29日早朝、寺報がギリギリで出稿した。3月号は厳しかったぁ。
今月は何と言っても『門祖会』の報告記事が中心の構成になっている。しばらくこのブログではイタリアの報告を中心にしていたので、23日、24日に奉修された妙深寺の門祖会の記事を書くことができずにきてしまった。妙深寺にとっては一年で最も大きな行事の一つであるのに(汗)。
今回の門祖会は、「感動あるお会式づくり企画チーム(現在は名前が変わって部になりました)」が検討してくれて、『時代は仏教!佛立宗!』をテーマに奉修させていただいた。何とも面白いテーマだが、率直に感じたご信心の喜びをテーマにして、毎回分かりやすく付けてくれているのである。
イタリアのご奉公中も、この門祖会の御法門のことが頭から離れず、ホテルで遅くまで勉強をし続けた。少し「考え過ぎたなぁ」と思うほどだった(反省)。なぜなら、この門祖会は、歌舞伎の何とか興行ではないが、妙深寺の住職が一人で一座、二座、三座と、全ての座の奉修導師を勤めさせていただくことになっているからだった。自ずから大変なプレッシャー、責任になる。イタリアから帰ってきてからほんの数日しかなかったので、時差ボケもあったが、緊張で眠れなかったのかも知れない。
しかし、そんな中、寺報のタイトルにもあるとおり、『みんなで作った門祖会』ということで、妙深寺のご信者さん一人一人が力を出して、その力を結集して、この門祖会を作ってくださった。その模様を、第二弘通部の広報部の黒崎さんが、門祖会の奉修中に丁寧に写真を撮ってくれており、準備ご奉公から当日のご奉公まで、みんなが活き活きと、和気藹々にご奉公くださっていることが分かった。その写真を多く使って、3月号の寺報は完成した。
何よりも有難いことは、全ご奉公部署に新しい人を配置できていることである。ご接待をくださった婦人会の方々を見ても、全く初めてのご奉公という方を三人以上も作ってくれていた。ご接待ご奉公は着物を着てのご奉公なので大変なのだが、それでもこの勢い。
さらに、御宝前係にしても、ビデオや書籍の販売部署にしても、駐車場の整備から何まで、みんなが『ご奉公させていただこう』という気持ちに溢れて、実際にその部署についてくださっていた。これはスゴイことだ。
妙深寺では、三大会を奉修するに当たり「人事打ち合わせ会議」と「総打ち合わせ会議」という二つの会合を持ってご奉公に当たる。そして、その中で各部署の参与・責任者の会議などをしてくださって、細かい打ち合わせをしてくださる。今回も、総打ち合わせ会議の中で、若い人から「御会式などで献血車を呼べないだろうか」などと意見があり、幹部の方々も刺激されて大いに議論しているところだ。こういう、前向きな姿勢が集まって、今回の『みんなで作った門祖会』と掲げられるのだろう。これこそ「ご信心」だと思う。
うっかりすると、ご奉公も億劫になる。マンネリ化もする。 考えようによっては「いつもの門祖会」「いつもの三大会」である。
しかし、いつも言うが、建国寺の日建上人が仰っていたように、「昨年と同じご奉公はするな」なのである。少しでも工夫を心がけないと、全ては「易き(安き)」に流れるのだ。あらゆる意味で保守化するのが分かるからこそ、「工夫」をこらし、心を使うのである。
教務から幹部まで、この意識で「ご奉公」させていただこうとすると、「いつもの」が「特別の」に変わってくる。今回も、御法門の後のご挨拶で、私はお参詣の方にお話しした。
「今日を特別な日にしてください。気持ち一つで、今日は特別な日になります。今日からこうしようと思った、今日からこうした、今日を境に、こうするんだって思えたら、今日は特別な日になります。妙深寺の門祖会にお参詣し、御法門を聴聞してくださった。なんてことのない日だった、なんてしてしまうことも出来るけど、考えようによっては特別な日にできるんです。幸せになるための特別な日にしてください。そうできるはずです。今日から、ご信心を、思い新たに、しっかりとさせていただくぞ、って思ってくれれば、この門祖会、今日が、特別な日になりますね」
3月号の寺報も、会心の出来なのである。
2008年2月29日金曜日
2008年2月27日水曜日
Stesso l'introduzione in italiano
HBSイタリア 御講ミーティング
早くに目が覚めて、2月17日の朝を迎えた。
今日がイタリアご奉公のメイン。早めにテラスに上がって朝食をとり、部屋に戻って御法門をプリントアウトしたり、フロントに下りて資料をコピーしてもらったり、御講の準備を進めた。
8時過ぎにはホテルを出て、9時前にお寺に到着。既にたくさんの方々が準備ご奉公をされており、マッシーや麻樹ちゃんとも再会。ローマから車でお参詣くださっていた。また、麻樹ちゃんはお参詣者のために、美味しいお寿司を用意してくれていた。綺麗に並べられていて、とても素敵。
また、フィレンツェに住んで工房で修行しているノブちゃんとお会いした。フィレンツェに住んで4年目ということだが、この街の伝統的な文化・工芸を勉強しているとのことで、このフィレンツェに本門佛立宗のお寺があることを最近知るようになってお参詣してくれるようになった。良誓師やHBSイタリアの方々みんなから親しまれていた。彼女にとっても、お寺があって、そこに家族のようなご信者さんがいてくれるというのは心強いと思う。ノブちゃんもタラで作った日本的な一品を作ってきてくれた。美味しかったぁ。ノブちゃんは本当に素敵な方で、これからHBSイタリアの力になってくれると思う。麻樹ちゃんとノブちゃんがいてくれたら百人力です。フィレンツェに日本人の方はいないと思っていたので、有難かった。
10時を前にして、続々とお参詣者が入ってこられる。ミラノやピサなど遠方からもお参詣してくださっており、良誓師も対応に追われていた。それにしても、一人の出張ご奉公というのは大変なもので、何とか日本で報告しようと写真やビデオを撮ろうと努力するが、見ての通り限界がある。これまでも一生懸命カメラを出して撮ってきた。お助行の時など、お看経して、振り返ってお話ししていると、写真を撮るタイミングなんてないんだから(汗)。この御講でも、「青少年の一座」のためにビデオも撮らなきゃと思いつつ自分で導師役もしなければならないし、そのまま御法門だし。御導師して御法門して写真を撮ってビデオを撮る。一人何役(汗)?日本の住職御講などでは考えられません(笑)。だから、写真はマッシーに、ビデオは麻樹ちゃんにお願いしました。ありがとうございます。
お看経前、私からお参詣者に少しだけご挨拶。良誓師の指導で、彼らは無始已来の御文も、綺麗に、丁寧に唱える。私の言上の後で、良誓師がイタリア語で言上。そして、お看経。大きく、綺麗な御題目が白い本堂内に響く。過去4回ほどイタリアのご奉公現場に立ち会わせていただいたが、今回こそまさに圧巻な御題目口唱だった。45名のお参詣で、ほぼ満席の状態。その方々が一同に御題目を唱える。有難いなぁ。
「南無久遠~」って、日本人でも若い子などは唱えにくいと聞いている。余程ご奉公するようになった子でなければ南無久遠が唱えられないらしい。しかし、このイタリアではお参詣者の多くが特別に作られた「妙講一座」を眼で追いながら南無久遠をしっかりと唱えるのである。すごい、ティナまで唱えられるんだから。
そして、南無久遠の後、良誓師が一旦立ち上がり「これから御導師が引題目を唱えられます」とあらたまって紹介。そのまま引題目を唱えさせていただいた。この「引題目」は本門佛立宗のご信心をするようになったイタリアの方々が最も感動するらしい。事実、御講終了後、たくさんの方々が盛んにそれを言う。「あの引題目に心を打たれた」等々。恥ずかしい気持ちもする(汗)。そのまま結文、そして無始已来。有難いお看経だった。
