あららららー。
今夜18時から長松寺のお総講。横須賀から戻り、慌ただしく着替えて新幹線に乗りましたが、止まってしまいましたー。すごい空だったからねー。
もう1時間は止まってるなー。米原駅と岐阜羽島駅の間かな、とっても激しい雨が降っているようです。困りましたね−。
遠くの地震に「こっちじゃなくてよかったなー」とか、津波の被害に遭われたのを見て「うちは内陸でよかったねー」「高台からだ大丈夫」とか、土砂崩れを見て「うちの裏に山はないから安心」とか、大雨も洪水も竜巻も、どこに発生するか、どこに起こるか、分からない。
一寸先は闇。
ちょっと前まで、自宅のリビングでどこかの災害のニュースをただ見ていた自分が、思いもよらず巻き込まれたりするものです。
火盗病、不慮の災難。同じですね。
昨日は人の上、今日は身の上。
だから、「自分さえよければ」は通用しないんですよね。
仏教では、こんな不透明な、何が起こるか分からない末法の混沌とした時代だからこそ、自分さえよければいいという考えを切り替えて、困ってる人のために生きる、菩薩行、如説修行をさせてもらうべきだと説いています。
それが、なんと一寸先が闇の世の中を、昼に変える生き方だって。
迷わず、鬼に捕まらず、はっきり、くっきり、生きられる。
「世俗 向ふのみえぬことを。壱寸先は闇の夜と。
闇の世の娑婆で如説の修行せば 壱寸さきはひるの寂光
かしこきも 愚かなるも 凡夫は凡夫也。
三毒ハ根本。病貧死の三鬼。色、酒、名、利の四迷神。油断ヲスレバ皆此七ツノ鬼ニクハレテ仕舞也。コワイ恐ロシイ所也。
此事ヲ深クサトリテ如説行ヲセバ娑婆即本時ノ寂光也。
壱寸先ハ闇の夜也。真くらがりニて見えぬ證據とハ。けふわがしぬことのわからぬハ 向ふの見えぬやみ也。
○信者も。凡夫なれど 佛の金言を信ずる故ニ。娑婆ニ心を取れずして。妙法ニ御任せ申せバ昼也。」
開導聖人73才。明治23年8月20日か21日。夏の終わりに書かれた御指南と御教歌です。
うーん、深い。
みんな、同じ時代に生きていて、同じ状況です。同じ新幹線。同じ人間。
私たちにも、生老病死があり、業があり、罪障がある。無常も背負う。雨の日は雨。
でも、違うわけ。心が違くなる。視界は、開けてる。見える。
ワイパー壊れてると、同じ雨でも見えないし、運転できないし。
夜でも、特別なカメラを使えば、見えるようになる。
闇夜も、闇の世も、見えるようになると教えてくださってる。
災害が続くし、天空も、大地も、大変なことになっているけれど、だからこそ、そういう、生き方をしてみてほしい。
こわい時代でも、僕たちは、やっぱり、つよく、あかるく、美しくなければ。
高祖会のテーマ。たぶん「POWER TO THE PEOPLE 〜心に花を。人に力を〜」になるって。
おもしろいっ!
あー、新幹線よ、動いてくれろー。
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