絡が取れて、ホッとした。ここから、はじまる。ここから、本当の、御利益、本当の、ご信心ができるように。
 信心でなければ、越えられない。ここなんだ。ここが、壁なんだ。他の、智慧でも、方法でも、違う。信心しかない。御題目しかない。分かって欲しい。

2009年10月20日火曜日

現薫師

現薫師です。ありがたいです。期待してます。

2009年10月19日月曜日

お袈裟について

 昨日は、照隆寺でのご奉公から戻ると、あるご家族が待ってくださっていた。なんと、7時間もかけて関西からお参詣くださったとのこと。本当に、有難かった。もちろん、お話しした内容はご信心のこと、いま置かれている状況から抜け出すための方法などについて。「感謝」と「いつか、恩返しを」という2つにフォーカスしてみよう、とお伝えした。

 東名高速で、往復14時間もかけて、日帰りで横浜の妙深寺までお参詣してくださったことに、計り知れない思いが込められていて、それにお応えできたか、どうか。笑顔で帰途につかれたことが嬉しかった。

 さて、先日来、ブログにコメントをいただいており、なかなかご返事を書かせていただくことが出来なかった。コメント欄に小さく返事する内容でもないので、ここで、あらためてご返事して、ご披露したいと思う。スリランカでの難民キャンプについての記事に対してコメントをいただいた。書き込んでいただいたコメントは下記の通り。
「最近長松お導師が以前スリランカの御奉公の際に規定から外れた型(色)のお袈裟を着ておられたという話を耳に挟みました。お袈裟の事はあまり詳しくないのですが、もしよろしければ事の真相を教えていただけないでしょうか?」
 以上のような内容だった。なかなかご返事できなかったのは、読んでみて、「?????」と思ったのも半分。そのようなことが話題になっているんだ。「耳に挟んだ」と書かれているので、話題になっているのだろう。そういうことに詳しい方もいて、スリランカご奉公などをご覧になっているのだろう。お袈裟の色についての話題は、ついぞ聞いたことがないので驚いた。「規定から外れた型(色)のお袈裟を着ておられたという話を耳に挟みました」とあるから、よく思っておられない方なのだと思うが。情けなく思いつつ、あまり気にしていなかったが、心外なのでご返事したいと思う。
 結論からお答えすれば、規定外のお袈裟など着けてご奉公したことはない。どこで、どういう話になっているのやら分からない。「耳に挟んだ方」は困惑して当然だが、どこで、どうしたら、そんな話になるのか分からない。
 国内の自坊でも、先住ご遷化後からずっと同じお袈裟、お衣も同じものを着けさせていただいている。先住ご遷化後、弟子の一人に加えていただいた相模原妙現寺の鈴江日原上人から9年前に頂戴したお袈裟を、大切に、大切に着けさせていただいて、当時の僧階に合わせて、私は余り詳しくないが二等講師としての五条と略五条とのこと。5年前に僧階が上がったが、お師匠さまにいただいたお袈裟を着けさせていただいてご奉公させていただいている。これでも、分不相応に、綺麗に、特別にお作りいただいた。この9年間、妙深寺の全てのご奉公で着けさせていただいたので、生涯私にとって特別なお袈裟であると思う。
 インド開教のご奉公は、福岡御導師に随行して若い御講師方と一緒にご奉公させていただいた。この時は、福岡御導師のみ本衣をお着けいただいて、私たち一同は開百法衣で統一させていただいた。インドでは、過去3回のご弘通ご奉公があったが、ダライ・ラマ氏との結縁口唱のご奉公でも、チベット自治区でのご奉公でも、私たち一同は開百法衣でご奉公をさせていただいた。
 その後、一人でご奉公をさせていただくようになって、私が導師役を勤めることになってからも自坊で着けさせていただいている白い紗の本衣とお師匠さまからいただいたお袈裟を着けてご奉公させていただいている。過去も、今でも。それ以外のお袈裟などを着けたことはない。ご質問の、「お袈裟」については、ここに書いたとおり。
 御衣も、それ以外になにがあるの?と考え込んでしまう。「黒?」「赤?」?????。といっても、赤い御衣など、先住も持っておられない。残念ながら、あれほどご弘通されたのに権僧正に上がられることなく先住はご遷化されてしまったので、お寺にも庫裡にも、そんな赤い御衣など無い。あったとしても、私が着たらチンドン屋さんになる(笑)。
 改良服は、写真を見ていただくと分かるが青い色のものを着けさせていただいている。気にする方がいて驚いたが、これは福岡御導師のご指示によってインドとスリランカに限定して着けさせていただいている。インドとスリランカでは、黒い改良服はキリスト教の宣教師と間違えられて、多くの村民が拒否反応を起こす。そこで、随行師は別として、導師役を勤める者は青い改良服を着用させていただくことになった。これも、先住はお持ちだったがサイズが違うので、福岡御導師からご指示をいただいてからあらためて最も安いものを求めさせていただいた。
