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2009年8月31日月曜日

台風迫る…。

 ようやく、ようやく、ゆっくりとPCの前に座れると思ったら台風。すごい風が吹いている。
 今日は、午前中はスタジオを借りて日教上人の歌の収録に挑戦した。コーラスの方々に集まっていただいて、京子姉さんにもお越しいただいて、手探りのような収録作業。大丈夫かなぁ…。心配だけど、みんな一生懸命にご奉公してくださった。これから、音をつないで、トライします。
 午後にお寺に戻り、役中テキストの原稿を書き、14時からディリーパ君とカスン君の月末のスリランカ渡航についての打ち合わせ。難民キャンプはセクター2という場所を訪れることになっているとのこと。義援金や物資を確認し、目に見えた、ご弘通のための支援とするために、詳細に打ち合わせ。ディリーパ君は、ガマゲさんと一緒に視察までしてくれて、アマルさんなども加わって本門佛立宗の皆さまの「心」が、しっかりと届くように手配してくれている。実は、貴重な義援金だが他の宗教団体よりは少額…。いや、でも、貴重な、貴重な、「気持ち」「心」なのだ。内戦で両親を失った子どもたち、恐ろしい体験をした家族の皆さま、将来に希望の持てない若者たちの間に入って、スリランカでご弘通ご奉公を活発に行っている私たち本門佛立宗の「姿」を見せ、その心に触れたいと願う。とにかく、お伺いする。
 これから、まだ原稿を書きます。明日は、月始総講。御法門も、まだまだ…。台風、上陸か…。

2009年8月30日日曜日

新ちゃんさん

日本経済新聞の8月10日の一面に、その人は写真で紹介されていた。その名も「平塚新太郎」さん。

今夜はお寺から歩いて10分くらいの場所にある「東潤」さんの30周年にお伺いした。亡くなったご主人は来年13回忌で、妙深寺のご信者さんだった。奥さまは、そこから一歩一歩、ご信心を進めてこられて、ご家族でお寺参詣、お店でも御講を奉修されるなど、本当に、素直な、等身大の、ご信心をされてきた。高島さんから30周年のお誘いがあった時から、何としても参加したいと思って、今夜がその日だった。

「東潤」さんはラーメン屋さん。本当に美味しいラーメン屋さんで、ご主人が元気で、配達をされていた頃は、いつも妙深寺はご供養をお願いしていた。一口に30年と言っても、大変なこと。いろいろなことがあった。とにかく、今夜はお祝いしたかった。

お店に入ったらギターを抱えた素敵な方が。お会いしたことのあるだろうなぁと思っていたら、日本経済新聞で見た方。NHKの番組などでも紹介されていた方だった。今では珍しくなった、「流し」のギタリストであり、歌手。本当に、ありがたい。人生経験が豊富で、いろいろな人を見てきた独特の雰囲気に魅了された。

また、素敵な出会いがありました。ありがとうございます。

絶対に投票に行く

今は、東京にてご奉公、夜も横浜でご奉公となっているが、今日は選挙。必ず、投票に行かなければならないと思っている。

昨日か一昨日、ニュースを見ていたら、街頭インタビューで一般の方が素晴らしい言葉を言っておられた。

「選挙には行きます。政治を馬鹿にしてると、政治に馬鹿にされてしまう。だから、行く」

本当に、そのとおりだ。政治を馬鹿にして、「選挙なんて行かない」などと言っていたら、最後には自分が不幸になる。誰のせいにもできない、行かなければならない。

宗教団体も、躍起になって、狂ったように選挙活動や選挙応援のようなことをしている。アメリカのように、宗教団体が政治に大きな影響力を持っているのは間違いない。そういう団体の信者さんは、雨だろうが、なんだろうが、投票所で何時間並ぼうが、投票に行く。私は、一般の人にも、有権者は全員、何があっても投票に行くべきだと思う。

先日、幸福の科学の政見放送を見た。大川氏が、顔を真っ赤にして、叫ぶように演説していた。彼の著作を読んだ中に「ネオ・ジャパニーズ計画」というのがあった。アトランティス大陸が沈んだ時に、エルカンターレたる大川氏を信じていた者は救われたが、信じなかった者は全員海に沈んで滅亡した、だから信じなさい、というものだった。いま、どういう姿勢で、教えで、彼らは政治に出ているのだろうか。立正安国論で明らかにされた筋と混同されては困る。全く次元が違う。オウム真理教も、選挙に出て、社会の反応に絶望して暴走を加速させていったが、どうなるか。


人間とは、悲しいかな、「今」が見えない。実は、「過去」しか見えないと思う。誤解されては困るが、歴史が証明しているとおり、「今」は、権力を持った側の意図が多分に入った情報から判断しなければならなくなる。だから、常に、「真実」は、時が経ってから明らかになる。「歴史が裁く」という言葉の奥には、「今」の不透明性があるだろう。

だから、私は、投票には「今」ではなく、第一に「過去」を見ようと思っている。特に、過去3年間。マニフェストを参考に、過去を裁きたい。今回の次の選挙で、また今日からその日までの「過去」で一票を投じたい。


みんな、それぞれの判断でいいが、とにかく「投票」に行こう。ある時、森元総理が言った「有権者は寝ててもらいたい」という思惑に乗ってはならない。

同時多発テロに遭遇して

今朝、ブラジルの5名、スリランカの2名、そして、水野龍三郎氏と息子さんが朝参詣。また、ブラジルから大和の法深寺で修行中の鈴木英信師、奥さんのエリカさんがお参詣と、国際的な妙深寺。そして、朝の御法門は、そのブラジルの鈴木英信師からいただいた。

御教歌、
夜も昼もお守りあるをうたごうな
われら凡夫のめには見えねど

み仏が、はっきりとお示しのように、ご信者みなさまを、諸天善神は、夜にも、昼にも、守ってくださいます。なぜ守ってくださるのか。それは、み仏の説かれた御法、教えを信じて、他の人までお伝えしようとする菩薩を目指しているから。ご信心を素直にしていれば、必ず、お守りくださいます。そのことを、しっかり信じて、疑わず、忘れてはいけないと、お教えくださいます。

ブラジルのモジダスクールゼスの中野さんは、あの9・11のニューヨークで起きた同志多発テロで、このことを実体験しました。あの時、中野さんは家族でニューヨークに観光旅行に行っていました。9月9日にはニューヨークの自由の女神像を見学して、10日にセントラルパークの博物館に行き、11日にワールドトレードセンターに行く予定でした。ところが、10日にセントラルパークに行くと、定休日だと分かりました。そして、予定を変更して、ワールドトレードセンターに行き、ニューヨークの街を見下ろし、そこでゆっくりと昼食を食べて、また市内を観光しました。それが、おはからい、現証でした。

