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2008年3月29日土曜日

『寂光祭(Festa da Iluminacao)』

 無事に寂光祭が終了した。

 南米の雰囲気。私たち日本人の想像できることとは違って、全く新鮮な感覚の奉修となった。これは、この紙面では到底伝えられそうにない。コレイア御導師の感覚から湧き出したものだ。私も大変勉強になった。
 日本からのある団参の方は「寂光祭」と聞かれて、「喪服を着た方がいいでしょうか」と心配してくださっていたほど。多くの人がタイトルと内容のイメージが結びつきにくかっただろうと思う。

 簡単に言えば、「同帰常寂」という意味だと考えれば分かりやすいかもしれない。「共に、寂光に帰りましょう」「成仏の大果報がいただけますように」「成仏の大果報がいただけるような生き方をしましょう」と呼び掛け合うのが「寂光祭」という意味であった。

 御講有にはポルトガル語での言上など、無理な御願いを重ねてすることとなった。寂光祭の中では、エメルソンという青年の得度式も行われたのだが、その剃髪の時に言上する「流転三界中~」という御文も、すべてポルトガル語での言上となった。その大変なプログラムを、すべて順調にしてくださったのだから、本当に有難かった。

 有難いことに、このプログラムには約1000名の方々が参加した。また、御講有の警護をしている連邦警察の警察官たちも自然に参加することになったわけだが、この中の3名が昼間から夜にかけてのご奉公でお教化になったという。これも有難いことだ。全てはご弘通のためなのだから。

 その寂光祭は21時過ぎに終わった。御講有は上院議員のウィリアム・ウー氏の挨拶を受けたり、エメルソン(得度名・教行)に訓辞を与えてくださったりして、お疲れの中、21時30分に警護の隊列を受けながらホテルまでお戻りいただいた。大変に忙しい一日。それでも、トラブルもなく無事にご奉公できたことが御法さまのお計らいとしか言いようがない。

 私たちは23時過ぎに日教寺を出発して、明日御講有が飛行機で到着される街まで移動した。夜中の高速道路を斉藤御導師と信徳師の運転で走りに走った。約6時間。満天の星空、南十字星を見ながら、南米ブラジルの平原をひた走る。サンジョゼ・ド・リオプレートという街まで移動して、明日の午後のご到着を待つ。朝5時前に町中に入り、ホテルで仮眠を取ることにした。

 朝、7時前に日本からの電話で目覚める。名嘉村さんが帰寂されたことと枕経の報告だった。82才だった。
 受持の信仰師にも伝えたが、名嘉村さんを思う時、胸が熱くなる。なぜなら、氏は帰寂まで信心を増進し続けた方だと思い起こしていたからだ。寂光祭が終了し、法宅に控えていた時、メールで名嘉村さんの帰寂を知った。思わず声を上げた。寂光祭の途中、名嘉村さんを思って唱題をあげた。臨港教区の教区御講で「私は、この年になって、同僚に妙深寺のパンフレットを見せて、こんなに良いお寺があるんだ、とお教化しようと思っているんです」とご披露された姿が浮かんだ。晩年から、どんどんご奉公くださるようになり、ご信心は帰寂する直前までゆっくりと上昇し続けたと思う。

 9時、ウトウトしていた中、サンパウロからの電話で目が覚める。よし、起きよう。ご奉公は全身全霊でさせていただく。入る息は出る息を待たない。当たり前だが今日は今日しかない。精一杯のご奉公をさせていただく。ありがたい。

 朝の街、今日はリンス大宣寺でのご奉公である。

お出迎えのよろこび

 既に、日本からの本隊が到着して、二日目となった。もはや、連日100%のご奉公で、ブログを更新する時間がない。
 お出迎えには朝5時起床で準備。5時30分に日教寺を出発。ご奉公教務の全員がトランシーバーを持ち、イヤホンを耳にさし、暗闇の中を高速道路を疾走して空港へ。空港で御講有がお乗りになる特別車と連邦警察のシークレットサービスと合流。それぞれに部署に分かれる。待ち時間にブラジリアン・コーヒーを一口いただいて、眠気を飛ばす。
 斉藤御導師と吉川氏、そして私の3人だけpassをもらい、連邦警察の方々と共に税関の中へ。出発ゲート側からJALの到着ゲートに抜けて、本隊が乗っておられる便が到着するのを待った。皆さんが乗っておられる飛行機の到着する瞬間を見守るなんて経験はなかった。しばらくゲートの前に立っていると、滑走路にJALの機体が降下してきて、白い煙を上げながら着陸した。あぁ、無事に着陸しくれた、いよいよご到着である。
 御講有をはじめ、総勢約70名が無事にブラジルに到着された。飛行機のドアの外側まで行かせていただいて、斉藤御導師が御講有にご挨拶。そのまま入国審査をパスしてドアの外へ。特別車は連邦警察の最大限の護衛を受け、バイクが交差点で車を制止しながら日教寺まで先導してくれた。
 私は団参者の方々をバスにお乗せして、その中でご挨拶と日程の説明をさせていただいた。ありがたい。本当に遠くから、しかも大変な金額の団参費にもかかわらず、強いご信心でブラジル本門佛立宗100周年のためにご参加をいただき、心からの御礼を申し上げた。また、これから数日間、何より安全に、無事に、健康に、楽しく有意義にお過ごしいただけるようにご奉公させていただくのが私たちの使命だということも痛感した。
 団参のバスは少し渋滞に巻き込まれ、遅れて日教寺に到着。24時間近くのフライトである。家を出てからの時間を考えたら、もっとだ。疲れておられることは間違いない。
 しかし、日教寺の方々の真心の、温かい出迎え、ご歓迎をいただいて、団参の皆さまも大変に喜んでくださっていた。有難い。