この御講で、新たに4名の方に懐中御本尊の授与式が行われた。それぞれ、良誓師より首にかけていただく。良誓師はかけた後、一人一人に声をかけ、顔を両手ではさみながら懐中御本尊を護持する心得など大切なことを伝えていた。イタリアの信徒にとって、懐中御本尊は最も重要な信仰のアイテムなのだ。
また、ノブちゃんも一番最初に懐中御本尊を拝受していただいていた。特に、彼女は自分の働いている工房で、懐中御本尊の後ろに綺麗な名前を彫ってもらったそうで、それは素晴らしい「フィレンツェ彫り」。綺麗な文字で名前が刻まれていた。海外で頑張る彼女に、御法さまのお見守りとお導きがありますように。
この後、私から御法門をさせていただいた。
今日がイタリアご奉公のメイン。早めにテラスに上がって朝食をとり、部屋に戻って御法門をプリントアウトしたり、フロントに下りて資料をコピーしてもらったり、御講の準備を進めた。
8時過ぎにはホテルを出て、9時前にお寺に到着。既にたくさんの方々が準備ご奉公をされており、マッシーや麻樹ちゃんとも再会。ローマから車でお参詣くださっていた。また、麻樹ちゃんはお参詣者のために、美味しいお寿司を用意してくれていた。綺麗に並べられていて、とても素敵。
また、フィレンツェに住んで工房で修行しているノブちゃんとお会いした。フィレンツェに住んで4年目ということだが、この街の伝統的な文化・工芸を勉強しているとのことで、このフィレンツェに本門佛立宗のお寺があることを最近知るようになってお参詣してくれるようになった。良誓師やHBSイタリアの方々みんなから親しまれていた。彼女にとっても、お寺があって、そこに家族のようなご信者さんがいてくれるというのは心強いと思う。ノブちゃんもタラで作った日本的な一品を作ってきてくれた。美味しかったぁ。ノブちゃんは本当に素敵な方で、これからHBSイタリアの力になってくれると思う。麻樹ちゃんとノブちゃんがいてくれたら百人力です。フィレンツェに日本人の方はいないと思っていたので、有難かった。
10時を前にして、続々とお参詣者が入ってこられる。ミラノやピサなど遠方からもお参詣してくださっており、良誓師も対応に追われていた。それにしても、一人の出張ご奉公というのは大変なもので、何とか日本で報告しようと写真やビデオを撮ろうと努力するが、見ての通り限界がある。これまでも一生懸命カメラを出して撮ってきた。お助行の時など、お看経して、振り返ってお話ししていると、写真を撮るタイミングなんてないんだから(汗)。この御講でも、「青少年の一座」のためにビデオも撮らなきゃと思いつつ自分で導師役もしなければならないし、そのまま御法門だし。御導師して御法門して写真を撮ってビデオを撮る。一人何役(汗)?日本の住職御講などでは考えられません(笑)。だから、写真はマッシーに、ビデオは麻樹ちゃんにお願いしました。ありがとうございます。
お看経前、私からお参詣者に少しだけご挨拶。良誓師の指導で、彼らは無始已来の御文も、綺麗に、丁寧に唱える。私の言上の後で、良誓師がイタリア語で言上。そして、お看経。大きく、綺麗な御題目が白い本堂内に響く。過去4回ほどイタリアのご奉公現場に立ち会わせていただいたが、今回こそまさに圧巻な御題目口唱だった。45名のお参詣で、ほぼ満席の状態。その方々が一同に御題目を唱える。有難いなぁ。
「南無久遠~」って、日本人でも若い子などは唱えにくいと聞いている。余程ご奉公するようになった子でなければ南無久遠が唱えられないらしい。しかし、このイタリアではお参詣者の多くが特別に作られた「妙講一座」を眼で追いながら南無久遠をしっかりと唱えるのである。すごい、ティナまで唱えられるんだから。
そして、南無久遠の後、良誓師が一旦立ち上がり「これから御導師が引題目を唱えられます」とあらたまって紹介。そのまま引題目を唱えさせていただいた。この「引題目」は本門佛立宗のご信心をするようになったイタリアの方々が最も感動するらしい。事実、御講終了後、たくさんの方々が盛んにそれを言う。「あの引題目に心を打たれた」等々。恥ずかしい気持ちもする(汗)。そのまま結文、そして無始已来。有難いお看経だった。
この御講で、新たに4名の方に懐中御本尊の授与式が行われた。それぞれ、良誓師より首にかけていただく。良誓師はかけた後、一人一人に声をかけ、顔を両手ではさみながら懐中御本尊を護持する心得など大切なことを伝えていた。イタリアの信徒にとって、懐中御本尊は最も重要な信仰のアイテムなのだ。
また、ノブちゃんも一番最初に懐中御本尊を拝受していただいていた。特に、彼女は自分の働いている工房で、懐中御本尊の後ろに綺麗な名前を彫ってもらったそうで、それは素晴らしい「フィレンツェ彫り」。綺麗な文字で名前が刻まれていた。海外で頑張る彼女に、御法さまのお見守りとお導きがありますように。
この後、私から御法門をさせていただいた。
2008年2月26日火曜日
アントニアの食卓
二日目。そのまま、今夜の夕食はレンツォのお宅でいただくことになった。ミルトの家から車に乗って、レンツォとアントニアの家へ。フィレンツェ郊外の素敵なお宅。お看経の後、アントニアの手料理をいただくということだった。
海外でのご奉公では、ご信者さんのお宅でご供養をいただく方が嬉しくて有意義だ。それはレストランなどでいただくより何倍も嬉しいし価値があると思う。その国の、ご信者さま方の、本当の生活やご信心、味わいを感じられるから。ブラジルでもスリランカでも、イタリアでもそれは同じだ。
それにしても、昨日一日中運転のご奉公をしていたアントニアが、この短時間で夕食の用意してくれていたかと思うと申し訳なく思った。だって、昨夜の別れ際に「明日の夕食はどうしようか?」って相談していたのを聞いていたから。きっと、あれから「では、私は準備しましょう」ということになったのだ。聞いてみたらそうだった。「大丈夫。私は料理は手早いの!」と言っておられたが、大変だったと思う。
それにしても、すごいニュースがあった。先日も書いたが、この日の朝、一年に一度の検査結果が出る日だった。その検査結果がお医者さまも驚いて何度も数値の書かれた表を見直すくらい「完璧」な結果だったというのだ。アントニアは良誓師に連絡して、「子どものように喜んでいた」という。ありがたい。アントニアは喜んでいて、検査結果のコピーまでプレゼントしてくれた。普通では40以下でならなければならない数値が、以前はどんなに頑張っても100くらいあって下がらなかった。だから、Veganのようなベジタリアン、食事制限をして病気と闘ってきた。「ワインも飲まないし、肉食も一切しない。小乗仏教のお坊さんみたいでしょ?」と言っておられた。
しかし、御題目をお唱えするようになってから、以前のような厳しい食事制限にこだわることをやめたという。とにかく、お看経、御題目、お供水。毎朝お看経させていただいて、毎夕お寺にお参詣して。そういう生活になった。それにも関わらず、これまでの検査で一番良いなんて。「これまでの努力はなんだったの(笑)、ケーキも食べるようになったのに。御題目の力ね!」と喜んでおられた。有難い。
レンツォとアントニアは、小さな小さな御宝前を護持していた。アントニアは「私の身体がちっちゃいから、御宝前も小さいの」と言っておられた。「小さな御宝前でもご信心は大きいよ」と良誓師。これから御戒壇を徐々に大きくされるそうだ。なにせ、ご信心をされるようになってから、まだ2年足らずなのだから。特に、アントニアは、現在のHBSイタリアのムードメーカーのように思う。本当に、彼女の献身的なご奉公ぶりはスゴイ。明るいし、ありがたい。
お看経の前に、ジェノバのティナ、ミルト、エンリーカ、悠樹くん、ティッツィアーノが合流し、レンツォとアントニア、私と良誓師の9名でお看経。このお看経では、ティナの30代で亡くなったご主人のご回向と、エンリーカの娘、カペッキの御祈願をさせていただいた。お看経終了後、御宝前から振り返ってティナに本門佛立宗に於けるご回向の意味、本来の仏教に於けるご回向についてお話しした。仏教でのご回向の基本的な考え方は、人間には長い命と短い命があるということはベースである、と。