 ここまで書いてご理解いただけただろうか。つまり、お袈裟でご心配をいただくことはない。こんなことが話題になっているとは、本当に、平和だ。
 本来、私にとって海外でのご奉公は、修行の場であった。「動機が不純で申し訳ない」と香風寺でもご披露させていただいたが、福岡御導師は海外の方々のためにご弘通を為されてきたが、当初、私はご信心の原点を海外から学び、海外の現場から日本に逆輸入させてもらおうと随行させていただいた。そして、私自身の信心を、弘通「開拓」のご奉公の中から改良させていただこうと思ったのである。
 それは、まさにそうだった。私の名前も知らない、どこそこの住職の息子だとか、お寺はどこだとか、そのお寺が大きいとか、小さいとか、そんなことは一切関係ない場所。私の名前も、プロフィールも、そして、お袈裟の色も僧階も知らない、初対面の人との対話、ご弘通ご奉公は、虚飾を削りに削って磨き出される自分自身の「信心」が明らかになるような思いがした。その中で、それを重ねていくことによって、自分がどれほど様々な守られてきたか、守られているか、思い知る。そして、もちろん、改良服も、御衣も失礼がないように着けさせていただくが、それでも、ご信心のみ、裸でいるようなつもりで、上行所伝の御題目、その尊さ、有難さを伝える。ここで、本当にいろいろなことを学ばせていただくことができた。ここで、三祖のご奉公や開導聖人の御指南の真意を、思い知るような気持ちにならせていただいた。
 私の海外での服装が話題になっていると聞いて驚いたが、妙深寺は、伝統的にそうしたことに疎い、というかローカルルールがある。妙深寺の住職以外の僧侶は現在では12名いるが、全員が一等講師のままでいる。これを読んでも分からない方もおられるだろう。しかし、実はとても重要なことだと思っている。妙深寺の、一糸乱れぬ教務諸師のご奉公は、まさに無私で、徹底している。それが、強制的でもなく、そういうアイデンティティで住職を守り、住職にお給仕してくださっている。先住時代の兄弟子などもおられるが、全員住職の下で「所化」に徹っしておられ、朝参詣のお看経では、住職と執事長以外は全員黒い衣に沙弥袈裟。徹底している。
 歴史の中でシステムが生まれてきた。そのルールを守ることは大切で、守らなければルール違反になる。ただし、お袈裟や御衣で御利益はいただけない。そこにこだわっていたら本質を見失う。そうしたことを嫌われ、戒められたのが開導聖人であり、佛立のアイデンティティ、イズムだと思う。
 いろいろなことを語るのは大切だと思う。テクノロジーが進化して、コミュニケーションの方法も増えた。しかし、私のことは私に聞いてくだされば、余程の犯罪者でなければ間違いはない、答えられるのではなかろうか。勝手に虚実織り交ぜて、面白おかしく話しているだけでは仕方ない。話す方も罪障を積み、聞く方も罪障を積んでしまう。そんなの損だ。
 お祖師さまは「権実雑乱の砌なり」と如説修行抄でお諭しになられた。「権」とは、簡単に言えば「仮」とか「偽」という意味で、「実」とは言うまでもなく「真実」である。真実ではないことと真実を織り交ぜて、それがゴチャゴチャに混ざって乱れていくのが末法、つまり現代だというのだから気をつけなければならないと思う。
 仏教の十悪の中の4つは、「口」についての戒め。「妄語(もうご)」=「嘘をつくこと」、「綺語(きご)」=「奇麗事を言って誤魔化すこと」、「両舌(りょうぜつ)」=「二枚舌を使うこと」、「悪口(あっく)=「他人の悪口を言うこと」とある。正義感が歪んだり臆病になって行動が制限されると、上記のような4つの戒めを平然と破ってしまう。これではつまらない、残念なことだ。もっと、きっと他に方法がある。
 御法門ですら、「己の遺恨を差しはさむ法門は謗法に同ず」とお戒めになられている。教務が、「嫌いなあの人に説いてやる」などと思ったら謗法なだとお戒めだ。人は、それが真実か、真実ではないか、ちょっとは躊躇しながら、気づかいながら、口を開き、文字を綴る。面と向かって気づかうのと同じくらい、テクノロジーが進化したために生まれた匿名の世界でも注意が必要だ。言論の自由、あるいは「折伏」と言っても、何でも言って良い、書いて良いわけなどない。まして、人の傷つくことや、真実ではないことなど。
 今回、本当に、ここに書いてくださってよかった。そんなことが語られているとは、とても心外で、元不良としては腹も立つ。目を見て、話を聞いてみたい。しかし、腹を立てていいはずがない。そうしたことなど相手にせず、淡々とご弘通ご奉公に励めと教えていただいている。宇宙誕生以来、真実は負けたことがないのだから、堂々と貫いてゆくしかない。
 ご奉公は、本当に有難い。今回のスリランカのご奉公でも、御法さまがおられればこそ、佛立ならばこそ、と感激しながらご奉公させていただいた。こうして、勉強させていただき、信心を改良させていただけることが嬉しい。本当に、感謝させていただいている。
 いずれにしても、いろいろなことが語られる世の中、関心を持ってくださっているのだろう。本当に、今回は教えてくださって、ありがとうございました。

