2008年1月22日火曜日

妙とは蘇生の義なり

 増永一志(ひとし)くんの突然の病気と御祈願については、このブログの1月10日と11日に書いたとおりだった。
 18才の一志くんの肝臓に、こぶし大の腫瘍があって入院したという連絡をいただいたのが12月31日だった。1月4日の初総講では、お母さまから涙ながらにご披露があり、参詣者でそのままお助行をさせていただいた。そのご祈願の輪は京都から全国に広がって、まさに「Chant Globally, Act Locally」の手本のようになっていた。遠くの誰かのために祈り、御題目をお唱えしつつ、自分の住んでいる地域やお寺で活動、活躍する、という佛立の菩薩行。増永くんの症状は、肝臓と胃の間に、他の臓器を圧迫するように腫瘍が出来ており、周りのリンパ節も腫れていることから悪性の疑いが強く、相馬病院から京大の病院へと移送されたほどだったという。
 手術当日、私たち有縁の者が各地でお助行をしてくださった。時間は遅くなったが、結果は大変素晴らしいもので、胃に癒着こそしていたが、うっすらと「膜」のようなものが腫瘍を包んでいて、綺麗に取り除くことができたという。
 16日、一志くんのお兄ちゃんが長松寺にお参詣してくださり、経過についてご披露してくださった。歩行訓練をはじめていること、現在腫瘍を病理検査に出しており、その結果を待っているとのこと。甲状腺にも影があるので、その検査も同時にしていることなどがご披露された。私も、御総講の後でお母さまとお話したのだが、家族で手術後に切り取られた腫瘍を見たが、赤く、でもうっすらと膜があって、何とも不思議だったという。
 とにかく、そうして今日までご祈願が続けられてきた。16日に長松寺でもご披露したが、増永君は辛いかもしれないが、私たちこそ年頭からご祈願させていただけて有難いではないか、と。お正月ボケをする暇もなく、ご祈願、お助行に気張れる。お父様にもお伝えしたのだが、横浜でも早速にご信者方がご祈願を始めてくれているので、何としても現証の御利益を頂戴していただきたい、御利益をいただいた暁に出来れば横浜まで来ていただいて元気な姿を見せてくれたら、こんなに結構なことはない。
 18才の一志くんにとっては、「肝臓癌」かもしれないということよりも、「手術をする」ということの方が不安だったという。お母さまからのお話を聞いて、私などは色々なケースを頭で考えてしまって、悲観的な気持ちになってしまっていた。しかし、そこを御題目口唱、御宝前におすがりしながらご祈願する中で、「妙とは蘇生の義なり」、死んでしまったものでも甦るほど尊い御力があるのが「妙」であるのだ、と言い聞かせていた。
 昨夜、お母さまから横浜に連絡をいただいた。飛び上がるほど嬉しくて、嬉しくて、感激したのだが、病理検査の結果、あの「悪性」と言われて怯えていた「腫瘍」からガン細胞は見つからなかったという。何度も聞き返したのだが、つまり「癌」ではなかったということである。私は、「膜」に包まれていたということで、「癌」であっても転移しないようなお計らいがいただけるのではないか、と期待してご祈願していたのだが、それどころか「癌」ではなかったとのこと。何とも有難い。「妙とは蘇生の義なり」ではないか。
 ご祈願・お助行をしてくださった全ての人が、この一志くんの起死回生ともいえる現証の御利益、何とも有難い展開について、喜びを共有できる。私たちのご信心は、「最大の不幸を最高の幸せに変える」と教えていただく。まさに、そのとおりで、あの日、あの時の、増永家は、家族一同が真っ暗闇の中に落ち込んでいた。涙、涙、涙で、泣いても泣いても涙が涸れないほどの不安と苦しみの中におられたと思う。
 長松寺の御総講で、130名を越すお参詣者の前に立って、涙を溢れさせながら「ご祈願をお願いします。助けてください」と嘆願されたお母さま。いま、どれほど喜び、安堵されていることだろう。「法華経を信ずることは冬の如し。冬は必ず春となる」
 もちろん、まだ病気全快には到らないし、油断は禁物である。しかし、この大きなサインを見逃すことなく、御法の御力を心に刻み込んで、次なるご奉公へと歩を進めたい。
 今回の一志くんのお助行には、吏絵ちゃんや森谷家の方々も参加してくださっていた。みんなからのご祈願をいただき、御法の御力によって助けていただいた家族が、今度は次に苦しんでいる方々のために動き出してくださるのが、また一層に有難い。
 本当に、本当に、ありがたい。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

本当にありがたいですね。
そろそろ一志くんの容態について、淳慧師か博子さんに伺ってみようと思っていた所だったので、ギザシンクロ!
しかも経過が超良好、数々の現証、うれしい限りです!
また、「Chant Globally, Act Locally」にもハマりました。だって今読んでいる本が「グローカル知事平松守彦」って本で、「九州」という地域を新しい視点で(といっても今から30年以上前からの取り組みですが)とらえようとした元大分県知事のインタビュー集です。もちろん信心とは接点のない政治と地方経済の話ですが、グローカル=グローバル+ローカルという視点が、来年の青少年の一座を、「九州で開催」するという意義に通じそうな感じで、興味深く読んでいます。
ともあれ、最近は「世界」と「身近」をずっと意識していたので、そんな気持ちが増永君のお助行を通じて、図らずも共有されていたことがうれしいです。今日も青年会の子が百本祈願成就で、お計らいを頂きました。またお会いできる日を楽しみしています。信翠拝

Seijun Nagamatsu さんのコメント...

ありがたい、信翠師!!

実は、この言葉ですが、山崎先生が部長としてご奉公してくださっている妙深寺の海外部を中心に、第二弘通部が編纂した資料のむすびに使われていた言葉でした。そう、私たちの気持ち、今までのご奉公と、これからのご奉公をピタッと結びつけてくださる言葉で、あまりの感動に使ってしまった。

その資料は、「横浜・妙深寺 海外弘通活動のご紹介」と題されたもので、妙深寺の内外に向けて少し体系的に海外での弘通活動を紹介する目的で編集されました。今までは断片的な情報しか提供できていなかったので、大変貴重な資料になっています。

結びの部分に「Think Globally, Act Locally」という言葉を引用してくださった。「地球規模で考えながら、地域で行動しよう」という意味。私たち仏教徒は、まさにごく自然に、地球規模で考えながら、町や村で(ローカルに)菩薩行に励むことができます。これは、時代の最先端をいくパターンで、ありがたいことではないでしょうか」と。

さらに、素晴らしい言葉が続きます。

「日々の菩薩行は、あくまでローカルで一見地味な活動ですが、気持ちはグローバルに行こうではありませんか。「○○教区の第○部の○○さんの御教化成就、すでにブラジルにもスリランカにも伝わってますよ!世界の○○さんです!」「スリランカの○○君がこれから手術します。みなさん、日本時間の○時○分から、御助行お願いします」。妙深寺では、教講一同、最近こういう感覚で、日々の信行に励んでいます。
Chant Globally, Act Locallyかもしれません。「地球規模で口唱して、地域で菩薩行に励みましょう」という意味です」

こうした言葉を、ご信者さんが自発的に使ってくださっているのが嬉しいです。私は、その言葉や感性をいただいて、刺激を受けています。ありがたい。

また、青年会の子の御利益を教えてくださいね。

ありがとうございます。

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