アントニアは、麻樹ちゃんも認めるくらいお料理が上手なのだと聞いた。ちなみに、麻樹ちゃんの料理は天才的!病みつきになるくらい美味しい。その麻樹ちゃんが認めるアントニアの料理の腕前。
みんなと一緒に食堂に移動して、アントニアの手料理をいただいた。まずは、美味しいワインをいただきながら、歓談。彼女は南イタリアの出身で、トスカーナ料理とは少し違って良誓師たちにとっても楽しみだったみたい。パスタも彼女の手作り!そのパスタの粉も実家で作ったものだそうだ。すごい。
とにかく、本当に美味しくて、一見すると気難しそうなレンツォともゆっくりお話が出来たし、ティナもHBSのメンバーと仲良く話をしてくれていたのでよかった。イタリアの夕食の仕方は、こうして家庭の中で食事をしないと本当のところ分からないなぁと思った。ゆっくり、ゆったり時間が流れていくし、食べ方、順番も、あらためて「こういうものか」と勉強になった。
最初にワインを開けて、笑って話をしながらオリーブをお皿に取る。このオリーブもほとんどの家庭が自家製で、とっても美味しかった。明るい緑色の、大きなオリーブと、小さな濃い色のオリーブ。こんな美味しいオリーブ、日本にないわ。いや、イタリアのリストランテでも食べたことない(涙)。日本のぬかみそ、韓国のキムチ、みたいなもんかな(笑)。麻樹ちゃんのブログにも時々紹介されているけれど、イタリアではオリーブやお酒、お野菜とかも作ったり、家族で採りに行ったりするようだもの。
その後、お豆のおっきいの、名前忘れた。写真が多すぎて順番がバラバラになってしまったけど、上の方にある緑色の大きなお豆。これ、癖になる。ドカッと出てきて、ムキムキしながら食べる。みんな、お食事前にワインと一緒にパクパク食べていた。外側は食べない。中のお豆だけ。ジェノバから来たティナも南イタリアのお食事を楽しんでいたみたい。
そう、このブログ、本当は海外でのご奉公中にいただくお食事の紹介もしたいと思って、各地で写真をたくさん撮っているんだけど今まで書けなかった。指が動かん。時間がなかった。でも、これは書きたい。美味しかったなぁ、このお豆。「身体にイイ~!」っていう感じで、豊かな大地の味がしました(涙)。
それと、何種類かのパン。トスカーナのパンはお塩が入っていないという。すごくシンプルな味。だけど、何種類もある。だから、お皿にオリーブオイルをたらして、少しだけオイルの上に塩を振る(良誓師がやってくれた)。そして、そのオイルをパンにつけながらいただく。チーズも出していただいて、これを取り分けていただく。本当に美味しい。
その後に、お手製のパスタ。パスタの茹で加減を、良誓師とレンツォがチェック。アントニアとティッツィアーノさんがキッチンに立って茹でてくれていた。全て手作りで、茹で上がったパスタを自家製ソースと混ぜ合わせて出来上がり。これ、美味しすぎて写真を撮るの忘れました(汗)。すいません(涙)。
さらに続いてお野菜やポテトをパイのように焼いたサラダ(?)と、ほうれん草のサラダ。パスタの後で美味しいお口直し。ほんと、このほうれん草のサラダは何度もおかわりした(汗)。パイのようなものも、アントニアの真心が入っていて本当に有難い。
そして、メインはポークのローストかなぁ、包み焼きをしたようなお料理で、ジワッとした味わいが口の中に広がる一品。右の写真でミルトが持っているものがソレです。贅沢なお料理、これ本当に美味しくて、ほっぺが落ちそうだった。9名が食べるのだから、お料理する量も大変だったと思う。こうして大きなお皿にドカッとお料理を載せて、みんなで回して取り分けていく。メインのポーク料理に添えられていたポテトも本当に美味しかったなぁ。
さらにさらに、それが終わるとデザート。2つの種類を作ってくれていたのだろうだ。一つは、チョコレート風味のものを焼いてくれたもの。アントニアが差し出してくれているのがそれ。とっても美味しい手製のケーキ。
そして、もう一つはご主人のレンツォが作ってくれたのだという(涙)。有難いなぁ。本当の「ご供養」だなぁ。短い時間で、心を込めて私たちのために作ってくれた。昨日も、あれだけご奉公で飛び回って、忙しかっただろうに。本当にありがとうございます(涙)。
レンツォはどこか俳優のような雰囲気があるんだなぁ(笑)。ロバート・デニーロにも似てるよなぁ。「俳優みたいだね」と言うと、「そうなんだよね」と言っていた(笑)。イタリアの俳優さんの名前も言っていたなぁ。知らない人だけど。「髪の毛があった頃は、俺も格好よかったんだよね」なんて(笑)。レンツォ、パッと見たら怖いのに、結構おもしろい。
最後の最後、アントニアからのお勧めでレモン味のお酒?グラッパのようなものかと聞いたら、少し違うらしい。これはアントニアの従兄弟が作ってくれたものだそうで、とっても美味しいらしい。お食事の後となったら、みんなこうしてグラッパなどを飲んでいた。いただいたのだが、ちょっときつくてむせるくらい。でも、甘くて美味しかった。
こうして楽しく歓談しながらのお食事。ホテルに戻ったら23時を廻っていた。次の日が日曜日で9時にはお寺に行かなければならないので、ちょっと時間が遅くなりすぎた。明日がメインだから。頑張ってスイッチを入れないと。
しかし、それにしても充実した一日だった。何よりみんなとのコミュニケーションもゆっくりできた。それこそ大切なご奉公だった。御導師にご報告できることがたくさん感じられた。
また、何よりアントニアのご供養、ご奉公に心から感謝した。彼女は病気を抱えているが、これだけ素直なご信心が出来ていれば御利益をいただかれるのは当然だ。検査結果が示すとおり。本当にありがたい。
2008年2月24日日曜日
ミルトの家の御宝前
その夕、はじめてミルトの家を訪問した。いつも親会場でお会いしていたので、自宅に伺ったことはなかった。
ミルトといえば、神奈川布教区のグランデ・ファミリアで、イタリアを代表してご紹介した人である。私の2度目のイタリアご奉公の時、彼は私のインタビューに応えてくれた。彼が妻のエンリカといただいた御利益、何度か子供を流産して諦めようとしたが、良誓師からのご指導をいただいてお参詣を開始した。そこにイタリアのご信者さんたちが代わる代わるお助行してくださるようになり、エンリカは無事に妊娠することができたのだ、という感動的なお話だった。
あれから一年半。無事に誕生したのは元気な男の子。名前は、御法さまのお陰で生まれてきてくれた子どもということで福岡御導師が日本名を授けられて、「悠樹・フィリッポ」となった。インタビューの時、ミルトが言っていた。「このご信心は、他の人の為に祈ることが大事なのですね。ずっとそうするべきだと思っていたけれど、本当にそのことが分かりました。私も、HBSのグランデ・ファミリアです」と。ありがたい。
それにしても、この悠樹・フィリッポ。まぁ~、今回で二度目だったのだが、ヤンチャで元気で、うちの次男坊と同じくらいモンスターだった。僕の前で犬とずっとボクシングをしていたし、お看経の前に小さな犬用の出口に身体を突っ込んで抜けられなくなっていた(笑)。いや~、元気なのだから、有難いなぁ。
二人が出会った当時、エンリカはミルトの信仰を知らなかったという。彼女のインタビューで語られているのだが、二人で最初に旅行に行った時のこと。朝、ミルトが「僕には欠かせないお祈りがあるんだ」とエンリカに断って、それから20分ほど懐中御本尊でお看経をはじめたという。エンリカは最初は戸惑ったというが、それでもミルトの御題目の声を聞いているうちに彼の声に「安らぎ」を覚え始めたのだというのだ。本当にすごいお話、素晴らしいお話。ミルトのご信心の強さ、そしてエンリカの愛。