勉強の日

今日は修学塾と呼ばれる教務方の勉強会。私の受け持つ教科は「弘通学」。「学」と名はついているが、実践・実績が現れてこなければ意味がない。私たちは、「雑学」ではなく「要学」を目指さなければならない。開導聖人は「雑学」を最も嫌われた。余計なことを知っていても、「肝心」なことを知らない者が多いものだからと思う。

要学、肝心、実践で活かせる、結果の出る授業にしたい。

朝となり

19日の朝。今日は月曜日。皆さまの充実した一週間を願っています。

2009年10月18日日曜日

横浜 照隆寺

快晴の下、横浜照隆寺の御講有巡教が奉修されました。ご奉公の方々が総勢120名。これは本当にすごいことです。たくさんの新しい方々がご奉公されていました。子どもたちも、元気にご挨拶してくださって、ありがたいです。ありがとうございます。

横浜の、気持ちのいい朝です。

日水上人の歌

写真、分かりにくいですが、モライス教竜師です。ギターを弾きながら、日水上人の歌を歌ってくれました。今夜はボーズバーだったので、もう大盛り上がり。続いて、ラテンの、魂を揺さ振るようなブラジルの曲を聴かせてくれました。先生がポルトガル語を同時通訳して、教竜師のお話も聞かせてくれたし、素晴らしかった。たくさんの出会いがありました。嬉しい。

このご奉公の前には面会と、インフルエンザの予防接種をしていただきました。真理先生に感謝。お寺で予防接種していただけるなんて、ありがたいです。真理先生がいてくださればこそ。ありがとうございます。

