6日から教区御講が始まりました。6時間もかかった京都。新幹線の中は冷蔵庫のようでした。思いがけず身体が冷やされてしまって体力を奪われたようです。さすがに今日は辛かった。
午後の御講は寒川の田中さんのお宅。妙深寺から遠く離れたお家です。それでもずっと妙深寺を想い、約60年間もお参詣されてきました。本当に、有難いです。
妙深寺まで車でも1時間ほどかかりますが、夕方から渋谷の乗泉寺を会場とした会議があり、慌ただしく着替えて出席させていただきました。大切な、大切な会議でした。
今日、田中さんのお宅のご宝前に座らせていただいて、最初に感じたのは、何と美しいお花をお供えしておられるのだろう、ということでした。
特別に華美でもなく、派手でもなく、それでも、美しい。お聞きしたら、前助行の時に皆さんでご宝前のお花がさみしいという話になり、お庭に咲いていた白いお花をお供えしたのだということ。その一番下の白いお花が、アクセントとして全てのお花を生かしておられる。
すごい。
美しい。
僕、本当に、こうしたお志に、感激するのです。
ご信心て、考えてみると面倒かもしれませんが、実際すごくシンプルです。まごころなんです。そっくり、そのまま、想いをこめて、ご宝前に向かってごらん、ということなんです。
田中さんは、ご苦労をたくさん抱えられた人生を歩んでこられた方ですが、ちょっと面白い発言も含めて、素直で正直なご信心をされている方に違いありませんし、そういうユニークさも大好きです。
ご信心は、素直正直が一番。本当に、そこにこそ、私たちのご信心の真骨頂があります。このご信心にお出会いできたら、そして、御法さまにお任せできるようになったら、あるいは、教えのとおりに修行する、如説修行が出来るようになったなら、ある意味で、贅沢な人生が、広がるのですね。
素直正直が、一番なのですから。ぜひ、この贅沢な美味しさを、味わっていただきたいです。
でも、だからこそ、同時に思うのは、教務の役割です。私が開導聖人の御指南から発見した教務の使命とは、率先して苦しむ役でした。迷う役。勉強でもそうなのですが、迷うかもしれない世界に覚悟を持って頭を突っ込んで、なおかつ、そこに引っ張られずに、しっかりと佛立信心を守り、皆さんを教導してゆく役割ということでした。
田中さんのお花を拝見して、その素直正直なご信心に触れて、なお一層、私たちは苦しまなければならないと思いました。
夕方からの会議も、そうです。宗門行政、あるいは方針、様々な課題を乗り越えることについても、苦しむ役である教務や、率先してそういうお役を買って出てくださった講務の方々と共に、素直正直な佛立信者の皆さまを守るために、もっと苦しまなければならないと思うのでした。
午前2時の独り言でした。
それにしても、お花、美しかったなー。つくづく、華美である必要はないんです。まごころなんですね。
帰り際、お庭に入らせていただいて、白いお花を撮りました。本当に、綺麗でしたー。お花も、買ってくればいいというものではありませんね。その美しさは、ごくごく身近にあるのです。
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