2008年3月27日木曜日

Press Release

 あと数時間で、御講有をはじめ日本からの本隊がブラジル・サンパウロのゲアルーリョス空港に到着する。
 20日に日本を発ってから約1週間、ブラジルでの準備ご奉公も最終段階。ニューヨークと連絡を取り合いながら、15分遅れのフライトスケジュールであることを確認した。残すところ12時間弱で本番のスタートである。
 リンスの大宣寺で準備ご奉公に当たっていた斉藤教区長と現薫師らもサンパウロに帰ってきた。リンスの天候は非常に穏やかで、数日前まで36度を上回っていたことが嘘のようだと言っておられた。天候不順がリンス市周辺の特徴であるから、これは有難い。田園風景が広がるリンスまでの道のり。のどかな風景を65名の団参者も楽しめることだろう。
 サンパウロでは『寂光祭(Festival da Iluminacao)』の会場設営、進行台本や司会者のナレーションなどの打ち合わせ、開拓慰霊碑法要と水野家墓地回向の差定や言上文を作成を続けていた。相変わらずペンキ塗りは続いていて、本当に日本人の感覚からするとクスッと笑いたくなるのだが、みんな必死で、明るく、ご奉公を続けていた。
 ラテンの気質というのは余裕がある。日本人は心配性だと言われる。グランデ・ファミリアなどでは何回リハーサルを行ったか分からないのだが、この寂光祭のコレイア御導師などは余裕がある。これも南米独特の気質かもしれない。
 笑い話のように話していたのだが、高崎御導師のお寺で「開堂式」が行われた時など、3日前に準備ご奉公でお寺に行った時に壁がなかったという。もう、この話で大笑いした。「開堂式」である。その「本堂」の「壁」が無いなんて(笑)。
 その状態に驚いて、「これで大丈夫ですか?」とコレイア御導師が聞くと、高崎御導師は「全く問題ない」と落ち着き払って言っておられたという。事実、3日後の開堂式には見事に「壁」ができあがっていた(壁の後ろ側がどうなっているかは知らないが)。もう、すっごい綱渡り(笑)。三大会ですらリハーサルをやっている妙深寺では考えられない(笑)。ちょっと、こういうのも良いかもなぁ。良い意味の危機感は大切だが、ナーバスになり過ぎてもいけないものだ。
 新聞各社が、HBSの100周年、同時に仏教伝来100周年と日系移民100周年があること、大法要が行われることなどを記事として掲載してくれた。今朝も「Metro News」が御講有の写真付きで詳細な記事を掲載してくれていた。
 また、サンパウロ新聞も本日付の紙面にて掲載(なぜか、取材申請に行った私たちの写真を載せておられて恐縮)してくれており、続いて「ニッケイ新聞」が3月27日号、「Jornal Nippo-Brasil」が3月31日号でHBSの盛儀について記事を掲載してくれることとなった。
 また、「Isto é」という全国的に有名な週刊誌があるのだが、今回の御講有来伯に際してインタビューが行われ、その内容が掲載されることになっている。この週刊誌は、時事問題などを精力的に取り上げることで有名で、今回も非常に突っ込んだインタビューとなっている。
 私のブログで全回答を紹介出来ないのが残念で仕方がない。しかし、せめて質問事項だけ掲載したい。
1. Qual a sua avaliação dos 100 anos de budismo no Brasil? (ブラジル仏教伝来100周年をどのように評価されますか?)
2. Como o Brasil é visto internacionalmente em relação à prática da religião? (ブラジルの宗教情勢は、日本において、また、国際的にどのようにみられていますか?)
3. O que leva o budismo a se tornar cada vez mais popular no mundo? (今はなぜ、仏教が世界的に評判なのか、なぜ段々ポピュラーになって来ているのか、その原因は?)
4. Qual a sua opinião sobre as mudanças no budismo tradicional, que tem sido cada vez mais associado à prática de Yoga, estilo de vida e alimentação natural? Aprova estas adaptações da religião? (伝統的な仏教がヨガ行を影響し、また日常生活や自然食法などに取り込まれていく現象をどのように思われますか。そのような宗教の適応性を認めますか?)
5. Acredita que os fundamentos básicos do budismo (desapego e contemplação do vazio) que conduz o indivíduo a uma atitude sem vícios e de dedicação à religião vem sendo respeitada na prática após a popularização do budismo? (仏教の基礎的な教え(無欲、空等)は、現代人を依存症(麻薬等の悪癖)から遠ざけ、その力は仏教の社会化において大きな影響をもたらしていると思いますか?)
6. Qual a sua opinião sobre os diferentes estilos de prática budista? Acredita que a diversidade compromete a identidade da religião? (仏教にも色々修行法がある。修行法が違うことによって仏教の宗教性がゆるがされると思いますか?)
7. Como o senhor analisa os recentes conflitos no Tibet? (最近チベットで起こった闘争事件をどのように思いますか?)
8. Alguns manifestantes tibetanos atearam fogo em lojas de chineses em Lhasa. O senhor concorda com a reação violenta dos manifestantes contra a ofensiva das autoridades chinesas? (数人のチベット人暴動者は、ラサにおいて中国人店に放火した。(仏教徒たる)そのようなチベット人の中国政府に対する暴力的な反応に同意しますか?)
9. Qual seria a solução para o conflito? (このような闘争の解決法には何が一番適切ですか?)
10. Acha que os Jogos Olímpicos deveriam ser suspensos em Pequim? (北京オリンピックは中止されるべきだと思いますか?)
11. Qual a sua opinião sobre a atuação política do Dalai-Lama? (現在のダライラマの政治的活動をどのように思いますか?)
12. Quais os principais desafios dos líderes budistas nos dias atuais? (現代における、仏教各宗のリーダーの課題、挑戦はなんだと思いますか?)
13. Acredita que a crescente industrialização no Japão compromete a manutenção da cultura tradicional no país?(近代日本の産業化は日本特有文化の維持に差し支えるものと思われますか。最後にメッセージを述べられてください?)
 上記の質疑応答は、誠に示唆に富んだものであり、佛立信者として大変に有難く思った。常日頃教えていただいていることとはいえ、あらためて問いかけられた時にしっかりと応えられるかどうか。答えを持っているかどうか。佛立教務道、宗教者としても考えさせられる宇宙観、世界観、社会観。
 機会を見つけて、これらのことをご紹介していきたい。ありがたい。

2008年3月25日火曜日

移民の父 水野竜氏

 昨日、水野竜氏の墓地へ視察に行き、清掃を行った。
 昭和30年9月9日、日博上人は日系移民の父と呼ばれた水野竜氏の墓を訪れた。その著書「コーヒーの壺」によると、墓参に当たって日颯上人は、佛立信徒であった氏に対し「本伯院開勳契拓日竜居士」との法号を追贈され、卒塔婆を建立して恭しくご回向をくださったという。この模様はブラジル内新聞各紙に掲載されたという記録が残されている。
 それから53年後、ご巡教のための事前視察と清掃、現地責任者との調整などをさせていただくために、私もその墓前を訪れた。木が生い茂り、水野家の墓標の上を覆っていた。53年間の星霜の中で、水野家の墓地の管理にも変更があったらしく、その遺骨も移動したとかしないとか、と聞いていた。
 しかし、墓碑は確かに水野竜氏の碑文を刻み、変わらずに氏を称えている。日本から国賓級の方が水野竜氏の墓地を訪れるという事前の調整が実り、広大な墓地を管理する責任者が3人も出てきてくれて、私たちと打ち合わせをしてくださった。しっかりとした対応を有難く思う。この霊園の中でも、水野竜氏の墓地は特別であると認識しているのだ。
 「翁は人為 気宇壮大 志操高潔也 夙に日本人の海外進出を提唱したるが一九〇五年也と鑑るところありて単身渡伯し サンパウロ州政府と折衝を重ね 農業移民を契約締結 一九〇八年第一回移民を送致し 茲に日本移民の発展端緒を開く 爾来日伯間を往復して親善に資し その生涯は移植民の為に東奔西走 遂に九十二才を以て此の地に卒す 今や楽土をブラジルに住する日系人三十万余り(注 現在約130万と言われる) 各々其の処を得る所以のものは寔にこれ翁の卓見に由来し 其誘掖によるものと云うべし 此の偉業を追慕景仰する邦人相謀りり碑を建立して之を誌し 以て後世に伝えんとするもの也」
と墓碑が刻まれている。これを建立したのは「竜翁会」という有志の方だった。「コーヒーの壺」に詳しく書いてあるが、現在のブラジルに住む日系人社会全体、全日系人にも関係することなので、ここにあらためて記しておきたい。
 「水野氏に騙された」「移民をしたらお金持ちになれると思ったのに」という氏を非難する声もあったので、一時期は「移民の父」として敬われるどころが憎まれ口を言われることもあったが、何と言っても今や130万人にもなったブラジル日系人社会の最初の一歩を踏み出させた人なのである。碑文の通り、その気宇は壮大だったに違いない。
 少々、コーヒーの壺から引用してみると、
「話は半世紀の昔に遡る。東京乗泉寺の御信者で、後に清雄寺に籍を移した水野竜さんという人がいた。水野さんは、美濃国太郎丸城主深尾氏の家臣、水野亀子(かめす)の次男として生まれ、明教館に学び小学校教師をつとめていたが、向学心に燃えて明治21年慶應義塾を卒業、後藤象次郎に知られて岡山県庁に勤務した。そして徳島藩士の娘岩佐矩子さんと結婚してのである。(この人が、東京乗泉寺日歓上人のお弟子の故高見現達師の妹さんである)
 官界をさってのち、板垣退助の自由民権派の斗士として活躍する一方、志を殖産興業に向け、城盤炭で火力発電事業を興して深川電燈株式会社を創立した。その内に明治27年ブラジルのサンパウロ市からブラード・ジョルドン商会代表のカーライル氏が来朝、日米移民の誘致を日本政府に申し入れたのである。
 当時、”南米移民の断行を望む”の標題で外務省に意見を具申し、いわゆる南進論をとなえていた水野氏は、杉村ブラジル駐在公使にわたりをつけて1905年と1907年の2回単身渡伯、実地調査に当たり、ブラジル政府首脳と会見して、1907年11月6日、日本移民輸送契約を個人的に結んで帰ってくると早速外務省に移民1千人募集の認可を申請してその認可をとった。
 翌1908年(明治41年)4月28日、奇しくも日蓮聖人立教開宗と日を同じうして、神戸港より笠戸丸は798名の第一回移民を乗せて一路ブラジルの新天地に向かったのである。輸送総取締は水野竜氏、監督は上塚周平氏であった。
 そうして、イギリス人が経営するズーモンド耕地へ入植した。これがブラジルにおける日本人移民のさきがけである。水野氏は相当の資産を持っていたそうであるが、東奔西走する内にその財産費い果たしてしまい、交渉が纏まっていざ出発という段階に立ち至ってその費用が一文もないという状況となった。そこで時の大政治家大隈重信侯の門を叩き、5万円の金を出してもらってようやく出発したといういきさつもあったそうである。
 その時水野さんは考えた。ブラジルの新天地に開発の斧をふるうためには、その思想の根底に、是非共信仰が必要である。信仰の筋金を一本通すことによって、この大事業の成否が約束される、と。そこは強い信仰をもつ仏立人水野さんである。早速その旨を日教上人にお願い申し上げ、教務一人の御斡旋を願い出た。
 この申し出をお聞きになった日教上人、しばらく考えておられたが、『茨木現樹がよかろう』と云われた。茨木現樹師は一見識の持主で22才の血気旺んな青年僧であった。日教上人のお言葉に一言力強く『行きましょう』と答えた。
 いまでこそ(昭和30年当時)飛行機で5日間の行程、汽船でも50日間の航海であるが、明治時代では実に3ヶ月の行程を要する容易ならざる船旅であった。渡伯後も水野氏は日伯両国間を度々往復し、十回目の渡伯を最後に、1950年92才で現地に名を残して他界した。
 日本政府は氏に勲六等瑞宝章を以て酬い、サンパウロ市はブラジル独立400年祭に当たり唯一の功労者としてその名を称えられたのである。サンパウロ市郊外の水野氏の墓地に建立された記念碑には、前記の様な賛辞が刻まれ、現在60万(2008年時点では約130万人という)を超える在伯邦人はこの墓に詣でては、この碑にその功績を偲んでいる」
 以上、日博上人の名著、ブラジル本門佛立宗にとっても極めて貴重な資料である「コーヒーの壺」から引用してみた。
 水野竜氏の墓碑を眺めながら、読み、磨きながら、100年の永き年月の、それぞれのドラマを想った。夢や希望、栄光と挫折、葛藤と決断、得るもの、失うもの。名声と叱声。
 それぞれのドラマが胸に迫ってくる。何百万もの人間の、人生のドラマだ。もちろん、遠く53年前に天翔てブラジルに渡った日博上人や二度目のブラジルに随行した母、日博上人の孫に当たる私を含めての、、、。

