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2011年10月31日月曜日

ジャック・スパロウ

明日は月始総講なので今日は朝からバタバタ。

学校で催し物があり、悦っちゃんが観に行ってくれました。悦ちゃんからのメール。

長男はジャック・スパロウになったらしい(汗)。

自屈と慢心とは利生の道をふさぐ

透き通った青空。横浜の空。

「自屈と慢心とは利生の道をふさぐ」

開導聖人の御指南ですが、修学塾で学んだ弘通学の深さ。人間の弱さ。教務の姿勢。

ご信心とは人間性を磨く修行。深さを知らないと、せっかくのご信心も閉じた世界の自己満足に陥る。

「出世間して入世間する」のが法華経の教え。出世間したままでは外れてゆく。泥の中で咲く白い蓮の花。綺麗な水の中で咲きたいと願うのは違う。隣りの池を羨むのも違う。汚泥に染まらぬ白い蓮の花。出世間。汚泥の池を厭わず入り直す。入世間。

この感覚、覚悟。ご信心です。悦に入るのでもなく、偏りもなく、「出世間して入世間する」「自屈と慢心とは利生の道をふさぐ」を忘れず。

師匠がいないご信心は、あり得ない。ただ、そうした方々が多くなってしまってる。親しさは、師弟の基準ではないことも知らなければ。

2011年10月30日日曜日

いい声

久しぶりに会うと、歌を歌い続ける息子。次男はなかなかいい声です。

横浜到着

陸前高田から車で6時間半。とても早く横浜まで到着しました。

あの日の給油

長者原サービスエリア。給油しています。運転、眠かったなぁ。

最初の支援活動を思い出します。3月18日、緊急車輌指定を受けてほとんど車が走っていない高速道路を水戸、いわき、仙台、気仙沼を回りました。

あの時、すでに福島第一原子力発電所は爆発していました。しかし、いくつかのサービスエリアのガソリンスタンドでは、緊急車輌のために開いていました。そこで、マスクを着けて淡々と給油してくれているスタッフの方々がいました。

世の中の機能が停止していた夜。誰もが放射性物質の危険を感じている中で、黙々と消防車やパトカーの給油をしてくれている方々に、思わず手を合わせたくなるような気持ちでいました。

当たり前のように給油してもらう中で、あの日のことを思い出しました。

陸前高田の朝焼け

冬の到来の中に佇む陸前高田の桜。

朝焼けを背景に。

いっぱい

たくさんの想いが詰まった動く七夕まつり。

まさに陸前高田の復興ののろしを上げたんですね。みんなの気持ちの結晶です。

隠された真実のドラマを、いっぱいお聞きして、胸もいっぱいです。

ヨイヤサー!

ヨイヤサー!

勇壮な掛け声です。

2011年10月29日土曜日

歩み太鼓

福田さんの歩み太鼓が出ました。

動く七夕まつりの方々による実演には、なぜか涙が出ます。

みんなで、生きる。

陸前高田で、みんなで、話が出来ることに、ただただ、感謝しています。

あれから7ヶ月以上が経って、いま、鍋を囲み、あの時のこと、あれからのことを語り合う。

脚色も、役職も、自分も、他人も、被災者も、支援者む、自他もない世界。

だから、生きる。

陸前高田

ようやく、陸前高田に到着いたしました。妙深寺の方々は入れ替わり立ち替わり陸前高田に入ってくれていましたが、僕は4月、6月から少し時間が経ってしまって、3回目。

ありがとうございます。

仙台駅

仙台駅。3月18日に見た仙台駅の外観には震災の爪痕が残っていました。今は全くそれを感じさせない。

無事に乗り換えも出来ました。はやてからやまびこへ。あと30分で一関。そこからは車で陸前高田まで向かいます。

発見

発見したようです。

楽しいです。

清翔師と僕

大宮駅で乗り換える清翔師と僕。あさま号からはやてへ。

「こちらです!」と自信満々の清翔師について行くのですが、すでにホームを行ったり来たり。

楽しいです。

ギリシャ一揆と徳政令

森の中にあった小さな池。その水面に映る空と木立。もう、山ボーイになるしかないですね。

すでに長野新幹線に乗りました。新幹線と電車を乗り継いで、陸前高田まで向かいます。

タイの洪水やトルコの大地震。地球からの警鐘は激しさを増して鳴り響いています。特に、タイの大洪水は一国を衰亡に至らせるかのような大災害です。今後、自然災害はさらに激しさを増すことが予想されます。

