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2008年12月29日月曜日

イスラエルのガザ空爆

 恐ろしい空爆がパレスチナ自治区・ガザを襲っている。日本では余程のことがない限り報道はイスラエル寄りだが、300名弱が死亡した今回の空爆は何とか正確に報道しようとしているらしい。パレスチナ側もロケット弾を100発イスラエルに向けて発射し、1名が死亡したと報じている。いつもながら、こうだ。今回もそうだ。パレスチナがやったから、イスラエルは報復するという構図。それすら事実か分からないが、その武力の圧倒的な差を見れば大人が何10人も寄ってたかって子ども一人をリンチしているようにしか見えないが。
 いずれにしても、この時期の停戦・空爆には周到な準備と政治的な意図、経済的な意図が感じられる。
 エルサレムから車で30分、分離壁を越えてタクシーを乗り継ぎ、乾いた丘をくぐり抜けてパレスチナ自治区であるベツレヘムに入った。そこに、毎年12月24日のクリスマス・イブにミサを行い、CNNで実況中継を行うイエスの生誕教会がある。
 クリスマス・イブ。アッバス自治政府議長は生誕教会のミサに参加していた。ハマスはアッバス氏のファタハを駆逐してガザを実力支配してきたのだが、今回のガザ空爆は、欧米が和平の対象として頼りにしてきたアッバス議長の地位すら危うくする。決して表に出ないような意図が隠されているように思えるのは私だけだろうか。こんな風に、世界が動き、人命が失われ、世界が流動化していいものだろうか。口惜しい。
 2004年3月22日、イスラエルは車椅子で通行中だったハマスの精神的指導者・ヤシン(ヤースィーン)師を、ピンポイント爆撃によって殺害した。私がイスラエル・パレスチナを訪れた4ヶ月後に起きた事件だったので、鮮明に覚えている。その後、ヤシン師の遺体(グチャグチャに破壊された顔)はインターネット上に掲載され、彼らの憤怒は高まり続けている。また、今回の空爆でも亡くなった300名弱の方の家族や親族はインティファーダに参加してゆくことになるだろう。負の連鎖、憎悪の連鎖が続いていくことになる。
 今回は、読売新聞すら「狙いは米政権移行期…ガザ空爆、イスラエルが周到に準備」と題してエルサレム支局からのレポートを報じている。在野の独立系シンクタンクである国際戦略情報研究所の原田武夫代表は「実は市場が待ち望んでいたイスラエルのガザ空爆」と題してコラムを掲載している。
 今回の空爆を望んでいた潮目や政治的意図、経済的な意図が見え隠れしていると指摘している。そのようなもので、また世界が動いていく、不安定化していくということに注目しておかなければならないと思う。オバマ次期政権の誕生を前に、次々と時限爆弾が発火してゆかないことを願う。

2008年12月28日日曜日

ヤンチャな心 先生と私の場合

 「先生のブログ」、おもしろーい。ゲラゲラ、お腹を抱えて笑ってしまった。私とのやりとりが書いてあって、もう、一行一行読みながら、笑えた(笑)。書いてあるとおり、本当に、楽しいやりとりがいっぱい。面白いんです。
 本当に、今年は先生の活躍が目立ったなぁ。お寺の中でも愛すべきキャラクターとして定着しているし、事務局でも潤滑油のように、海外団参の受け入れからミニ・コンサートまで、楽しい雰囲気を広げてくれている。
 先生には、独特の雰囲気があって、どうしても僕のヤンチャな心に火がついてしまう。時間がない中でも、いつも楽しく教えてもらっているし、いろいろな分野の話をするのだが、とにかくジャれたくなる。住職なのに、「ジャれる」なんてよくないかな?でも、もう不真面目で、ヤンチャだったことを誰もが知っているから、いいか。許してもらおう。
 スリランカの団参で、スリランカ特産のオーガニックな商品が並んでいるお店に行った。目の前でスリランカの植物を見せてくれて、「この植物はこういう病気に効きます」「これは内蔵に、これは肌に」という具合に、教えてくれていった。その中で、「これは、とても素晴らしい100%ナチュラルな脱毛剤です」と説明され、参加していた人が実際にそれを腕に塗ってみたのだが、おそろしいほど綺麗にムダ毛が無くなった。「いいですか、10分間、そのままにしておいてください。ほら、こうして10分後に軽く布で拭くだけで、綺麗になるでしょ」「おー、すごーい、なるほどー」と。
 すかさず、それを見たサイテーな住職である私は、「あ、これを先生のおみやげにしよう」と考えついたのであった。先生のヘアースタイルは、少々毛の量が寂しくなっていて、3年前から「クレイジーケンバンドのケンさんのようにしてくださいよ。似てますよ」と言って短髪にすることを進めたり、余計なことばっかり進言してきた。ブラジルに3ヶ月滞在している間に、とてもスッキリと髪の毛を短くして帰国して、「お、これはやる気になってる」と思ったのだが、最近またヘアースタイルがまとまらないようだったので、思い切って、「そうだ、これをスリランカ独自のスペシャル増毛剤です」って言ってプレゼントしてみよう」と考えついたのであった。
 「先生、いやー、帰ってきました。無事にスリランカ団参が終わりましたよ~。海外部長は行けなかったけど、先生の御祈願のお陰でーす。そうそう、ところで、おみやげを買ってきました。スリランカの100%ナチュラルな増毛剤。いいですか、先生。これを頭に塗って、10分間、思いっきり髪の毛を揉んでください。10分ですよ。絶対に効果があります。あっという間に効果が出るからね」
 もちろん、それはシャレです。冗談です。先生は英語が堪能だから、「Hair remover」と書いてあったら分かるだろうと思って(笑)。それを、帰国してから海外部長である先生に、確かにプレゼントしたのでした。大変よろこんでおられました。ほんと、サイテーな住職です(笑)。
 こんな不良が住職なんて、妙深寺のみんなが迷惑していると思うのだが、それでもよく堪えて、頑張ってくれている(笑)。ご迷惑をおかけしてる。すいません。お許しを。
 と、このくらい、親しくご信心、ご奉公させていただいているので、笑いが絶えない。とても楽しいお寺になっているのであった。チャンチャン。