「御題目をお唱えする」ということは、こんなに身近で、大切なことなのだ。ミルトの姿勢から教えられる。だって、みんな、愛する彼女との、最初のお泊まり旅行で、朝のお看経をしっかりできる?そのくらい、ご信心が本物、本当だということだ。これはすごいよ。
今や、エンリカは素晴らしいご信者さんになられた。彼女の御題目口唱は誰より思いが込められていると感じる。そのくらい彼女のお看経の姿勢は素晴らしい。
ミルトは保険関係の仕事をされているが、ここ一年ほど仕事の状況がよくなかったという。ただでさえ、今のイタリアは経済状況が厳しい。一人の収入で家族を支えていくことは容易なことではないと聞いた。そんな状況にもかかわらず、彼は持ち前のご信心で毎日欠かさず親会場へお参詣をされ、お参詣をされるたびに御有志をされ、事務の役務ご奉公にも励まれてきた。こうして功徳を積んでいる人が必ずいただくように、厳しい状況だった彼も、最近になって仕事の量が倍に増えたという。今借りている仕事場のオフィスを購入することが視野に入ってきた、とこのお話を翻訳してくれた麻樹ちゃんから教えていただいた。
そのミルトとエンリカの御宝前、御戒壇。思いが込められている。お祖師さまの「古色」の御尊像もしっかりと護持されており、「おかとう」も「御綿」も、しっかりとお掛けしてお給仕しておられた。まず、リビングの壁一面、中央にご奉安されていたことが嬉しかったし、感動した。こんな風に素敵に、御本尊を奉安しておられる。水塔婆という小さな御塔婆まで、綺麗に配置されていて、毎日思いを込めてご回向をされているのだそうだ。
日本の若い人たちに教えてあげたーい。なんか、邪魔そーに、格好わるそーに、端っこに追いやられる雰囲気があるからなぁ、日本。それって、結局はご信心が自分のものではないということだ。押しつけではなく、自分で、精一杯の思いを込めて、「御本尊さまを自宅に迎える」という気持ちが大事。御宝前が自宅にあるのと、無いのとでは、天地雲泥の違いだ。無くても良いと思って生きていることこそ、幸せへ遠回りしていることなのに。
ミルトのお宅でティッツィアーノと待ち合わせをして、ティナを一旦宿泊場所に案内。私と良誓師、ミルトとエンリーカでお看経。気持ちの良いお看経だった。私から、1年前に撮影し大きく引き延ばした悠樹・フィリッポ・フリッツィの写真(御法門で使わせていただいていた)をプレゼントしたのだが、御宝前あるリビングの茶箪笥に飾ってくれていた。「この写真は額を買って飾るんだ」と言っていた。
ありがたい。
ミルトといえば、神奈川布教区のグランデ・ファミリアで、イタリアを代表してご紹介した人である。私の2度目のイタリアご奉公の時、彼は私のインタビューに応えてくれた。彼が妻のエンリカといただいた御利益、何度か子供を流産して諦めようとしたが、良誓師からのご指導をいただいてお参詣を開始した。そこにイタリアのご信者さんたちが代わる代わるお助行してくださるようになり、エンリカは無事に妊娠することができたのだ、という感動的なお話だった。
あれから一年半。無事に誕生したのは元気な男の子。名前は、御法さまのお陰で生まれてきてくれた子どもということで福岡御導師が日本名を授けられて、「悠樹・フィリッポ」となった。インタビューの時、ミルトが言っていた。「このご信心は、他の人の為に祈ることが大事なのですね。ずっとそうするべきだと思っていたけれど、本当にそのことが分かりました。私も、HBSのグランデ・ファミリアです」と。ありがたい。
それにしても、この悠樹・フィリッポ。まぁ~、今回で二度目だったのだが、ヤンチャで元気で、うちの次男坊と同じくらいモンスターだった。僕の前で犬とずっとボクシングをしていたし、お看経の前に小さな犬用の出口に身体を突っ込んで抜けられなくなっていた(笑)。いや~、元気なのだから、有難いなぁ。
二人が出会った当時、エンリカはミルトの信仰を知らなかったという。彼女のインタビューで語られているのだが、二人で最初に旅行に行った時のこと。朝、ミルトが「僕には欠かせないお祈りがあるんだ」とエンリカに断って、それから20分ほど懐中御本尊でお看経をはじめたという。エンリカは最初は戸惑ったというが、それでもミルトの御題目の声を聞いているうちに彼の声に「安らぎ」を覚え始めたのだというのだ。本当にすごいお話、素晴らしいお話。ミルトのご信心の強さ、そしてエンリカの愛。
「御題目をお唱えする」ということは、こんなに身近で、大切なことなのだ。ミルトの姿勢から教えられる。だって、みんな、愛する彼女との、最初のお泊まり旅行で、朝のお看経をしっかりできる?そのくらい、ご信心が本物、本当だということだ。これはすごいよ。
今や、エンリカは素晴らしいご信者さんになられた。彼女の御題目口唱は誰より思いが込められていると感じる。そのくらい彼女のお看経の姿勢は素晴らしい。
ミルトは保険関係の仕事をされているが、ここ一年ほど仕事の状況がよくなかったという。ただでさえ、今のイタリアは経済状況が厳しい。一人の収入で家族を支えていくことは容易なことではないと聞いた。そんな状況にもかかわらず、彼は持ち前のご信心で毎日欠かさず親会場へお参詣をされ、お参詣をされるたびに御有志をされ、事務の役務ご奉公にも励まれてきた。こうして功徳を積んでいる人が必ずいただくように、厳しい状況だった彼も、最近になって仕事の量が倍に増えたという。今借りている仕事場のオフィスを購入することが視野に入ってきた、とこのお話を翻訳してくれた麻樹ちゃんから教えていただいた。
そのミルトとエンリカの御宝前、御戒壇。思いが込められている。お祖師さまの「古色」の御尊像もしっかりと護持されており、「おかとう」も「御綿」も、しっかりとお掛けしてお給仕しておられた。まず、リビングの壁一面、中央にご奉安されていたことが嬉しかったし、感動した。こんな風に素敵に、御本尊を奉安しておられる。水塔婆という小さな御塔婆まで、綺麗に配置されていて、毎日思いを込めてご回向をされているのだそうだ。
日本の若い人たちに教えてあげたーい。なんか、邪魔そーに、格好わるそーに、端っこに追いやられる雰囲気があるからなぁ、日本。それって、結局はご信心が自分のものではないということだ。押しつけではなく、自分で、精一杯の思いを込めて、「御本尊さまを自宅に迎える」という気持ちが大事。御宝前が自宅にあるのと、無いのとでは、天地雲泥の違いだ。無くても良いと思って生きていることこそ、幸せへ遠回りしていることなのに。
ミルトのお宅でティッツィアーノと待ち合わせをして、ティナを一旦宿泊場所に案内。私と良誓師、ミルトとエンリーカでお看経。気持ちの良いお看経だった。私から、1年前に撮影し大きく引き延ばした悠樹・フィリッポ・フリッツィの写真(御法門で使わせていただいていた)をプレゼントしたのだが、御宝前あるリビングの茶箪笥に飾ってくれていた。「この写真は額を買って飾るんだ」と言っていた。
ありがたい。
2008年2月23日土曜日
ジェノバからのお参詣
眠くても眠れない、起きたら眠いという悪循環。ちょっと今回は厳しかったぁ(汗)。
イタリア、朝の3時。日本からの電話。昨年末からご信心をするようになられて、第三京浜を「御題目ロード」と名付けてくれたS氏から電話があった。海外にいるとか気づかなかったということだったが、電話で少しだけ話をすることが出来た。
いろいろなことがあるけれど、ご信心をしっかりと心に持って頑張っておられるとのことだった。本当に有難い。「声が聞きたかった。明日、頑張ってお参詣させていただきます!」と言ってくださった。声だけで元気が出るなら、Sさん、24時間受付中! 今日も電話、ありがとうございます。お義父さまのこと、ご祈願させていただきます!