ペンキ塗り

 あっという間に一日が終わる。
 朝参詣が終了して食堂に入ると、ペンキの臭い。あ、今日からペンキ塗り。すごいなぁ。ギリギリのタイミングでペンキを塗りはじめるなんて、ちょっと日本の感覚では考えられない。
 もちろん、これが悪いことだとは思わない。一生懸命に準備ご奉公してくれている。この方も全て御有志でされているということだった。有難い。
 ただ、本隊が日本を出発しようとしている段階で、日教寺の食堂の壁のペンキ塗りが始まるという、ここに微妙なおかしさ、おもしろさを感じて、一人で楽しくなった。
 とにかく、今朝も少しだけトラブル、というか変更しなければならない緊急案件があって、サンパウロのツアー会社と日本と連絡を取り合っている。
 慌ただしい。有難い。

新聞各社への訪問

 朝参詣終了後、ブラジルにある日系の新聞社3社を廻った。
 10時に吉川淳省師のお父さまが迎えに来てくださり、ブラジル本門佛立宗の田尾理事長と淳省師と私でご奉公に出掛けた。
 出発直前、提出する資料を整理していたのだが、日系ではなくブラジルの一般誌からの質問にご講有が答えた内容が非常に示唆に富んでいるということで、その日本語に訳し直したものも持って行くことにした(日系の新聞社なので日本語で)。
 少し出発が遅くなったが、吉川氏の運転で出発した。吉川氏に案内をいただいて、各社ともに非常に丁寧に対応してくださり、本当に有難かった。

 こちらから資料を提示させていただき、今回のご奉公の概要などをお話しさせていただいた。27日からご講有がブラジルに来られる意義。それは即ちブラジル本門佛立宗が100周年を迎える故ではあるが、それだけではない、と。
 第一回の日系移民を乗せた船として有名な笠戸丸には、たった一人の「仏教僧」が使命を帯びて乗っておられた。その人こそ、茨木日水上人である。また、日系移民を計画した水野竜氏も本門佛立宗の信徒であった。
 つまり、単なる一つの宗派が記念の年や時を迎える、そのために偉い僧侶が来られるというのではなく、特別な意義がそこにはある。6月には日本国の皇太子までがブラジルを訪れてくださる予定とのことだが、ブラジルの全日系人社会が意義を見出している「ブラジル日系移民100周年」という年は、世界史的には、ブラジルに仏教が伝来した「ブラジル仏教伝来100周年」であり、それが本門佛立宗によってもたらされたということを意味して、この度の講有巡教、「ブラジル本門佛立宗100周年」が行われるということなのである。この3つの意義を1つに捉えていただきたいと力説した。

 吉川氏は、丁寧に一つ一つを整然と説明してくださり、記者の方々も日系人として日教寺のバザーや他の地域でも佛立宗のお寺や僧侶の方々と触れあっておられるようで、非常に和やかにお聞きくださる。
 日系人社会は、いろいろな意味で過渡期を迎えている。日系の日本語新聞を読める世代は少なくなってきているのである。その読者も、世代も限られてくるだろう。
 本門佛立宗であっても同じである。日系人社会と本門佛立宗の歴史は完全に一致しているのだ。つまり、世代を重ねるごとに日本語を話せる人たちは少なくなっている。人種の坩堝といわれるブラジルの中で、日本人はアイデンティティーを保ちつつも、同化していく。日本人街は日本語が看板に出てはいるが、経営は中国人という店舗が多いと聞いた。日系人は厳しい道を歩み、戦っているのだ。
 今のブラジル本門佛立宗が、普遍的な価値の下にブラジル全土で国際化を遂げているように、日系人の宗教からブラジルの国家的な宗教として認知されているように、昇華を続けていかなければならないだろう。

 最後に訪れた新聞社は「JORNAL NIPPO-BRAZIL」という会社だったが、ここは日系の新聞社であるにもかかわらず、日本語を使わずポルトゲスで記事が書かれている。まさに、今の日系人社会を表しているように思えた。
 対応に出てくれた記者の方も、日系人には見えなかったが、名前の中に日本名があり、3世であるということだった。日本語は話すことは出来ないコスモポリタンであっても、日系人としての自覚は持っていてくれる。今回のご奉公にも協力を約束してくれた。有難いことだ。
 新聞社を後にして日教寺に戻る。日教寺に戻ったら、水野竜氏の墓地を視察、清掃などをする予定だ。