夜ホテルに帰りましたが、翌日の早朝に飛行機がハイジャックされ、ワールドトレードセンターに2機がビルに突っ込みました。その様子をホテルのテレビで観たのです。スケジュールが、不思議と変更されなければ、あそこにいたのは中野さんたちでした。

中野さんは、モジダスクールゼスのお寺の事務局長をしています。家族もとてもしっかりご信心しています。こうして、しっかりご信心していたら、亡くなられた方には申し訳ないけれども、本当に不思議なことに、災難から、自然と、知らず知らずのうちに、守ってくださいます。導いてくださいます。ありがたいのです。

どうか、みなさまも、私たちの目には見えないし、本当か分からなくても、お守りあるを疑わず、今まで以上に、お守り、お導きがあるように、ご信心していただけますように。

ありがとうございます。

2009年8月29日土曜日

今夜はボーズ・バー・スペシャル

 あらためまして。
 今夜は、急遽、夏の終わりの特別企画として、「ボーズ・バー・スペシャル」が妙深寺にて開催される。とても楽しみ。参加者は、ブラジルからコレイア御導師はじめ、モラエス・教竜師、青年会の3名、スリランカを代表してディリーパとカスン君の2名。特別ゲストとして、ブラジル日系移民を組織された水野龍さんの息子さんとお孫さんが参加する予定だ。こんな機会が設けられるとは、本当に嬉しい。
 水野さんの息子さんはクリチーバに住んでおられ、コレイア御導師が何度もお会いしていた。
 詳細を書く余裕はないが、先日高知の佐川町で水野さんを招待したイベントがあり、横浜から山崎先生が参加され、その内容を教えてくださった。佐川町は山間にある小さな町とのことだが、勤王の志士で後に宮内大臣を務めた田中光顕、「植物の父」と呼ばれた世界的植物学者、牧野富太郎をはじめ、「セルボーンの博物誌」の翻訳に生涯を捧げた英文学者・西谷退三、「移民の父」と呼ばれたブラジル移民の祖・水野龍、日本の探偵小説の草分けであり江戸川乱歩に影響を与えたといわれる森下雨村ら幾多の著名な文教人を輩出したという。すごい。
 高知から、先生の電話を受けた。ご奉公で慌ただしくしていたのだが、ちょうど先生からの電話の時だけ部屋に戻った。しかも、私は電話をサイレントモードにしていて、バイブレーションの設定もしていなかった。しかし、先生からの電話の瞬間、自分の携帯電話を見た。チカチカと電気がついていたので、電話を手にすると、高知の先生からの電話。なんというタイミングだろう。こういうのが、怖いくらいにすごい。
 そこで、先生から電話をつないでいただいたのが、NHKの「その時、歴史が動いた」のディレクターの方だった。その方は、水野龍さんを紹介した番組を作られた経緯、その内容、分からなかったことなどについて質問され、私から本門佛立宗と水野さんとの御縁をお話しさせていただいた。こういう、絶妙のタイミング、御縁をいただけることがうれしい。
 今夜、どんなことになるのやら。楽しみである。

無事、奉修の御礼!

 今日の夕方は、ブラジルからのコレイア御導師、モラエス・教竜師、そして3名のブラジルの青年会の方たち、スリランカのディリーパとカスンもいるので、「緊急!ボーズ・バー・スペシャル」が開催される。すでに、境内地にはイスやテーブルが並び始めた。是非是非、一人でも多くのお参詣、参加を期待しています。17時から本堂で補講、コレイア御導師の法話をいただく予定です。
 しかし、アップしないと。こんな素晴らしい情報はないので。
 青少年の一座のホームページがアップされた。感動的な当日の写真と、河野委員長からの御礼の言葉。ここでも紹介した「Smile 今、あなたのためにでいること」の大会イメージソングもダウンロードしたり、聴いていただくことができる。この曲は、是非聴いていただきたいなぁ。
 ブラジルの子どもたちにおもちゃを送るご披露や、スリランカにお数珠を送ろうというページも、さらに丁寧に制作してくれている。ありがたい。9月24日からスリランカに行く。この時は、北部の内戦難民キャンプも訪れることになっているが、当然ながら、みなさんから届けられたお数珠を丁寧にお持ちしたいと思っている。本当に、ありがたい。
 ぜひ、ウェブをチェックしてください。

2009年8月28日金曜日

感動の一枚

 感動的な写真を送っていただいた。第3回 青少年の一座のご奉公者のみなさまたち。本当に、ありがたい。


2009年8月27日木曜日

本物

これから、お通夜のご奉公です。

今朝は11時と15時からのご面会をお受けして、その間にお通夜のたもの御染筆のご奉公をさせていただきました。19時からお通夜です。

23日に亡くなられた神藤利子さんは、まさに本物中の本物の佛立信者でした。行年96才。7月の開導会にもお参詣され、いつも、笑顔で、お寺で会うたびに私は神藤さんと抱き合っていました。

今の妙深寺を支えている瓜生さんのお母さんも神藤さんからお教化されました。小山玉江さんも。神藤さんがいなかったら、こんなに素晴らしい方々もいらっしゃらなかった。教化とは、本当にすごいことです。

その神藤さんのすごさを、後で書かせていただきます。やはり、ご信心を貫く本物のご信者さんは、最後の最後、臨終の時に現証の御利益を顕されるのだと痛感し、確信いたしました。

最後まで、教えていただきました。本当にありがとうございます、神藤さん。これから、心を込めて、精一杯、お通夜のご奉公をさせていただきます。明日も、しっかりご奉公いたします。

神藤さんのような本物のご信者さんがいなくなったら、本当に、身体の一部をもがれるような思いです。また、すぐに、この世界に戻ってきていただいて、一緒にご奉公してください。待っています。ありがとうございました。ありがとうございます。