2008年12月27日土曜日

数億円の喜び

 もう、厳しい、辛い、ネガティブな話は書きたくないので、ここでちょっと嬉しいお話。
 お名前は出せないが、嬉しい嬉しいお話をお聞きした。あらためて、私自身も現証の御利益のすごさを実感し、おそろしいくらいの有難さで胸がいっぱいになった。
 いまの経済状況は非常に厳しい。しかし、その中でも経済的に現証の御利益をいただかれる方があって、ご信心をさせていただく意味や価値、功徳を積む生き方に目覚めることが、どれだけ御法さまのお力添えをいただけるか、お聞きするたびに再認識させていただける。
 23日、本年最後の門祖総講が奉修されたのだが、その奉修後に、あるご家族がどうしてもお話があるということで局長室に入っていただいた。
 その方は、ひろし君のお教化された男性なのだが、ご信心すると決意されるまで3ヶ月間、昨年の9月から1週間に一度と決めてお参詣を続けられた。そして、昨年の12月、ご自宅に御本尊を奉安し、しっかりとご信心を始められる決意をされ、ブラジルにまでお参詣された方。ご信心をはじめられて半年にも満たない方をブラジルにお連れするというのもすごいことなのだが、本当に喜んでお参詣、ご奉公してくださった。
 その方は会社を経営されている。お聞きすると、特に昨年の12月は、事業を進める上でも厳しい時期で、いろいろと思い悩むことがあったという。その最も厳しい時期だからこそ、ご信心を始められた。そして、その厳しい中、3月末から4月上旬までブラジル、イタリアとお参詣・ご奉公をされ、その旅行期間中に日博上人の「コーヒーの壺」を読破したのだという。
 23日に局長室で伺ったお話の内容は、まさに、その事業が妙不可思議の御利益によって、起死回生とも言うべきおはからい、現証の御利益をいただいたのだということだった。
 この一年間、事業の面で非常に厳しかった、しかし、日博上人の本を読み、感じるところがあった。ブラジルから帰国後、人任せにしていたことも自分でするようになり、入信からちょうど1年後の今月、信じられないことに不動産のやりとりから2億円以上もの資金が、キャッシュで入ってくることになり、本当に、これは、まさに、御利益としか言いようがない、と言ってくださっていた。そのタイミング、金額、一連の流れ、すべてがおはからいとしか言いようがないんです、本当に感謝している、ありがたい、どうやって御礼をしたらいいか、と話してくださった。
 奥さまとかわいいお嬢さまと一緒に、こうしたことを素直にお話ししてくださることが本当に有難かった。普通なら、どんなに事業がうまくいっても、なかなか御法さまへの感謝に結びつけられず、困った時の○△頼みで、良くなったら「俺が頑張ったからだ」となって、御法さまへの御礼というところまで頭が回らないものだ。
 ひろし君は、「ご住職、話を聞いてあげてください。どうやら2000万円くらいお寺に御有志したいらしいですよ(笑)」と冗談で言っておられたが、その方は本当に真剣な眼差しで「どうやって御礼したらいいか分かりませんので」と仰っておられた。本当に、妙法のご信心は有難い。
 経営者のように、非常に厳しい、第一線で働いている人にしか分からない感覚がある。だからこそ、厳しく、微妙な経営をする中で、彼自身、本当に、御法さまのお力添えをいただいたと実感されたのだと思う。それが、この感激となっている。ありがたいことだ。
 この不況下で、こうして喜びの声をあげてくださることは、何より他の方々にとっても励みとなり、大切なことであると思う。不況を嘆いているだけではダメで、何度も書いているとおり、私たちはご信心に励み、御法さまのお導きとお見守りがあるように、志を立て、志を貫き、時間と身体と心を使って、功徳を積ませていただくのだ。そこに、妙不可思議の、現証の御利益がある。
 私は、ドカーンと御礼をしていただくこともいいが、せっかくだから、ここで、ずっと続けられる功徳の積み方に一歩進んでいただきたいと申し上げた。
 それは、一度の、大きな、数千万円の御有志ではなくてもいい。たとえば、ブラジルでお聞きした90才の佐藤さんがされていたように、毎月お米一俵を御宝前にという気持ちで60年間も続け、90才を過ぎた今でも健康で、家業も大きく順調で、一族全員でご信心され、3人のお嫁さんも婦人会などでご奉公され、本当に幸せだ、有難いと言われているスーパーおじいちゃんのように、コツコツと積み上げるご信心をしていただきたい。こんな大きな御利益をいただいた。だからこそ、コツコツと功徳の積める信心、コンスタントな信心をスタートしていただきたい。たとえば、例月の御花料、御初灯明料、御初穂、あるいは教区御講の願主となり、毎月のことを、積み重ねるように。もちろん、数千間円の御有志も有難いことだけどね(笑)、と。
 人間の感謝の気持ちは、お医者さんへの御礼のようなものだとよく聞く。どういうことかというと、最愛の人がお医者さんに助けてもらった、難しい手術が成功した。患者の家族としては、何としてもお医者さんに御礼したいと思う。「もう、何でも望むものは差し上げたい」「よし、百万円でも御礼したい」と思う。でも、一週間もすれば「おい、10万円でいいんじゃないか?」となり、2週間も経てば「5万円でいいかな」、1ヶ月も経つと「いや、お医者さんだから助けるのは当たり前だ」となってしまうもの。お医者への御礼が良いとか悪いとかという話ではなく、人間の気持ち、心というものは、そういうものらしい。
 だから、本当に嬉しいお話をお聞きした。それはそれは有難い。だからこそ、そのお気持ちを決して忘れないように、ずっと、長く続けられる功徳の積み方を、小さい小さいお金でもいいから、家族一同でご信心できるように、ご信心が行き渡るように考えていただきたい、とお話しした。
 ひろし君に教えていただきながら、本当に、ずっと功徳が詰めるやり方を進めていってください、お願いします、とお話しした。本当に、嬉しいお話だった。ひろし君も大変よろこんでくださって、これから、また一緒にご信心、ご奉公いただける。ありがたい。
 とにかく、現下の厳しい経済状況の中、こうして御利益をいただき、喜びの声をあげてくださっている人がいることをお知らせしたい。

ありがたい 〜最もレアな生き方〜(再掲)

 世界中にある本門佛立宗のお寺。それがどの国であろうと、訪ねて最初に掛けられる私たちの挨拶。
「ありがとうございます」

 佛立開導日扇聖人は、「我身をかへりみ、有難う存じますると口くせの様に申せ」と御指南されている。何と素敵な教え、素晴らしい言葉だろう。

 ご信心するということは感謝の気持ちが湧いてくるということ。感謝の気持ちを抱いて生きていく、生きてゆける、ということ。このことこそ正しい仏教を正しく実践している証明ではないか。

「ありがとう」とは形容詞である「ありがたい」の連用形「ありがたく」のウ音便。感謝の意を表し、礼を言う時に用いる。

 本来、「有り難し(ありがたし)」とは「有ることが難しい」という意味で、「滅多にない」「珍しくて貴重だ」ということを表していた。まさに美しい日本語の頂点にある。

「ありがとう」を「サンキュー」と英訳するには無理がある。単に感謝を表しているだけではなく、古の時代から神仏に対する言葉、天地を司る偉大な何者かに対する感謝の心から生まれた言葉であり、時間をかけて人や状況に対しても使われるようになったという。

 平安時代に書かれた枕草子では、「舅にほめらるる婿。また、姑に思はるる嫁の君」と実に俗っぽく「有難い」ことを表現してくれている。続いて、よく抜ける毛抜きは「有難い」とか、主を謗らない従者は「有難い」、顔と心の双方が良いのも「有難い」、社会にあって少しの「疵」も付いてない人間は「有難い」などとある。段末には、「男、女をば言はじ、女どちも、契り深くてかたらふ人の、末まで仲よきこと、難し」とあるから、それこそ有難くて笑ってしまう。感謝の辞というより、貴重な存在を表す言葉が「有難い」だった。

 私たちが日常の挨拶としてまで使っている「ありがとう」には、当然ながら「感謝」と同じくらい「有ることが難しい」という意味が込められている。開導聖人は、 「あゝ有難や、まれに人身を得、適仏法にあへり」 と妙講一座の随喜段の冒頭に載せられている。人間に生まれてくることは極めて難しいことであり、稀なことであり、その稀な中でも御仏の教えに出会えたことは更に最上の「有難さ」であると表明し、私たちも同様にその「有難さ」を感じてみなさい、とお示しである。

 DNA解明の世界的権威である筑波大学名誉教授、村上和雄氏はその講演で、「人間に生まれてくることは、宝くじに一万回も連続で当選するのと同じくらい難しい」と仰った。存在そのものが難しく、生きていることそのものが貴重で、稀なことだと教えられているのだ。まさに、開導聖人の教えの通り。

 私は子どもの頃から、「ありがとうございます」とご挨拶してきたが、ごく最近になってようやく意味が理解できるようになったと思う。それまでは、単なるお寺やお家の中の「決まりごと」のように考えていたと思う。深く考えることもなく、長い時間を過ごしてきた。

 青春時代は「~たい」と語尾は同じでも、「したい」「なりたい」という自分の欲望を満たすことに夢中だった。「有難い」と感謝するよりも、自分の幸せを喜ぶよりも、「もっと」「もっと」という意味で「~たい」と使っていた。

 しかし、ご法さまの前に一信者として心から手を合わせ、御題目をお唱えできるようになってから、何かが変わった。様々な出来事を通して、自分の無力さを痛感した時や他人の苦しみを自分の苦しみとして感じるようになってから、しみじみと「有難い」という言葉が出るように変わってきた。

 いま、毎日お会いする人ごとに、「ありがとうございます」と口先だけではなく言える自分が嬉しい。良いことがあっても、嫌なことがあっても「有難い」と言いたい。これから先、どんなことがあるか分からない。しかし、その時でも「有難い」と言える自分でいたい。