イタリア、朝の6時。LAからの電話。ひろし君がLAに出張していて、明日日本に帰国するとのことだったのだが、今回はLAに留学中の本泉寺のゆかなちゃんを励ますために夕食に誘ってくれたりしたので、そうした報告だった。副社長・スチュアートの妹さんがご信心したいと申し出て、御本尊の拝受願いを持って帰ります、とのことだった。有難いなぁ。
しかし、頭がボーッとするくらい、眠い(涙)。さすがに今日はゆっくりスタート。2席のお助行だけなので、午後も遅くなってからフィレンツェ寺院(temple of Florence 香風寺別院)に向かった。少しだけ早く着きすぎたので、前の公園で一休み。すぐに良誓師とミルト、そして見知らぬ女性が車で到着した。
Tempioの中に入り紹介していただいた。それによると、彼女は違う日蓮宗系の会員であったが、次第に教えられることに違和感を感じて、不安感だけが増すようになり脱会したという。簡単には辞められなかったようだが、ついにはマンダラを返した。
しかし、その教団の活動には辟易していたし、教義にも違和感を感じていたのだが、「日蓮聖人」と「御題目口唱」の尊さは忘れられない。だから、インターネットで教えを探し求めていた。そして、HBSイタリアのウェブ・サイトを見つけて、良誓師にコンタクトを取った。その後、メールでのやりとりが始まった。イタリアの西北部、フランスとの国境に近いジェノバに住んでおり、良誓師も今日はじめて彼女と会ったのだという。お寺の雰囲気に感激し、御宝前をのぞき込んでいた。
彼女は、自分の街からおみやげを持ってこられていた。すかさず、良誓師が「これは御本尊さまにお盛物としてお上げしますね」と言うと、大変に感激していた。以前所属していた団体の教えによると、たとえば「お水」をブツダンに上げたとしてもその後はバシャッと捨てなければならないし、フルーツや野菜などを差し上げることも、そのお下がりを「いただく」ということもないのだという。どこか人間の「敬い」として「ナチュラル」ではない、と言っていた。HBSは違う、ごく自然な「敬い」として「お供水」「お盛物」というお給仕があり、その「お下がり」をいただいてご供養にさせていただくことがあります、今日のおみやげもそうしましょう、とお話ししたところ、感激していたのだった。
彼女の名前はティナ。一緒に御宝前でお看経させていただいた。良誓師が「最初のお看経なので、ゆっくりとお願いします。なにせ、最初にHBSでお看経をすると感激して興奮しすぎてしまうからね(笑)」と笑っておられたのが印象的だった。言われたとおり、ゆっくりと御題目口唱させていただいた。
良誓師とティナだけのお参詣で、私を含めてお寺には3人しかいない。しかし、驚いたことに、彼女ははじめてHBSのお看経をするはずなのに、最初から「無始已来~」と大きな声で私たちに付いてくるではないか。え~、なんで出来るんだろう?疑問に思った。
終わった後で聞いてみると、インターネットで良誓師とやりとりしながら、妙講一座を読み、CDやDVDに合わせて、たった一人、ジェノバの地で、本門佛立宗のお看経の仕方を練習をしてきたのだという。何ということ(涙)。有難いことだった。素晴らしく綺麗な御題目だった。さらに、「南無久遠~」までトライしていたのだから(汗)。こりゃ、日本の皆さん、負けますよ(汗)。
彼女はジェノバに友人たちがおり、その友人たちにも是非HBSを紹介したいと言っておられた。ありがたーい。
ジャパニーズ・カルチャー
ピストイアはフィレンツェから車で1時間程度の古い街。街は14世紀の城壁に囲まれていて、中世の雰囲気が色濃く残っている。特に大理石の縞模様が印象的な鐘楼、ドゥオーモがある。私の訪問はあっという間だったので分からなかったが、この街に住むサベリアからもらったガイドブックには古い歴史のことなどが書いてあった。この街には音楽アカデミーも多く、日本の美智子皇后がイタリアを訪問した際、このピストイアに寄られピアノの演奏を披露されたことがあるという。
そんな街に住んでいるのがサベリアで、彼女を初めて見たのは3年前だっただろうか。親しみやすい笑顔の女性で、妙深寺から参詣した人たちとも上手に交流してくれていた。聞いてみると、ちょうど3年前からご信心をされるようになり、1年前にご自宅に御本尊を奉安されたばかりだという。つまり、はじめて会ったときは懐中御本尊をいただかれたばかりだったのだろう。非常に精神的に辛く、厳しい状態だった。その時、このご信心、御題目によって救っていただいた。何とも有難い。
部屋にはいると、まず飛び込んできたのは、何と『キャプテン・ハーロック』のポスターであった。左側には「ベルサイユのばら」のポスターがあった。すごい、なんじゃこりゃ~と驚いたのだが、そうこれが現在世界を席巻する「ヨーロッパの21世紀型ジャポネスク・ブーム」であり、彼女はもともと「日本フリーク」なのであった。だから、お宅に入っていくと「ありがと~、ございま~す」と流暢な日本語での挨拶をしてくれたのだ。
すごいなぁ、日本カルチャー、ジャパニーズ・ブーム。こんなに浸透してる。中世の面影を色濃く残しているピストイアで、部屋の中を日本のアニメで飾るサベリア。すごーい。
御宝前の横の棚には、さらにすごいフィギアが飾られていた。アルプスの少女・ハイジやクララ、おじいさんまでいる(涙)。ドラえもんは勿論、ドラミちゃんもいる(涙)。銀河鉄道999のメーテルが旅行鞄(関係ない?)を持って立ってるし、ピカチュウもいる。あ、もののけ姫の男の子、名前は忘れたなぁ、何だったっけって(笑)、考えている間に時間が過ぎてしまう。実は、僕もニッポン人だもん、アニメで育ったのです。びっくりしたのは、彼女は僕が子供の頃に好きだった「ライディーン」の写真まで持っていたのです。それは合成写真のようなポストカードで、ピストイアの街にゲッターロボやマジンガーZやライディーンが現れた(汗)という設定の、非常にオタッキーな写真だった。
「ねぇ、これってオタク?」って聞くと、「ノー、オタク!」と言っていた。意味分かってるのかなぁ(汗)。とにかく、オタクではないということらしい。それにしても、彼女は日本の文化を心から愛しているんだなぁ。ご信心に出会う以前から、日本文化が大好きだったという。すごい、ニッポン。
しかし、「本門佛立宗」「御題目のご信心」を「日本のもの」とと単純に考え過ぎてはいけない。確かに、ヴィシシュタ・チャーリトラ(上行菩薩)はインドから見て極東である日本にお生まれになった。「日本」は、そういう意味で大変に果報がある(幸せだ)。ここに立脚して驕っていると、「ご弘通」イコール「日本文化を輸出」ということだと勘違いしてしまう。よく考えればこれはおかしな話で、もう少しお祖師さまの教えの中の普遍性にフォーカスしなければならないと思う。
彼女に「ガンダムは知らないの?」と聞くと、ものすごい反応が(笑)。「おー、ガンダム。シャア・アズナブルは私の永遠の恋人です」と。まいりました(汗)。僕も、もし女性だったらシャアのことを好きになっていたと思います。すいません、愚問でした(笑)。最近、ドラゴンボールの悟空が理想の男性だとか、シャアが永遠の恋人だとか、そんなことばかり聞くなぁ(汗)。本物の男性も頑張らないとなぁ(涙)。
とにかく、そんな彼女もHBSのご信者さんとして、立派に御宝前を護持して、日夜に御題目をお唱えしている。良誓師は、彼女の一番苦しかった時のことを知っておられるから、今こうして元気に、明るく生活し、ご信心してくれていることを心から喜んでおられた。サベリアは日曜日の御講にもお参詣していた。
イタリアの古都に日本文化を愛する女性が住んでいる。イタリアの古都に本門佛立宗の敬虔なご信者さんが住んでいる。何か不思議な気持ち。
でも、だから有難い。今の時代、全世界の人に「仏教」が必要。それもTrue Buddhism、御題目が必要なのだ。こうして広がりを見せていることは嬉しい。
サベリアの家で一座のお看経をいただいた。サベリアは綺麗な声で御題目をお唱えしていた。良誓師とアントニアも後ろからお唱えくださっていた。
家を出てフィレンツェへ向かったが、高速道路はフィレンツェ空港の手前から大渋滞。市内に入るまで1時間近くかかった。ようやく19時30分過ぎにお寺に到着。ミルトとエンリカ、悠樹・フィリッポ(日本名は福岡御導師がお付けになった御利益で授かった子)、レンツォが待っていてくれた。そのまま8時15分くらいまで夜のお看経をさせていただいて、その後ホテルまで送っていただいた。
イタリア到着から12時間後から始まったお助行。第一日目のご奉公が終わった。
ありがたい。