妙深寺の桜

 妙深寺の桜の写真を信仰師が送ってきてくれた。嬉しい。有難い。
 ほら、見てみると、やっぱり本堂に向かって咲き始めてる。嬉しいなぁ。今年、見られなくて残念。きっと帰ったら散ってしまってる。本当に、妙深寺の境内にいる桜は特別だから。
 なぜ特別だと感じるのか。それは、この桜満開の時に父が倒れ、そこから人生が回転し始めたから。その全てを、桜は見ていた。だから、私にとってこの桜は特別なのだ。
 私は、桜の花びらが散ってしまっても桜の木に話しかける。桜の木というのは、可哀想なほど春しか見向きもされない。表面はゴツゴツしていて、虫も付きやすく、夏や秋や冬には誰の目にも止まらない。ただ、春だけ異常なほど注目される。それも良い。仕方ない。でも、桜が好きなら、やはり、一年を通じて話しかけ、春を待ち望むのも大切ではないかと思って、そうしているのだ。
 「散りますと、花のいふのを きいて呑め」
 先住が大好きだった開導聖人の御教句である。なんとも粋な、何とも深い歌であろう。この御教句を噛みしめながら、今年も妙深寺の桜の満開、そして散りゆく姿を見たかった。
 世間は、コンビニエンスな文化が花盛り。集客のためにライトアップされる花々、木々。綺麗なものに違いはないが、果たしてそこに「心」はあるのか。綺麗は綺麗、ムードはムード。でも、それだけ。つまらないなぁ。
 この時期、さまざまなメディアで桜の名所が語られるが、観光客の誘致のために、そこそこに「桜」を利用しているものが多い。そんなコンビニエンスな名所や、下心に溢れている場所に行くのもいいのかもしれないし、そこで酔うもの人の勝手だ。でも、私はそんな場所に行きたくない。
 ぜひ、この桜を見に来てもらいたい。ここは特別なのだ。下心なしだ。見事だ。大きな3本の桜が、空を隠すように覆い茂る。咲き誇る。
 父が亡くなる2ヶ月前も、父の肩を抱きながら、その下に立った。父は、最後になるであろう満開の桜を、「寒いから、もういいだろ」という私の言葉を制止して見つめていた。

 「散りますと、花のいふのを きいて呑め」
 なんと素敵な歌だろう。父を想いながら、一晩中、一献汲みながら、桜を見つめて過ごすのが例年の習いだが、今年はブラジルでのご奉公に精を出そう。

2008年3月24日月曜日

お教化が出来た!!

 昨夜遅く、リンスに向かった現薫師から連絡をもらった。
 「嬉しいニュースです。今朝の清潤師の御法門を聞いて、感激して入信された方がいるそうです。細動御導師から聞いたのですが、ずっとこの人はお寺の近所に住んでいて、何回かお寺の中に来て話を聞くことはあったが、自分からご信心をする段階まではいかなかった。しかし、今朝のお話を聞いて、自分からご信心をさせていただいたい、と申し出られたそうです」
 なんと嬉しいことだろうか。ご弘通とは、このことで、こうしたお話がたくさんお聞きできることが無上の喜びなのである。嬉しいなぁ。サンパウロの部屋に、ポツンと一人で取り残された(笑)ように思っていたから、この連絡は嬉しかったよぉ~(涙)。
 しかも、その方は「日系人」ではなく「ブラジリアン」の方ということだった。それも嬉しいことだ。ブラジル本門佛立宗は100周年を境に、本当の意味で「日系人の宗教」から「世界宗教・本門佛立宗」へと飛翔を遂げているのだから。 
 有難い。世界各地、どこででも、共通するのはご信心の喜び。
 斉藤御導師に言われてから時間がなかったのでメモしか用意できなかった。英語の分かる人も少ないから日本語でお話をし、斉藤御導師が通訳してくれる。15~20分くらいだっただろうか、日教寺の大本堂でフリーランスに話させていただいた。

 こうしたご奉公で随喜してくださる方がいると聞き、またやる気が出てきた。お看経させていただきたい、ご奉公させていただきたいと、心細く、寂しくなる心を励まして、御宝前に向かい、ご奉公に向き合える。

 また、頑張る力を与えていただいた。有難い。

正教師の声と本化の桜

 午後2時過ぎ、リンスに向けて斉藤御導師、松本現薫師、ブラジル御講師方が出発した。リンスでは、全ブラジルからご奉公者が集い、月曜日~水曜日まで準備ご奉公をする予定。
 私は、月曜日にサンパウロ新聞へ行かなければならず、高崎御導師やコレイア御導師をサンパウロで待つ。現在のところ日教寺に一人。夕方までに吉川師が戻ってくるとのことで少し安心している。明日は10時に出発予定だ。
 18時30分、つまり日本時間の朝6時30分、ちょうど部屋にいることが出来た。何と今回ブラジルでは「長松が来るまでにインターネットを整備しておこう」と声を掛け合って、この部屋でもワイヤレスLANが使えるのである。そして、私はこのインターネットを通じて妙深寺の本堂にお参詣する。
 住職の留守中、執事長である坂本正教師が一座を御唱導してくださっている。無始已来から言上まで、正教師の声を聞いていると鼻声のように思う。心配になる。もともとお身体の弱い正教師が、留守中の妙深寺を必死に守らんとして身体に鞭打って頑張ってくださっているのを痛切に感じる。遊んでいるわけではないが申し訳なく思う。その風邪気味の声で「ご住職、ブラジルご奉公中、身体健全、ご奉公成就、無事帰国・帰山のお願い」と言上していただくのを聞き、ジワッと涙が浮かぶ。
 まだブラジルご奉公は始まったばかり。いや、まだ始まってはいない。私は、このご奉公に対して全身全霊でご奉公させていただかなければならない。日博上人以来、この度も妙不可思議の御縁でブラジルに来させていただいている。何としても、精一杯ご奉公させていただかなければならぬ。
 私が勝手に「本化桜」と命名した妙深寺境内の桜が咲き始めたと瓜生さんが教えてくれた。その桜は、本堂の、御法さまに近いところから咲き始める。桜の位置からして、南向きでも、太陽の昇る東側でもないのに、むしろ影になる、北側の、とにかく御法さまに一番近い枝から咲き出す桜。そう、さすが「本化桜」だ。
 その桜の下で、私の留守中も正教師を中心に、教講異体同心にて、ご弘通ご奉公を進めていただきたい。為せばなる。ご弘通の大成果を期待する。

