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2014年4月30日水曜日

班長さんへの手紙。日博上人の祥月ご命日を前に。







ありがとうございます。

4月1日、新しい事務局が発足しました。お寺の大切な2つの会議、事務局会議にも教講推進会議にも、新しく役員となられた方々が出席くださり、大変に有難く思っております。どうか、異体同心で、ご宝前を中心に、妙深寺の法城をお護りするご奉公、ご弘通を前に進めるご奉公に、精進いただきたいと存じます。

新役員の方々は、もっともっと会議が充実し、役中テキストなども分かりやすくなるように、活発に、前向きに、ご意見ください。そうした新役員の方々のご奉公やご意見を、積極的に活かせる事務局であって欲しいと思います。よろしくお願いいたします。

このように妙深寺の新年度もスタートいたしましたが、四月を節目として皆さまの生活にも何か新しい変化があったでしょうか。

満開の桜の中、4月1日の月始総講からブラジルへの出張ご奉公に行ってまいりました。約10日間ブラジルでご奉公をして妙深寺に戻ってきましたが、有難いことにこのブラジルでのご奉公で、初心に戻り、ご信心を改良させていただくことが出来ました。何より有難い新年度の節目であり、今後のご奉公に反映させてゆきたいと願っております。

妙深寺の初代日博上人は、昭和30年に梶本日颯上人のご随伴としてブラジルのご奉公に上がりました。今から59年前のことです。

そして、梶本ご講尊がご遷化された後、ご自身も病身で余命いくばくもないと言われていた昭和39年、今からちょうど50年前、もう一度、決死のご覚悟でブラジルまで行かれたのでした。

ブラジルに仏教を伝えた茨木日水上人の自伝に次のような記述があります。

「宗外者の辻本昇氏ではありますが拙僧は聖(サンパウロ)市の御弘通線の事に付きましても種々打明けて話しも致し居りましたので辻本氏案じる点もあり日晨上人に話された事、日博上人が心配して居られた事等相重って日晨上人が伯国巡教と成りました。」

当時、ブラジルには様々な問題があり、ご信者さんが混乱する事態がありました。ご信者さん同士の人間関係のトラブルもありましたが、もっと大きな問題は、御本尊さまや御題目の口唱行、開導聖人や日水上人の教えより、個々人の霊感などを重視する霊媒師のような者がいて、ご弘通の妨げをしていました。その悪い影響が、ブラジルの清らかなご信心を徐々に蝕んでいたのです。

日水上人が書かれていたのは、そのことでした。日水上人からそうしたお話を打ち明けられていた辻本氏が、来日した際に伝えて廻ってくださったのでした。

こうしたブラジル教区の危機を聞いて、日博上人は覚悟をなさいました。

2度目のブラジルご奉公に同行した、法正寺の佐野富雄さんの手記にあります。

「三十九年二月ブラジルから辻本さんが梶本猊下のご遷化に対して、あのブラジルの『勲章』をお持ち下さいました。その時、ご講有にお目にかかり、色々とブラジルのお話をなさいました。初めてご講有も宗門要路の方にも最近のブラジルの仏立宗門の詳しい事情を知られました。うちのお導師も『これは大変だ。梶本猊下のいらっしゃらない今日、ブラジルに通暁してるのは宗門でも私一人になってしまった。又ブラジルの人が頼ってるのは、現在私一人である。それが私はこのような重病である。このまま死んでも死にきれない。』とこうおっしゃって、一心に辻本さんと努力なさいまして、遂に宗門が賛成をし、ご講有が決意を固められ、突然に渡伯することになったのでございます。梶本猊下以来初めての、否佛立宗門にとり、ブラジルにとり、現職のご講有の初めての渡伯が決まりました。」

「ご講有程のお方に現地を親しく偵察して頂いて、胸に納めて頂き、又大阪清風寺のお導師程のお方に現地で引継ぎが出来れば、私はこの生命が死んでも信仰生命を生かすことが出来る、信仰生命を生かす為に我が命を懸けて願わなければならぬ。」

「『途中でたおれても止むを得ない。先方へついてこのまま寝込んでも仕方がない。若し死んでも本望である。』とこうおっしゃって、誰の止めるのもお聞き入にならず出かけて来られたのでございます。」