内容の濃い一日。はぁ、はぁと、息が上がりました。それにしても、教竜師の歌は響く。まだ余韻がある。ただ、眠いなぁ。

2009年10月17日土曜日

満面の笑み

 最近、カメラを向けると変な顔ばかりする次男。問題の多いPCと共にカメラを向けると、まだ変に顔を作る。役者か。

 昨夜、また嬉しいこと。麩屋町・長松寺の御総講でいろいろな嬉しいお話をお聞きした。

 お会式直前でありながら、忙しい名古屋から石川清優師がお参詣くださった。お願いごとがあるからということだが、電話でもメールでもいいのに…、わざわざ京都まで。恐縮。それでも御総講にお参詣してくださることが有難かった。御総講が終わってから、いろいろとお話することができた。

 まず、青少年の一座に参加した建国寺の青年会の方のこと。うれしかった。あの大会に参加してから、お友だちをお教化したいと前向きに頑張っておられるとのこと。お会式に、お友だちを連れてお参詣される、と。建信師のご指導の下、そういう積み重ねのご奉公の賜だと思うが、本当に有難いことだ。青少年の一座のご奉公をしたみんなに、こうした声を届けたい。全国のお寺で発行されている寺報などに、青少年の一座の記事がある。そこにも、たくさんの声が寄せられている。大垣の妙法寺の寺報にも特集が組まれていて、感激した。

 また、長松寺の御総講の中でも、嬉しい声があった。やはり、青少年の一座に参加してから、お寺にお参詣するようになったという女の子。お母さんが涙を浮かべて喜んでおられた。ご主人がご信心に反対されていて、数十年、一人で頑張ってご信心を続けてきたが、娘と家でお看経できるようになって、本当に嬉しい、と。「今日も、娘がお参詣に行きたいというから、私もって主人に言って、それで大丈夫なんです」と、本当に涙を浮かべて喜んでおられた。素晴らしいこと。本当に、ありがたい。

 そんなお話を聞けて、よかった。青少年の一座のご奉公者に伝えたいです。

2009年10月16日金曜日

難民キャンプの映像

 先日、難民キャンプ内でのご奉公の模様をまとめて、You Tubeにアップして観ていただこうと思った。編集が完了したので、ここに再アップしてみる。

 映像の最初の部分、約2分間。あえて、車窓からの映像を残してもらった。延々と続くテント。その規模の大きさを観ていただきたくて。難民キャンプ内でのご奉公を10分にまとめることはとても難しいし、頑張っても17分だった。それを10分にまとめた。最初の部分はカットする対象なのだが、それでも観ていただきたいと思った。

 現在、スリランカには3つの巨大な難民キャンプがある。今回私たちが訪れたのは「Settikulam」と呼ばれる難民キャンプ。ここに7万世帯が生活している。スリランカ全土で約28万人のタミル人が難民キャンプ内での生活を余儀なくされているという。

 難民キャンプには通常、外国人はおろかスリランカ人も入ることができないという。「支援者ならば入れるだろう」と考えるところだが、そうではない。度重なる検閲を受けなければ、UNICEFやWHOやUNHCRの車両とも行き違ったが、そうした団体のスタッフでも入ることが難しい。支援金はコロンボでのみ受け付けられ、支援物資もスリランカ政府によって管理・運用されているとのこと。

 今回、現地信徒の方々のご協力をいただいて、本門佛立宗のみなさま、宗門をはじめ、義援金を送ってくださった方々に代わってご奉公させていただくことができた。本門佛立宗による「スリランカ内戦難民義援金」を、スリランカ本門佛立宗のみんなが、最善の、顔の見える支援、継続的な支援、御題目の下種、ご弘通に繋がる支援を目指して検討し、実現までたどり着いた。

 お役中(スリランカ本門佛立宗の役員)の方々は、Naita(National Apprentice & Industrial Training Authority)と交渉し、視察を行って支援方法を決定してくれた。このNaitaの会長、アマル氏は御本尊を護持するご信者である。Naitaは難民キャンプの中で、青少年に職業訓練を行っている。その機関を通じてスリランカHBSとして、机付きの椅子を300脚、子どもたちには50個の玩具セット(ノートとペン等を含む)を寄贈。

