頭の中は、賢治でいっぱいになってます。明日の準備中。
資料を見直して、あらためて『春と修羅』の中の、『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』、そして『青森挽歌』を読み、涙。
賢治の詩を、あるいは文章を読んだり、その人生を見てゆくと、涙が出ます。どうしても、涙が溢れます。
見えすぎるくらい世の中を見て、人を見て、痛いほど、責任を感じて、何とか人のために行動しようと思って、生きた賢治。そういう風に、生きようとした賢治。そういう風に、生きれるようになった賢治。
さみしかったろーなー。つらかったろーなー。ふんばったなー。がんばったなー。
涙が出ます。
賢治は、永遠になりましたね。
本当に、よかった。トシと、賢治と、二人で、二人だから、永遠になったんです。
教科書に載って、子どもたちに豊かな文学性を教えるとともに、崇高な、この上なく尊い、人間の心を伝えています。
悲しい別れが、賢治を奮い立たせました。
その悲しい別れが、賢治を、永遠の人にしました。
トシは賢治の二歳年下の妹で、篤い浄土宗の信仰をしていた宮沢家にあって、この二人だけが法華経の信者となっていました。ですから、賢治とトシは、本当に仲の良い兄妹というだけではなく、信仰上の同士でした。
その妹のトシが、二十四歳という若さで死んでしまうのです。死因は結核でした。
「衆生病む故に菩薩亦病む」
トシの病気と死は、賢治の魂を高みへと導くことになりました。
賢治にとって、トシは菩薩となりました。
彼女の病気は菩薩の病気であり、彼女の死は菩薩の死であったといえます。
賢治が、そうしたのです。
トシが、そうだったのです。
賢治は、そうしたのです。
「衆生病む故に菩薩亦病む」
賢治にとって、トシとの別離は、耐え難い、あり得ない、苦しみ、悲しみでした。
しかし、だからこそ、ここから、賢治は飛躍します。
永遠の賢治になります。
永遠の賢治になりました。
『銀河鉄道の夜』を読んで、また、いつものところで、涙。
二人きりになったジョバンニは、カムパネルラにこう呼びかけます。
「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんたうのさいはいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。」
「ほんたうのさいはい(本当の幸い)」
賢治は言っています。本当の幸いについて。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する。
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか。
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある。
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。
われらは世界のまことの幸福を索ねよう。求道すでに道である。」(『農民芸術概論綱要』)
いま、そうなっていないから、大自然がその巨体を震わせて暴れさせて、私たちを苦しめているのでしょうか。
毎日どこかの町が冠水し、毎日どこかの家が浸水し、ゲリラ豪雨がゲリラでなくなっています。
でも、あきらめずに、「ほんたうのさいはい」のために、デクノボーと罵られても、やるしかないですね。
永遠の賢治。
僕は、やっぱり、この会話が好きです。
ジョバンニと、カムパネルラの会話。
賢治と、トシと会話。
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「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニは云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新しい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。-----。
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このカムパネルラの、「きれいな涙」で、涙が出てしまう。
『無声慟哭』を思い浮かべながら、カムパネルラの、きれいな涙を重ねると、涙が出てしまう。
そして、思う。
「僕たちしっかりやろうねぇ。」
そうだ、しっかりやろうねぇ。
明日から9月。
8時から月始総講です。
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