このお言葉のように、病に冒されていた日博上人は、命懸けでブラジルに行かれたのです。

私は、法華経本門のご奉公というものは、つくづく種を蒔く、種を蒔き続けることなのだと、改めて、お教えいただいたように思います。

なかなか、結果は、見えないのです。

自分の目では、確かめられないのです。

しかし、まかぬ種ははえぬ、まいた種は必ず生える。

善なる種まきを、泣きながらでも、まっすぐさせていただいてゆけば、必ず未来に芽が出てゆくものなのだと。

私たちは、それを見ているのですから。

これほど、ありがたいことはないです。

どれだけ栄耀栄華を極めても、権力や権勢を誇っても、果報が尽きれば一族郎党が潰えてしまいます。

一族郎党だけならいいが、本門のご信心までダメにしてしまったら、周囲すべてに及びます。

そうなれば、償いようもありません。

「辛抱せよ まことはつひにあらはれん しれずにしまふ悪はなき世に」

「今こそは うきゝあらしに吹かるれど 花さく春をたのしみにして」

「たのしみや 今の心が菩薩ならば 未来は仏うたがひもなし」

一日が過ぎる早さを嘆くよりも、その一日に何が出来たか考えよ。

長生きを祈るよりも、その一生にどれだけご奉公が出来たか考えよ。

開導聖人の教えです。

歴代の御講有上人、御牧日解上人、日本から派遣ご奉公をなされた御導師、御講師方、こうした脈々と続く命懸けのバトンタッチで、現在のブラジル本門佛立宗は素晴らしく発展しています。

私は心から感動し、改良を誓いました。

ブラジルで、確かに、様々な命のつながり、ご奉公のうねりを、見せてくださいました。

ご弘通は、政治じゃないんです。

ご奉公は、事務じゃないです。

信心なんです。

どこまでも、そうです。

昨夜、往年のブラジル教区長・鈴木教英師のインタビュービデオを拝見しました。

法深寺の清水御導師が撮影してきてくださったのです。小学生の左右治くん同行し、姉のチノブがインタビューしています。

25年以上前のインタビューですが、そのお話になられている内容は、まさに海外弘通の最も為すべきことばかりでした。

仏教の社会福祉・ボサツグループ、尼さんがいてくれたらいいということ、これからは海外のご弘通地域ごとに交流し、いいところを見習い、各国は事情や実情が違うことを前提に、もっとインターナショナルにご弘通を進めるられるようになってほしい、ますます御講を大切にしなければならないと思います、と。

「最後の大きな夢は」と前置きされて、何でもできる広大な牧場のようなところを作って、「佛立ファゼンダ」を作りたいと言及されていました。「これはもう死んでも出来ないかも知れませんが」と言っておられました。

こうした大きな夢も、いま、受け継がれて、「佛立聖地」「佛立コロニア」として実現しようとしているのですから、本当に、尊いです。有難いです。

このビデオも、すごい歴史です。さすが泉洋師です。

また、ゆっくり書きます。

とにかく、「今だけ見るな」ということですね。

「種まきを続けよ」ということですね。

日博上人は佛立信心の真髄ともいえる辞世の句を遺してくださいました。

「ワッハッハ 良きも悪しきも今生は まずはこれまで あとは来世で」

「ワッハッハ」とは、すごいです。

僕も飛び回るのが好きだから、その動きが止まる時は、きっと苦しいと思います。

痩せて、衰えて、ご奉公できぬ日が、僕にもいつか来るでしょう。

でも、「ワッハッハ」と言えるように、油断なく、怠りもなく、全身全霊で進みたい。

人生は、長さや短かさではないから。

気づいて生きたか、生きれたか、だから。

5月4日は、日博上人の祥月ご命日です。

明日、月始総講で、祥月ご命日の法要を勤めさせていただきます。

一人でも多く、お参詣ください。

「心の鬼が地獄へ連れ行き、心の菩薩が寂光へ導くと云う事、此の一句を口癖のように云いなれて、よくよく味わい、御法門聴聞に行く道々にも、心にたくわえ、お看経の時にも、心に忘れず、朝起きても、一番に思い出し、一日暮れて、夜臥す折にも、心の鬼が地獄につれ行き、心の菩薩が寂光へ導くと、一日、二日、三日、乃至、一年、十年、一生の間、忘れざれば、臨終の時には、心の菩薩が寂光へ導かせたまふものなり。御臨終の夕べには、日蓮必ず御迎えにらむかうべしとは是なり」