 最初に子どもたちが集まる場所へ向かい、玩具セットを一つ一つ子どもたちに手渡しした。シンハラ人とタミル人は使用する言語が違う。つまり、彼らが話をするのにも通訳を介さなければならない。コロンボ市内ではそのようなことはないのだが、この地域、特にLTTEが支配していた地域となれば言語が異なっている。当然ながら、私も全くはじめて聞く言語で、案内された小屋の中に入って少し戸惑った。

 おもちゃを渡した後、ごく簡単に、御題目を唱えてくれるように呼びかけさせてもらった。あまりにも小さな子どもたち。歌を歌うように、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と唱えてほしいとお願いした。

 次にNaitaで勉強している青年たちが集まる場所へ向かった。すでにHBSにより寄付された椅子に座っており、「昨日まで地べたに座って勉強していたのです」という言葉に、有難さがこみ上げてきた。

 難民キャンプで行ったスピーチ。今回、何点か写真を用意した。「富士山」「B29」「横浜大空襲直後の横浜の空撮」「スリランカ信徒が横浜に来た時のランドマークタワー前での記念写真」。話す内容を組み立てる前に、このタミルの人たちが25年以上受けてきた苦しみ、哀しみ、怒りなどを想像した。そして、いま置かれている困難な環境、状況について。彼らは、シンハラ人や政府を憎んでいるだろう。戦争によって愛する人を失った人もいるだろう。ヒンドゥーを信じ、仏教を憎んでいるのだろうか。仏教の僧侶が行って、何を語ればよいか。逡巡と考えながら、スピーチを考えていた。簡単に要約すると、下記のようなお話をさせていただいた。

 日本から来た仏教僧の長松清潤です。みなさんは、日本を知っていますか?(知らない人も多かった)。これは日本にある富士山の写真です。綺麗な山です。この山に象徴されるように、日本はとても美しい国です。

 しかし、約60年前、日本は大きな戦争をしていました。相手はなんと米国、アメリカです。信じられますか?その戦争、第二次世界大戦によって、私たちはすべてを失いました。これが、戦争直後の私の住んでいる街の写真です。ご覧のように、私たちは、この戦争によって、家も、家族も、水道も、学校も、何もかもを失いました。

 第二次世界大戦の戦勝国は、戦争に負けた日本に対してペナルティーを求めました。しかし、サンフランシスコで行われた講和会議の中で、スリランカを代表してジャヤワルダナ大統領(当時は違うが)が、『憎しみは憎しみによって休息を得ることはない。慈愛によって休息を得る』というブッダの言葉を用いてスピーチをしました。そして、彼らは日本からのペナルティーを取りやめたのです。

 私たちは、このブッダの言葉どおり「憎しみ」や「復讐」にフォーカスせず、「未来」と「自分自身の努力」に眼を向けました。そして、この写真(ランドマークタワー前での記念写真)のように、見事に復興と発展を手にしたのです。

 みなさんも同じです。いま、皆さんは苦しい状況にあられると思います。しかし、日本と同じように、あなた方も憎しみや復讐に眼を向けず、未来や自分自身の努力にフォーカスしていただきたい。必ず、あなた方のこの地域、この国も、復興し、発展していくことでしょう。そうすれば、あなたの抱いている夢は実現すると信じます。

 その、あなたの努力や夢をサポートするアイデアをお伝えしたいと思います。私は仏教の僧侶です。そのアイデアをお伝えしたいと思います。

 日本はアジアの東の果てにあります。その日本は、いわばアジアの「孫」のような存在です。なぜなら、私たちの国はインドや中国の文化の影響を色濃く受けていて、その文化の産物として独自に発展してきたからです。いわば、インドやスリランカはお祖父ちゃん、中国はお父さん、日本は孫なんですね(少々単純化し過ぎているが、導入する意味で用いた表現)。