そんな街に住んでいるのがサベリアで、彼女を初めて見たのは3年前だっただろうか。親しみやすい笑顔の女性で、妙深寺から参詣した人たちとも上手に交流してくれていた。聞いてみると、ちょうど3年前からご信心をされるようになり、1年前にご自宅に御本尊を奉安されたばかりだという。つまり、はじめて会ったときは懐中御本尊をいただかれたばかりだったのだろう。非常に精神的に辛く、厳しい状態だった。その時、このご信心、御題目によって救っていただいた。何とも有難い。
部屋にはいると、まず飛び込んできたのは、何と『キャプテン・ハーロック』のポスターであった。左側には「ベルサイユのばら」のポスターがあった。すごい、なんじゃこりゃ~と驚いたのだが、そうこれが現在世界を席巻する「ヨーロッパの21世紀型ジャポネスク・ブーム」であり、彼女はもともと「日本フリーク」なのであった。だから、お宅に入っていくと「ありがと~、ございま~す」と流暢な日本語での挨拶をしてくれたのだ。
すごいなぁ、日本カルチャー、ジャパニーズ・ブーム。こんなに浸透してる。中世の面影を色濃く残しているピストイアで、部屋の中を日本のアニメで飾るサベリア。すごーい。
御宝前の横の棚には、さらにすごいフィギアが飾られていた。アルプスの少女・ハイジやクララ、おじいさんまでいる(涙)。ドラえもんは勿論、ドラミちゃんもいる(涙)。銀河鉄道999のメーテルが旅行鞄(関係ない?)を持って立ってるし、ピカチュウもいる。あ、もののけ姫の男の子、名前は忘れたなぁ、何だったっけって(笑)、考えている間に時間が過ぎてしまう。実は、僕もニッポン人だもん、アニメで育ったのです。びっくりしたのは、彼女は僕が子供の頃に好きだった「ライディーン」の写真まで持っていたのです。それは合成写真のようなポストカードで、ピストイアの街にゲッターロボやマジンガーZやライディーンが現れた(汗)という設定の、非常にオタッキーな写真だった。
「ねぇ、これってオタク?」って聞くと、「ノー、オタク!」と言っていた。意味分かってるのかなぁ(汗)。とにかく、オタクではないということらしい。それにしても、彼女は日本の文化を心から愛しているんだなぁ。ご信心に出会う以前から、日本文化が大好きだったという。すごい、ニッポン。
しかし、「本門佛立宗」「御題目のご信心」を「日本のもの」とと単純に考え過ぎてはいけない。確かに、ヴィシシュタ・チャーリトラ(上行菩薩)はインドから見て極東である日本にお生まれになった。「日本」は、そういう意味で大変に果報がある(幸せだ)。ここに立脚して驕っていると、「ご弘通」イコール「日本文化を輸出」ということだと勘違いしてしまう。よく考えればこれはおかしな話で、もう少しお祖師さまの教えの中の普遍性にフォーカスしなければならないと思う。
彼女に「ガンダムは知らないの?」と聞くと、ものすごい反応が(笑)。「おー、ガンダム。シャア・アズナブルは私の永遠の恋人です」と。まいりました(汗)。僕も、もし女性だったらシャアのことを好きになっていたと思います。すいません、愚問でした(笑)。最近、ドラゴンボールの悟空が理想の男性だとか、シャアが永遠の恋人だとか、そんなことばかり聞くなぁ(汗)。本物の男性も頑張らないとなぁ(涙)。
とにかく、そんな彼女もHBSのご信者さんとして、立派に御宝前を護持して、日夜に御題目をお唱えしている。良誓師は、彼女の一番苦しかった時のことを知っておられるから、今こうして元気に、明るく生活し、ご信心してくれていることを心から喜んでおられた。サベリアは日曜日の御講にもお参詣していた。
イタリアの古都に日本文化を愛する女性が住んでいる。イタリアの古都に本門佛立宗の敬虔なご信者さんが住んでいる。何か不思議な気持ち。
でも、だから有難い。今の時代、全世界の人に「仏教」が必要。それもTrue Buddhism、御題目が必要なのだ。こうして広がりを見せていることは嬉しい。
サベリアの家で一座のお看経をいただいた。サベリアは綺麗な声で御題目をお唱えしていた。良誓師とアントニアも後ろからお唱えくださっていた。
家を出てフィレンツェへ向かったが、高速道路はフィレンツェ空港の手前から大渋滞。市内に入るまで1時間近くかかった。ようやく19時30分過ぎにお寺に到着。ミルトとエンリカ、悠樹・フィリッポ(日本名は福岡御導師がお付けになった御利益で授かった子)、レンツォが待っていてくれた。そのまま8時15分くらいまで夜のお看経をさせていただいて、その後ホテルまで送っていただいた。
イタリア到着から12時間後から始まったお助行。第一日目のご奉公が終わった。
ありがたい。
チェーンメールだったようです
皆さま、
ありがとうございます。昨日このブログに「緊急のお願い」と題して書き込みをした件ですが、チェーンメールのようですと教えていただきました。
昨夜、ご信者さんから「友人云く、目処がついたらしいです。ありがとうございます」との連絡があったのですが、他の方から同様のチェーンメールが出回っていて問題となっていると指摘をいただいたのです。配信元を調べてみると、やはり同様の血液型だったので残念ながらチェーンメールの一種がご信者さんの下に届いて、今回の事態になったようです。ご迷惑をお掛けして、大変申し訳ありませんでした。下記のサイトでニュースになっていたのを教えていただきました。
ただ、悪質かもしれませんが今回のチェーンメールは、日本人の協力・協調する心や行動を確かめているようで、ただ単に憎むわけにもいかないような気がしてしまいました。もちろん、発信者は大変な罪を作っていると思いますし、心から心配し、翻弄されてしまった者としては哀しい限りですが。
いずれにしても、大変申し訳ありませんでした。重ねてお詫びさせていただくと共に、ご協力とご心配をいただき、御礼申し上げます。
ありがとうございます。
2008年2月22日金曜日
おしらせ (From HBS Italy)
今回、イタリアのご奉公中に、麻樹ちゃんと相談したことがある。
それは、イタリアを旅行したり、お仕事で訪れた方々に対する「ご案内」が必要ではないかということ。既にフィレンツェには立派なお寺が出来ているわけで、こうして私のブログでも紹介できるほど活発なわけだが、不定期にお参詣される方への対応ご奉公やセキュリティーのこともあって、ひとつのルールを作らなければならないだろうと考えた。「お寺だから参詣できて当たり前」と思っていただいても、観光寺院でもないし、全員がお仕事を持って交代で対応しているので、ご理解をいただきたい。ご弘通に於いても大切な時期なのだ。
お参詣は有難いし、これまでも多くの方がお参詣をされ、ご信心の交流をさせていただいたり、御有志をお預かりしたりしてきた。つい先日もお参詣があって良誓師などと交流されていたという。有難いことだ。これからもフィレンツェを訪れる方が多いと思うので、ここにご披露したいと思う。
麻樹ちゃんが文章を作ってくれた。下記の通り。
===========================================
本門佛立宗、香風寺イタリア別院(親会場)のご参詣日
日本から、本門佛立宗のご信者さんが、仕事で、観光でとイタリアへいらした機会に親会場へのお参りを希望される方のためにもご参詣日と時間帯をお知らせいたします。
月曜 午後7時半~
火曜 午前8時半~ 午後9時~ (一日2回)
水曜 午後7時半~
木曜 午前8時半~ 午後7時半から (一日2回)
金曜 午後7時半~
※原則的に土曜、日曜は地方でのご奉公や特別行事のため閉めております。イタリアの諸事情を考えまして、大変申し訳ないのですがご連絡のないお参詣はご遠慮いただきたいと思います。こちらのEメールアドレス hbs.maki@gmail.com へお問い合わせください。よろしくお願いいたします。
=========================
有難い。これで一安心。
イタリアを訪問し、フィレンツェ、特に香風寺イタリア別院(親会場)へお参詣される方は麻樹ちゃんへメールを送ってコンタクトしてください。
緊急のお願い
突然の依頼にて申し訳ありません。
どなたか、ご本人がお知り合いでもいいのですが、血液型がRHマイナスB型の方はいませんでしょうか? 知人のお子さんがリンパ性白血病の手術、血液不足の為に受けれられず困っています。
何とか、協力させていただきたいのです。お願いします。
長松清潤のメール・アドレス、seijun@butsuryushu.or.jpまでご連絡をいただけますか?
どなたか、ご本人がお知り合いでもいいのですが、血液型がRHマイナスB型の方はいませんでしょうか? 知人のお子さんがリンパ性白血病の手術、血液不足の為に受けれられず困っています。
何とか、協力させていただきたいのです。お願いします。
長松清潤のメール・アドレス、seijun@butsuryushu.or.jpまでご連絡をいただけますか?
