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2013年11月24日日曜日

厳しいからこそ有難い

お天気だけではなく、素晴らしい御会式でした。出座させていただき、本当に有難かったです。

初めての大本寺巡教をいただいて、法深寺の寺号公称15周年を記念した御会式。弘通表彰、お寺を縁の下から支えてきた方々に陰徳表彰をされたり、教化の体験談、新入信の方のお話など、どれも胸が熱くなる、自分の信心を改良しなければならないな、と気づかせていただくお話ばかりでした。

特に、5ヶ月目に法深寺に入信したという佐々木さんのお話は壮絶で、赤裸々で、ご利益、喜び、感激に満ちていて、3度の自殺未遂から、2歳で生き別れたお母さまとの再会、運命を恨んで生きてきたけれど、法深寺に出会い、御法さまにお出会いできた今が、人生で一番幸せ、と断言されていました。

一人きりの人生。寂しい、淋しいと生きてきた。食事も一人でも味気なく過ごしてきた。でも、入信以来、回数券を買って、開門参詣を続け、身体を使ってご奉公させていただいた後のご供養の有難さ。本当に、幸せです、と。

有難いお話でした。お参詣していなければ、お聞きできないお話だもの。佐々木さんのような方が、一人でも多く生まれてゆくようにするのが、ご弘通ご奉公、菩薩行です。そのことを、再確認させていただきました。本当に、ありがとうございます。

大本寺 乗泉寺の川口御導師の御法門では、いつもながらご信心の要点の要点を、ビシッとお示しいただき、また信心を改良させていただくことができます。

御教歌
顔かたち そはいかにせん よき人の
心を習へ うつらざる覧

顔や形は生まれつきだから仕方ない。そこではなく、「よき人」の「心」を見習いなさい。見習えば、顔や形とは違って自分のものに出来る。

では、「よき人」とはどんな人か。それは「これをしたら功徳になる」「それは罪障になる」と、はっきり言える人。

異体同心というのは仲睦まじく堕落することではない。お折伏できる人と出会うことこそが人生の恵み。そう思って、その人の心を習うことが大切なのだ。自分も、いいことはいい、悪いことは悪い、これは功徳になる、それは罪障になると、しっかり言える人になりなさい、と。

本当に、短い時間の中に、佛立信心のエッセンス、要中の要が、グッと詰まっている御法門。長々と聞いても結局世間ずれした話の延長線上で、御教歌が一番分かりやすかった、というものもあります。自身を戒めるばかりですが、本寺の御導師の御法門はいつも尊いお折伏と受け止めさせていただいています。

罪障をそのままにして、御利益がいただけるでしょうか。勝手な生き方をしてきて、自分本位で、ご奉公の足を引っ張るようなことばかりしていて、都合のいい時にだけ「助けてください」「御利益をください」というのは、本当のご信心ではありません。仏教ではない。お稲荷さんの信仰みたいです。そうではない。

謗法や罪障をそのままにしていてはいけない。この恐ろしさを思って、事に向かわなければなりません。

ごまかしは、きかないです。うそぶいていても、やせ我慢していても、御法さまを裏切り、誠意を踏みにじってしまったら、御利益どころではないはずです。

御法門をいただき、厳しいご信心の筋を教え直していただきました。

やっぱり、有難いご信心です。厳しいご信心です。厳しいからこそ、有難いのです。現証の御利益があるのですね。

大和から戻り、そのまま妙深寺の中央機関会議。平成の改新を進める中枢の会議です。70周年の今年も、残すところあとわずか。締めくくりのご奉公です。

どこまで改良できるか。思い切って踏み込んでいます。まだまだ続きます。

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