 ブッダは、インドで生まれました。ブッダはヒンドゥーの文化から生まれたのです。ヒンドゥーがなければブッダは登場しなかったかもしれません。ヒンドゥーが母、ブッダが息子といえます。息子が困っている親をサポートする、助けるのは当然のことだと思います。しかも、ブッダは息子たちの中でも、最も優秀な息子です。本当に、素晴らしい息子なのです。親を助ける、素晴らしい息子です。

 難しいことは申しません。ブッダは、未来に向けて努力する私たちに、尊いマントラを残してくださいました。このマントラは、ヒンドゥーの神々も尊敬して止まない、尊い、最もパワフルな、幸せの種が詰まった不思議な呪文です。もし、あなたが努力をし、成功を願っているのなら、このマントラを唱えてください。必ず、このマントラは、あなたを幸せに導いてくれるでしょう。そのパワーが、あなたを支えてゆくでしょう。

 この白板に、そのマントラを書いてみます。これです。「Namu Myo ho Ren ge Kyo」。タミル語でも書いてください。さあ、練習しましょう。「ナムミョウホウレンゲキョウ」「ナムミョウホウレンゲキョウ」。さて、この御本尊、ダルマカヤに向かって、一緒に唱えましょう。私は、ここで皆さまの幸せと成功を祈ります。一緒に、唱えてください。

 私たちの父や母も、祖父や祖母も、同じように苦しい戦争を体験しました。愛する人も失いました。生活の苦しみを味わいました。心に怒りや憎しみが湧き起こって当然です。しかし、私たちの両親や両祖父母は、そこに止まらなかった。そうしなかった。未来と、自分たちの努力にフォーカスしてくれた。そして、いま、幸せを手にしています。

 どうか、このことを忘れないでいただきたい。そして、その努力が報われるように、今日お教えしたマントラは、必ずあなたを幸福に導きます。パワーを与えてくれるでしょう。どうか、このマントラを唱えて、日々に努力していただきたい。必ず幸せが訪れます。

 以上のようなお話をさせていただいた。御題目の唱え方を練習し、予測不能の海外弘通の現場を想定して特に御染筆いただいた大御本尊をお掛けさせていただき、お看経の一座を奉修した。

 このHBSの支援活動に対して、スリランカ警察の代表者も絶賛してくださった。また、Naitaの関係者、現場の教師たちも大変に喜んでくれた。また、必ず、この地を訪れ、支援活動を継続していきたい。彼らが、憎しみや怒りのままに生きてゆかないように。もちろん、シンハラ人に対しても、ご信心を伝えてゆくことが欠かせない。継続した支援活動、弘通活動を行ってゆきたい。

パソコンとメール

パソコンの調子が悪い。昨日は小野山師のメールに不具合が出ていて受信できないと嘆いていたが、私のパソコンも老朽化が甚だしい。起動するたびに画面がまともに映らない。パソコンを持ち上げて振ったり、バシバシ叩くとチラッ、チラッ、とつきはじめる。古い蛍光灯みたい。なんてアナログなのだろう。何度もフォーマットをして大切に使ってきた。修理に出す時間がないほど肌身離さず使っているから、もう少しだけもって欲しい。

ところが、昨日からは本当に限界のようで、メールが読めなくなって慌てた。携帯メールしか見れず、朝からパソコンのメールを諦めて、横浜と大切なやりとり。どうしても移動が多いので、こうした機器がなければご奉公の問い合わせにお応えすることができず、ご迷惑をかけてしまう。バシバシ叩いてたらいけないな。