2009年8月26日水曜日

第3回 青少年の一座の感動を

 もう、何から書いて良いやら、分からない。とにかく、走り回った夏の終わり。次のご奉公に向かう気力を養うには、少し時間が掛かりそうだ。いや、それでは意味がない。
 第3回 青少年の一座は、実行委員会のみんなのご奉公のおかげで、大成功だった。広報部の古川くんが言っておられたが、孫の代まで語り継がれるご奉公だったと思う。この3年間続いた「青少年の一座」のご奉公は、第2回も、そして第3回の今回も、多くの若いスタッフの思いが結集して、参加者全員の心を揺さぶり、動かしたと思う。これについて書かなければ、次に行けない。
 青少年の一座が終了して、慌ただしく京都に移動したので心の締め括りも出来ていない。みんなと喜びを分かち合いたかったのだが、ここにも携帯電話からアップしてきたが、京都での「海外地域代表者会議」のご奉公のために京都入り。この会議も、最重要のご奉公だったため、悔いることはないが、本当に走り回った。なにせ、メールをこれほど開かなかったのは久しぶり。海外でのご奉公でインターネットの環境が無くてPCを開けないということはあるが、日本国内で…。18日の夜から、まともに寝ていなかったので、今は、ボーッとしてる。
 とにかく、子どもたち、若い人たちの感動を伝えたい。第3回の青少年の一座は、本当に、本当に、みんな手作りで、東京で行われた第2回の成功というプレッシャーの中、何度も何度も会議を行い、何度も何度も激論を交わし、コンセプトを定め、どうしたら伝わるか、どうしたら伝えられるのか、ということを試行錯誤し、徹夜に次ぐ徹夜のご奉公を重ねて当日を迎えた。
 「今、あなたのためにできること」。このテーマを、再三再四、スタッフも、ご奉公者も、確認して、ご奉公を進めておられた(涙)。いま、このテーマを、もう一度、心の中で読み返して、噛みしめている。
 僕たちが、第1回から第2回の青少年の一座で見聞きした体験談。彼らのその後を追うことも、「伝えたい」という思いから出たプランだった。本門佛立宗だからこそ、その場だけのフィクションや上辺だけの、遠い奇跡のような話などではなく、「その後どうなったか」をしっかりと伝えたいと思った。第1回の体験談の時も、わざわざ「大御利益」というものを選ばなかった。それは、佛立信心では、数え切れないほどある。しかし、若い人たちが「驚く」のではなく、御利益をいただく途中でもいいから、身近に感じたり、「自分も」と思えるような方にお願いした。
 第1回の吏絵ちゃん、そして夕香菜ちゃん。第2回の遥ちゃん、木村君。4人のその後を、VTRにして紹介。ここですでに涙が出た。「お母さん、わたし死ぬの?」というテロップと、その言葉をお話になるお母さんのシーン。第1回の青少年の一座、本山の御法門台の横で、吏絵ちゃんのお母さん、明根さんが涙ながらに語られた言葉だ。親として、愛する子どもが、こんな言葉を口にしたら、どう思うだろう。「お母さん、わたし死ぬの?」。何と答えられるだろう。
 この言葉から、青少年の一座の体験談はスタートした。今回、世界中から集まった人たちも、みんな吏絵ちゃんのためにご祈願してくれた。スリランカでは、吏絵ちゃんのために青年会が24時間の口唱会をしてくれた。その吏絵ちゃんが、元気で、フットサルのサークルにまで入って、活き活きして学生生活を謳歌している。本当に、ここで泣いてしまった。参加者のみんなにも、伝わったと思う。
 時間は限られていたけれど、ロケまで行ってみんなのその後を追ったのだった。夕香菜ちゃんのその後。ロスへの留学、難関といわれたオーディションに合格し、いまプロダクションに所属して夢を追いかけていること。第2回で泣きながら体験談の発表をしてくれた遥ちゃんは、家庭環境の変化やいじめによって登校拒否、そして自殺未遂を繰り返した。その時、青年会のみなさんに出会い、100本祈願をして、現証の御利益をいただいた。泣きながら、ご信者のみんなに感謝し、「木更津の小さなお寺に、青薫会を作りたい」と言っていた。その後。彼女は見事に木更津の妙蓮寺に青薫会を発足させた。「同じような境遇にいる子どもたちを支えたい」と話した遥ちゃんは、頭が下がるほど本物の佛立信者、菩薩だ。
 木村君のその後。彼は、第2回の青少年の一座から、ひろし君の「ご奉公は断らない」という姿勢を貫いて、本当に全部がいい方向に行っていると語ってくれていた。「厳しいこともあるが、ご信心があるから迷わない」という彼の姿に、感動した。「そして、この九州で、どんなドラマが待っているのだろうか」というナレーションで、過去の青少年の一座を紹介するビデオは終えた。
 なぜ、九州の大会となったか。その深い意味についても分かりやすくビデオが作られていて、立正安国論の意味、その背景、その後に起きた出来事。これも時間の制約がありながら、内容がギュッと満載されていた。お祖師さまが立正安国論の中で示された国難の中でも最大の「元寇」。その元が責め寄せてきた場所、お祖師さまのご予言(実際には御経文のとおり)が的中した現場が、この九州、しかも、青少年の一座が開催された福岡国際会議場のある海岸であったこと。だからこそ、この大会が、ここで開催されることに意味があった。さらに、さらに、お祖師さまが、その立正安国論を執筆されることとなった最大のきかっけ、正嘉の大地震は、8月23日、開催の日。鳥肌が立つほどの符号を、参加者みんなにご披露されていた。
 さらに、世界中の本門佛立宗を紹介する映像。この青少年の一座に参加した海外のご信者さんのことを、少しでも分かってもらいたいと思って企画された。この紹介がなければ、「珍しい参加者がいる」で終わってしまうかもしれない。ステージに上がっていただき、紹介する前に、韓国、ブラジル、イタリア、スリランカのご奉公をレポート。こういう企画の一つ一つが、実行委員会の企画チームによって組み立てられている。さらに、大会テーマ「今、あなたのためにできること」について、最初の提案が為された。海外のご奉公を見て感心しているだけではなく、「僕たちが、彼らのためにできることはないのか」と提案させてもらうこと。それが、第2回の時に始めたブラジルのファベーラ(スラム街)に住む子どもたちにおもちゃをプレゼントし、同時に御題目をお届けしようというご奉公。そして、スリランカのご信者さんに、使わなくなったお数珠を届けようというご奉公。
 さらに、今大会を代表して、九州の青年たちが体験談を発表した。本田君と法恵ちゃん。本田君の体験談については、是非DVDで観ていただきたいと思う。青春時代からの葛藤、事故、そして仕事や金銭トラブルから、行き場を失っていた時、やはり御宝前におすがりし、真夜中に、御題目をお唱えし、唱え重ねて、死ぬしかないと思っていたところから助けていただいた。そして、次には、「あなたのためにできること」と、苦しんでいる友だちのために自分の出来ること、特に、一緒にご信心をさせていただくことを勧めた。そして、友だちは一緒にご祈願をし、現証の御利益を感得。
 その本田君が作った曲「Smile~「今」あなたのためにできること~」が、最高によかった。本当に感激した。歌、すごい。彼はラップ、そしてデュエットしてくれたプロのシンガー顔負けの花田さんと一緒に舞台に上がり、2分半のライブ。本当は、全部歌って欲しかったなぁ。でも、この歌こそ、青少年の一座の、帰りのバス、電車、飛行機、フェリーで、みんなに口ずさんでもらえると、実行委員会一押しで、私たちも大いに期待した歌だった。私は、本当に大好きになってしまい、サビの部分の「いざ、青少年の一座」というフレーズを、ご奉公の間、何度も口ずさんでいた。
 そして、法恵ちゃんの体験談。それは、とても赤裸々な、身近な思いを語ってくれたもの。生まれた時からご信心をされていたが、「信心している実感がなかった」という法恵ちゃん。「足を切断する」という突然の病と手術を克服し、ご信心の有難さを確信した。そこから、法恵ちゃんの素直なご信心がスタートした。若い世代ならではだと思うが、「彼氏をお教化したい」と彼氏にご信心のお話をした。ところが、最初は「なんで?」「そんなん別に」と言われて、あえなく撃沈。ところが、法恵ちゃんのご信心に打たれて彼氏と一緒にご信心をされるようになった。カメラの前で話した彼の言葉が忘れられない。「なんでこんなことが起きるんだろう」と思い、「偶然」と思うのだが、「半年なら半年でやってみると、これだけ偶然が重なるわけがないということが分かる。これが、御利益なんだ」と。その素直な言葉が、本当にありがたい。
 そして、今度は、その彼が、彼の友人をお教化。しかも、この青少年の一座の2日前にお教化になった。本当に、素晴らしいことだ。いま、法恵ちゃんは、学校で知った虐待された子どもたちのためにご祈願を続けている。
 こうして、どれほどこのご信心が尊いかご披露した後、お看経。御講有がお出ましになり、大口唱会。このお看経が、とにかくすごい迫力で、大御本尊の前で、完全に一つになった。
 大会最後のご挨拶で、委員長の河野くんが、思わず泣きながら今回のご奉公を振り返った時、私も涙がこぼれた。本当に、みんな素晴らしい。委員長、そして副委員長、一つ一つの部署で頑張った参与さん、幹事さん、部員のみなさま方、裏方の方、前夜祭のご奉公を支えた方、遠方から、影から支えた方々、弘通研究班のメンバー、当日汗だくになってサポートしてくださった壮年会の方々、朝2時半に起きてご奉公者のご供養を作ってくださった婦人会の方々、そして、司会の北崎くん、紀世ちゃん、本当にたくさんの方々のご信心が結集して、今回の大成功となった。
 書ききれないが、結局、書いてしまった。また、DVDが出る。出る、というか、作らなければならない。それを観ていただきたいと思う。何度でも、観て欲しい。孫の代まで語り継がれるご奉公だ。
 そして、ここに、最高の歌、本田君の作った「Smile~「今」あなたのためにできること~」の歌詞を載せさせて欲しいと思う。彼は、これから歌でご信心を伝えられるように頑張ってくれるはずだ。そう信じている。