欧州ではギリシャへの50%の債務放棄、いわば半分デフォルトするという「徳政令」を発布することで合意したようです。これは金融危機が目前に迫り、「ギリシャ一揆」や世界各地に飛び火した「格差是正一揆」に危機感を募らせた当局が苦肉の策を講じたようです。

「徳政令」は「徳政」ではありません。「徳政令」とは、むしろ、危機を迎えた体制やシステムが、問題のすり替えや先送りを行う時に実施するもので、財政の再建や健全化には直結しません。崩壊直前の権力者たちが、求心力の回復や人心収攬のために利用した政策です。フラット化した世界のデフォルト。次の危機やその先の世界はどうなるのか、誰も見えていないということが明白になっただけです。

相次ぐホットスポットの発見。除染しても放射性物質は無くなるわけではなく、場所を移すだけ。危険は遠ざけられますが、消えるわけではありません。

学者もジャーナリストも、常にゲーマーの後手に回っていますから、当てに出来ません。真実は、もっと、深くてシンプルです。

お祖師さまが「目を開きなさい」と仰せになった時代と全く同じ状況です。いま、私たちも目を開かなければなりません。「徳政令」が出された後、歴史はどのような経過を辿ったか考えてみる必要があります。

デフォルト。巨大な投資による傷痕は、ギリシャだけではなく地球のあちこちに見えています。今後、日本をはじめ、世界各国が、デフォルト狙いの危険なゲームに走らないよう祈るばかりです。

紅。くれない。紅い。

自然は偉大なアーチストだなぁ、と実感。

少し側道に下りて、林の中をゆくと小さな池がありました。

絶景

横手山の中腹まで連れてきていただきました。ここからの風景を、もう一度見たかったから。一年前、この場所に立ってから、あの感激が忘れられませんでした。また来られてよかったです。

志賀高原の朝

標高1000メートルを軽く超えた高地での朝。志賀高原の一望閣は、若い頃スキーで泊まったロッジの朝を思い出させてくれます。本当に、落ち着く。

「長生きのお湯」を体験してくれた若い御講師方も大絶賛。「こんなお湯ははじめて!」と。なぜか「でしょー!?」と僕が鼻高々になってしまいます。身体の芯の芯まで、温まります。

さて、朝食を終えて、8時半から授業です。

山ボーイ

先日、駒ヶ岳にご案内いただいた時の写真を石田さんからいただきました。残念ながら霧が凄くて景色が見えなかったのだけど、いい経験をさせていただきました。

山に登る女性を「山ガール」と呼ぶらしいから「山ボーイ」かな?「ボーイ」じゃないか(汗)。

2011年10月28日金曜日

志賀高原

今夜は志賀高原に宿泊。大好きな一望閣。この温泉は人生で経験した温泉の中で最も効能がある。間違いなーい。どんな高級温泉宿でも、絶対にここまでいいお湯はないはず。ありがたい。


ホテルの二階にあるご宝前で、オーナーの一山さんご夫妻のお父さまの三回忌を奉修させていただきました。本当は今年の3月にスキーツアーを企画していましたが、東日本大震災が発生して中止してしまいました。残念でした。


