ページ

2010年6月6日日曜日

今日のお折伏 教務の心得

週末ということもあると思いますが、御講にたくさんのお参詣をいただき、本当にありがたいです。
6月1日の月始総講は火曜日の奉修でしたが、208名のお参詣だったということ。本当に、嬉しいです。今月は、先住がご遷化になられてから、ちょうど10年。ご奉公させていただいてきて、自分では懸命になってきたつもりでも、それがご弘通につながっていなかったとしたら御本意に叶いません。
妙深寺は、日博上人が御住職であられた昭和41年に二級寺院へと昇格しました。先住日爽上人は若くして妙深寺の第二代住職となりました。先住のご弘通ご奉公は、本堂や教養会館など、建物ばかりに目が行きがちですが、実はそうではありませんでした。

ご奉公を進めてゆく中で、一級寺院への昇格を期待する声もありましたが、先住は別の道を選びました。それが、お会式では350名から400名近いお参詣者のある「大和別院」を一つの寺院として独立させることでした。当然ながら、これをすれば三ツ沢の妙深寺としてはご信者さんが少なくなり、日々のお参詣者も少なくなります。しかし、敢えてそれをされました。現在、大和別院は「法深寺」として清水御導師の下、さらに細やかなご弘通ご奉公が進めてられています。

法深寺が誕生した後の妙深寺。平成12年に先住日爽上人がご遷化され、若い住職がご奉公に当たることになりました。いろいろな試行錯誤を繰り返しましたが、こうしてお参詣者が増えていること、お寺の中が賑やかに、明るく、楽しい雰囲気に溢れていることが嬉しいです。

そして、平日の奉修となった今月の月始総講にお参詣者が200名を越え、土曜日の奉修となった5月1日の月始総講が251名と聞き、ちょうど先住ご遷化10周年の今、本当に、感慨深く、嬉しく思いました。

先住ご遷化前後、私が住職になった当時は、平日の月始総講は120名~150名、休日でも150名~180名くらいでした。月始総講のお参詣数を云々しても仕方ありませんが、一つの指標として、とても嬉しく思います。

自分なりに必死にご奉公しているつもりでも、徐々に自分のお預かりしているお寺が衰退しているとしたら、本当に申し訳なく、情けないことです。しかし、現実は、そういう事態があります。朝参詣者が減り、お会式の参詣数が減り、随喜しているご信者さんが減っているとしたら、大改良をさせていただかなければなりません。「信心改良」をご信者さんにのみ迫るなど、お門違いです。まず、こうした現証(現象)が顕(表)れているのなら、住職や教務から大改良すべきです。

お折伏も、教務さん同士でしなければなりませんし、そこでお互いが辛辣にご弘通比べをするくらいでなければならないと思います。寺内でも、「仲良し」は決して「異体同心」ではないのですから、同じ方向を見ている同志として、ご信心を定規にお互いのご奉公を「お折伏し合う」ことが大事です。これが「仲良し」を前提にして遠慮するようなら、ご弘通は衰退します。

 万が一、「難しいこと言うなよ」などと教務同士が言い合うようではいけない。もちろん、「強信者」を自認する人が陥るような、重箱の隅を突くような独りよがりは「折伏」ではありませんし、開導聖人は獅子武者も嫌い、石田三成になっても周りは付いてこないでしょう、わざわざ孤独になれというのではありません。独善者が正しいとは言わないし、そう思ってはいけない。混沌とした時こそ、真面目な人も、この落とし穴に気をつけなければなりません。

また、話が横道に逸れましたが、いずれにしても、自己満足でご奉公するのは止めること。

頑張っているようでも、自坊は徐々に衰退してる、教区に元気がない。お会式の参詣人数は数十年間変わらない、いや減ってる、というようなことではいけない。ご信者さんが減っているのに御有志項目は同じ。結局、一人当たりの御有志を増やしていただいているだけ、というのでは、問題の先送りです、いつか、大きな何かを失うことになる。その失うものとは、「佛立らしさ」だと思います。

御利益談を発表したり、良いことを言っているようでも、結局、自坊を振り返ってどうなのかということです。そして、それは人数だけではない、お寺の大きさでもない。

「人が増える」ということも、それと同じ数だけ「人が救われている」ということとイコールでなければならないのだから。教務は、非常に厳しいハードルを設けなければならないのです。私は、そういうハードルを用意して、ご奉公しているつもりです。「売り家と、唐様で書く三代目」などには、絶対になりたくないものです。しかし、いつもお給仕をしていただく「教務」「住職」というご奉公では、そうなる可能性が常々あります。

お互いにお折伏し合うことが大切です。何度も言いますが、自坊のご弘通が出来ていなければ、発言権はない。信じるにも、学ぶにも値しないと、厳しく教えていただくのだから。とにかく、コツコツと、厳しく、真剣に、ご奉公を重ねてゆくしかない。甘えるな。逃げるな。教務なのだから。佛立教務ならば。

1 件のコメント:

  1. 私どものお寺のことを言われているみたいです。お参詣が減って 教講一同気持ちが一つになっていないようです。原因はいろいろあるのは解っています。

    返信削除