無事に帰国しました
無事に帰国しました。ありがとうございます。これから頑張ってブログの更新しなきゃ。
ギリギリ、昨夜もお寺にお参詣して、みんなで一座のお看経をさせていただいた。今年の夏、2008年8月3日に渋谷・乗泉寺で開催される「青少年の一座」で、もしかすると海外のご奉公ぶりをビデオで紹介するかもしれないと聞いていたので、ここでもビデオを撮らせていただいた。綺麗に、丁寧に「無始已来」を唱えるエンリーカやアントニアの姿、そして良誓師のお看経、言上の姿。ありがたい。来月のブラジルでもフランスでも、何とか頑張って撮影してこようと思う。
フィレンツェの空港までタクシー。今回はゆっくり街を歩く時間も無かった。タクシーの中から街を眺め、京都と姉妹都市であるフィレンツェを考える。開導聖人は京都で御開講し、ご弘通を展開された。いま、欧州でフィレンツェからご弘通が進められていることには少なからぬ因縁があると思う。不思議なことだ。
フィレンツェは滑走路が非常に短くて、「おっそろしい空港」だと良誓師が教えてくれた。そういえば、到着した時も、着陸後に急ブレーキをかけてたなぁ。帰りはプロペラ機。この方が安全かもしれない。小さな飛行機に乗り込んでミュンヘンへ。こんな小さな飛行機に、ちゃんと荷物が乗っているのかなぁと、また心配してた(大丈夫でした。有難い)。
高度もそこそこのままアルプスを越える。温暖化で氷河が溶けていると聞いたり、スキー場が閉鎖されているらしいアルプス。大丈夫かなぁ。大丈夫じゃないだろうなぁ。アルプスを越えて、険しい山岳地帯を見ると思うことがある。それはアフリカからローマに攻め込んだハンニバルのこととか、アルプスの少女ハイジのこととか、谷間の村に住んでいるであろう家族のこととか。
ハンニバルは紀元前にアフリカから象を何十頭も連れて、アルプス越えをしながらローマに攻め込んだんだから、半端じゃない。ローマ人も慌てて、連戦連敗。そりゃそうだ。象ですよ、アルプス越えたの。凄すぎます。
ハイジは、幼稚園の頃に見ていて、日博上人の奥さま、つまりお祖母ちゃんを「いつかアルプスの少女ハイジの住んでいるスイスに連れて行ってあげる」と約束したのを思い出して、「ヤバイ、お祖母ちゃん連れて来なきゃ」と飛行機の中で思い出していた。お祖母ちゃん元気だけど、もう88才。早くしないと約束を守れないなぁ(汗)。
谷間の家々。そこにも人が住んでいて、そこに家族があって、人生があるんだろうなぁぁぁぁ、と考える。いつものこと。
ミュンヘンで乗り換えて、無事に日本に到着しました。またまた、こっちに帰ってきてもジェットラグでこんな時間。はよ寝なきゃ。
ギリギリ、昨夜もお寺にお参詣して、みんなで一座のお看経をさせていただいた。今年の夏、2008年8月3日に渋谷・乗泉寺で開催される「青少年の一座」で、もしかすると海外のご奉公ぶりをビデオで紹介するかもしれないと聞いていたので、ここでもビデオを撮らせていただいた。綺麗に、丁寧に「無始已来」を唱えるエンリーカやアントニアの姿、そして良誓師のお看経、言上の姿。ありがたい。来月のブラジルでもフランスでも、何とか頑張って撮影してこようと思う。
フィレンツェの空港までタクシー。今回はゆっくり街を歩く時間も無かった。タクシーの中から街を眺め、京都と姉妹都市であるフィレンツェを考える。開導聖人は京都で御開講し、ご弘通を展開された。いま、欧州でフィレンツェからご弘通が進められていることには少なからぬ因縁があると思う。不思議なことだ。
フィレンツェは滑走路が非常に短くて、「おっそろしい空港」だと良誓師が教えてくれた。そういえば、到着した時も、着陸後に急ブレーキをかけてたなぁ。帰りはプロペラ機。この方が安全かもしれない。小さな飛行機に乗り込んでミュンヘンへ。こんな小さな飛行機に、ちゃんと荷物が乗っているのかなぁと、また心配してた(大丈夫でした。有難い)。
高度もそこそこのままアルプスを越える。温暖化で氷河が溶けていると聞いたり、スキー場が閉鎖されているらしいアルプス。大丈夫かなぁ。大丈夫じゃないだろうなぁ。アルプスを越えて、険しい山岳地帯を見ると思うことがある。それはアフリカからローマに攻め込んだハンニバルのこととか、アルプスの少女ハイジのこととか、谷間の村に住んでいるであろう家族のこととか。
ハンニバルは紀元前にアフリカから象を何十頭も連れて、アルプス越えをしながらローマに攻め込んだんだから、半端じゃない。ローマ人も慌てて、連戦連敗。そりゃそうだ。象ですよ、アルプス越えたの。凄すぎます。
ハイジは、幼稚園の頃に見ていて、日博上人の奥さま、つまりお祖母ちゃんを「いつかアルプスの少女ハイジの住んでいるスイスに連れて行ってあげる」と約束したのを思い出して、「ヤバイ、お祖母ちゃん連れて来なきゃ」と飛行機の中で思い出していた。お祖母ちゃん元気だけど、もう88才。早くしないと約束を守れないなぁ(汗)。
谷間の家々。そこにも人が住んでいて、そこに家族があって、人生があるんだろうなぁぁぁぁ、と考える。いつものこと。
ミュンヘンで乗り換えて、無事に日本に到着しました。またまた、こっちに帰ってきてもジェットラグでこんな時間。はよ寝なきゃ。
2008年2月20日水曜日
ホウレン草?
うわ~、やっぱり更新には限界がありました。すでに、今日は帰国の日。もう空港に向かわなければ。
本当に充実したイタリアご奉公だった。御講も盛大に、大成功のうちに終了し、お助行も、毎日の夕参詣も有難かった。
ブログでは、まだ初日のご奉公、お助行について書いているのに帰国だなんて。本当に時間がない。それでも、実際に身体を動かすご奉公がメインだから仕方ない。しかも、毎日福岡御導師への報告書を書かせていただいている。これが一番大事。
僕の作る報告書は、ちょっとした自慢もの。御導師からお預かりしている地域のご奉公であるし、勝手なご奉公ではなく、詳細に、ご信者さんの名前、どんなことを相談され、どのようなことをお話ししたか、そして自分が肌で感じたこと、今後このようにした方が良いと思っているのですが、、、、という私見なども含めて、御導師に報告書を提出する。
これらは当然のことなのである。ご奉公とは、御宝前からお預かりして「させていただく」ものであり、同時に「受持」のご奉公や「代行」のご奉公は、責任のある方へしっかり報告し、継続したご指導をいただくからこそ「ご奉公」になるのである。それ以外、もしもそうした感覚がなくなって、自分勝手なご奉公になっているとしたら大慢心だし、もう御宝前とも御導師とも「切れてる」ということになる。「ご奉公」の「公」の字が「私」になって、「ご奉私」になる。良いことを言っていても「私に奉ってる」だけというわけだ。
とにかく、自坊の受持でも、これほど詳細な報告は上がってこない。だから、こうして自坊の外に出ている時に、「ご奉公とは本来こうしたものである」という手本を示したい。社会でも「報告」「連絡」「相談」の「ほうれんそう」というから当たり前のことだ。
しっかり、「受け持たせていただいている」「ご奉公させていただいている」ということを、口だけではなく実行しなければ意味がない。「出張報告」「ご奉公報告」は大事なのである。ちょっと見ていると独りよがりのご奉公(?)が多すぎると思うから。
ただ、このブログに書けることは限られているから、報告書を書いてクタクタになり、更新できないままになってしまうのだった。もう出なければならないから、また帰国後に更新しよう。
本当に充実したイタリアご奉公だった。御講も盛大に、大成功のうちに終了し、お助行も、毎日の夕参詣も有難かった。
ブログでは、まだ初日のご奉公、お助行について書いているのに帰国だなんて。本当に時間がない。それでも、実際に身体を動かすご奉公がメインだから仕方ない。しかも、毎日福岡御導師への報告書を書かせていただいている。これが一番大事。
僕の作る報告書は、ちょっとした自慢もの。御導師からお預かりしている地域のご奉公であるし、勝手なご奉公ではなく、詳細に、ご信者さんの名前、どんなことを相談され、どのようなことをお話ししたか、そして自分が肌で感じたこと、今後このようにした方が良いと思っているのですが、、、、という私見なども含めて、御導師に報告書を提出する。