それにしても、この温泉はきっと長生き温泉です。ワンちゃんも19才、ウサギさんも7才。すっごい。


夕方からは修学塾も開催。若手の御講師にもお越しいただき、みんなでみっちり弘通学の授業を行いました。ありがたい。

明日、朝から3時間の授業を行って、お昼には志賀高原から下りて長野駅へ。そこから新幹線で埼玉県の大宮に出て、新幹線を乗り継いで一関に向かいます。


そして、陸前高田へ。19時までに入れるかな。妙深寺の先遣隊はすでに現地に入ってくれています。頑張ります。

返信

用意周到に御講を迎えられた高木さん。わざわざ原稿を書いて、ご自身がいただいてきた現証の御利益、おはからいと今の心境をお話くださいました。

いま、志賀高原に行く車の中で、いただいた原稿を読み返しました。涙が出ました。交通事故で亡くなったお友だちのご回向、お墓参り、そして、偶然に奥さまが買ってきたCD。そのCDは亡くなったお友だちと半分ずつお金を出し合って買った思い出のアルバムの復刻版だった、と。

仏教に偶然はありませんね。そのタイミング、その思い出のCD、間違いなく亡くなったお友だちからの返信です。

詳しく書けていませんが、また妙深寺報でご紹介したい素晴らしいお話です。

ありがとうございます。

妙深寺本堂の写真

長野は快晴。心まで晴れるようなお天気でした。

高木さんのお席は久しぶり。ご宝前が輝いていました。前回はご尊像をお迎えされた御礼御講でした。あの日以来、日夜に御題目を唱え重ねられたのを感じさせていただきました。

高木さんのご宝前には、妙深寺本堂の写真が飾られていました。遠く長野の地で、こうして思ってくださっていること。本当に、ありがたいです。横浜のご信者さんに伝えたいです。

夢から覚めた浦島太郎

河原に降りて、歩いてみたいなぁ。本当に、きれい。

ちょうど「寝覚の床」の写真が撮れました。ここは「木曽八景」に数えられる景勝地。 名前の由来は、龍宮城から戻った浦島太郎がここで玉手箱を開けて覚めたという伝説に由来しています。巨大な花崗岩が木曽川の激流に刻まれた自然の彫刻です。国の名勝史跡天然記念物。

夢から覚めた浦島太郎。さみしかったでしょうね。本当に、綺麗な場所です。

木曽路の山々

車窓に広がる木曽路の山々。紅葉が始まっていて、山の斜面には鮮やかな朱色や黄色が点々と浮かび上がっています。

もう少ししたら、本当に、山が燃えてるみたいになるんだろうなぁ。ゆっくり来たいなぁ。

馬籠宿

一度、木曽路の馬籠でゆっくり読書がしたいなぁ。島崎藤村の「夜明け前」の舞台。難しい本だけど、幕末・維新の実像が描かれているし。

名古屋から信州を目指して北上する時、いつもそう思います。

ゆりかご列車。

『エイトビート』

ありがとうございます。

「ただ生きる 生きてやる 呼吸を止めて なるものか」の記事に「死にたくないのに死んでしまった人はどうなるんですか?」という質問をいただきました。朝から考えました。

死は、自分にとっても、周りの者にとっても、極めて哀しいことに違いありません。でも、多くの人の死は、ご質問の内容と同じように訪れるものだと思います。

お祖師さまは「臨終のことを先に習ひて後に他事を習ふべし」と仰せです。死が、私たちにとっては理不尽に、病であっても、災害であっても、それが唐突に訪れることを念頭に置いて、今を生きよ、という意味です。

『エイトビート』という曲は、甲本ヒロトさんが入院している時に病床で書いた曲と言われています。涙が出るくらい、生命を尊び、絶望の中でも生きる気力を失うな、俺は生きる、お前たちも生きろ、というメッセージが込められていると感じます。聴いていると涙が溢れてきます。

私は、本物のアーチストである彼らの発するメッセージを息子たちが受け止めてくれたらと願っています。息子たちにご信心を伝え切ることは大前提ですが、それでも、もし、生きることに絶望するような事態に直面したら、心の底から発せられたような彼らのメッセージが、息子たちに届くと信じています。