サンパウロ 日曜日の朝

 今日は日曜日の朝。週末に間に合うように渡航日程を組んだので、お仕事のあるご信者さんたちも大勢お参詣され、引き続いてご奉公してくださっている。有難いことだ。
 昨日の夕食の際、斉藤御導師にひろし君がブラジルに来ることを話すと、心から感激してくれて、そのまま「明日の朝、お参詣者にご披露してくれないか」ということになった。昨日は23時頃まで頑張って眠らずにいてジェットラグを防ごうとしたのだが、やはり3時には目が覚めてしまった。
 しばらくして、このブラジル本門佛立宗・中央寺院・サンパウロ・日教寺にお参詣される方々の話し声が聞こえてきて、時間を見計らって本堂へと上がらせていただいた。
 昨年の末から、斉藤御導師を先頭にして朝参詣の1時間前に100周年ご奉公の晴天盛大奉修を祈念して特別口唱会を続けておられる。それに続いて朝の一座。多くのお参詣者の御題目口唱と共に、日曜日の朝参詣は清々しく、有難いこと極まりない。
 1月はスリランカの人々と、2月はイタリアの方々と、そして3月はブラジルの方々と共に、「南無妙法蓮華経」「ナムミョウホウレンゲキョウ」と声高らかにお唱えできることは、何と尊いことだろう。一天四海皆帰妙法、上行所伝の御題目は、かくも世界中の人々に広がり、共に口唱されている。その「声の響き」「バイブレーション」は御仏の御魂と共鳴して世を利益すること疑いない。背中に口唱の振動を感じながら、感慨深く、日教寺の御本尊を見据えて御題目をお唱えさせていただいた。
 斉藤御導師の御法門の中で、私からお教化についてお話をさせていただいた。ブラジル教区として教化誓願の達成に余念がないが、それらは決してノルマなどと捉えてはいけない、随喜心を奮い起こして、他を救うことで自らが救われるという仏教究極のエッセンスを実践してみていただきたい、と。
 それを体現している一人として、28日に日教寺を訪れることになったひろし君のことをご紹介した。ご信心をするようになっても、最初の5年間は全く積極的ではなかったのがひろし君だった。それが、グランデ・ファミリアのご奉公、特に吏絵ちゃんのお助行とご祈願をするようになってから何かに気づいてくれた。
 「ほとんどの宗教は自分の欲望を満たすために献金や祈りを勧める。しかし、本門佛立宗は最初から『人のために御題目をお唱えせよ』『化他即自行』と、他の人のために祈ることで自分が救われると教える。これこそ真実の仏教だ」
 それからの彼は、菩薩行の実践に励んだ。その実践の中で、自分がご信心を勧めた方々、そして自分自身で、数々の現証の御利益を体験・体感することとなった。他の人を思って行動すればするほど、妙不可思議の御利益を感得する。自分の心と生活が豊かになっていく。ご信心、喜び、ご祈願、お教化、御利益、菩薩行の実践と証明。ひろし君の姿は古くから彼を知る教化親の私ですら驚きであり、頭が下がる。
 御利益は配達されない。消極的で、受け身の佛立信心などない。積極的に、前向きに、自ら前に進んで信心修行、ご奉公、菩薩行に精進させていただくところに、現証の御利益がある。それを知っていただきたいとお話をさせていただいた。
 朝参詣が終了すると朝のご供養をいただくのだが、お参詣者全員と共にいただく朝食はこの上なく美味しい。有難い。
 それにしても、日教寺でご奉公しているディアス師、今回モジからご奉公出向している信徳師たちは立派だ。御宝前のお給仕にしても、御導師へのお給仕にしても、まことに感心する。それに、話題も豊富で、朝食、昼食、夕食と一緒に過ごしていても話題に事欠かない。未来の宗門を担う彼らが頼もしい。

2008年3月23日日曜日

ブラジル・サンパウロに到着

 ブラジルの本門佛立宗は今年100周年を迎える。何度か書いてきたことだが、それは仏教伝来100年を意味する。この大盛儀のために、私も今ブラジルにいる。3月30日の大法要を前にして、本隊到着の1週間前から準備ご奉公をさせていただいている。

 今朝、無事にシカゴから到着した。10時間以上のフライト。ロスからシカゴが4時間弱だから、ヘトヘトになる。しかし、機内で日博上人が書かれた「コーヒーの壺」を読み返すと、そこには日颯上人と日博上人がたったお二人で、8日近くもかけて日本からブラジルへ渡航された経緯が書かれている。当時の写真を見ると、飛行機の座席の窓には布のカーテンがかかっている。レトロどころか、大変な乗り心地だったのではないかと心配になる。私たちなどが疲れるとも言っていられないか(汗)。

 空港に斉藤御導師や高崎御導師、田尾理事長と御講師方、ご信者方がお迎えに来てくださっていた。大変有難く恐縮した。ご奉公者を出迎えていただくなんて、申し訳ない。一年ぶりの日教寺、本堂、御宝前。無事到着の御礼のお看経。晴天で、盛大に、そして無事に、100周年のご奉公が成就するようにと願うと身が引き締まる。

 同行の松本現薫師は、インドやスリランカ、イギリス、イタリアなど、これまでも何度か海外ご奉公を共にしていただいたが、今回ブラジルを訪れるのは初めて。本堂内でご信者皆さんにご挨拶。それにしても、日博上人の孫である二人が、こうして100周年のご奉公をさせていただけるとは夢にも思っていなかった。有難いことだ。

 準備ご奉公中の私たちはホテルを使わない。昨年同様、日教寺に宿泊させていただく。そうなると、朝から晩まで日教寺の婦人会のみなさんが食事を作ってくださる。スリランカでもそうだが、これが美味しくて美味しくてたまらない。

 そのまま旅装も解くことなく、昼食をいただいた。わざわざ日本食を作ってくださっていた。本当に美味しい。世界各地、何処に行っても食事が美味しい。そう感じることが出来るのもお計らいで、これが違うとなると海外でのご奉公はできない。スリランカでは朝からカレーが出てきても美味しくモリモリ食べれなかったら体力が続かない。ブラジルも同じだ。

 昼食後、14時から100周年委員会の会議。明日からが本番だが、今日集まれるメンバーだけ集まって、細かい案件を詰めていく。みんな昨年から引き続いてご奉公に気張ってくれている。3時間ちかく、会議は続く。会議はすべてポルトガル語で行われる。細かな確認事項があると日本語で私に聞いていただく。議論は既に最終の確認事項の段階。細かすぎると思うくらい、詳細にご奉公を練っておられる。有難いことだ。

 会議終了後は、また婦人会さん手作りの夕食を、ご奉公者一同でいただいた。ビーフストロガノフをご飯にかけて食べる。それがまた、信じられないくらい美味しかった。長い旅路の後でいただくご供養は、本当に美味しいなぁ。有難い。

2008年3月22日土曜日

L.A.でのご奉安

 ひろし君とアメリカを横断したのは、TJSという日本語ラジオ放送局の番組収録のためだった。

 番組名は「ブッディスト・トランス・アメリカ」。「仏教徒の眼を通してみる現代アメリカ」という企画で、ロス・アンジェルスからニューヨークまでを走り抜けた。その番組でお世話になったラジオ放送局の中田社長が、ウィークデーだというのにL.A.の空港までわざわざ迎えに来てくださっていた。本当に有難い。

 あのアメリカ横断の番組から3年以上が経った。今回、ブラジルへのトランジットという僅かな時間だが、あれ以来久しぶりに訪れるアメリカ。懐かしい気持ちすらする。最初にアメリカを訪れたのもブラジルに行く途中だった。当時、私はまだ11才。少年の眼に映った「アメリカ」は衝撃的で、すぐに憧れの国になった。

 スポーツをするようになり、ジェットスキーのワールドファイナルを観戦するために18才で訪れたのが二度目の「アメリカ」だった。L.A.からネバダ州のレイク・ハバスまで。少年から青年になったが、アメリカはさらに刺激的な国として映った。スポーツを育む文化やそれに熱中している人たちの姿に感銘すら受けた。カリフォルニアのカラッとした空気と風土、空の高さに、青年になっても魅了されたものだ。それ以来、何度となく公私共にアメリカを訪れてきた。

 仕事をしていた当時、「X-Sports」という番組のプロデューサーとして冬山にクルーを連れてロケに来たり、X Gamesの収録で何度となくアメリカを訪れた。変な経歴を持つ住職だが、仕方ない。

 ESPNでの仕事、特にWinter X Gamesの取材中だったと思うが、空港に荷物が届かず、慌てて車を飛ばし、クルー全員でデンバーまで機材を取りに行ったこともあった。前田さんもひろし君も今ちゃんも一緒だったなぁ。あの、真っ暗闇の高地で見た星空は忘れられない。鮮明に覚えてる。スリランカの奥地で見る夜空と同じくらい綺麗だった。

 ミシシッピ川の縦断をしたこともあった。ヒロミさんの情熱でお茶を飲みながら話していたことが現実になった。総勢約40名のスタッフと共に、ジェットスキーでミシシッピ川を源流からメキシコ湾まで6000キロ走った。メキシコ湾に着いた時には海の上で涙が出た。テレビ朝日系列のお正月番組として放送されたが、本当に、人生でまたとない経験をさせていただいた。ミシシッピ川流域での人とのふれあい、風景、ヒロミさんをはじめ、朝から晩まで、スタッフの方々と過ごした一つ一つが、全てかけがえのない思い出だ。決して忘れることはできない。