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「Smile~「今」あなたのためにできること~」
 始めよう誰かの為に 君が今出来る事から
 ここが本当の近道さ
 いざ 青少年の一座
 集まろう自分の為に 光り輝く未来の為に
 ここが真実の入口さ
 いざ 青少年の一座
 海を越えて 時を越えて 愛をこめて 君に伝えよう
 「ありがとう」って 涙拭いて 空見上げて 心をこめて

 いつかこの星が ひとつになれたら
 溢れる想いちいさなこの手で 何ができるかな 届けて

 SMILE 声をあつめて
 (君の声、空に響かせて、聞かせておくれ、心の声)
 Nnn 想いを 光にのせて
 (届けよう、この想い)
 叶うはずさ  さあ、SMILE
 どこまで一体どこまで 届くかな?君の心まで
 昨日より今日 今日より明日 未来に向かって想いを飛ばす
 もういいよ終わった事 もういいよ顔上げてごらん
 ほら夜空のきれいな星 あんなふうに輝いてほしい
 いまどんなに苦しくても 諦めないで信じてみよう
 持ち続けよう夢と希望 雨のち晴れ掴め幸せ
 2009 俺達は佛立信心のもとに出会い
 世界中のかけがえのない 仲間と一生つながってたい
 SMILE 声をあつめて
 (君の声、空に響かせて、聞かせておくれ、心の声)
 Nnn 想いを 光にのせて
 (届けよう、この想い)
 叶うはずさ  さあ、SMILE
 始めよう誰かの為に 君が今出来る事から
 ここが本当の近道さ
 いざ 青少年の一座
 集まろう自分の為に 光り輝く未来の為に
 ここが真実の入口さ
 いざ 青少年の一座
 今、あなたのため なにができるの?
 いつの日か 輝く 笑顔を見せて
 一人で生きてるつもりでいた
 淋しいのに強がってきた
 一番苦しかったあの時 支えてくれる家族がいた
 夢を見失いかけた時 勇気づけてくれる仲間がいた
 心からありがとう 永遠に輝く七つのStar
 海を越えて 時を越えて 愛をこめて 君に伝えよう
 「ありがとう」って 涙拭いて 空見上げて 心をこめて
 SMILE 声をあつめて
 (君の声、空に響かせて、聞かせておくれ、心の声)
 想いを 光にのせて
 (届けよう、この想い、叶うはずさ、イロトリドリの未来)
 今 声をあつめて
 (君の声、空に響かせて、聞かせておくれ、心の声)
 Nnn 想いを 光にのせて
 (届けよう、この想い)
 叶うはずさ  さあ、SMILE
 始めよう あなたのために 今の自分にできることから
 ここが本当の近道さ
 いざ 青少年の一座
 届けよう あなたのために いつか羽ばたく未来のために
 ここが幸せのはじまりさ
 いざ 青少年の一座
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 写真が少なくて、申し訳ない。本当は、全く写真は撮れない。あまりに、ご奉公があり。それを、清顕師に撮ってもらった。とにかく、「伝えたい」というのがご奉公でいつも思っていること。写真も、みなさんに伝えるためだけに撮っている。少ないが、こうして撮れていてよかった。

2009年8月25日火曜日

ご遷化の地

ご遷化の地に、みなさんをお連れしました。ミニチュアで、当時の風景、義天閣と呼ばれるようになった家屋が、今は埋め立てられて遠くになった淀川の雰囲気を思い起こさせてくれます。

これから麸屋町に戻ります。

守口の義天寺へ

開導聖人の最後の日、京都を離れた港・伏見を離れてご遷化の地・守口の義天寺に向かっています。

海外の方々に、正しく佛立の教義や歴史を知っていただくことは欠かせません。2年前と同じように由緒寺院を巡ってゆきます。

モラエス・教竜師

ブラジルから来たモラエス・教竜師です。彼は日水上人の歌を作ったミュージシャンなんですよ。あの歌、僕は本当に大好きです。何だか聴いていると涙が出るんです。

今夜の麸屋町の長松寺での交流会と、29日の妙深寺での交流会でミニライブをやってくれます。ラテンの、ポルトゲスの歌、楽しみに。得意なのはボサノバではなく、ブラジルのカントリーソングです。

