御教歌「怠りの魔軍を責て弘むべし まけてはならぬ祖師の御味方」
先日、大学生のお子さんを持つお母さまから、大学の校内とか、門の前とかで、宗教の勧誘が活発に行われていて学校側が注意を呼びかけているのだというお話を聞きました。
主に韓国系キリスト教団体だそうです。若い女の子が新入生に近づいていて、サークルの勧誘のように声をかける。韓流ブームもあって、ホロホロっと韓国ドラマの延長線上で話を聞いてしまう。
ついていったら、ほとんどもう終わりです。それまで自分が知らなかったような情報が怒涛のように入ってくる。荒唐無稽なものもあるし、変だと思うのですが、すごい勢いで語られて、聞かされて、話されてくる。
人間は、それぞれが自分の物語を書いているんですね。一生懸命、作ってるんです。その物語、ストーリーが書き換えられてしまう。
気がつけば、「ブレインウォッシュ」という「洗脳」、そして「マインドコントロール」という中に自分自身が取り入れられてしまう。
地方から都会に出て来て、新しい環境にいる孤独な青年たちが、優しい言葉に誘われて今なおそうした恐ろしい宗教に勧誘されているなんて、考えただけでもゾッとします。一歩でも足を踏み入れたら、とんでもないことになります。貴重な人生が台無しです。青春も人生も奪われる。しかし、今日も学校で、街角で、子どもたちが狙われています。
信教の自由と不自由。
「信教の自由」というのは、昔キリスト教の教会権力が圧倒的に強くて、それぞれの人生を縛り付けていた。結婚も、離婚も、教会の許可が必要でした。
王様が離婚したくてカトリック、先日お亡くなりになった教皇の治めるカトリックから独立して作ったのがイギリスの国教会。ヘンリー8世。すごいです。
そんな教会から人間を解放するために生まれた人権、権利を「信教の自由」という。
人間には宗教を選ぶ権利がある。誰でも自分で自分の宗教を選んでいい。
すごく大切だし、いいことのように思えますが、この末法では「大丈夫?」と思う。
特に、最近、カルト宗教が乱立して、陰謀論が渦巻いて、詐欺が横行し、インターネットやスマホが進化する中で、大丈夫でしょうか?
信教の自由によって、人生の不自由になっている人が多くいるのではないか。
むしろ、その宗教によって人生の自由を奪われる不幸な人たちが続出しています。
「だから宗教を信じない」ということとは違います。人間に宗教は不可欠です。特定の宗教はないという人も「無宗教」という宗教に入っているだけ。「スマホ教」という新宗教もあります。自分が教祖になって勝手な解釈を繰り返しているだけで、これも妄想と幻想の中にいるのと同じ、自由と思い込んでいるだけで不自由に見えます。
とにかく、信教の自由だけど、今日も学校で、街角で、子どもたちが狙われています。
御教歌「怠りの魔軍を責て弘むべし まけてはならぬ祖師の御味方」
四月二日、『こころ仏る 空飛ぶお坊さんの仏教の言葉47』を出版することが出来ました。ラジオと同じように、本の力を信じて、お教化や法灯相続にお役立ていただきたいです。何とぞよろしくお願いいたします。
今回の本では「本門佛立宗」について紹介しています。
本門佛立宗は仏教の再興、法華経や日蓮聖人の教えを復興するために設立されました。本山は日蓮門下京都最古の歴史があり、その宗名は最も由緒がある。
「佛立」とは「仏が立てた教え」という意味で、「人立」とは「後世の人が立てた教え」という意味。つまり、「佛立宗」というのは、同じ仏教でも、添加物のない「本来の仏教」を伝えようとするもの、それを表明、証明しているのが「本門佛立宗」だということ。
「お葬式仏教」でもなく、過剰にスピリチュアルで、ビジネスライクで、政治的な新宗教でもない。普通の仏教、本来のお寺の集団。このように本に明記しました。
『こころ仏る』では「御題目を唱えて現証の御利益をいただく」という佛立信心の核心までは書き切れていません。あくまでも私たちのスタンス、土台、前提が書いてあります。
しかし、だからこそ、本門佛立宗や妙深寺が分かるはずです。どんな土台があるのか。何を前提として「南無妙法蓮華経」とお唱えしているのか。
本門佛立宗が、妙深寺が、絶対に偏ったカルト宗教でないこと、本物の、正当な、仏教の宗団であることを分かっていただけると思うのです。
怖い宗教が暗躍する中で、一人でも多くの方々に、本物の仏教、生きたお寺を知っていただきたいと願っています。知っていただけると思います。
AIの登場によって、逆に人間の「バグ」が顕著になっています。
人間って、これほど愚かなのか、ということを痛感する。
私は、もう人間のボロ負けだと思っています。
これからは、ありとあらゆる情報をAIに聞くようになるのではないでしょうか。
彼らは冷静で、丁寧で、証拠を集めて、そして優しく教えてくれます。
情報を鵜呑みにすることはできない時代、きっと何でもAIに聞く時代が来る。
人間は、情報に翻弄されて、感情に支配されて、思い込みも激しく、あっちを信じたり、こっちを信じたり、恨んだり、嫉妬したり、エコひいきしたりして、政治も、経済も、仕事も、まともにできない、ということになる。
自動運転になったりして仕事がなくなるんじゃなくて、人間に任せていたらズルいことばかりするから、政治家も、行政も、ありとあらゆる仕事はAIにしてもらいましょう、ということになるんです。
その時、人間は何をするんですか?