 つまり、「有難い」とは「レア」なのだ。ステーキを注文する時に使う馴染みの英単語だが、「稀な」「滅多にない」「まれにしか起こらない」「素晴らしい」という意味。

 開導聖人がお示しになった意味。口癖にしなさいという尊い教え。それを理解する一助として、私はこの「レア」という言葉を使った。

 まだ、「~たい」と自分の欲望に任せて使っていた頃はその対象がコロコロと変わった。「勝ちたい」「成功したい」「プロになりたい」「幸せになりたい」と。その時はそれを生きる原動力にしていたし、今でもそうした「~たい」という気持ちを全て否定する訳ではない。

 しかし、「~たい」は「有難い」になった。それは「レアでいたい」「レアになりたい」との意味だと思うようになったのだ。単に感謝を表す言葉ではない。いま生きていることが稀少なことだと喜び、稀でいることを喜んでいるのだ。 

 そして、他の人は違うかも知れないが、最良の命の使い方をしたいと願い、求め、誓って、口々に「有難い」と言う、言ってみる。すると、思っている以上に、何もかもがさらに有難く思えてきて、レアである自分に気づいていく。父、母、友、呼吸、太陽、空気、自然、命、出会い、何よりご信心が。

 この世に生を受けていることが稀であること。数え切れない程の恩恵を受けていること。動く身体、出る言葉、使える心。それら全ては当たり前のものではなく、稀であるということ。レアであること。

 それなのに、口を使わず、足を使わず、心を使わず、使ったとしても自分のことばかりで人の為に使わず、愛する者の為に使っても、世のためには使わず、御仏の為に使わず、人も支えず、人も助けず、御弘通の為にも使わずに終わってしまっていたら、どうなるだろう。宝くじを一万回連続で当てたほどの幸運に恵まれ、「有難く」も生を受け、「有難く」も生きている自分の価値も、甲斐もないではないか。

 開導聖人は「口癖のように申せ」とお示しの御指南書の冒頭に、 「何もよし 人と生れて要法に あひし縁しは 有難の身や」 と御教歌をお寄せになられている。 

 愚痴や不平を言えば切りがない。それを超越してご信心にお出値いできたことを第一の喜び、果報と心得て、毎日を過ごしてゆきたい。ご信心があれば何に対しても感謝できる。自分が希少であること、レアであることを知っているから。世を見渡せば希少な存在、「菩薩」を目指して生きる自分が「有難い」。最もレアな生き方ではないか。

2008年12月26日金曜日

ジタバタしてはいけない

 先日来、危機感を募らせている。
 サブプライム・ローンに匹敵する規模の危機が、また世界を震撼させるのではないかと思う。そうした話が出ている。もし、それが現実のものとなれば、来年の正月から春、夏から秋まで、本当に厳しい事態になるに違いない。その可能性は極めて高い。
 100年に一度の危機といわれて久しいが、そのインパクトの大きさをどれだけ自覚しているか。ここ最近、アメリカの年末商戦の結果は40年ぶりの水準といわれ、それは、つまり1969年(昭和44年)当時の同じ水準であるということだ。
 工場を経営されている方の話をお聞きすると、前年同月で数十万個以上の発注が先月は20個しかなかった等々、来年の春まで各企業は生き残りを賭けた戦いをすることになると思う。政治の世界では、永らく巨大な企業中心の経済システムを信奉し、支援してきたから、中小企業の経営は大企業の生き残りの犠牲を強いられ、壊滅的な状況に陥るかも知れない。そこに、さらに追い打ちを掛けるような金融危機が訪れたとしたら、本当に100年に一度の大恐慌が日本を襲うことになる。
 いずれにしても、現下の社会状況の中で、売上が3分の1になることは至極当然のことだ。それで当たり前だと思わなければならない。
 ここでジタバタしているだけでは戦えないし、勝てないし、乗り越えられない。「人事尽くして天命を待つ」だから、最大限の努力を、出来る限りのことは全てする、という気持ちで行動することが大切だろう。しかし、他人のせいにして、イライラして、ジタバタしているだけでは、意味がないというのだ。
 この時代背景の中でも強い企業がある。売上を伸ばし、厳しい中でも活き活きと仕事を進める経営者や企業がある。ほんの少し前まで「インフレ」と言われていたが、すでにデフレに突入。経営者にとっては舵取りが極めて難しいだろうが、先を読み、冷静に、方向を定め、人々を鼓舞して進んでいる人たちもいる。ユニクロの一人勝ちなどと言われているが、数年前の苦難を乗り越えての今日だろう。
 今年最後の御法門は、こうした世相を背景にして、ご信者ならではの生き方、語り合い、支え合い、励まし合いが出来るようにならなければならない、と御法門をさせていただいた。
「世のなかをゆめと見なしてのりのとも さめてのうへのものがたりせん」
 よく世を見渡せば、御仏が「世は皆牢固ならざること、水沫泡煙の如し」と仰っているとおり。「水沫泡煙」とは「バブル」のことだ。掴めない、ボヤッとした煙のようなものを本物だと思って追いかけるような世の中、バブルに浮かれて財産や人生そのものを崩壊させる人々。よく見てみれば、世の中は夢や幻のようなもの。そう教えていただいているのが私たち仏教徒、佛立信者であるから、そう思って、夢から醒めた者、人間の本業に目覚めた者として生きなさい、語り合いなさいと教えていただく。
 時代が厳しい、状況がめまぐるしいと、どんどん視界が狭まり、目先のことしか見えなくなる。結果として、先が見えなくなり、大切なもののプライオリティーがつかなくなり、人間関係のトラブルが増え、人への思いやりがなくなる。言い方はぞんさいになり、そっけなくなり、自己中心になり、上辺の嘘が増える。口先で転がして何とかなるようなものではないのに、口先だけの言葉や思いつきの言動で、悪循環に入っていってしまう。
 確かに、厳しい。辛い。苦しい。先行きが不透明だから、どうしても不安になる。心配にもなる。しかし、だからといって、どうなるものでもない。どうしたら不安から逃れられるか、どうしたら安心できるか、乗り越えられるか。
 こうなれば、ジタバタしても仕方がない。自分の果報の中、流れの中、縁の中で、最大限の努力をして、調子の良い時には、いつも御法さまからの御縁をいただき、チャンスをいただいてきたことを思い返す。そして、この難局に、視界が狭まらないように、心が乱れ、言動が定まらないということのないように、御法さまからのお見守りやお導きがいただけるように、本物の信心を進める。その覚悟、その生き方が、佛立信者の真骨頂であり、妙不可思議の御利益をいただくコツだ。ここが勝負なのだと思う。
 御教歌「むかしより味方のこゝろそろはずに 軍に勝ちし事はあらじな」
 どんな難局も、味方の心が揃っていないで勝てるわけがないではないか。味方とは誰か?敵とは何か。
 疑心暗鬼になって孤独になったり、くっついたり離れたり浮いてしまっては不幸になるだけだ。こういう厳しい時代だからこそ、「異体同心」を作り上げることが大切なのだ。味方の心がバラバラでは、どんなに良い作戦を立てようが、将軍がよかろうが、センスがあろうが、勝てた試しはないのだから。
 御教歌「世の中をうらむはおろかかひもなし 苦楽はおのが報ひ也けり」
 このような世の中になって、今さら、愚癡を言っても始まらない。自屈になって、あきらめたり、極端に開き直っても仕方がない。悪くなっても、それは自分の蒔いた種、ジタバタして幻の中に逆戻りしても仕方がない。ご信心をして、眼が開いたはず。そうであるならば、じっくりと対処する、人事を尽くす、御法さまにお縋りし、お任せし、御縁を開いていただく、ご弘通、菩薩行のために、お力添えをいただけるようにするしかない。必ず、現証が顕れる。間違いない。
 日博上人は、次のように書き遺されている。
『不平を言うな、血が濁る、と言いたい。感謝を知らない人間ほど始末におえぬものはない。一切何事にも不平を言わず、ひたむきに人生を歩んでいる人があったとしたら、それだけでもその人は偉大な心の持ち主である。不平が人を呪い、世を怨み、周囲を暗くしてゆく、奪うことを知って、与えることを知らない人間に不平はつきものである。(乃至)
不平は病である。病を作り出す元である。世の中は思い通りにならぬものだ。天下を取った徳川家康でも「人生は重荷を負うて坂を登るようなものだ」といった。(乃至)
常に相手の行動を善意にとって、お目出度いといわれても感謝合掌の徳を積むことである。(乃至)
己の心温かなるとき、必ず周囲も温かくなる。己の心冷たいとき、必ず周囲も冷たくなる。(乃至)
世の中にも、他人にも、悪いところ、困った人がたくさんあるのは事実である。しかし、それはそれとして、それであるからとて、その上になお自らの苦しむ因を重ねて、ご丁寧に二重の苦を受けるのは猶更愚かなことである。いやいや、それさえも実は、世々生々の自らの業の報いであると悟って、功徳生活に入らせていただこうというのが仏教、法華経信仰である』
 開導聖人は次のように御指南されている。
「娑婆の夢に迷ふべからず。菩提の道、怠るべからず。懈怠、不参、謗法といふは、みな迷ひに引かれ、悪縁の深き故也。今度は此の悪縁を思い切ること、娑婆信行中の第一の肝要也。これより外に大事なる御法門はなき也」
 娑婆の夢に迷ってはならない。人間の本業は菩薩行、そこから離れてはならない。怠ってはならない。娑婆の夢に逆戻り、そっちに引きずられたら、参詣も減る、お参詣が出来なくなる、結局愚癡や不平が出る、人を怨み、妬み、ご信心や御法に傷をつけることになる。つまり謗法を冒す。これらは、すべて世の中の悪い縁に引かれに引かれてしまっているからに違いない。
 ここで、この悪縁を思い切って、ここが肝だ、要だと思って、そこからブレないようにする、これ以上大切な御法門はない、と教えていただいている。
 百年に一度の大恐慌だろうと、何だろうと、
「欲なくばこわい物なし信あれば 人を助くる楽しみもあり」
との御教歌をいただいて、本当の楽しみから離れず、社会の中でも、会社の中でも、あらゆる人間関係の中でも、活き活き、強く、明るく、正しく生きていけるように心がけたい。私たちには何でもできる。必ず出来るのだから。
 本当の楽しみ、本当の生き甲斐を見つけた者同士の、ご信者ならではの集まり、励まし合いをもって、「お寺に行くと元気になる」「みんなに会うとやる気が起きる」と言われるように、佛立信心をしている者らしい語らいを心がけたい。
 とにかく、ジタバタしてはいけない。為すべきことを為せ。