そろそろ、新しいパソコンを買わなければならないかな。いや、まだまだ大丈夫。修理、しよう。時間を作って。

2009年10月14日水曜日

妙深寺報 10月号

 妙深寺報の10月号。なんか、出るのも遅くなっているがブログへの掲載も忘れてしまっている。こんなに大切なご奉公なのに、アップしないなんていけない。
 今回も最高の出来。月末はギリギリまでスリランカのご奉公だったから、原稿を入れるのも遅くなったり、いろいろなことが重なってしまって、少し遅れてしまった。「無料だから許して」とは言えないな。しっかりしないと。
 内容は、スリランカに渡航する前日の23日に奉修されたお彼岸、秋季総回向での御法門を中心に、9月中の教区御講でお話をいただいたことなどを盛り込んでいる。特に、打ち合わせをしていたわけではないのだが、「教化特集」という内容になっている。
 妙深寺では、今年が「立正安国論上奏750年」であることから、高祖会までに誓願を立ててお教化のご奉公をさせていただこうと励まし合っている。このタイミングでお教化のお話が溢れているというのは有難いことだ。それにしても、各御講席で、このような楽しい会話が交わされていることが嬉しい。
 とはいえ、導師としては、一瞬も気の抜けないご奉公で、その場の空気が沈滞しないように、神経を凛とさせているのだが…。何度もご披露しているが、受持の御講師方はボイスレコーダーとデジタルカメラを携行して御講席の随行。そのお席で語られる会話、お参詣者と住職の会話、「ちょっといい話」などのご披露を録音させていただく。そして、その月の中旬に、御講中に住職がメモしていた内容を整理して報告。取り上げられた方々の声をボイスレコーダーから拾い出し、文字起こしを行っていく。生きた会話、生きた内容を心がけ、その雰囲気をそのままお伝えしたいと思っている。ノンフィクション。ご信心の息吹をお伝えできればと思っている。
 来月の高祖会までの誓願。あと少しで達成。今日、今月の住職が勤める御講席が終了した。その全御講席に弘通部の奥山さんや兼子さん、藤村さにゃ森山君や麻美ちゃんが参詣し、弘通部からのご披露をしてくださった。世間でいうノルマと勘違いしていただきたくないので、そのことを再三弘通部からご披露した上で、こうした機会を得て、お教化のご奉公に気張らせていただけることを嬉しく思い、みんさん、ご信心を一歩進めて、菩薩行の実践をさせていただきましょう、と。有難いことだ。
 私からは少し厳しく。昨年から、お祖師さまが命をかけて提出された立正安国論を学ばせていただいてきた。この文書の提出によって、お祖師さまは数多くの難に遭われたことは周知の通り。はたして、その内容とはどのようなものであったか。もし、一年間もこのことを聞き、学んできて、いまだに「私にはお教化は無理です」「誰かがしてくれるでしょう」と思っている方があるとしたら、これまでの御法門や講義を全く聞いていない、お祖師さまが立正安国論でお伝えになられようとしたことを一分も汲んでいただいていないということになる。混沌とした世界、混乱の続く社会を、どのようにしたらより良き方向に変えていけると仰せになったのか。この末法の社会に翻弄されて生きていく私たちは、どのようにすれば、その荒波を乗り越えていけるのか。御仏の正しい教えに沿って、まず心を正しく立て直すこと。それしかない。この、原点に立ち返り、人々の心に「正しいブッダの法」を届けることによってのみ、自分も、周りも、社会も、あるべき方向、より良き方向に向かっていくとお諭しくだされた。
 この時点。ご正当年の年末も押し迫る中で、このことが分からず、分かっていても実践とはかけ離れたままというのでは仕方ない。同じ信心をしているといっても、残念ながらいろいろある。「日蓮門下」とは言っても、このお祖師さまの御意をいただいて、その一分を汲ませていただいて、世のために、人のために、自分のためにと、ご弘通やお教化のご奉公に日々励んでいる人は少ない。お祖師さまの教えを受け継いでいるはずの寺院。観光寺院のようなになっている日蓮宗の寺院もあるし、祈祷会、降霊会、占いや姓名判断のようなことまでして、密教やヒンドゥーと見分けもつかぬ個人主義の受け皿になっている寺院もあるし、葬祭殿などと名付けた葬儀場の経営や墓地販売にのみ躍起になっている寺院もある。僧侶も、その所属の壇信徒も、お祖師さまの御意を知らないし、教えてもいただいてないのではないか。