「家の出入り、常の時も、御本尊を生身の尊体也と、忘るる間なく仕へ思ひ奉りある人なれば、万事物事に恐るる事なし。舟に乗る時も、夜行く時も、夜臥してある其の間も、御守りを、慥に喜びある故に、されば生死に恐れ無き御題目の信者にてあるなり。忘れ、怠る間ある人を、持ち奉る人とは申しがたし」

「吾祖曰、心は如何様に起こらうとも口に南無妙法蓮華経と唱ふればと云々。されが起こる心は私にあり、此の私頼むに足らず、我が口唱の声を頼りにして心を声ばかりにせよ。其の時五字と信心と和合して行者の一心ご本尊と顕るものなり。唯、我と云うもの、私と云うもの消えはてて御題目ばかりになること肝要なり」

皆さま、ご信心は初心が何より大切です。気づかない間に古法華となり、迷うのです。

ご信心のお強い御方の、すごいご奉公のお話ばかりでは、いけませんね。

ご信心は、本当に有難いものです。

ご奉公は、もっと身近で、尊いものです。

罪障消滅、御利益感得。

だからこそ、もう一度、ご宝前のお給仕からご信心を見直し、お参詣の有無からご信心を改良してみましょう。

特別の行事も会議も無い朝に、お参詣することから始めてみてください。

きっと、分かります。

まず、ご宝前に「南無」というお気持ちで、向き合えているかということ。

普段のお参詣から始めましょう。

2014年4月29日火曜日

4年前の写真

2010年、シンガポールで、はじめて八田さんのお母さまとお会いしました。

あれから、もう、あっという間に、4年も経ちました。

名古屋のご自宅に御本尊をお迎えくださり、今日は、久しぶりに再会させていただきました。

お会いするたびに、必ず固い握手、いや、あたたかい握手。

ジャポネス・ガランチードは、ブラジルだけではなく、台湾にも残っています。

たくさんの意味を込めて、毎日、毎回が、大切なご奉公です。

今日、一日で名古屋を往復するという慌ただしいスケジュールでしたが、新幹線の中で4年前の写真を見返しました。

懐かしい。

たくさんの思い、ご奉公があります。

2014年4月28日月曜日

蒼くんのお助行をしてくださった皆さまへ

蒼くんのご祈願をいただいた皆さまに、うれしいご報告です。

 

私たちに、蒼くんの病気について教えてくださった、蒼くんのお母さんのお姉さまから、丁寧なメールをいただきました。

 

また、蒼くんのお母さまからも、封書でお手紙、そして御礼の御有志、蒼くんのお写真まで、頂戴してしまいました。

 

あれから2ヶ月。

 

本当に、いろいろな日々があったかと思いますが、こうして御利益をいただいたお話を詳細に綴っていただいて、しかもそれを皆さまにご披露くださることが、本当に、ありがたいです。

 

本当に、お助行させていただけた、私たちの方が、御礼をお伝えしたいのです。

 

蒼くんのご祈願をさせていただけて、お助行させていただけて、ありがたかったです。

 

写真は、蒼くんと、樹(いつき)くんです-。

 

幸せそうで、何より-。

 

ありがたいです-。

 

 

ありがとうございます。

 

この度、妹、蒼が頂いたご利益と、大変遅くなりましたが、皆様へお礼の言葉を述べさせて頂きたいと思います。

 

129に川崎病で入院することになり、その時、医師からは「もしかしたら長い子では一ヶ月以上入院することになるかもしれません…。」と言われたそうで、その日から妹は、自分が出産する前に蒼を無事に退院させてあげたい。それを見届けてから赤ちゃんを産みたい!と言う気持ちだと聞き、妹は病室で懐中御本尊様に毎日毎日一生懸命にお参り、御祈願をさせて頂いてると母から聞き、私達も妹の願いが叶えて頂けるように、そして心臓にも影響が出ないように、皆でお参り、御祈願をさせて頂きました。


313日の退院までに、札幌での治療になるかもしれない…と、医師から二度、話が出ました…。しかし、御法様や皆様からのお計らいで、妹と蒼は遠く離れることなく、無事に元気な笑顔で蒼は自宅に帰ることが出来ました。御法様にご挨拶をさせて頂き、遅い昼食をとり、ゆっくり会話をする暇もなく、妹は、朝からお腹に痛みが出始めていたらしく、いつでも出産の為病院に行けれるように用意を始めました。


そして数時間後、痛みの間隔が近くなり、妹は、元気で笑顔の蒼を皆に託して、笑顔で「蒼の事、宜しくお願いします!では、行ってきます!!。」 と、旦那君と病院へと向かいました。