宇宙を身近に感じる

 今朝、流れ星を見た。
 ブラジルからのお客さまをお送りしようと5時過ぎに外に出てみると、空が透き通っていた。西の空は暗い漆黒で、東の横浜港に向かって徐々に紫から紅く変わっていく。寒い風に吹かれながら、「綺麗だなぁ」と思っていると、北の空に一線、「スゥー」っと流れ星。うわー。横浜で、こんな時間に流れ星が見えるなんて。
 今年の夏、留学していた長男を迎えに行った時のこと。一緒に車を運転している途中、前方の空を横切る大きな大きな流れ星を見た。長男は見れなかったようで、「僕も見たい、見たい」とすねてしまった。そこで、公園を探して車を停め、だっこして抱えながら夜空が見れるようにした。しばらくそうしていても、なかなか流れ星を見ることができない。長男が、「ブッダにお願いしたら、流れ星を見せてくれるんじゃない?」と言って、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えた。すると、またスゥーっと流れ星が。長男は大声で喜び、興奮しながら「ね、ブッダは何でも聞いてくれるよね。すごいよね」と言っていた。ほほえましい、嬉しい思い出だ。
 とにかく、綺麗な流れ星を見ることが出来て、とても嬉しかった。来年は、アポロ11号が月面に到達してから40年目を迎える。アポロ11号は、1969年7月16日にケネディ宇宙センターから打ち上げられ、地球を1周半周回して月へと向かい、1969年7月20日、東部標準時16時17分、人類初の月面着陸を実現した。1969年は私の生まれた年でもあるので、特別の感慨がある。
 また、以前にも書いたが(「今朝の空」で)、1969年というのは天文学の世界では特別の出来事が続いた年で、1969年2月8日13時に、メキシコのアエンデ(Allende)近郊に落下した全部で2トン以上あった隕石は、45.66億年前に固まった太陽系で最も古い物質だった。歴史上はじめて太陽系外から飛来した隕石と考えられていた想像もつかないほどの壮大なスケールの隕石の飛来だった。実は、余りにも憧れて、アエンデ隕石の欠片を譲ってもらって大切にしている。
 さらに、来年は、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡を初めて空に向けてから400年目に当たるということで、世界天文年とされている。世界天文年も掲げるのは、「一人ひとりが空を見上げ、宇宙の中での自らの位置に思いをはせ、宇宙、地球、そして人間というものについて、自分なりの発見をすること」を目的としている。人類を「地球人」として再認識し、未来に向かって一緒に行動していくことを目指しているという。素晴らしいことだと思う。
 宇宙からの俯瞰的な視点は、仏教や佛立信仰がもたらすものと同じだと思う。キリスト教など科学と対峙してきた宗教もあるが(1600年、地動説を唱えたジョルダノ・ブルーノは火刑に処された)、仏教は常に科学の先にある。自然科学ですら仏教の説くところと合致してゆくと確信している。
 とにかく宇宙を身近に感じることは大切だと思う。

2008年12月25日木曜日

ブラジルからのお参詣

 昨日、妙深寺に3度目となるコレイア御導師がお参詣くださった。
 日本の御導師方とも、これほど親しくご奉公を一緒にすることはないが、今年は3月~4月にはブラジルで、7月~8月は日本で、そして今回12月と、重ねてコレイア御導師と一緒にご奉公させていただいた。
 今年は、国内初となる開導会の奉修御導師をお願いし、大勢のお参詣をいただいて盛大に奉修させていただいた。その際には、「ぜひ奥さまもご一緒に」とお願いしており、ご家族4名(甥のギー君も一緒だった)でご奉公いただいた。
 今回、何とクリチーバの如蓮寺から太田局長ご夫妻をはじめ、12名のご信者さんを引き連れて日本に来られており、九州から北海道まで国内の寺院を巡り、大晦日には本山の除夜法要にお参詣するという。記念すべき本年を、何としても年末の御礼参詣で締めくくろうというご信心の賜で、あっという間に12名もの方が同行を決意されたという。
 おはからいだ、御利益だと教えてくださったのは、全員今回の金融危機の直前にチケットを支払っており、この急速な円高の影響を受けずに今回来日することができたという。いつもは直前になってから支払うのに、今回は何故かそういう支払い形態になったのだという。もし、ここまでの円高が進んでいたら、とてもではないが若い女の子もいるし、支払って旅行というわけにはいかなかったと言っておられた。本当に、ありがたい。
 24日、25日と、妙深寺に2泊される予定で、また貸し布団をレンタルして、居心地の悪い大広間や婦人会室などに別れて宿泊いただく。「妙深寺ホスピタリティー」はご奉公をくださる方々のお陰で充実していると思うのだが、設備が整っていないから申し訳ない気持ちもする。ただ、それでいいのだという。朝は清和会(教務婦人の会)が朝食を作ってくださり、午後からは観光に。昨夜は、そんなこともあり、歓迎の意味を込めて中華街で夕食をご一緒した。
 朝、みんな一番から本堂に上がり、とても熱心にお看経されていた。入信5年や4年に満たないご家族や青年会の女の子たちが一生懸命に御題目をお唱えする姿に感動した。コレイア御導師から御法門を頂戴し、また妙深寺のお参詣者も感激。本当に分かりやすく、行いやすい。腹に染み通る御法門だった。
 今夜はこれからボーズ・バーを行う。東京から帰ってこられたら、そのままガラスの間へ。大勢の参加が期待される。それにしても、コレイア師と話していたのだが、ブラジルと日本、遠いはずだが、時間や空間を飛び越えて、これほど近くに感じることができるのが有難い。お互いに、いつも刺激になり、感謝している。