生ライブ、参加しない人は損します。

大津

大津の佛立寺にて。小野山御導師にご挨拶するディリーパ。ディリーパ、なんか有名です。御導師にも優しいお言葉をいただいて、ありがたいですね。

昨日から今日

いま、本山、佛立聖地から大津の佛立寺に向かっています。バスの移動中にそのことも書こうと思ったのですが、いま急遽到着の前に大津の歴史を説明していました。下手な英語で申し訳ないのですが。

とにかく、昨日の会議は大成功でした。未来につながる話が出来ました。海外各地域の、トップリーダーが集まって意見交換したのですから、すごいことです。みんな、本当に素晴らしい。前向きで、情熱的で、冷静で、あたたかくて、謙虚で、何より信心がある。問題を共有しながら、それを乗り越えようと努力し、またアイデアを出しあって、解決しようとしていました。本物です。本当に、ありがたい。

ブラジルとスリランカでWEB口唱会をしようと約束してたり、みんなで韓国を応援しようとしたり。共同で本を出そうと話し合ったり。本当にありがたい。佛立の未来に光がさしています。

今日は、17時から麸屋町の長松寺で交流会です。みなさん、来て下さいね。

かみしめる時間もなく

昨日は、ブログを更新する時間も、気力もなく、朝一番から、海外の方々をお連れして本山へのお参詣から夜までスケジュールいっぱい。海外担当のご奉公は、昨日がメインだった。青少年の一座のご奉公をかみしめる時間もなく京都に戻り、海外地域代表者会議。

あ、またご奉公します。ブログ、時間なし

2009年8月23日日曜日

委員長の挨拶

無事に、晴天の下、第3回青少年の一座が終了しました。委員長が最後の挨拶で泣き、私も涙が出ました。

ありがたい。もう、海外からの代表者たちと一緒に、京都行きの新幹線に乗りました。

ありがとうございます。

2009年8月22日土曜日

シナリオの最終打ち合わせ

無事に、前夜祭が終わりました。ありがたいです。とにかく、参加してくださった方々の前向きな姿勢、ご信心で感激しました。活発なディスカッション、ブラジル、イタリア、スリランカ、韓国の方々も入って、盛り上がりました。

会場の至るところで再会を喜ぶ声やはじめての出会いを喜ぶ声が聞こえました。本当に、明日が本番ですが、よかった。

終わった後、国際会議場で準備ご奉公をしてくださっていた方々と合流して会場を見て、最後の確認。舞台やお花、プロジェクターやスクリーンも設置され、何よりも大きな御本尊も綺麗にお迎えされました。この巨大な御本尊さまは、横浜国立大ホールでもお迎えさせていただいたのですが、本当に、圧倒されるほどの迫力です。高さは9メートルもあります。

会場から光薫寺に戻って、シナリオの最終打ち合わせ。司会の二人も真剣の真剣。この上ないほどの大役です。明日に備えて、一生懸命。

まだまだ、BGMや映像のタイミングやスクリーンに浮かべるテロップ、パワーポイントの出し方などをチェック。これから、まだ作るものもある。

明日、よろしくお願いします。ありがとうございます。

いよいよ、今夜は前夜祭

 もう、こんな時間。
 福岡の光薫寺には、続々と、九州全土から若い方々が集まって、準備ご奉公をスタートさせている。
 朝、光薫寺の本堂でお看経。そこから準備ご奉公がスタート。実際、ずっと続いているのだが、続々とご奉公者が集まってきてくださって、心強いというか、もう時間がないので、ギリギリ。
 これから、韓国のハンさんとキムさんをお迎えに空港に行く。スリランカのチームは横浜から新幹線で博多駅。イタリア、ブラジルの代表者は13時にホテルに集結。
 いよいよ、青少年の一座。いざ、青少年の一座。いまは、シナリオを読み上げ中。

朝です

朝です。はじまりました。もう、九州中から若いみんなが集まって、準備ご奉公です。

ありがたい。

2009年8月21日金曜日

向かいます

向かいます。みんなの苦心作のDVDを持って。マスクして。

2009年8月20日木曜日

マスク

今日はマスクをして新幹線に乗った。

もう新型インフルエンザが流行し始めているらしい。弱毒性とはいえ、不幸にも亡くなった方もいる。

明日から福岡。倒れるわけにはいかないし、青少年の一座でインフルエンザを移すようなことがあってはならないと思い、万全にも万全を期してマスクをしていた。

明日の飛行機でも、マスクをしよう。人事尽くして、現証を待つ。その上で、後は御法さまにお任せしたい。

この後、0時過ぎからナレーションを録るらしい。ギリギリ。

準備ご奉公

 今日は佛立研究所。
 昨夜も青少年の一座の準備ご奉公で、九州のみならず各地で追い込みのご奉公が続いた。ちょっとした勘違いがあって、海外弘通の紹介をするために私も原稿を書かせていただいた。韓国の姜ご住職に電話したり、ブラジルの吉川師に連絡したり、お休みになっておられた福岡御導師にまでお電話させていただいて、ようやく資料が出来た。気づくと1時をまわっていた。
 青少年の一座のホームページを見ると、右上のカウンターは3日を切った。第3回 青少年の一座まであと「2日22時間43分12秒」とある。今日、この研究所の会議が終了すると、現薫師と淳鷲師が京都から大御本尊を車にお乗せする。明日、早朝には海外部長も同乗して九州まで車で走ってくれる。約9時間かかるという。私たちは、会議終了後に横浜に戻り、明日の朝飛行機にて九州へ。
 まだ、夕方には24日に開催される全世界地域性青壮年代表者会議の準備をしなければならない。なんでこんなに立てこんでんの?と思うが、仕方ない。妥協することなく、ご奉公させていただかなければならない。

2009年8月19日水曜日

ありがたい

眠た。とにかく、京都に着きました。会議は11時からですが、それまでに資料をプリントアウトしなければなりません。

新幹線の中でメール送信しようと思ったら、突然不通になりました。こんな時は邪魔があって、いろいろ、こっちが思ってるようにはいきません。しかし、負けません。大丈夫、負けてはならぬ、です。なにもかも、ありがたい。元気に動き回れるのだから。もったいない。頑張ります。

皆さんも、今日も充実した一日になりますように。

あ、信翠師と登光師、4時くらいにスカイプで話したけど、大丈夫かな?大森くんからも3時過ぎくらいにメールあったなぁ。ま、みんな大丈夫だと信じてます。徹夜できて、ありがたい。そんなご奉公をいただけて、ありがたいですね。