そして、旦那君から「今日中に産まれるそうなので、蒼の事をお願いします。」と母に連絡が入り、急遽母と私が蒼の自宅に泊まる事になりました…。


自宅に帰れて皆に会えて喜ぶ蒼の笑顔…、そして自宅でいつもの布団に入って寝ている寝顔を見ていたら、本当に幸せで、ありがたい気持ちで一杯になりました…。感謝の気持ちで一杯でした…。


そして、その日の夜に妹は無事に、樹(いつき)を出産することが出来ました。


本当に、このご信心は凄い!現証の御利益って凄い…!と更に感じました…。

 

そして翌日14日、私と父が開門参詣をさせて頂いて帰宅してるときに、蒼が熱があるとの事でした…。そしてやはり熱が下がらず、まずは蒼を連れてお寺でご挨拶をさせて頂き、病院へ行きました。インフルエンザかもしれないので、念のため入院することになり、昨日の笑顔からまた泣き声に変わってしまいました…。蒼の昨日の笑顔が…、また泣き顔に…、処置室から廊下まで聞こえてくる蒼の泣き声…、とてもとても蒼の気持ちを思うと、涙が止まりませんでした。そして、妹と母はどれだけ蒼の辛い泣き声をこれまで傍で見て聞いてきたんだろう…と思うと、ますます涙は溢れてしまいました…。


そして入院に必要な物を取りに帰宅し、届けた時に母から、「もしかしたら、川崎病の再燃かもしれなくて、だとしたら札幌に行って治療した方が良い。」と言われたと…。私と母は言葉がなかったです…。今、この状況で、札幌に…。蒼と妹が離れなくてはならないなんて…。これが三度目の札幌行きの話でした…。もう、この時には、とにかく御法様にお任せしよう!御法様を信じよう!!とにかく、ひたすらお題目を一心に唱えさせて頂こう!!という思いでした。そして、長松お導師様にお知らせをし、ブログで再度皆様にお願いをして下さいました…。一番最初の時の、皆様の祈りを強く思い出しました…。そして長松お導師様からの「ご信心を清らかに。」とのお言葉が、私に平常心を与えて下さいました…。とにかく、お寺でも自宅、妹の家でも「ご信心を清らかに。」を頭においてお題目を唱えました。


そして「蒼と妹が遠く離れなくてすみますように。」とご祈願させて頂き、数日が経ち、母から「もしかしたら川崎病じゃないかもしれない。症状が出てない…。もしかしたら、ウイルスが悪さをしただけかもね…。このままなら19日に退院出来ますよ。もう少し様子を見ましょう。」と言われたとの事でした。とにかく、川崎病の症状が出ない事を祈りました。そして、症状が出ず、札幌行きにもならずに、19日の検査の結果、異常がなかったので、午後に無事退院することが出来ました。


もう本当に本当に、蒼と妹が遠く離れなくてすみ、無事に予定通りに退院することが出来て、二度の大きな大きなお計らいを頂く事が出来たと私は思います。


これも本当に本当に、御法様、皆様のおかげだと心から思います。


本当に本当にありがとうございました。

 

この再入院で、蒼が私により深く色々な貴重な大切な事を教えてくれ、気づかせてくれました…。蒼が辛い苦しい思いをして、教えて気づかせてくれた事は絶対にこれからも忘れてはならない!!と思っています。

 

蒼は今、幼稚園に無事に通い、そして樹の面倒もよく見てくれて、私達に沢山の笑顔と元気を与えてくれています。


本当に皆様に、「ありがとうございます。」の気持ちと言葉で一杯です…。

 

そして、今回の妙深寺報で、森谷吏絵ちゃんのお母様が妹に、温かいお気遣いのお言葉を本当にありがとうございました。読んでて涙が溢れてしまいました…。妹に代わり、お礼申し上げます…。

 

蒼は、これからも通院が続きますが、御法様に沢山のお計らいを頂けますよう、これからも信心改良、精神改良させて頂きながら、頑張っていきたいと思っております。

 

長松お導師様、そしてブログを拝見してくださった皆様、本当にありがとうございました。

 