飯島愛さんの死について

 飯島愛さんが亡くなった。ニュースで流れてきた名前と内容を聞いて、一瞬身体がこわばった。
 引退をされたことは知っていたし、身心の不調を訴えておられたと報道程度で聞いてはいたのだが、こうして命を終えてしまうとは。世間はクリスマスイブで賑やかにしているだろうに、あまりにも淋しい死ではないか。
 1999年の12月。しかも、ちょうどクリスマスイブの夜だった。私はお世話になっているタレントの方の事務所を訪れていた。事務所の地下に降りていくと、お世話になっている方と一緒に飯島さんがおられた。仏教徒であるからと笑って、クリスマスイブという世間の喧噪も関係なく、世間話をしながら楽しく過ごした。飯島さんはとても気さくな方で、親しみやすく人当たりのやわらかい方だった。
 事務所の地下で話をしていたのだが、何か買いに行ってくることになり、一人で事務所を出た。すると飯島さんが付いてきてくれて、一緒に買い物をした。ほんの短い時間だが、一緒に歩きながら腕を組んでこられ、何か淋しそうな言葉を言ったのを覚えている。その言葉がどんな言葉だったか覚えていない。でも、淋しい言葉を言う人だなぁと思った。
 その後、「プラトニック・セックス」という本を出版し、大変な人気を博した。テレビで活躍する姿を見ていたが、それ以来お会いすることもなかった。ただ、「袖触り合うも多生の縁」と言う。引退し、心身の不調を訴えていた飯島さんが、一緒に青山通りを、腕を組んで歩いた9年後の同じ日の夜、訃報として自分の耳に飛び込んでくるとは。御縁があったのに、何もできなかった。
 東京という都会、人間関係の中で、彼女は苦悩を抱えて、出口が見えなくなってしまったのだろうか。自分の心がどうしようもなくなり、コントロールできなくなり、感情に支配され、苦しんでいたのだろうか。
 何とも言えない口惜しさが、胸にこみ上げてきた。いろいろな御縁をいただき、たくさんの方と出会わせていただき、言葉を交わす。しかし、何を伝えられているだろう。
 口先だけ、上辺の楽しい話だけ、何か踏み込めていない。もちろん、それぞれ自分なりに模索しておられるから、私の言うことなど余計なお世話と思われるかも知れないが、そうではないと思う。私は、もっと自分のできることを探して、自覚して、信じて、声なき悲鳴に耳を傾けたり、もっと人の心の傍に寄り添って、辛い時に、あいつに相談しようかな、話を聞いてもらおうかな、という御縁としていなければならなかった。そうでなければいけなかった。
 とにかく、飯島さんの死についてショックを受けた。不思議に、飯島さんという方との思い出がピンポイントで一致していて。無力な自分を反省する。

2008年12月23日火曜日

信を説く

 開導聖人の御指南に「信を説かば御法弘まる。法門すれば信者すすまず」とある。「信の一字を所詮と云々。忘るべからざる大事」と。
 いま、人間に必要な心の柱は「信」であり、世の中に取り戻すべきは「信」に違いない。それは、正しい法に対するものでなければならず、本物の信でなければならないが。
 法門を説いて信者が進まないとはどういうことか。よくよく説く者が思慮しなければならない。法門に「信」があるか。「信」を説いているか。世にありがちな講談、賢そうにする説教、倫理や道徳にずれた高飛車な論は、開導聖人の御意から外れて佛立らしさを失う。結果、ご弘通にならぬ。誰もダイナミックな真実の仏教、佛立信心の妙味を味わえない。自身を誡めている。

2008年12月22日月曜日

駆け抜ける

 12月、駆け抜ける。時間が、あっという間に過ぎていく。京都、名古屋、横浜、東京、長野、東京、横浜…。
 非常に厳しい時代であることを痛感する。肌で感じる。テナントから出なければならない企業、事務所、店舗の多さ。昨年度同月は数十万個の部品を製作していた工場が、先月20個の発注しか受けられなかった等々、悲惨な状態が起きている。迫っている。
 とにかく、ご信者皆さまが無事に越年迎春し、より良い一年を迎えられるように。ご信心をさせていただいている以上、絶対に負けられない。「負けてはならぬ祖師の御味方」なのだから。信心を立て直し、立て直していれば、絶対に負けない。

2008年12月17日水曜日

横断歩道を渡る人たち

 昨夜は長松寺での御総講。今年最後の奉修で、妙福寺から多数のお参詣をいただき、盛大に奉修させていただいた。ありがたかった。
 そして、今日は京都での会議。少々疲れたが、会議からの帰り、横断歩道を渡る人を見てふと思う。全く車に無関心で、ゆっくりと渡っていく女の子。子供の頃、父や母は横断歩道を渡っている時でも、車に配慮してなのか、自分が渡るのを待っている車があると小走りになったものだ。いつしか、自分も横断歩道を渡っている時には、車があると小走りになる。
 道路の法規上は、あくまでも歩行者優先だろうから何の問題もない。イライラする必要もない。事実、イライラもしていない。しかし、それでいいだろうか。父や母がしていた「気づかい」は不必要なものだろうか。いや、そうは思えないし、思わない。人間にとって、こうした気遣いは必要なものであり、人間理解や人間が生きていく上で必要不可欠な機微を学ぶために心がけることだと思う。
 何事にも、何者にも全く無関心で歩いていくこと。視界が狭く、好きなことには関心を向けて、自分に関係ないと規定するものには感性が動かない。それでは人間らしい成長はできないと思う。
 ただ、世の中の状態を考えれば、心が荒み、それぞれが抱える問題が大きくなり、関心を払うことも忘れ、視界が狭くなってしまうことも分かる。人間の心がこうした状態では、さらに社会は混迷を深め、事件や事故、災害が多発するだろう。この時、この時期だからこそ、心を豊かにすること、つまり心を正しく立てることを心がけたい。「立正安国」とは、「信心を正しく立てる」「信心を正しく立て直す」と、思い返す。
 他の人に対して無関心で生きることも出来るが、それは人間修行からの逃避だと思う。結果、その人は生きていくことに後で苦労することになる。そうあってはならないから、常々、つまらないことかもしれないが、人間としての成長を心がけるために、様々な人やいろいろな物事への「気づかい」をお勧めしたい。