死にたくないのに死んでしまった人のことを思えば、なお私たちは、生きなければならないと思えます。

ありがとうございます。

長松清潤拝、

『エイトビート』

作曲:甲本ヒロト
作詞:甲本ヒロト

ああ 強く閉じて
ああ ふさいでいても
音速ジェット つきささる リズム

遠く はなれている
ずっと 昔のうた
泣いているよ 笑ってる きょうも

ただ生きる 生きてやる
地上で眠り目を覚ます
エイトビート エイトビート

ああ ゆくえ知れずの
ああ おたずね者が
どこかで モールス信号 たたく

ただ生きる 生きてやる
呼吸をとめてなるものか
エイトビート エイトビート



2011年10月27日木曜日

ただ生きる 生きてやる 呼吸を止めて なるものか

高校の同級生の北川からフェイスブックでコメントをもらった。彼は長らく"NO MUSIC, NO LIFE."のコピーで有名な某レコード販売会社に勤めていた。僕たちは高校から大学まで、ほぼ北川が作ってくれたカセットを聴いてた。

長男がヒロトやマーシーに憧れていることや先日のライブの記事を見て、その北川がコメントをくれた。変わった人間であることは、彼が一番知ってる(汗)。


「数字やメディア露出といったトピックばかりで語られる事の多い昨今のタレントミュージシャンでは無くて、スピリットで一線をひた走るミュージシャンに心を持ってかれている所が、延博の息子、って感じでいーやね(笑)。子供の頃のカルチャーとの刺激的な遭遇って、人格形成にも大きな影響を与えるし、本当に忘れがたい出来事だった筈。住職の息子が反体制のパンク・ロッカーになるってのもカッコいいかも。アレックスがロックンロールやったらモテるぜ、きっと(笑)。」


息子を反体制派にするつもりはないが(汗)、でも、あのハートの熱さや圧倒的な表現力、本物のプロというものの凄さを知って欲しいと思う。

そして、やはり音楽はすごい。いとも簡単に、国も言語の壁も越えるから。


ただ生きる、生きてやる、呼吸を止めて なるものか。「エイトビート」より。

11月6日(日)は朝市

来月11月6日の朝、妙深寺の朝市が開かれます。

妙深寺農園産の落花生とサツマイモ、食用菊とのことで、とても珍しいラインナップですね。御題目をお唱えくださって育てたお野菜です。

また、私の農業のお師匠さま、長野教区の久保田さんが作られたお米の販売もいたします。

日時 11月6日(日) 7時半〜
妙深寺にて

2011年10月26日水曜日

美しい空

今日も、駆け抜けた感じです。大詰めの事案ばかりですが、貴重な浄財を投じる佛立会館の造営、佛立研究所の原稿締切、門祖550の総修大法要等々、気が抜けない段階です。

建設現場の上に広がる美しい空。本当に、きれい。本当に、美しい空です。

目指している方向

昨日の朝は妙深寺農園で収穫された大根の葉をお分けしました。

人の暮らし。食べること、学ぶこと、育てること、などなど。きっと、今までのやり方では歯車が狂ったまま。しかも、圧倒的な危機が、すぐそこまで迫ってると感じるから、み仏の教えの下で、あらゆることに挑戦したい。

精進料理などではなく、仏教が考える食や生産者、生産地との関係は如何なるものか。全く新しいモデルを提案したい。あまり時間はないけれど、妙深寺農園や朝市は、その最初のステップに過ぎません。

葬儀を無料化するプロジェクトも加速させています。あと少し。功徳を積まないでいいと言うのではなく、直葬や孤独死がこれだけ増えている中で、僧侶がしなければならない使命があるはず。さらには、金がかかると認識され、その既得権益にあぐらをかいていると思われている僧侶が信頼を取り戻すために必要だと思います。これは、葬儀や法事で生計を立てていない、御講によって外護されている佛立の教務がすべきだと思います。

最終的には、通貨を作るべき。仏教徒共通通貨。ここまで来たら本当に暗殺対象かもしれませんが、世界を変えるため、今の、完全に行き詰まった世界や社会に変革を促し、人々の生命を守るために、必要だと思うのですが。

新幹線の中で、少し書き過ぎたかな。でも、目指している方向は、はっきり見えているのですが。