ありがとうございます。

761年目のお弟子さま

一人の御方の御一生が、これほど後世の人びとの生きる指針となることを、痛感する一日。

激しい苦難と困難、さみしさや、お辛さに、歯がみするような日々もあられたのではないだろうか。

その御一生の間には、素晴らしい成果や結果など、ほぼご覧になっておられないはずです。

ただ、ひたすら、種をまくように、苦難困難に耐え、お弟子やご信者方を教導され、61才にて御入滅のお祖師さま。

お祖師さまの御題目口唱から、今日は761年目。

今朝、素晴らしい動画を、伯是師が紹介してくれました。

ビエイラ・行運師の得度式の映像です。

1990年7月4日生まれの23才。今年3月2日に得度されました。

医学部の受験を控えた直前、自分の人生はこのままでいいのか悩み、インターネットで本門佛立宗のウェブサイトを知り、本法寺を訪ねました。

そして、そこで伯是師に出会い、一冊の本を渡されました。

コレイア御導師が書かれたポルトガル語の『日水上人伝』です。

心から感激し、コレイア御導師にお会いして、ご信心に目覚め、ついに得度を決意しました。

761年を経て、お祖師さまが初めて御題目をお唱えになった清澄山から最も遠い国、ブラジルで、こうしてお唱えになった、まだまだ、お祖師さまの御弟子が誕生しています。

すごいことですー。



2014年4月27日日曜日

ユニゾン

インシーでのセッション、無事に終えさせていただきました。

いつもながら暑かったのですが、すごく気持ちがよかった。

本当に、ひらく感じです。

ひらく。

みなさん、御題目をお唱えいただき、すてきなユニゾンでした。

ありがとうございますー。

「あなたのように強くなりたい」

昨日は18時から夜の住職御講「誰でも分かる仏教(法華経)講座」。ご近所の方が来てくださっているから緊張です。でも、本当に、有難かった。

19時からボーズバー。福島県いわき市の仮設からお越しくださった遠藤さん。お会い出来て、楽しいお話をお聞きすることができて、よかったです。

はじめてお参詣くださったのに、御法門を聴きながら、涙が出て仕方なかったとのこと。お話しするととっても明るい御方なのですが、法要が終わってからもしばらく泣いてくださっていました。

「なんか、波長が合っちゃったんだな。」

この2日間、噺家の先生方のお話をお聞きし、たくさん学ばせていただきましたが、これほど有難いお言葉はありません。しかも、その内容は、特段なにかを狙ってお涙をいただくようなお話ではありませんでした。

ただただ、「法華経に説かれたお手本」というテーマでお話をしたのでした。

「お手本」

そう、誰をお手本に、何を目標にして、毎日を過ごすか、生きるかで、人生は劇的に変わります。その意味も完全に変わる。向かう場所も、変わるのです。

行動を変える。

行動を変えるしかない。

なかなか、僕たちは、そうならない、そうなれない、忘れる、薄れる、迷う、怠る。

けれど、「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」と、確かめに確かめ、言い聞かせに言い聞かせて行動できたら、生きてゆくことができたら、今回の、人生そのものの意味が、変わってく。

坂本龍馬を書き、坂本龍馬を通じて、幕末・維新の仏教改革者、生きた仏教を民衆の下に帰した長松清風を書きました。

龍馬は、生きた仏教による世界を築こうと願っていた。

その最前線に、長松清風がいた。

法華経信仰に生きる世界を、宮沢賢治は、私たちに身近な言葉で、作品で、その一生で、教えてくれました。

雨ニモマケズとデクノボーは、法華経に説かれたお手本でした。

Budismo Primordial

Primordial Buddhism


Primordial」とは、「原始(時代から)の」「原初の」「根源的な」などの意味があります。

仏教(法華経)用語で言えば、「本門の」「久遠の」「本化の」ということになるのです。

「本門」というのは法華経の後半のことです。

法華経は全部で28章ありますが、第1章から第14章の前半を「迹門」、第15章から第28章までの後半を「本門」と言うのです。

何の違いがあるかと言えば、後半で、それこそPrimordialな、根源的な、仏さまが「そもそも、なんで仏になれたのか」という根本的なことについてお説きになられているから分けているのです。

本当の姿、根源的な存在を、表明した前と後とでは、御法門の内容が変わるのは当然です。

だからこそ、前半「迹門」、後半「本門」と分けるのです。

そういう難しい用語や解説はともかく、賢治が『雨ニモマケズ』の結び、「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」と書いた続きには、御題目の御本尊さまのように、中央に「南無妙法蓮華経」、その左右に「南無釈迦牟尼仏」「南無多宝仏」とあり、さらにその両側に、4人の菩薩のお名前が書かれていました