ちょっと寝ます

ちょっと寝ます。

朝イチで、京都行きます。

2009年8月18日火曜日

話題の動画

 木村君からのメッセージをYou Tubeにアップしようとしていたら、話題の動画に遭遇。

 おもしろい。MSIのノートって、薄いんだなぁ。子どもはマネしないように。いや、大人も真似したらいけないな。ケガする。

 これって、編集してるのかもしれないけど、ありがたい。こわ(汗)。





木村くんからのメッセージ

 第3回 青少年の一座に参加する方々へ向けて、木村君(第2回 青少年の一座で体験談を発表した。清雄寺所属)からメッセージが届いている。

 木村君は、ご信者さんの家庭に生まれ、子供の頃はお母さんに連れられて清雄寺にお参詣されていたが、いろいろなことがあって暴走族に入り、お寺からも遠ざかってしまった。若くして事業を起こしたが、多額の借金を背負うことになり、親子関係も断絶し、ご信心も退転することになった。

 毎日、今の状況に絶望して「死にたい」「死のう」と思いながら、子供の頃お母さんが言っていた「困ったことがあったらお寺に行きなさい」という言葉を思い出し、金策に走りながら、毎日3時間も歩いて清雄寺にお参詣された。大変な現証の御利益をいただいて、絶対に不可能と思われていた状況から脱出、ご信心を軸にして、親子の関係も修復され、本当に有難いとお話ししてくださった。

 その木村くんからのメッセージ。いま、今回の青少年の一座に参詣するという方、「行こうか」「どうしようか」と迷っている、「なんとなく参加する」という方にも、是非見ていただきたいと、メッセージを送ってくれた。

 これは、第3回 青少年の一座のために彼のコメントを収録しようと鎌倉までロケに行ってくれたカメちゃんが撮ってくれた映像だ。第1回の青少年の一座。2年前に京都の本山・宥清寺で開催されたのだが、こんなドラマがあったのかと改めて感じさせてくれる。そういうご奉公、ご信心の積み重ねがあって、あの第2回 青少年の一座の感動的な体験談発表につながったのだと、教えてくれる。大会を目前に控え、この青少年の一座に参詣させていただくことの意味を感じ取っていただけると思う。

 撮影したカメちゃんから、送られてきたメッセージによって、この木村君からのメッセージを急遽青少年の一座のウェブに掲載することとなった。撮影中、「第1回 青少年の一座に行く時のことも話しておきたい」と木村君本人から申し出があり、そのコメントも収録したとのこと。

 その内容は、ご覧いただけば分かるが、第1回青少年の一座の時、木村さんはお母さんの手術の直前だった。彼は、京都の本山で御祈願をしたいと考えていたのだが、台風のために新幹線が止まり、行けなくなった。

 しかし、それでも木村さんがお講師や仲間に相談したところ、「遅れてもいいから、とにかく京都に行きなさい」と言われ、なんとか5時ごろに到着した。青少年の一座はすでに終わっていたのだが、お参詣をされたのだった。そこから、お母さんの手術も成功して、自分の中で気持ちも変わっていったというキッカケになったという。

 そして、彼は私たちに、「福岡に行かれる方、行く予定の方は、絶対に、胸を張って、断言出来ます。絶対、大変な功徳をいただけるので、是非、みなさん、頑張って福岡に行きましょう」とメッセージを送ってくれている。本当に、ありがたい。そのとおりだ。いいぞ、木村君!男を上げてる!

いざ、青少年の一座

 青少年の一座が、直前に迫ってきている。いま、九州の実行委員会の方々は寝食を惜しんでご奉公くださっている。

 横浜でも、東京でも、全国で、この青少年の一座のご奉公を支えようとサポートスタッフがフル稼働。特に映像制作ではカメちゃんや清康師が徹夜でご奉公している。ひろし君がプロデューサーとしてナレーション原稿を書き、カメちゃんは千葉や鎌倉までロケに行き、清康師は信翠師や登光師の構想を忠実に映像化し、第3回 青少年の一座に参加する方々が、ご信心の尊さや有難さを実感し、『本当に来て良かった』と言ってくださるようにと頑張っている。

 本当に、ありがたいなぁ。いつも、このご奉公の姿に感動し、映像化されるものを見ては涙が出てくる。これまでのご奉公、これまでの体験談、吏絵ちゃん、夕香菜ちゃん、遙ちゃん、木村くん…、本当に、おはからいをいただいて、確かな未来を歩んでいるみんなを見て、感動する。

 今年、この時、再会できる喜び。「九州で会おう」「九州でまっとうばい!」と言ってくれている実行委員会の方々。本当に、ありがたい。

 徹夜で作っているオープニングの映像を見ながら、「今」ということについて考えさせられる。『今』は、永遠の時間の流れの中で奇跡的に巡ってきた『今』であり、永遠に戻ってくることのない貴重な『今』だ。『今』を共有していることが奇跡的な出来事であり、『今』から同じ方向を見て生きていけることの尊さははかりしれない。

 宇宙の誕生、星々の誕生、地球の誕生。その地球に命が生まれ、人類が生まれ…。生命は多くの困難を乗り越えて『今』にいたり、人類は多くの災禍に出値い、自らも災禍を巻き起こし、累々たる屍の上に「現代」という『今』の社会がある。その『今』に生きる人間たち、僕たち、私たち。何を思い、何を求め、何ができるのか。

 平成21年8月21日、22日。九州。私たちが、この場所に集まれることこそ、奇跡的な出来事。ここに参加し、同じ時間を共有できることこそ、奇跡的な出来事に違いない。そのことを痛いほど感じて、実行委員会の方々はご奉公してくださっている。遠く離れた私たちも、そのために、寝食を忘れてご奉公している。絶対に、参加した方々に、伝えたい、伝えたいことがある、と。

 この大会が開催できること。そこに参加できること。それは、本門佛立宗の、宗門を挙げての壮大な意志があり、全世界の地域、全国の支庁や布教区の支援があって、一人一人が参加させていただける。このことを、決して無駄にしないために、みんな、必死に頑張っている。参加する人たちも、その意義を確かめて欲しい。そのことを、考えて欲しい。感じて、参加して欲しい。それだけで、いい。

 先日、少し、青少年の一座について、評論めいた意見を聞いたが、そんなもんはいらん。みんなが評論家ぶって、偉そうに言うのを聞いていると、情けなくなる。未だ、こんなことを言っているのかと愕然とする。批評や評論する前に、あなたが何が出来ているかだ。そこで前向きに努力しなければ、信心でもご奉公でもないではないか。それを慢心という。喜びと謙虚さがなければ、仏教徒ですらない。