 つまり、アメリカは自分にとってそれだけ身近な国だった。しかも、長男はアメリカで生まれた。タテに縦断し、そして最後にひろし君とアメリカ大陸を横断した。変なエピソードを持つ住職だが、いずれにしてもアメリカを、アメリカ的な文化を、ひどく身近に感じてきたことは間違いなかった。

 しかし、アメリカへの思いが変わり始めたのは、やはり同時多発テロからだと思う。これを契機に、多くの者がアメリカの実像をより深く考える機会となってしまった。それがテロ犯の目論見どおりだとすれば口惜しいが、ベトナム後に物心のついた私たちにとって、世界政治とアメリカ、そして宗教を考えさせた大事件が9.11だったことは間違いない。

 南アジアやヨーロッパでご奉公する機会に恵まれ、より俯瞰的に世界を見れるようになった。アフガニスタンへの攻撃、イラク戦争の開戦と、世界が激動する中、真実の仏教を実践する中で感じることが多くあった。イラク戦争が開戦された年のラマダンに単身イスラエルを訪れた。世界宗教の原点に肉薄し、自分の肌でユダヤ教、キリスト教、イスラム教と、それらの活動を感じ、学ぶにつれて、民主主義やアメリカ的価値観を世界に広めること以上に、「仏教」を世界に弘めることが大切であると確信した。その実践として、こうして日本国内はもちろん、世界各地でご奉公させていただけることに心から感謝している。生き甲斐を感じて生きれることほど嬉しいことはない。

 今回、久しぶりのアメリカで御本尊奉安のご奉公ができたことは、また無上の喜びだった。ひろし君が中田社長にご信心のことをお話しし、TJSの社屋に御本尊をご奉安させていただくことになった。ブラジルに行く途中、立ち寄るL.Aで私がご奉公させていただける。これほど有難いことはない。日本から御本尊をお供して、会社を訪れた。

 スタジオ。ここで「ブッディスト・トランス・アメリカ」を憲史くんが編集してくれていたのだなぁと思うと感慨深い。あの番組は半分がコメディーみたいなものだから、聞かせたくても聞かせられない(笑)。中田社長から「ここで、いつも憲史は裸になって編集してました(笑)」と教えてくれた。

 会社の一番奥、8名くらいの日本人スタッフの方々がデスクを並べている部屋の正面に、御本尊をご奉安していただきたいということだった。

 早速、初対面の皆さんに御本尊を護持することの意義やお給仕の仕方などをお伝えした。みんなとても熱心に耳を傾けてくださっていた。そして、御戒壇を組み立て、御本尊をご奉安。続いて、御題目のお唱えの仕方をお教えして、ちょっと練習。無始已来をコピー。「さて、ではお看経しましょう」と、一座のお看経の開始。

 みんな、とても綺麗な声で御題目をお唱えしてくださった。有難い!中田社長のリーダーシップと真っ直ぐな気持ちがスタッフの方々にも浸透しているのだと思う。素直な気持ちで御題目口唱。本当に有難いなぁ。

 スタッフ全員との記念撮影。みなさん、本当に素敵な方々だった。ブッディスト・トランス・アメリカから3年で、その放送局であるTJSに御本尊がご奉安できるとは思いも寄らなかった。大きな流れの中にいることを感じる。有難い。これからの大発展、スタッフの皆さまの健康や幸せを祈念したい。

 ホテルも中田社長が取ってくださっていた。夕食の場所まで取ってくれていた。本当に何から何までお世話になった。夕食には、ひろし君の会社の副社長であるスチュワート氏とL.A.に留学中の若いHBSメンバーを招待した。場所は「KATANA」という日本食レストラン。留学中の彼らに、久しぶりの日本食を食べさせて上げたいと思っての選択(あとで聞いたら「昨日、納豆食べました」って言っていた)。

 このお店は、ブラッドピットが結婚式のパーティーをしたことで一躍有名になったハリウッドセレブの集う素敵なレストランとのこと。「えー、こんな所じゃなくてもいいのに(汗)」。

 でも、みんなで楽しく夕食ができた。禎崇くんも元気だった。夕香菜ちゃんと麻衣ちゃんはひろし君からの紹介で中田さんご夫妻にお世話になっている。あの大事故からの御利益、復活で、アメリカへの留学が実現した夕香菜。そして、幼なじみの麻衣ちゃん。

 夕香菜ちゃんの御利益については青少年の一座で本泉寺の皆さんから発表された。あの時以来、ひろし君をはじめ、みんなが彼女を可愛がり、サポートしてくれている。彼女も夢に向けて頑張ってる。有難いではないか。中田さんの奥さまはヘアーメイクのお仕事をされているのだが、夕香菜たちの髪の毛もカットしてくれているとのこと。その奥さまが「二人は前向きなので、こっちも元気になります」と言ってくれていた。偉いな、夕香菜、麻衣ちゃん。有難いよ。

 ディナーでは、スチュワート氏とTJSスタッフの芹沢くんと本門佛立宗のご信心、御題目とは何か、「有難い」の意味について意見交換した。スチュワート氏のお父さまはバプテスト派の宣教師だったとのこと。今でもバリバリのクリスチャン、毎週教会に行っているとのことだった。

 しかし、ひろし君からの話を聞いて、「もっともっと仏教を知りたい」と言っておられた。私から分かりやすく「キリスト教」と「仏教」の違いについて説明した。もちろん、全てを否定するような言い方はしない。とにかく、シンプルに、仏教の考え方を説明するだけだ。スチュワート氏はとても熱心に聞いてくれていた。限られた時間だったが、「今度もっとゆっくり仏教の話を聞かせてください」とお話をいただいた。これも、有難い。

 有意義なトランジットだった。経由地でのご奉公、たった1日でも、これだけご奉公できるなんて。有難いこと極まりないなぁ。

 ホテルに戻って就寝。シカゴ経由でサンパウロへ。

2008年3月20日木曜日

ブラジルでのご奉公


 いよいよ明日からブラジルでのご奉公となる。
 明日は午前中に春季総回向と午後に評議委員会があるため、飛行機を出来る限り遅い時間にしなければならなかった。そうすると、トランジットでL.A.に立ち寄ることとなり、ついでに御本尊の御奉安のご奉公と現地に住む若いご信者方を集めてディナーをすることに。ひろし君の会社の副社長、スチュワートも合流することになった。中継地点でもご奉公。有難い。
 ブラジルでのご奉公は過酷だ。ブログも更新できるか分からない。とにかく、ここ最近の忙しさにはさすがに閉口した。よく身体が持ってくれた。飛行機の中で休めたい。ブログの更新が出来ず残念だった。
 上記の写真はクリチーバのイタリア系ブラジル人のご信者一家の家で撮影した一枚。ここは見て分かるとおりキッチンである。この写真の左手前には大きなダイニングテーブルがあった。
 ここで見ていただきたいのは、右上にある黄色い縁取りの額。ここには、「HOTSUGAN MON」と書かれている。つまり、「発願文」、食事の前にお唱えする御文である。このご家族5人がHBSのご信心を始めたのは数年前のことだが、今では食事の前に、家族がこの額を見て読みながら食事の前の祈りを捧げているというのだ。
 有難い。日本でも見習いたいものだ。食前の祈りは「大草原の小さな家」の中だけの話ではない。私たちのご信心で、ごく自然にさせていただきたいものだ。
 そうしたご信心をブラジルで見させてもらおうと思う。そして、精一杯ご奉公させていただいて、盛儀の一助となりたい。有難い。