上行菩薩を筆頭とする4人。

その方々は、この法華経の本門、つまり後半部分、しかも第15章から第22章まで(本門八品)の間だけに登場する菩薩方なのです。

私たちが、御題目をお唱えする前に、呪文のように唱える「本門八品所顕 上行所伝 本因下種の」ということと、とっても深く関係しています。

大切なこと。

この4人の菩薩の方々を、「本化の菩薩」とお呼びします。

賢治さんが、『雨ニモマケズ』に続いて記した御題目の、両脇におられる菩薩方。

妙深寺の本堂にいただいている御本尊さまも、全くように、御題目の上方、両脇に釈迦牟尼仏、多宝仏、そして、そのさらに両脇に、本化の四菩薩がおられます。

私たちのお手本です。

しかし、この本門八品、「Primordial 8 chapter」とも言います。いや、そもそも、僕は、「Primordial」は「本門八品」のことしか指さないと思うのですが、とにかく、この本門八品の中に、もうお一人、菩薩が登場されます。

それが、「不軽菩薩」という御方です。

この方は、あまりお経をお読みになったりせず、ただ市井の中に入って、礼拝の行を行ったと説かれているのです。

「我れ深く汝等を敬う。敢て軽慢せず。所以は何ん。汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと(私は深くあなた達を敬います。決して軽んじません。なぜなら、あなたたちは皆な菩薩の道を行じて、成仏することができるからです)」

そう言って、歩いて廻ったというのです。

しかし、それを見て、当然ながら周りの者は気味悪がる。怒り出す者もいる。

「坊主、てめー、なにやってやがる!」

「縁起でもない。手なんか合わすな!あっち行けー!」

棒っ切れで叩き出す者、瓦礫をつかんで投げつける者もいたと書かれています。

しかし、この菩薩は止めなかった。

すこし、遠くに退くことはあるのですが、また同じように、振り返って、みんなのことを拝むのです。

これが、私たちのお手本だというのです。

しかも、この不軽菩薩は、お釈迦さまの前世のお姿であったと説かれます。

だから、御本尊さまの中にお名前がない。いや、「南無釈迦牟尼仏」の中に、入っておられると考えていい。

仏教はただの哲学ではない。

仏教はアクションである。

なぜ、そんなことを言うのか。

お手本が、この常不軽菩薩だからです。

考え込んでいる前に、行け。

そう言われそうです。

お祖師さまは下記のとおり記しておられます。

「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云い、はかなきを畜といふ」

お釈迦さまがこの世にお出ましになったのは、僕たちのアクションを何とかするためです。

いいお手本を持って生きて、やっと人になる。

それがなければ、畜生と変わらないような生き方をしてしまうのが人間です。

人間は、人間に育てられないと人間になりません。

教育学ではいつもオオカミ少女の事例が紹介されます。私も大学の教育学科で学びました。

オオカミに育てられたら、僕たちは四つ足で歩き、手を使わずに食事をするようになる。

教育学者たちが躍起になって、発見されたオオカミに育てられた少女を教育します。マイ・フェア・レディーのように。

彼女は、歩くように、少し話せるようにもなりました。

しかし、私たちはそこから教育の大切さと、教育の限界を学びました。

そして、幼児教育の大切さ、人間らしさを伝える義務、親、家族、周囲、社会の責任を思い知ったのです。

また、だからといって、ある程度成長した人間は、親や周囲のせいにして済むわけはなく、何よりも自分自身でいいお手本を見つけ出し、「人間」として、「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」と、自身を磨き、生まれ変わり、死に変わりしてゆく永遠の時の中で、今回、たまたま人間に生まれることが出来た自分自身の命を、この千載一遇の二度とないチャンスを、最大限有効に活かせるように、生きるしかない。

それしかない。

人間に生まれることが出来たのに、動物のように生きるなんて、もったいないです。

それは、きっと、人間に生まれるよりも簡単で、これから何度でも機会がある。

どうせなら、「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」と、いいお手本を見つけて、そこに近づけるように、努力したいではないですか。

そして、ブラジル展なのです。

全部、つながっていることを、書きたかっただけなのです。

龍馬から清風、清風から賢治、賢治からハチドリ、ハチドリからキジ、キジからブラジル、日水上人。

ブラジルに仏教を伝えた開教の祖・茨木日水上人の資料、ご自伝、コレイア教伯師が書かれた『権大僧正列伝・茨木日水上人』を読んでも、本当に、ここにお手本があり、心が熱くなるのです。