 貴重な命だということを、痛感していた。宇宙から地球を眺めると、そう思う。かぐやの映像を見ていて、またそう感じた。漆黒の宇宙。誰だったか、ある宇宙飛行士が、窓に映る地球を見て、生命のかけらも感じられない暗黒の宇宙の中で光り輝く青い星・地球を見て、涙があふれて仕方がなかったという。真っ暗闇の中で、唯一、命に満ちた星が地球だった。それは、繊細で、か弱くて、孤独に耐えて必死に輝く地球。

 その星の上で、生を受けた私たち。『今』を一緒に生きていける。本当に、奇跡だ。いつも、私は「ありがたい」と言う。何度も言うが、この「ありがたい」は英訳の「Thank you」ではないのだ。むしろ、英語に訳すなら「rare」だろう。あるいは、「unusual」「uncommon」「seldom」「exceptional」などでもいい。とにかく、「希有」なのだ、「有ることが難しい」から「有難う」なのだ。

 みんなで、九州で出会い、「有難う」と喜び合いたい。






世界のひろしの幼少の頃

 今や、「世界のひろし」となったひろし君だが、幼少の頃の写真をお見せしよう。
 ひろし君は、妹さんのゆかちゃんもお教化し、ゆかちゃんも京都の長松寺にお参詣を重ねられている。ゆかちゃんは、本当にご信心に出会えたことに感謝し、心豊かな人生が始まったと喜んでくださっている。
 実際、仲の良い兄妹なのだが、それまでは気持ちのすれ違いが多かったという。でも、同じご信心ができるようになってから、ゆかちゃんの気持ちも落ち着き、穏やかになり、お兄さんともそれまで以上に仲良く、より深く理解し合い、思いやり、過ごすことが出来るようになったと喜んでおられる。今、ゆかちゃんは、仕事やご奉公に忙しくしている兄の健康を、心から心配しておられる。ひろし君には、いい妹さんがいて羨ましい。
 そのゆかちゃんから、秘蔵の一枚を入手。先日の長松寺でひろし君がどれほど頑張っておられるかを話していた。血を分けた兄妹は、お互いを思いやれるはず。本当に、この世界で、兄妹として生を受けたことに感謝して、頑張ろう、とお話しをしていた。そして、この写真を送っていただいた。
 ひろし君、かわいいなぁ。ゆかちゃん、センスの良いお嬢さまという感じ。それにしても、お兄ちゃんなのに、ひろし君の方がゆかちゃんより背が低いぃ(笑)。ははは(笑)。おもしろ。
 世界のひろしの幼少の頃、かわいいなぁ。レアな写真でしょ?

2009年8月17日月曜日

もとゆきさん

今朝は10時から開導聖人のご命日の御総講。たくさんのお参詣、ありがとうございました。

午後、いまお助行の帰り道。また、もとゆきさんのお宅へ。彼は交通事故で首から下が全く動かない。いま、私は、彼と一緒に、上っていきたい。彼の世界に、行かせていただいて、一緒に、抜け出したい。

彼は、「こわい、こわい」とささやく。身体の自由を失ってから15年。彼は、「過去がこわい。未来がこわい。今がこわい。死ぬのがこわい。生きるのがこわい」と、ささやく。

今日、彼と話をして、少し笑顔も見れて、本当に、泣けるほど、うれしい。また、とにかく、早く、彼に会いたい。

2009年8月16日日曜日

長松家の墓地へ

 世間はお盆休みかな。都心部はガラガラらしい。みんな、お出かけをしているのだろうか。
 昨夜は、京都の麩屋町・長松寺の御総講。京都の7月は祇園祭、8月は五山の送り火があるので、今月も15日に御総講が奉修された。本山・宥清寺は夏期参詣中で、お参詣しづらい中、たくさんのお参詣をいただいた。
 有難いことにお参詣くださる方々の4分の1は関西近郊の他寺院の方々。昨夜も、はじめてお参りされた方々もおられ、ご挨拶させていただけることが嬉しい。はじめての出会い。ありがたい。ひろし君の妹さんであるゆかちゃんもお参詣くださったし、お手伝いのご奉公もたくさんしてくださった。ありがたい。
 特に有難かったのは、よしみちゃんのお参詣。ここで詳細を書くことは出来ないが、彼女は大変な病気を患っており、心身共に危険な状態にあった。入院し、今月退院し、そして、お参詣くださった。毎朝ご祈願させていただいてきた。その笑顔が、いつもと違う。とても綺麗に、透き通っていた。何とか、おはからいをいただいて欲しい。大丈夫、「信」を取り戻そう。家族で、支え合おう。
 今朝は、本山宥清寺の朝参詣、夏期参詣に出座させていただいた。本山の境内地は改修の真っ最中で、石畳が掘り起こされている。今は境内地に車が入れないので、通りの駐車スペースに停車させていただいた。朝参詣後は急いで車を移動させなければならず、焦ってしまった。本堂は内部がすっきりとして拝見できた。いよいよ、改修も最終段階。楽しみだ。
 また、今朝はお参詣の後、宥清寺の「上(かみ)の墓地」に行かせていただいた。「佛立聖地」といわれる旧・宥清寺のあった場所で、開導聖人の御墓所、そして代々の佛立信徒の墓地がある。長松家のお墓もここにあり、開導聖人がお作りになり、刻まれた墓碑と、大僧正日峰上人の墓碑、長清孩子のお墓と、3つが並んでいる。今回、このお盆に向けて長田さんに長松家の墓地を清掃・改修していただいた。
 最近、汚れが目立っており、長松寺の責任役員で、いつも墓地にお参詣くださる西村嘉津雄さんからも「何とか綺麗にできないか」とお話をいただいていた。この墓碑には、小千代お祖母さまや千鶴子おばさま、日潤小沙弥の法号も刻まれておらず、この際、最も汚れが目立ち、開導聖人の御筆も刻まれていない中段の石をお取り替えし、法号を刻ませていただいた。正面には長松家の「蝶々の紋」も刻ませていただいて、今日、お参りさせていただくことができた。
 本当に、常盆常彼岸とはいえ、こうしてお盆にお参詣させていただき、御塔婆を立て、一人で長松家のお墓にお参りできて、とても気持ちが清々しい。心が凛とする。長松寺を護持してこられた方々からの責任感も重くのしかかる。
 とにかく、お墓にお参詣させていただくことができてよかった。お墓が、綺麗になって、立派になって、潤ぼんや、お祖母さま、チー姉さんのお名前も刻めて、ご回向できて、本当によかった。