2008年3月16日日曜日

更新できません

すいません、更新できません。
PCの前に座っている時間すらない。困った、困った。
20日から23日間の出張ご奉公。その前に山積しているご奉公に追われてしまっています。
申し訳ない。

2008年3月11日火曜日

BROTHER

 久しぶりに子どもの写真を撮った。長男と次男。これだけ飛び回っていても、子どもたちはスクスク育っている。

 2日の夜から7日にかけて寺外のご奉公で、土曜日は御講から結婚式、日曜日は本立寺の門祖会から結婚式と、落ち着く時間が取れなかった。PCの前に座る時間も、メールをチェックするのみで返信の時間さえなかった。

 月曜日から連日の教区御講がスタートし、このままだとブログの更新ができずに忘れ去られてしまうのではないかと心配。そこで、久しぶりに撮った子どもたちの写真を載せておこうと思ったのだった。

 長男は今年の7月4日で6才になる。大きくなった。最近は「ねぇ、教えてあげようか」と偉そうに講釈をしてくれる。恐竜やウルトラマン、仮面ライダーが大好き。それにしても、自分の子どもの頃からのヒーローを現代っ子が同じように好きになっているのはスゴイ。コンテンツの力?テレビの力?すごいなぁ。

 次男はモンスターで、長男よりもパワフルなようだ。誰もが困るくらいのヤンチャぶり。それでも多くの方に「ご住職の子どもの頃よりはマシですねぇ」と言われるらしい。私は余程迷惑な子どもだったのだろうと次男を見ていて思う。

 子どもたちに対しては甘くなってしまう。一緒に過ごす時間が限られているし、20日からは23日間のブラジルでのご奉公となる。遠洋漁業の方や単身赴任の方も子どもたちと過ごす時間は少ないと思うので私に限ったことではないが、それでも子どもたちの方が私のことを忘れてしまうのではないだろうかと心配になる。そういう離れている時間が多いと、甘くなるようだ。

 この期に及んでも、自分が親であるという実感が薄いかもしれない。子どもたちを見ていて、「これが自分の子かぁ」とつくづく考えてしまうし、長男がこれだけ大きくなっても実感が湧いてこない。

 願わくは、ご弘通の器として、立派に成長してもらいたい。プレイボーイにならないで(笑)。

2008年3月5日水曜日

Minako's Gokaidan

 昨年の初夏、彼女は正式に妙深寺でご信心を始められた。
 彼女は、爽やかな、あどけない笑顔をされる。フランスに6年ほど留学し、服飾デザイナーとしてお仕事されている。普通のデザイナーさんの感性や感覚と違うと思って感心しているのは、彼女は本当の意味で「人」や「自然」「地球」に優しい「服飾」を考えているデザイナーであるということ。初対面の時には気づかなかったのだが、本当に深く、強く、慈悲の深い強い女性だった。初対面の時は、か弱そうに思ったのだが。
 彼女は知られざる地球環境破壊の一翼、「コットン」の害について考えている。彼女のブログ「I am Buddhist」見てみると、彼女の言葉でオーガニックコットンについての思いが書かれている。
 『純粋な仏教徒。好きな言葉はちょっと真面目に「ありがとう。」漢字で書くと「有難う」「有ることが難しい」と書きます。自分がこの世で生かされている事も有る事が難しいのだし、こうやってブログを通じて出逢う事も有る事が難しい。だから”ありがとう”という日本語が大好きです。良い事,悪い事、すべての事は「有る事が難しい」のだから「有難い」「有難う」と心から思えるようになりました。そして、日々の暮らしの中で”丁寧に生きる”ことが大事だと今は思っています。私は大自然が大好きです。地球が大好きです。この地球上に生まれてきた生命すべてが”有る事難し”(あることがたし)です。美しい風景をいつまでも見ていたいです。苦しむ人を見て見ぬ振りはできません。だからデザイナーとして出来ることは環境と人々の健康を損なわない服作りです。実は私たちの着ているコットンには大量の農薬や枯葉剤が使われています。一見、ナチュラルなイメージのあるコットンですが、生産農家の人々の健康被害は想像を絶するものです。私達は知らないうちに発展途上国の仲間を傷つけていたのです。この事実を知ったこれからは農薬を絶対に使わない”オーガニックコットン”で洋服作りをすることに決めました。少しでもオーガニックコットンの需要を増やして生産農家の人々が健康でいられることを願います。そして私は日々唱えます。南無妙法蓮華経』
 素敵な言葉だなぁ。有難いなぁ。まだ、ご信心を始めてから1年にも満たないのに、ここまで感じて、ここまで書いてくれるとは。有難い。
 その彼女が、手作りの御戒壇を建立した。あまりに素敵で、イタリアのご信者さんの御戒壇のようにも思えた。突然、チカちゃんのページに写真が載ったので、住職として恥ずかしながら驚いちゃった。小さな小さな懐中御本尊の護持から始まって、少しずつご自宅の「御法さまのお家」を立派に荘厳されてこられた。ご主人のご理解もいただき、こうして手作りの御戒壇を立派に荘厳するまでに至られた。
 彼女の報告メールには、これまで護持されてきた懐中御本尊をお奉りした写真と、御講の時に御講師がお寺から持ってきてご奉安してくださった御戒壇の写真、新しい御戒壇の写真等が添付されていた。ブログをスタートさせたことも書いてあり、また嬉しくなった。Yaccoさんにしてもチカちゃんにしても、今回はMinakoちゃんまで、こうしてご信心を一生懸命言葉に、文字にしてくれて、本当に有難い。ちょっとMinakoちゃんからのメールを中略しながら載せさせていただきたい。
 『ご住職へ。ありがとうございます。ご報告が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。お戒壇はいろいろ悩みましたが、うちは猫が3匹もいるのでのぼってしまわないように”壁掛けお戒壇”を手作りさせていただきました。
 お戒壇ですが、素材は日本のタモ剤を使用しました。一見すごい大きなお戒壇に見えますが、あくまでも壁部分だけです(笑)。お初水を置く場所はイタリアの御戒壇を参考にさせていただきましたよ。実はこんなお戒壇はパリにいた頃からずっと想像していました。それが十字架ではなく、宇宙の道理の仏教であることはこのゆえない喜びです。ご信心にお出逢いできて本当に良かったです。信仰があるということはゆるぎないものを持っているということですよね。胸を張って言えますよね。”I AM BUDDHIST!!”』
 ありがたいなぁ。心から、Minakoちゃんの幸せを祈っています。そして、「人」と「自然」「地球」に優しいオーガニックコットンが全世界に普及するMinakoちゃんのMissionが成功しますように。良い夢を持つことは豊かな人生に欠かせない。素晴らしい目標だと思う。
 とにかく、ありがたいです。

