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2011年11月15日火曜日

Fraulein AERO JET SKI TEAM

古い雑誌を見つけ、若かりし頃の写真を見つけました。Fraulein AERO JET SKI TEAMのキャプテンとして、勉強そっちのけで試合やイベント、横浜博覧会でのデモンストレーションに走り回っていました。映画「彼女が水着に着替えたら」に出たのもこの頃のことです。


20才。ノービスでは散々な結果だった自分が、琵琶湖の全日本選手権で逆転優勝し、フリースタイル、クローズドコース、スラロームの3部門で、年間の全日本チャンピオンとなりました。この時の感動、感激、忘れられません。


レース中に友人が事故死したり、自分もクラッシュしたり、いろいろなことがありました。でも、仲間が、いてくれたから、10人がローンで買った2台のマシンを大切に乗り回して、全日本のタイトルを取ることが出来ました。

学生なのに、たくさんのことを学び、恐れることなく社会に挑戦していたように思います。不可能なんてない、と思い込んでいました。


この写真も、「プールでジェットスキーを飛ばそう」という無茶な会話から始まりました。日本では前列がありませんでしたが、企画書を書き、雑誌社を口説き、スポンサーを募り、当時関東最大のウェイブプールを借り切って撮影まで辿り着きました。


懐かしい思い出です。みんなでプールから飛び上がった時、鳥肌が立ちました。子どもなりに、「やれば、出来る」と思えた瞬間でした。


まだまだ写真があります。今の自分も含めて、違和感なく見ることが出来ます。この経験も、すべてご奉公に役立ててゆきたいと思っています。


変かな(汗)。


飛んでいる写真は僕です。

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