何としても、このお手本を、実践を、生涯を、お伝えしなければならないと思います。

ポルトガル語で作られた日水上人の歌』の歌詞に、

「あぁ日水上人、あなたのように強くなりたい」

とあります。この言葉が、頭の中、心の中で、

「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」

と、何度も何度も重なるのです。

全部、つながっているのですね。

大切なことは、昔話にせず、「感心上手の信心下手」にならず、僕たち一人ひとりが実践することです。

歴史を学ぶだけではなく、歴史は今なお作られていることを知って、自身の命を精一杯使うことです。

先ほどご紹介した常不軽菩薩のお言葉は、法華経の中では24文字です。不軽菩薩のご奉公の大切さ、姿勢の大切さ、この24文字の大切さを、お祖師さま・日蓮聖人は次のように記されております。

「彼二十四字と此の五字と其語殊なりと雖も其意是れ同じ。彼像法の末と是の末法の初と全く同じ。彼不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。」

写真は、ブラジル・リンス市の大宣寺にある、日水上人のご遺骨を安置した記念塔です。

長くなってしまいました。

いま、長野に向かっています。今日は長野教区の教区御講です。精一杯、ご奉公させていただきます。

今夜は、20時半から、またマグマヨガスタジオでセッションを行いますー。

2014年4月26日土曜日

大盛況ー

大盛況で御座いますー。

桂歌助師匠の大爆笑の高座をいただきましたー。

休憩を挟みまして、もう一席いただきます。

ありがとうございます。

今日は第二回 妙深寺寄席です。真打登場ー!

昨日の京都佛立ミュージアム。25日の北野の賑わいと、ほんもんさんアート市の多彩さ、盛りだくさんな復興市、そして、何と言っても林家染弥師匠の独演会で、たくさんの来館者をいただきました。本当に、ありがとうございましたー。

一つ一つ書き表すことは出来ませんが、落語という世界、その道は、仏道修行の道と相通じるのです。そのことを、教えていただきながら、実感しました。

プロフェッショナル。

本当に、勉強になりました。

そして、京都から横浜へ。

実は、事前に組み立てていたわけではないのですが、今日の妙深寺オープンデーも第2回目となる寄席を開催させていただくのですー。

第1回目は立川志の八師匠にお出ましをいただいて開催させていただきました。残念ながら私は参加できなかったのですが、京都の独演会と同様に、ご信者の皆さまからのご紹介をいただいて、こうしてご協力くださり、お忙しい中、妙深寺までお越しくださいました。ありがたいです。

「毎月第4土曜日は妙深寺オープンデー!」「どなたでもお気軽に妙深寺へお越しください!」と声をかけてご奉公しています。

ブラジルでもお寺でバザーやシュラスコを開催して結縁されています。地域の中に溶け込んで、仏縁に触れる機会がありがたいです。

妙深寺というお寺に、お年を召した方にも、お若い方にも、とにかく来ていただいて、大いに笑い、楽しみながら、暮らしと共にある、暮らしの中にあるお寺というものを、考えていただければと思います。

前置きが長くなりましたー(汗)。

本日、13時から「第二回 妙深寺寄席」が開催されますー。

ついに“真打”登場!

“横浜の師匠”こと桂歌丸一門の実力派、テレビ時代劇「水戸黄門」にも出演しておられた「桂歌助」さんが妙深寺へやってくる!

桂歌助師匠。

歌助さんは、新潟県十日町市出身、落語芸術協会所属。現在、笑点で司会をつとめられるあの桂歌丸師匠の初の直弟子に当たります。1999年に真打に昇進され、これをきっかけに「東海道五十三次一宿一席宿場寄席」として、東海道を歩きながらの活動をされる行動派。そのニュースがTBS「水戸黄門」のプロデューサーの知るところとなり、2000年からテレビ時代劇「水戸黄門」に出演。下手な先達役で、東海道を京へ向かう黄門様御一行としばしば出会い、ドラマに新味を加えられました。

2004年に、地元の新潟県で「『がんばれ中越』被災者激励落語公演会」を行い、落語のほかに、歌舞伎やお芝居にも取り組まれ、精力的に活動されています。

真打の師匠にお出ましいただいて、開催される妙深寺寄席。たまりません。今日は冥加料500円をお預かりすることとなりますが、こんなお得な、有難い機会は滅多にないはずですー。