2009年8月15日土曜日

名古屋での嬉しい出来事

 昨日は名古屋。建国寺にお伺いをして、石川御導師と面会させていただき、清優師ともお話した。
 ここには何度も書かせていただいているが、名古屋の御導師には、こと細かくご奉公についてお教えいただいている。御導師のお話は、しっかりと歴史をおさえ、御書や御聖教、御指南に基づいており、何をお聞きしても勉強になる。
 話題は、立正安国論にはじまり、身延の山についての開導聖人の御見解、佛立教講の取るべき立場、教務道、ご弘通ご奉公の要点について、多岐にわたって純粋にお話できる。本当に、ありがたい。
 しかも、最近は特に地域性について学ばせていただくことができる。横浜と名古屋の違い。開導聖人が生まれ育ち、佛立のルーツである京都という街と特性について。革新と保守、リベラルとコンサバティブ、一概に規定することはできないが、たとえば横浜は日本発の開港を果たした街として極めて革新的な社会性を持っている地域だということ。新しいものへの好奇心が旺盛で、人種や生い立ちなどについて無頓着で差別意識が極めて希薄。たしかに、150年前はほんの数十人だった村が、幕命による開港によって一気に人々や文物が流入し、爆発的発展を遂げた街だ。
 横浜出身者などは皆無で、そこに集まる人々は、すべて外国人や他の地域から来て住み着いた人々だったろう。もちろん、妙深寺のある神奈川の宿などは江戸時代から栄えた古い宿場町だが、この横浜村の圧倒的な発展で、アイデンティティは180度変わらざるを得なかっただろう。つまり、横浜は常に進取の気風に富んでおり、差別意識などが希薄。これが、港町の特性。
 一方で、京都は1200年の歴史を持つ日本の古都である。開導聖人こそ進取の風を身に戴した方だったに違いないが、街そのものは保守的にならざるを得ない。まず、歴史と伝統を重んじなければ、街が守れない。変わらぬ価値を追求する。そのために、単純に新しい文物になびいていては、歴史も伝統も守れないと身を硬くする気質がある。こうして、1200年もの間、人々はここで生きて、ここで歴史を重ね、他の都市とは違う伝統を守ってこれた。
 開導聖人こそ特異な存在だ。あの時、この街で、これほどの感性で世を見つめた方はいないのではなかろうか。「開化第一」と謳った開導聖人は、歴史と伝統を重んじ、国学を研鑽し、公家に呼ばれて源氏物語の講義をするほどの文化人であったが、そこに固執することなく新しい時代、新しい国や人のあり方を見ておられた。
 仏教とは普遍的な宗教である。カーストを打破したブッダの教えは仏教の基本中の基本。マガダ国、コーサラ国など、当時の各国、各人種を超えて教えを説かれたことは歴史的な事実。ヒンドゥーの歴史や伝統を守りつつも、そこに生まれた矛盾を打破して、普遍性に目覚めよと説かれたのが仏教に違いない。
 港町と城下町。この狭い日本でも、いろいろな地域の特性がある。ここをしっかりとおさえて、ご奉公をさせていただかなければならない。御法門も、トンチンカンになってしまったりするだろう。心に届かず、ご信心の尊さが伝わらないのでは話にならない。本当に、深く、細かく、人間を見つめなければ。私のように能天気なだけではだめだ。歴史と伝統を重んじる京都で生まれて、進取の気風に富んだ港町・横浜で育った「お坊さん」として、保守であり革新、革新であり保守、その双方にも捉われず、しっかりとご奉公させていただかなければならないと思う。本当に勉強になった。
 それにしても、最近は嬉しい話ばかりが続くものだ。本当に、うれしい。未来は明るい。いや、明るくしてみせる。変な地震も続いている。きっと、時を置かずして大きな地震が日本を襲うだろう。それも、今年は仕方ない。覚悟しなければならぬと年頭から言ってきている。備えるしかない。
 でも、うれしい。

2009年8月14日金曜日

婚約 チカちゃん

 いま、名古屋に向かっている。空を大きな雲が低く覆っているが、隙間から青空が見える。
 夏期参詣も無事に終わった。最終日も間じかに迫った11日、本当にうれしいことがあった。
 まだ、ここで書くことでは無いのだろうが、11日に妙深寺のチカちゃんが婚約された。私は、ただ後ろで見守っているだけだったが、「結納」という厳かな儀式について、はじめて拝見して、その大切さを実感。こうした「節」「儀」は、大切なものだと、あらためて感じさせていただいた。
 とにかく、妙深寺のチカちゃんは、『どこにでも出せる、本物の佛立信者』だ。そう、ここをわざわざカッコでくくったのは、これが佛立教務のご奉公の目標だからである。
 開導聖人のスピリット、開導聖人のイズムをいただけば、私たちのご奉公の眼目が『どこにでも出せる、本物の佛立信者を育成すること』であると分かる。開導聖人は、生涯を通じて、宗教者として「目の据えどころ」を純化してゆかれた。最晩年に至ると、特に「本当の佛立信心を受け継いでくれる人」をいかにして育てるかということにのみ注力された。その他のことは、開導聖人にとって意味をなさなかった。
 「人数比べ」をするのもアホ、寺の大小を比べるのもアホ、衣比べをするなど愚の骨頂。そんな奴がいたら、私が書いた「格好悪い奴」どころではなく、木っ端微塵に叱責されたと思う。弟子であれば、間違いなく破門だろう。とにかく、上辺ではなく、「本質」に注目されたのが開導聖人なのだから。
 そんな教務としてのご奉公。私たちは、お一人お一人とお会いして、ご奉公させていただく中で、「何とか佛立信心を本物に」という思いで、御法門させていただき、お助行に努め、お話を重ねてゆく。チカちゃんは、そんな中でも、本当に素晴らしいご信心を持ち、自分でしっかりと実践してきてくれた女性だった。いろいろなこともあったが、とにかく、必死に乗り越えて、御利益をいただいてこられた。
 ひろし君をはじめ、妙深寺の最も若い、初心の人が集まった部の部長さんとしてご奉公をいただいた。20代の部長は異例のことで(今は20代の教区長も誕生したが)、受けていただく時には苦労した。しかし、きちんとご信心で乗り越えて、ご奉公させていただきます、と決定してくださった。ご奉公させていただく中で、いろいろな苦労もあっただろうし、相談のメールがきたり、心配もしていたが、それも朝参詣や100本祈願、この前は1000本祈願(!)をされて、見事に自他共に御利益を顕してくださった。
 そう、この一連の流れが、私は現証の御利益だと思っている。チカちゃんに、こんなに素敵なご縁ができて、婚約されたことは、本当に素晴らしい現証の御利益だ。妙深寺から遠いお寺に行ってしまうのがとても残念だが、これもご縁、御法さまのお導きに違いない。御法さまから与えられた場所で、今まで妙深寺で学んだご信心、ご奉公を、立派に実践していただきたいと思う。
 さみしい。でも、うれしい。チカちゃんがいなくなったら、神港の4部はどうなっちゃうんだろうなぁ~と考えつつ…。清従師とひろし君に、相談しよ。