2008年12月15日月曜日

在日ブラジル人の方々を守る

 昨日の土曜日、みなとみらいにあるJICA横浜に於いて、日本人ブラジル移民100周年・ブラジル人日本移民20周年記念シンポジウムがあり、その第二日目に行われた「在日ブラジル人と仕事・生活・健康・教育・宗教・言語問題等の解決支援策」に参加させていただいた。
 妙深寺にとって、こうした行事に参加することは初めての試みとなるが、ブラジルへの日系移民100周年の最後を締めくくるために、ご奉公させていただくことになった。第二弘通部、特に海外部の方々の尽力によって、在日ブラジル人をサポートするNPO法人ABCジャパンさまとの素晴らしい関係が実った。
 それにしても、こうした施設や機関が活躍してくださっていることは有難い。海外移住資料館など今年のブラジルと日本の歴史的意義を分かりやすく教えてくれている。私たちは、ブラジルへの日系移民を創始した本門佛立宗の信徒・水野氏と、第一回の移民船に唯一乗船した茨木日水上人の後輩として、こうした機会に参加して、是非その存在と、今後の活動支援をしていきたいと考えている。
 私は、この場で30分程度お話をさせていただいた。本門佛立宗と南米・ブラジルとの関係。南米・ブラジルに仏教をもたらした本門佛立宗の紹介、茨木日水上人のご奉公についてご紹介した。苦難が伴うに違いない移民に当たり、正しい信仰の力が必要だと考えた水野氏。そして、その思いのとおり、仏教の使命を体して渡伯し、宗派を越えて人々を支え、尊敬されるまでにご奉公された日水上人。現在、日系ブラジル人が150万人を越え、日本に在住する日系ブラジル人が30万人を越える中で、今もう一度、私たちの果たすべき役割は何か。
 お話の中で、重ねて法華経の教え、御題目の教えについてお話をし、現在貧困や差別と戦う在日ブラジル人の方々にとっても心の柱となり、苦難を乗り越える信仰であることをお話させていただいた。同時に、具体的なサポートについても今後一緒に考えてゆきたい、と。
 ただ、私たち本門佛立宗は、単なる既成仏教団体でもなく、新興宗教群にも数えられない。その活動も葬式や法事で生計を立てるものでもなく、新興宗教や新々宗教のように政治的な活動もせず、広報活動にも長けていない。私たちはそれを真ん中の仏教、あるべき宗教や仏教の形だと思っているが、つまりは政治力も資金力もないということ。そういう意味で、資金力のあるキリスト教系の団体や新興宗教などとも違って、頼りない部分もあるかも知れない。しかし、だからこそ、まごころで、支援に取り組みたい、と。
 NPO法人・ABCジャパンさんが企画された今回のシンポジウムの目的は、記念すべき年だからこそ日本に住む日系ブラジル人の実状を理解し、その上で彼らへの支援活動をより充実させるべきだというもの。日本人移住者がブラジルに渡ってから100年。ブラジルへ移住した日本人は約25万人、現在日系人とされるブラジル人は約150万人。これらの日系人は正直、勤勉かつ子弟の教育に熱心との高い評価を受け、ブラジルの発展に貢献したとして、100周年記念は日系社会のみならず、ブラジル社会全体から「ブラジル自身のお祝い」として暖かい心のこもった祝福を受けている。
 その一方、日本には20年前から日系ブラジル人の流入が始まり、在日ブラジル人約32万の人々に取っては、出稼ぎから定住化する方向に入り、日本社会の構成要素の一部分として融合し、日常生活において近隣の人々と良き隣人として付き合っていかねばならない現状がある。在日ブラジル人は、社会保障、健康保険、教育、信仰、言語の問題に直面しており、厳しい勤労と生活条件の中で、自らと子弟の健康・教育・宗教・夢を維持・両立することは容易ではない。在日ブラジル人の子弟の将来を考えるならこれらの問題をおろそかにして、記念すべき本年を終わることは出来ない。
 特に、この金融危機の中で、まず最初に雇用を失っているのは海外から出稼ぎに来ている非正規雇用の方々であり、中でも日系ブラジル人は相当数に上り、この年末も困窮の中にある。現実、職を失い、住む場所を失うといわれる方が約2万人もおられる。家族を含めれば、数万人規模の方々が苦しんでおられる。私たちは、特別なご縁がある以上、こうした方々に対する関心を持ち、日本人に限られる緊急支援対策や雇用の確保、即時解雇の禁止などを彼ら外国人労働者にまで広げて考える必要がある。
 いずれにしても、昨日のシンポジウムはとても有意義なもので、これからのご奉公の一つの柱となることは間違いない。

2008年12月13日土曜日

昨今の社会状況に思う

 あっという間に週末。日曜日は、午前中はJICA横浜でシンポジウムに参加し、在日ブラジル人の方々と交流する。午後は御講席が二席。今夜は本年最後となる布教区参与会がある。時間があるので、ブログの更新をしたいと思って。長い文章、嫌われているけど。

 それにしても、私たちの暮らしに直結して、非常に厳しい状況が続いている。先日も書いたが、金融危機が圧倒的な破壊力で身近に迫ってくるのはこれからだ。このブログでは、さまざまな形で社会の在り方や行く末などについて書いてきた。こうして現実恐ろしいまでに社会不安が広がり、ご信心をされている方にまで影響が拡大していることが哀しい。

 原油価格が1バレル150ドルに迫った頃、70ドル前後が適正で、現在の投機的な暴騰は極めて異常であると書いてきた。最近30ドル代まで下落したのだから予想を超えている。3分の1にまで高下したということだから、その衝撃は大きい。1ドルは80円台という。その影響は、年始から春、あるいは初夏まで、雇用や暮らしに決定的な影響を与えていくことは疑いない。「備えあれば憂いなし」と書いてきたが、現実に100年に一度の危機が訪れているのだろうか。

 おかしいなぁ。おかしいことだらけだと思う。あれだけ、原油高騰で航空券のサーチャージ【航路各社が課する割り増し料。燃料代の上昇や為替相場変動に伴う追加補填料】が上がりに上がってきた。先月より今月、今月より来月と、現有価格に連動して、あれだけ敏感に上がってきたのに、逆に下落していったら全く下がらない。イタリア団参もスリランカ団参でも、格安チケットを買っても、サーチャージが団参費用を押し上げていたのに。

 誰か何か言わないのだろうか?しかも、円高。輸出産業は極めて厳しいだろうが、この円高を悪だとばかりも言えないはず。円高が進み、原油価格が下がっているということは、一体輸入している物品がどのくらい下がっているか分からないではないか。国内の産業の半数が輸出に頼っているとはいえ、輸入産業は原材料高と円安の中で経営を進めてきたはず。そのバランスシートも検証できていない。

 なんと、あれだけ高騰に敏感だったのに、航空各社は来年の1月までサーチャージについて触らずにいた。本当に、おかしい。おそろしいなぁ。ほんと、サーチャージは税金を二度払っているようなものだから。こうして、社会のシステムやマネジメントが、すべて壊れているようにも思ってしまう。独立した学術機関もジャーナリズムもないのかな?頑張って欲しいと思うが。

 連日、小泉政権は終わっていないと、歯がみする思いでニュースを見ている。よく暴動が起きないものだ。小泉氏が掲げた矮小化されたテーマで衆議院選挙が行われ、ホリエモンの出馬や女性の刺客などで盛り上がり、圧倒的多数で自民党や公明党の与党が過半数を得て以来、これほどの世界的な問題と情勢の変化、紆余曲折があっても、そのまま圧倒的過半数で法案が通過している。ジャブジャブとお金が使われている。本当に、このまま国民不在の政治が行われていたら日本はどうなるのだろう。森元首相は以前の選挙前に「有権者は寝ていてもらった方がいい」という内容のことを言ったが、それが日本の政治。宗教団体など、ある目的を持った人たちは万難を排して選挙に行く。それ以外の人たちは政治に関心がない、黙っていて選挙に行かないでいてくれた方がやりやすい、ということか。本当に、このままでは日本はアメリカの衝撃吸収パットの役割を果たし続けるしかないのではないか。

 年末、仕事を失い、収入が途絶え、住む家まで失うかもしれない方々がいるかもしれないのに。全く信頼できない政府に緊急対策をしてもらっても、23兆円規模を拠出するといわれても、何も感じない。野党が埋蔵金を指摘していた時には「そんなものはない」と言っていて、今や政府の出す政策のほとんどが埋蔵金であるということなど、なぜ誰もなにも言ってくれないのだろう。おかしくないか?