ここに来て何故か落語にご縁が深くなっておりますが、本当に勉強になりました。今日も、笑わせていただきながら、個人的には勉強させていただきたいと思っています。

15時からは「お坊さんの書道教室」

先生は妙深寺の美文字のお坊さんたち。書道が初めての方から、本格的に学びたいという人まで、小さなお子さんからご年配の方まで、どうぞお気軽にお越しください。ペン習字もオッケーです。冥加料:300円

18時からは「誰でもわかる仏教講座」

諸経の王と呼ばれる法華経の深〜い話を、やさしく、わかりやすく教えてくれる仏教講座です。「生きた仏教」に触れ、生活のヒントにするまたとないチャンスです。受講は無料ですー。

19時からはボーズBar「Lotus」
「えっ!?お寺の中にこんな素敵なバーが!!」
月に一度、妙深寺の一室に開店するバー。お坊さんがホストになっておもてなしいたします。キャンドルが灯る幻想的な店内で思い思いの話に花が咲く。どうぞお気軽にお越しください。

ということですー。

よろしくお願いいたしますー。

2014年4月25日金曜日

【林家染弥独演会】ライブ中継



急きょ、ライブ中継できることとなりました(汗)。

 

ありがたいですー。

 

是非、ご試聴ください。

 

笑いの力で復興支援! 京都佛立ミュージアム 「ハチドリのひとしずく展」

 

【林家染弥独演会】

平成26425() 1400

京都佛立ミュージアム/Kyoto HBS Museum

 

http://www.ustream.tv/channel/hbsjapan

笑いの力で復興支援! 京都佛立ミュージアム 「ハチドリのひとしずく展」

「ハチドリのひとしずく展」で賑わう京都佛立ミュージアム。

 

今回の企画展は、どうしても、どうしても風化してしまう、風化している「東日本大震災 復興支援」のご奉公として、企画展の中の企画を順次ご用意して来館者を募っています。

 

本当に、企画の小野山師、スタッフやボランティアの方々の苦労は並々ならぬものですが、風化の波に抗してゆくためにはそれしかないと声を掛け合って、東北の被災地からお話しくださる方をお呼びしたり、バリエーションに富んだ物産展を開催くださっています。

 

そして、今日25日は、いち早く被災地での寄席を開催し、笑いの力による復興支援に尽力してきた《林家染弥》さんがお越しくださり、『笑いの力で復興支援!』と銘打って、来館を呼びかけさせていただきますー!

 

是非、どうか、この機会に、京都佛立ミュージアムまで、お越しくださいー。

 

【林家染弥独演会】

平成26425() 1400

京都佛立ミュージアム/Kyoto HBS Museum

 

※見学料無料/参加予約の必要はありません。どなたでもご参加ください。


さらに、今日は豪華3本立てのご奉公で、朝から「復興市」と3ヶ月ぶりとなる「ほんもんさんアート市」も開催されます。ぜひ、ご来館ください。


私も、これから向かいますー。


ゲスト:林家染弥氏

とってもワクドキ!(三重テレビ)出演

41回なにわ芸術祭新進落語家コンクール「新人奨励賞」受賞(2004)

平成25年度大阪文化祭賞「奨励賞」受賞(2013年)

8回繁昌亭大賞「奨励賞」受賞(2013)

 

1974年、三重県出身。1994年、四代目林家染丸のもとに入門。

染丸仕込みの本寸法の古典落語を研鑽するかたわら、早い時期からテレビ・ラジオのレギュラー番組を持ち、落語家として、またタレントとして頭角をあらわす。

年に一度の独演会では必ず古典の大ネタを手がけ続け、特に染丸ゆずりの女性の演じ方には定評がある。

近年は、六代目文枝に手ほどきを受けたことをきっかけに、創作落語にも意欲を燃やしている。一方で、独自の観察力で切り出すフリートークは楽屋内からも評判で、今や「楽屋あるあるネタ」は染弥の傑作である。

古典から創作まで、その持ちネタは多数多彩。

好きな言葉は「芸は人なり」。

今年9月には、上方林家一門の大名跡である、林家菊丸を三代目として115年ぶりに襲名することが決定している。

 

当日は、当ミュージアムにて復興市も同時開催しております。

 

【復興市】

425日(金)午前11時~午後4

 

被災地の特産品や復興応援グッズ!

買って応援!食べて応援!