2008年3月1日土曜日

人間の本業

 人間にしか出来ないこと、人間本来の仕事、人間の本業を教えてくれるのが仏教であると思う。
 経済学者のケインズは、「生きるために働く必要がなくなった時、人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる」と言ったそうだが、「人生の目的」を「生きるために働く必要がなくなった時」まで先送りにして考えないでいるのは不幸ではないか。会社を退職し、子育てを終えて、年金生活に入ってから、ようやく人生の目的を考えるというのも、何とも遅きに失した感がある。
 貴重な人生を生きているのは、働き盛りの人とて変わりはない。むしろ「人生の目的」に無関心なまま、仕事や家事に追われていることの方が虚しい。社会に溢れる問題は、人々が「人生の目的」を見失っているために発生している。目的が定まらなければ、目標も、それを達成する方法も定まらない。
 米国ハーバード大のビジネス・スクールで、死の床にある経営者たちに人生を振り返ってもらい、その言葉に耳を傾けるという講義があるという。「もっと仕事をすればよかった」という人はいない。誰もが「家族や自分のために時間を使いたかった」と話す。ケインズの言葉から時は流れて、ビジネス・スクールでも「働く目的」や「生きる意味」を考えなければ幸せになれない、虚しい一生になるから気をつけろ、と教えるようになったのだ。
 仕事と私生活の共存をテーマとした「ワーク・ライフ・バランス」という言葉や活動を耳にするようになった。企業や地域は働き方と生き方のバランスに配慮した社会を目指して取り組みを開始した。個人への支援も開始されているが、それだけ現代人がバランスを失い、バランスを取ることに苦労をし、疲れているということだろう。
 御仏が説き明かしてくださったのは、人間が人間として最も人間らしく生きる道に違いない。
 働くことも子育ても人間だけの営みではない。植物も動物たちも同じように生きるために活動し、子孫を残すために必死だ。彼らの家族愛や子育てから、人間が学ぶべきことも多くある。
 しかし、人間の「生きる」とは、動植物のそれとは大きく異なる。もっと違うところに、人間として生きる意味があると御仏は説いた。それを知らないから迷い、そこに無関心だから人は苦しむ。本当は「バランス」の問題などではない。仕事と生活の中心に何があるかだ。
 そのことを御仏は教えられた。生きるために働くが、働くために生きるのではない。生きるために様々なものを手に入れるだろうが、手に入れたもののために生きるのではない。「仕事」も「私生活」も、「生きる」ことそのものではない。
 御仏は、人間が何のために生まれてきて、何のために生きるのかを教えてくださった。 事業を行ったとかサラリーマンとか無職とか、子どもが何人いた、子どもがいなかったとか、そんなことは全く関係なく、その人は、「人間」が果たすべき「生き方」が出来たのか、と仏教は問う。
 人間は持って生まれた「魂」を磨き、人間性を向上させるために生まれてきた。仏教的に考えれば、「生きる」とは、このことである。人間にしか出来ない「生きる」は、人間性の向上、どれだけ魂を磨けたかということだ。大金持ちでも人間としての資質が低ければ仏教では通らない。貧しくても、魂の向上に努めた人々を高く敬うのが仏教なのである。
 御仏が示された人生の目的は、御仏と同じ境涯に近づくことだ。そして、人生の目標はあくまでも人間性の向上であり、魂を最上の境涯に近づけることなのである。事業に成功するとか、幸せな家庭を作る、立派な家を建てる、趣味の世界の達人になる、というものではなく、仕事や家庭を通じて、如何に人間性を向上させられるか、六道輪廻の繰り返しから抜け出し、御仏に近づけるかが、人間の目標であるべきと説かれたのだ。
 人間の本業とは菩薩行である。その他のことは、「人間」にとってみれば副業と言える。その副業を本業と思い込んでいるから、人は苦しみ、悩み、迷うのではないか。本業は、魂を磨くこと、人間性の向上に努めることであり、仕事も家庭も、子育てですら、副業だと教えていただく。そうした営みの場所を、魂を磨く場所、人間性を向上させる場所に出来なければ、私たちは永遠に本業を忘れていることになる。 
 仕事にしても、私生活にしても、「生きる」という意味を知らないのではバランスの取りようがない。仕事が頓挫して絶望する、家庭が崩壊して落胆する、それを理由に自ら命を絶つ人が増えているのは、実に本業を知らず、副業を本業だと思い込んで生きている人々が 多いかを示しているのではないか。本業に目覚めることではじめて、仕事と家庭、そこに生きる自分の姿が見つかるはずなのである。
 御仏の時代から、出家して修行する者と家庭や仕事を持ったまま仏道修行を志す「在家」の修行者がいた。両者はそれぞれの立場で「本業」と「副業」が何かを学び、人間として「生きる」ことに精を出した。出家者だけが「本業」に打ち込んだわけではなかった。
 仕事に忙しいビジネスマンでも、家事に追われる主婦でも、学業やスポーツに励む学生でも、他の人のために行い、他のあらゆるものとの共存と共栄を祈って生きる。功徳を積み、罪障を消滅し、魂を磨こうと努めるべきなのである。それが人間の本業なのだから。
 ご信心に励む人は、人間の本業に気づいた人である。仕事や家庭、学業を疎かにするということではない。むしろ、本業を盛り立てるために、職場や家庭を、人間性を向上させる場所、実践の場として活き活きと生きれるはずだ。本業を知らずにいた時よりも、命ある限り、心豊かに生きてゆける。
 人間は、何のために生きているのか。難問ではあるが、仏教徒は答えを持っているはずだ。「人間」が「生きる」ための仏教である。ご信心は人間が本業に気づく旅だ。
 本業を副業、副業を本業と考えている人は、ご信心に励む意味を理解できないだろう。菩薩行が、自分の人生に何をもたらすのか、と頭をかしげたくもなるだろう。しかし、それが迷いの根本なのだ。本当の「生きる」を知らないのだ。
 人間本来の生き方が出来れば、それが最も自然であり、心地よい。菩薩行こそ人間の本業。人間の「生きる」そのものである。

『妙深寺報』 3月号

 今月の『妙深寺報』、表紙は門祖会用に作った特別映像からの抜粋。たぶん「時代は仏教!佛立宗!」っていう文字は清康師が書いたのかな?徹夜で映像作ってたし。

 内容の濃さは天下一品。巻頭は恒例の住職が書く文章。これは本当に毎月頭が痛い。「ご住職、考えすぎですって」と言われるのだが、これも修行。負荷を掛けるから人間成長できる。

 「何とか、分かりやすく、しっかりご信心で学ばせていただく教えを消化して文章にしたい。次世代の人にも分かるような視点で文章を書きたい」

 そう思って、毎回苦心しながら書いてきた。人間、「負荷」をかけることは自分の成長にとって絶対必要。自分にとって、8年間毎月ずっと続けてきたこのご奉公は、必要不可欠だった。このブログも同じだ。「人のため」というよりは、自分の修行・トレーニングだ。

 こうしたご奉公をいただけたからこそ、教務として日々の御法門研鑽と共に、違う視点から御妙判・御聖教・御指南を拝見し、消化することが出来たと思う。何とか少しは成長できているかなぁと思うのだ。有難い。感謝している。しかし、それにしても、今月の巻頭言も苦労した(汗)。

 続いて門祖会特集と、活気に満ちた寒参詣、寒参詣で聞こえた嬉しい話などが掲載されている。シリーズ「菩薩の声」は、婦人会御総講と教区御講でご披露のあった体験談。私のブログからの抜粋記事と清顕師が書いたスリランカご奉公の報告記事。これが3月号の『妙深寺報』である。

 裏表紙はブラジル開教100周年を写真でまとめてくれた。清康師のデザイン編集。彼はもともとデザイナーや画家になれるほどのセンスを持っている。いや、清従師もそういう面でのセンスがあり、誉めすぎたらいかんのだが、妙深寺の教務さんたちは非常に芸術的センスがいい。だいたい、開導聖人があれだけの感性を持っておられたのだから、弟子たるものはセンスが良くなければアカン。そう言っている。言い続けている。

 だから、妙深寺が出す刊行物などは絶対的にセンスが良くなければアカン。いやじゃ、いやじゃ、じゃ。センスが悪いデザインのものを出すなど、佛立じゃない!と言っておるのじゃ。本門佛立宗というのは、「お金を使わずに、感性を使う」のじゃ、と。お金ないからなぁ(涙)。でも、それがいいのじゃ。だから、頑張って感性を磨け!さもないと開導聖人のお弟子とは言わせないぞ。

 あ、またお弟子さんたちにプレッシャーかけている(汗)。

 基本的には妙深寺のご信者さん向けなのだが、最近では他寺院でも多くの方に読んでいただいている。他寺院の方からは冥加料や御有志などもお預かりするようになって、編集のご奉公者の励みになっている。これからも、信行増進の一助になるように頑張りたい。遅れないように(涙)。