恐ろしい時代です。
何度でも言います。仏教は、ずっと言ってきました。
「狂った象より間違った情報を恐れよ」
誰もが狂った情報に囲まれ、見せられ、聞かされ、迫られて、生きています。
気がつけば、変な宗教、変な考え方にどっぷりと使って抜け出せなくなる。
「怠りの魔軍を責て弘むべし まけてはならぬ祖師の御味方」
今、もし、私たちが諦めたり、逃げ出したり、やめたりすれば、終わると思います。
もう一つ、付け加えるとすれば、本門佛立宗は本物で、どう考えても、敵なしです。
お葬式仏教、新興宗教、カルト宗教、そういうものと比べても勝負にすらならない。私たちは本物中の本物の仏教をいただいています。しかし、だからこそ、敵は外にいるのではなく、内側にあります。百獣の王、ライオンなんです。草原に敵はいない。だから、獅子身中の虫。敵は内側にいる。自分の中にある。
私たち、本門佛立宗の教務、ご信者が、習い損じて、欲に溺れて、怠け心にも負けて、ご弘通の意欲を失って、小さな枠に止まっていたら、もう資格がありません。
この御教歌のお書き添えには、私たちが御講席で拝見するお祖師さまの御妙判の一部が記されています。
「怠りの魔軍を責て弘むべしまけてはならぬ祖師の御味方。後生は慥かに申に及ばず浄土参拝の人也。貪欲は諸の苦のたね也といふを信じて常につつしめ。」
尊く、深い御指南。「後生は慥かに申に及ばず」「死んだ後のことは言うまでもなく」と言う意味。「今、ここ」ということ。
お祖師さまの御妙判の全文は、「祈祷抄」と言う有名な御妙判の送り状にあります。
「一切法華経に其身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申に及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも可成就也。」最蓮房御返事(祈祷経送状)
「祈祷抄」は佐渡島でお教化になった比叡山の学僧、最蓮房に宛てたものです。最蓮房は身体が弱く、病弱でした。その病弱な最蓮房を気遣って、必ず御祈願は叶う、と言うことをお示しになられたのが祈祷抄です。
「大地はさゝばはづる(外)とも、虚空をばつなぐ者はありとも、潮のみちひ(満干)ぬ事はありとも、日は西より出るとも、法華経の行者の祈のかなはぬ事はあるべからず。」
この送り状に、「山にこもって修行するのがいいか、どうか」と言う質問がある。最蓮房は病気でしたから、そのようにしていいでしょうか?と。
お祖師さまは如説修行抄にあるとおり、「山林に閉じこもって修行するのは摂受であり末法の修行ではない」とお諭しになります。しかし、最蓮房は病気なので、山にこもることを一往は認めて、それでもまた病気が治ったらお教化、お折伏のご奉公に頑張るんだよ、とお示しになられています。
お祖師さまのお慈悲がしみじみと伝わって、ありがたいのです(涙)。
「一、御山篭の御志の事。凡そ末法折伏の行に背くと雖も病者にて御座候上、天下の災、国土の難、強盛に候はん時、我身につみ知候はざらんより外はいかに申候とも、国主信ぜられまじく候へば日蓮尚篭居の志候。まして御分之御事はさこそ候はんずらめ、仮使(他とひ)山谷に篭居候とも御病も平愈して便宜も吉候は者身命を捨て弘通せしめ給ふ可し。
一、仰(おお)せを蒙りて候末法の行者息災延命の祈祷の事別紙一巻註し進らせ候。毎日一返闕如無く読誦せらる可く候。日蓮も信じ始候し日より毎日此等の勘文を誦し候て、佛天に祈誓し候によりて種種の大難に遇ふと雖も、法華経の功力釈尊の金言深重なる故に今まで無相違候也。付其法華経の行者は信心に無退転身に無詐親、一切法華経に其身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申に及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり。」
開導聖人の御指南に。
「信者は人を助けて法を弘む。」
「宗祖の御本意ここにあり。故に諸大菩薩、諸天善神守らせ給ひて現世安穏也。」
自分のためにも、子どもたちのためにも、世界のためにもみんなで精進致しましょう。
負けるわけにはいかない。負けてはならない。負けてはダメだ。
そんな強い思いをもって、「お教化させていただきたい」「お教化させていただこう」と励もうではありませんか。
懈怠謗法。ボーッとしていてはダメ、油断してはいけない、怠けていてはいけない。
本当の敵は自分の中にいます。
お祖師さまの弟子、本物のご信者として、「南無妙法蓮華経」の御題目を握りしめて、お教化、お折伏の菩薩行、法灯相続、ご弘通ご奉公に精進することが大事大切とお示しをくださる御教歌です。
故に、御教歌に。「怠りの魔軍を責て弘むべし まけてはならぬ祖師の御味方」
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