 少しだけ 困っている人がいて、それを助けてもらいたい。緊急対策もありがたい。しかし、それも政局を睨んだ政治的邪心から出ているとしか思えない。根本的に国の在り方を問うチャンスがあったのに、それをしない。私はブッシュ氏に盲目的に追従するしかなかった小泉元首相を忌避しているが、まだ彼のやったはちゃめちゃな政治に振り回されているとしか思えない。小泉氏は期待はずれで、今や単なるお調子者としか思えない。いま、危機的な国民の暮らしや世界情勢の中、自分の得た議席を振り回して政府や与党が無理に無理を重ねて選択をしてしまっていることについても無関心を装っている。そして、引退らしいのも、何とも口惜しく、情けない。

 吉田茂氏以来、現在の麻生首相もカトリックの信徒らしいが、それと西欧追従の考え方は何らかの因果関係は無いのだろうか。戦後、進駐軍はキリスト教徒を手厚く保護し、ビジネスチャンスを広げていったとも言われている。ピウス12世がマッカーサーに依頼して進めた日本のキリスト教化は失敗した(韓国では成功を収めた)が、経済分野では多くがキリスト教徒となり、経済活動拡大のために経営者がキリストとして各国と信頼関係の構築に努めた。まるでローマ帝国の政策のようだが、社会のリーダーの信仰を西欧化することと、日本の優秀な人材をアメリカで教育することを大きな戦後政策としたことも事実だろう。海外で通用する優秀な人材を日本が輩出することは大切だと思うが、せめて信仰は…と思う。

 話が脱線して、書かなくてもいいことまで書いている。脈絡が繋がらず、申し訳ないが、これほど暮らしが厳しくなっているにもかかわらず、納得できないことがあまりにも多いので、書いてしまった。また、ゆっくり書こう。ピウス12世のこと。吉田氏のことなど。

 来年、立正安国論上奏750年の御正当年。お祖師さまは39才で立正安国論を当時の最高権力者に上奏された。それは、政治活動ではない。苦しむ人々、民を救おうと、そのためには、正しく信仰を立てる、正しい信仰を立てることが欠かせないとお諭しになった。立正安国論とは、御一生を通じて果たされた菩薩行の全世界への表明だったと思う。

 仏教は「ハルマゲドン」などの世紀末思想のようなものを説いているのではない。確かに、仏典には様々な末法の様相が説かれており、お祖師さまもそれらを立正安国論に引用されている。しかし、あくまでも仏教では、「人の心が曲がってゆけば、社会が間違った方向にゆく」というもの。「天罰」という概念ではないのだから。

「佛法やうやく転倒しければ世間も又濁乱せり。佛法は体のごとし、世間はかげ(影)のごとし。体曲れば影なゝめなり。」

とお祖師さまは富木さまというご信者にお諭しになられている。立正安国論には、確かに御経文から引かれた恐ろしい記述も続く。

「当時に虚空の中に大なる声ありて地を震ひ、一切皆遍動して猶し水上輪の如し、城壁破落し下ちて屋宇悉く破れさけ、樹林の根、枝、葉、華、葉、菓、薬尽ん。」

「諸有の井、泉、池、一切尽く枯れ涸き、土地悉く鹹鹵(かんろ)し、敵裂して丘澗(くけん)と成らん。(すべての井戸も泉も池も涸れ果てて、土地は塩気を含んだ不毛の地となり、ひび割れて丘や谷となるであろう)」

「諸山も皆焦然として天龍も雨を降らじ、苗稼(みょうけ)も皆枯死(こし)し、生者は皆死(か)れ尽きて、余草更に生ぜず。土を雨(ふら)し皆昏(こん)闇(あん)にして日月も明(めい)を現ぜず。四方皆亢旱(こうかん)し、数々(しばしば)諸の悪瑞を現ぜん。十不善の業道、貪・瞋・痴倍増し、衆生の父母に於ける、之を観ること獐(しょう)鹿(ろく)の如くならん。衆生及び寿命、色力(しきりき)威(い)楽(らく)減じ、人天の楽を遠離し、皆悉く悪道に堕せん。是の如き不善業の悪王、悪比丘、我正法を毀壞(きえ)し、天人の道を損減せん。諸天善神、王の衆生を悲愍する者、此の濁悪の国を棄てゝ、皆悉く余方に向はん」

「国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るゝが故に万民乱る。賊来って国を劫(おびや)かし、百姓亡喪し、臣君、太子、王子、百官共に是非を生す。天地怪異し、二十八宿、星道、日月、時を失ひ度を失ひ、多く賊起ること有らん」

「若し刹帝利潅頂王等の災難起らん時、所謂人衆疾(にんしゅうしつ)疫(えき)の難、他国侵逼の難、自界叛逆の難、星宿変怪の難、日月薄蝕の難、非時風雨の難、過時風雨の難あらん」

「日月度を失ひ、時節返逆し、或は赤日出で、黒日出でる」「金星、彗星、輪星、鬼星、火星、水星、乃至、是の如き諸の星、各々に変現せる」「大火国を焼き万姓焼尽せん。」「大水百姓を漂没し、時節返逆して冬雨ふり、夏雪ふり」「四方の賊来りて国を侵し、内外の賊起らん」「其の王教令すとも人随従せじ」「内外の親戚其れ共に謀叛せん。」「王久しからずして当に重病に遇ふ」

「世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てゝ相ひ去り、聖人所を辞して還らず。」

 とにかく、来年度は、立正安国論の上奏から750年の記念の年。お祖師さまが明らかにされた御意の一分でもいただいて、正しい信心を立てる、信心の立て直しを主眼としなければ。困難な社会の中で生きてゆかなければならないと思う。「立正信行」をテーマにして、来年度のご奉公を進めようと思っている。

2008年12月10日水曜日

仙壽閣での休息

 昨夜から仙壽閣という素晴らしい宿に止まらせていただき、 ご奉公させていただいた。
 果報を通り越すような場所で、申し訳なさで胸がいっぱいになった。私は、食事にも疎いし、温泉の善し悪しすら分からない。本当に、無粋な若造(こう話していたら、「もう若くない。中年ですよ」と言われたが)なのに、とにかく、素晴らしいご接待に恐縮してしまった。ほんと、もっとモノの分かる方ならまだしも。本当に、私のようなものはビジネスホテルで十分なのに。思わぬ素晴らしい場所で、しばし休息をさせていただいた。
 とにかく、自分の課せられたご奉公を全うすべく、朝から頭がいっぱいだった。一座の法要、感激のお話、御法門。何とかご奉公を終えて、新幹線で横浜へ。ホッと一息。
 空気も綺麗で、ご供養も本当に志のこもったもの、美味しいものばかり。景色も綺麗で、何よりご信者方の信心の温かさ、篤さがありがたい。
 本当に有難いご奉公で、ご信者の皆さまの御志に感無量。まごころのご奉公に、ただただ合掌させていただきたく、御宝前に御礼申し上げた。
 明日、寒川の節子さんのお宅で教区御講。今年で部長を交代される。永年部長のご奉公をしてきてくださり、ここで交代されるのは淋しい気持ちもする。この年末年始で、節子さんのように素晴らしいご奉公をしてくださってきたお役中が多く交代される。一緒に涙してご奉公くださった荻原さんや、まごころのご奉公で有名な小松さん(僕は小松さんの物まねが得意なのだが)も教区長を交代される。田畑さんも20代のまゆみちゃんに教区長の任を託される。
 明日も、とにかく一生懸命にご奉公させていただこう。

2008年12月8日月曜日

出来た!新しい御戒壇! ひろし君の御講

 全く、ブログ更新できなかった。

 いや、ちょっとM先生の、最高の言葉を、ずっと長く掲載しておきたかったから更新する気が起きなかった(汗)。いや、そんな言い訳したらいけないかな。それにしても、本当に、素晴らしい家庭内の会話。

 飾った言葉や変に賢そうな言葉なんて、伝わらない。このご信心の味わい、お看経の味わい、おはからいを、そのままストレートに表現してくれていて、どんな人でも、読んだらお看経したくなる。それこそ、菩薩の声だと思う。ありがたい。

 更新しなかったのは、インターネットの回線の調子がむちゃくちゃ悪いからということもある。週末になると光回線が止まってしまう。ランプが消える。誰か近所の方が利用し出すと、こっちまで回線がまわってこないかのように、週末や夜中になるとインターネットが使えなくなる。もう、2度も修理や点検、復旧にきてくれているのに、ダメ。なんで?NTTとYahoo BBで、うまくお仕事が出来ていないのかしら?あるいは、回線が追いついていないのに売ってしまっているのかしら?本当に、困ってしまいます。

 それと、やはりご奉公が過密でした。それも、内容の濃ーいご奉公が続いた。6日から今日の8日夕方までで、御講席が8席(その内の1席は壮年会住職御講)、布教区の会議、お通夜のご奉公が一座。もう、御講席(ご信者さまのお宅)から御講席へと移動して、ご奉公していくのでグルグル。有難いが、PCに向かう時間がなくなってしまった。しかも、壮年会の住職御講では御法門の勉強をさせていただかなければならないし。Y先生と同じくらい、しなければならないことに追われてしまいました(汗)。