 同じ佛立信者とならせていただいても、お客さん気分のままで、このパワフルな御題目さまに寄りかかっているだけではいけない。その御意の一分を汲ませていただいて、生きた仏教を体現し、一人でも多くの人に御題目をお届けさせていただこうと励ませていただきたい。同じ「佛立信者」と言っても、お教化の「気持ち」「心」を持っている人と、持っていない人では、天地雲泥の差が出る。功徳の差、御利益の速やかさ等。このことを知らねばならない。お教化が「出来る」「出来ない」ということを言っているのではないから誤解しないでいただきたい。その気持ちが、「あるのか」「ないのか」ということ。ちなみに、今年、私は奉安教化を2戸させていただいた。愛する友人たちと一緒に、ご信心できることが何よりも嬉しい。
 11月、高祖会までに、お教化の成就を目指す。そのヒントが、今月号の寺報に溢れている。どうか、何度も何度も、細かく拝見していただきたい。熟読していただきたい。
 スリランカの帰り、シンガポールに寄らせていただいた。そこで、素晴らしいご信者である斉藤家にお助行に伺った。奥さまのゆかさんは、本当にお教化の志の篤い方で、何としても応援させていただきたいと思ったからだった。前夜に引き続き、お助行の際にも家事のお手伝いに来ていただいているフィリピン出身のジーナ女史をご紹介いただき、いつも一緒に御題目をお唱えしているということだったので、そのままお看経させていただいた。彼女は不幸な形でお父さんを亡くしており、涙ながらのご回向の一座となった。
 大きな御戒壇。こうした大きな御戒壇をシンガポールにお供されているとは。ありがたかった。高級なコンドミニアムの中にあったお宅なのだが、大きな木琴がある。集合住宅なので「木琴の音は大丈夫ですか?」とお聞きすると、「はい、思いっきりお願いします」と仰る。そこで、小野山師や清顕師も拍子木をいただいて、大きな声でお看経。窓も開けっ放しで、コンドミニアムの中に「カンコンカンコン」という木琴の音と御題目の声がこだましていた。一人でも多くの人に御題目をお聞きいただいて、ご弘通させていただきたいという思い。
 ふと、御戒壇の横にあるデスクに目をやると、そこに妙深寺報が。あぁ、日本から取り寄せていただいて、シンガポールでも読んでくださっているだなぁ、と感激した。もっと眼を近づけてデスクの上を見ると、なんと、蛍光ペンでチェックしたり、線を引いたりしてくれているのである。「あー、感激!」。こんなこと、してくれているなんて、うれしー、飛び上がる思いだった。
 毎月出していると、こんなに丁寧に読んでくれているのか不安になる。雑誌を見るように、パラパラっとめくって、閉じてしまう。あるいは、「また、この人か」「難しいわ」と言って深く読まずに閉じてしまっているのではないかと心配していた。それが、こんなに詳しく、深く、読んでくれていたとは。一行一行、丁寧に組み立てて、書いているこちらとしては、その行間まで読んでくださっているように感じて、本当に嬉しかった。
 壮年会の交流助行の際、長野のご信者さんが、「妙深寺のご信者さんは幸せ過ぎて不幸ですね」と言っておられたと聞いた。もちろん、やさしい言葉を交わしながらなのだが、この言葉を聞いてこられた奥山さんが「本当に、そうだと思います」と仰っておられた。毎月寺報が出て、こんなに近くに妙深寺があってお参詣できる嬉しさを、海外で一人でご信心しておられる方の気持ち、遠方でご奉公されている方の気持ちを考えて、感じて、ご信心させていただかなければもったいないと思う。
 同時に、そのご信者さんはウェブカメラで本堂の朝参詣を見ておられて、「最近、朝参詣者が少ないのではないですか?」と心配しておられたという。幸せなことに馴れすぎて、朝参詣もできないのでは仕方ない。
 とにかく、いろいろと書かせていただいたが、妙深寺報は今月も最高なのである。中身を、じっくり、読み深めていただきたい。