 一つ一つのご奉公の内容が濃いということが有難い。本来、教務のご奉公が「浅い」ということなどあり得ない。例月の御講ですら、ルーティーンのご奉公ではないからだ。ご信者の皆さんに「志が大事」とお話ししているのだから、何あろう「志」で奉修される御講であり、その他のご奉公なのだから、「浅い」ことなど一つもない。

 今月、田代君の御講も特別なものだった。まだ20代であるにもかかわらず、教区御講の願主。これもすごい。さらに、彼は新居を購入する際、「教区御講の奉修できる住まいを」と御宝前の間とリビングの広い、お参詣者にとってお参詣しやすい家を探して購入したという。その最初の御講が今月奉修された。まごころのこもった、素晴らしい御講席となった。

 なにせ、奥さんのまゆみちゃんがエライ!まゆみちゃんは、本当にご信心への想いが強く、彼をリードしてくれている。来年からまゆみちゃんは臨海教区の教区長へ。なんと、20代の教区長が誕生する。すごいことだ。彼女だから出来る。お母さんの姿を見てくれていたのだなぁ。

 そして、また今月は、この上なく有難く、嬉しい出来事があった。それは、神港教区の御講席だったのだが、何と、はじめて、あのひろし君が席主となり、ひろし君の自宅で教区御講が奉修されたのだった。さらに、さらに、その御講は、御本尊奉迎の御礼御講と、御戒壇の建立御礼御講が併せて奉修されたのだった。こんなに嬉しいことはないなぁ。有難かった。ひろし君の家は広いリビングがあるのだが、大勢のお参詣者を迎えて、立派に奉修された。

 御本尊さまは、ひろし君が教化誓願を果たし、約8ヶ月で36人もの方々をお教化されたことから、授与させていただいた。当初、私は、御宝前にそんな大それた誓願を立てるべきではないと思っていたし、無理なことだと思っていた。だから、「もし、この誓願が成就されたら、護持御本尊を授与させていただく」と、なかば無理なことを想定してお話しした。護持御本尊とは、御導師から特別に拝受いただく護持者の名前を御染筆いただいた御本尊である。

 ひろし君の御宝前に立てた誓いは見事に達成され、多くの方がご信心にお出値いできたことを喜んでおられる。ここに、長松家が護持させていただいてきた開導聖人御真筆の護持御本尊を御修復させていただき、彼に授与させていただくこととなった。明治10年に御染筆された御本尊で、妙深寺の本堂の大御本尊と護持者も同じ真継徳太郎氏、年月もわずか半年しか違わない。本当に、尊く、有難い。

 御戒壇は、実は9月から本門屋さんの的場にお願いして、新しいデザインで作っていただいていた。私がイタリアでご奉公させていただいていて、何度か眼にした斬新な御戒壇。それらは、洋風のリビングにマッチしていて、実に「佛立的」だった。左の写真は、その一つでミルトが建立した御戒壇だが、本当に彼らのくらしの中に溶け込んでいて、有難かった。お看経もよくあげるミルトご夫妻。こうした御戒壇に、私は開導聖人のスピリット、イズムを感じた。

 そうした御戒壇に魅せられて、ひろし君であれば私が次世代を志向してデザインした御戒壇を受け入れてくれるだろうと、日本に帰国してから的場さんに無理をお願いしてデザインしていただいてきた。的場さんは庫裡の御戒壇の御修復などをしていただいたこともあり、いつも無理なお願いを聞いてくださってきたから甘えてしまった。

 スリランカの御戒壇も素晴らしい。彼らが独自にデザインしており、彼らの手によって製作されている。右の写真は川辺の工場で量産されている御戒壇だが、こうして21世紀の本門佛立の御戒壇が製作されてようとしていると思うと身震いするほど感動する。金色に塗られ、仏丸の刻まれたシンプルな御戒壇を、数多くの方々がお宅に奉安されている。

 スリランカでは、シニア・メンバーになると日本のご信者方ですら驚くような立派な御戒壇を建立されている。ただ、やはり経済的にも恵まれていない方が多く、こうして「佛立宗であれば」「開導聖人ならば」という考えから、御戒壇のデザインをし、一人でも多くの人が御本尊を奉安し、ご信心ができるようにと進めておられるのだ。

  開導聖人は、麩屋町の法宅に本門佛立宗にとって第一号となる御戒壇を建立された。他の仏教諸宗では「仏壇」と呼んでおられたのを、本来の意味に戻して一線を画し、「御戒壇」とお呼びするようにされた。

 その御戒壇は、「三方開き」という独特のデザインを用いられた。昔からの「仏壇」は、お御簾があったり、金襴の天蓋があったりして、その中の御本尊や御尊像が見えにくかった。今でも「仏壇」といえば、中をのぞき込まないと何が安置されているのかすら見えないものだが、本門の御戒壇はどちらからも御本尊や御尊像が拝見できるように、正面だけではなく、右も、左も、グッと側面が奥に引っ込められるようになっていて、「三方」に開く。つまり、どこからも、よく見えるのである。とにかく、より多くのお参詣者にとって、お看経しやすいようになっているのだ。「○△年に一度のご開帳~」と言っているのとは全く異なるのだ。

 ひろし君のお宅でデザインさせていただいたものは、全くシンプル極まりないもので、イタリアで拝見したものを基礎にさせていただいた。彼の家は外人さん向けの大きなマンションで、和室はない。完全な洋風のリビングで、とにかくお看経が出来て、多くのお参詣者をいただいて御講も出来る、斬新な新しい佛立の御戒壇として建立させていただいた。

 ちょっと斬新すぎて、神港教区の名物教区長である勝子さんは、はじめて見た時に「あらぁ?えぇ??」と仰ったそうだが無理もない。シンプル過ぎると思われたのではないだろうか。しかし、それも後から分かってくださると思う。だって、教区御講で「え?って思ったでしょ?」とお聞きしたら、「いや、ぇえぇ~、そんなぁ~」と微妙に否定しておられた。そして、やはり拝見させていただいて、有難いと思った。

 当然ながら、開導聖人が入られた当時の旧・宥清寺ですら法華宗の本堂の様式を踏襲されていた。それらは伝統的な本堂様式なのである。しかし、私は佛立第一号の御戒壇を建立された開導聖人の御意こそ大切にすべきだと思う。佛立は、御法門だけではなく余宗余門と天地水火の違目があるのだから。

 最近は「現代仏壇」という新しい時代の仏壇が考案され、実際に売上をあげているようだが、やはりお客さまの時には閉める「家具」のようなものや「ピアノ」のようなものが多い。「閉める」という概念が、ちょっと佛立らしくないと思う。どなたにも、誰にでも、お看経がさせていただける、お話が出来る御戒壇がいい、と思っていた。

 御講も、素晴らしい御講だった。笑いもあり、涙もあり、いつも、こうした御講席が持てることが嬉しい。ひろし君も大感激しておられた。これも、嬉しい。

 お参詣者は、40名だった。当初、お参詣の確認をとってみたところ30名くらいというお話だったので、40名分のご供養を用意された。当日、ぴったり40名のお参詣だったということで、本当に有難いと言っておられた。

 とにかく、開導聖人の御真筆御本尊を拝受して、この御戒壇に御奉安させていただいた。日夜朝暮に御題目をお唱えして、これまで以上に、人間の本業を貫いていただきたい。また、御講を奉修した、その日に、またお仕事で大変素晴らしい御縁をいただいたと、夜にいただいた御礼メールに書いてくれていた。そのタイミング、そのおはからいの速やかなることは、本当に恐ろしくなるほどだ。

 冗談のように、「懈怠したり、ご信心をやめたくなったら、御本尊はお戻しください」とお伝えした。いや、半分冗談ではないかな。御本尊は護持御本尊であっても御宝前からお借りしている。何かあれば、お寺に戻していただかなければならない。特に、開導聖人の御真筆御本尊をいただかれた以上、ひろし君に懈怠も許されない。少しでも気を抜かないようにと、こうしてお話しした。「絶対に、そんなことはあり得ません」と、力強くお話くださった。本当に、有難い御講席だった。