これらは当然のことなのである。ご奉公とは、御宝前からお預かりして「させていただく」ものであり、同時に「受持」のご奉公や「代行」のご奉公は、責任のある方へしっかり報告し、継続したご指導をいただくからこそ「ご奉公」になるのである。それ以外、もしもそうした感覚がなくなって、自分勝手なご奉公になっているとしたら大慢心だし、もう御宝前とも御導師とも「切れてる」ということになる。「ご奉公」の「公」の字が「私」になって、「ご奉私」になる。良いことを言っていても「私に奉ってる」だけというわけだ。
とにかく、自坊の受持でも、これほど詳細な報告は上がってこない。だから、こうして自坊の外に出ている時に、「ご奉公とは本来こうしたものである」という手本を示したい。社会でも「報告」「連絡」「相談」の「ほうれんそう」というから当たり前のことだ。
しっかり、「受け持たせていただいている」「ご奉公させていただいている」ということを、口だけではなく実行しなければ意味がない。「出張報告」「ご奉公報告」は大事なのである。ちょっと見ていると独りよがりのご奉公(?)が多すぎると思うから。
ただ、このブログに書けることは限られているから、報告書を書いてクタクタになり、更新できないままになってしまうのだった。もう出なければならないから、また帰国後に更新しよう。
2008年2月19日火曜日
信心は日々に新たに
いま、フィレンツェのお寺から帰ってきた。夜の10時30分過ぎ。19時30分からの夕参詣だったので、お参詣者の方々と一緒に軽食を食べて帰ってきたらこの時間になっていた。眠い。
でも、このまま寝てしまったら、またブログが滞る。スリランカのことですら半分も書けていないのに、イタリアのご奉公までため込んでしまったら大変。恐ろしいので、お助行の続きを書く。
サンドラのお宅を出て、ミルトの車とアントニアの車の2台が連なって、プラトの街を目指す。そう、高速の途中にフィンランドの家具屋さん「IKEA」があったので写真をパチリ。この家具屋さんは世界的に安くて素敵な家具が揃っているので有名。最近は横浜にも出店した。日本への出店がない時に、LAでラリーに連れて行ってもらったなぁ。
パトリシアの家はプラトにある。フィレンツェの近郊の街。パトリシアは、ご主人を亡くしていた。その亡くなり方に問題もあり、最近では息子のアンドレアも多感な時期を迎えて問題が多い。パトリシア自身の兄妹にも行き違いがあって、いつしかひどいうつ病を患うようになり、そうした家族の問題に対処する気力もなくなってしまったという。彼女はご信心をするようになり、何とか乗り越えようとしている。そうした状況の中で、ミルトとサンドラがお助行を続けてくれている。
訪問してからキッチンでネコにご挨拶。イタリアのご信者さんはネコが好きだなぁ。ご挨拶が終わったら、やはりベッドルームにある御宝前へ。彼女が抱えている問題は事前に良誓師から説明を受けていた。そして、亡くなった前夫の名前と息子の名前も書いていただいたので、お看経の前に振り返って「これからご回向と御祈願をしますね」とパトリシアに伝え、一座30分のお助行をさせていただいた。
お看経終了後、そのままお話をさせていただいた。良誓師が通訳してくれた。彼女が現在の状況から抜け出すための、ご信心の仕方、ポイントを伝えたいと考えた。内容は以下の通り。
まず、御本尊は生きてまします、こちらがしっかりと心を使い、心を捧げることが出来ていれば、必ず応えてくださるのがHBSのご信心である。
だからこそ、HBSのご信心では、毎日毎朝毎夕、リフレッシュすることが大切だと教えていただく。なぜなら、私たちが一番恐れるのは「慣れ」なのである。御題目口唱も、「ただ唱えれば良い」と思っていたらいけない。背中は丸まるし、目はつぶるし、声も出なくなる。
パトリシア。あなたの抱えている問題はよく分かる。日本でも同じような方がたくさんいるし、私もそうした方へのご奉公をしている。生きる気力が湧いてこない、心の中に力がない、エンプティーになっていると思う。それは良く分かる。しかし、この御本尊の前に座っている時だけは、御本尊に心を向けなさい。姿勢を正しなさい。目を開きなさい。声をしっかりと出して、御題目をお唱えしなさい。これは、ガソリンを入れているのと同じです。このことが積み重ねられれば、心にエネルギーが溜まってきて、自分のカルマが転じてくる。カルマが転じて、ご利益を感じられるでしょう。
あなたは悟り開いた直後の、ブッダの最初の御法門を知っていますか?「四諦」といって、4つの重要なセオリーを示したことで有名ですが、この教えのエッセンスを簡単に言うと「Give up」です。いや「Give up」というと誤解するかもしれないから言い換えると、「accept」。「受け入れること」です。つまり、今の自分の状況を受け入れる。それは誰のせいでもない、誰のせいにも出来ない。自分のカルマと受け入れる。アキラメル。しかし、そこで普通なら苦しくて、「自分を責めるだけになる」、あるいは誰かに「依存」したくなり、「失望」したりする。しかし、その前提の中で、私たちには、その「カルマ」を転じる方法がある。それが御題目口唱、私たちのご信心ではありませんか。
ですから、御題目口唱は、他人任せではいけませんね。あなたは、幸いなことにミルトやサンドラという素晴らしい友人、いや家族以上の温かい人を持っている。彼らは、あなたの御題目口唱をサポートするために家に来てくれている。しかし、それはあくまでもあなたの御題目口唱のサポートなのです。ご利益は、勝手に、誰かが運んできてくれる、誰かがデリバリーしてくれるものではありません。誰かが与えてくれるものではないと心得ましょう。自分で、御本尊にいただきに行くのです。その姿勢が大事です。
だから、HBSでは、古いメンバーというだけでは「何も偉くない」と言われてしまいます。古くても新鮮な信仰心を維持している人が尊敬されるのです。私などは得度してから20年以上も経ちますが、私は良誓師や新しいメンバーから新鮮な信仰心をインポートしています。古いだけではダメです。長くやっているだけではなく、日々にリフレッシュしてください。リフレッシュ、「日々に新たに清く」が大事です。私も、あなたのことを御祈願しますからね、日本から。
そして、元気を取り直して、みんなで笑顔でキッチンへ。パトリシアはケーキ作りの名人で、いつもお寺にケーキを焼いてきてくれるということだった。早速、パトリシア手作りのケーキをいただいた。
それにしても、トスカーナを縦横無尽に駆け抜けてお助行できるなんて有難い。良誓師、ミルト、アントニアが車に乗る前に写真を撮った。イタリアの菩薩たち。
2008年2月18日月曜日
イタリアの御戒壇 サンドラ宅にて
アントニアさんがクラウディオさんの家の近くまで車で迎えに来てくれていた。今日は彼女の運転でお助行に廻ることになった。今回のイタリアご奉公で痛切に感じたのだが、今や彼女がHBSイタリアのムードメーカーになっているようだ。明るくて、元気で、良誓師のご奉公を支えておられる。
もともと、彼女のご主人であるレンツォ氏が良誓師から勧められてご信心するようになった。その時、彼女はご信心について何の関心も払わなかった。しかし、この1~2年の間に本当に彼女がご信心を掴み、御題目口唱、お参詣、ご奉公に励むようになった。彼女たちには他の日蓮系仏教などの先入観がないので実に素直で率直だし、純粋培養のHBS信徒というわけである。こういうメンバーが、特にこの1~2年で増えている。クラウディオ氏もレンツォ氏も、アントニアもそうだ。
そんな彼女だが、ご信心をされるずっと以前から、ある病気を抱えておられたという。何と15年間もの永きにわたって治療をしてきたという。その年に一度の検査結果が「2月16日、明日出るんです」と言う。よりによって明日とは。その検査結果の前日に、一日中、運転のご奉公。その功徳で御利益がいただけますように、と。お助行のお席毎にアントニアの御祈願をさせていただいた。
次に訪問したのは、SESTO FIORENTINOにあるサンドラのお宅。彼女はHBSイタリアのセクレタリー(秘書)としてご奉公してくれているという。毎週日曜日、一般の方がお参詣する1時間前にお寺にお参詣して、お掃除をしたり、コーヒーを入れたり、準備ご奉公をしてくれているようだ。電話連絡やスケジュール管理も彼女のご奉公だという。今回は少しだけ風邪で熱があると言っていた。私は彼女に会うのは4度目だと思うが、こうしてゆっくりとお話をするのははじめてだった。
サンドラの家にはミルトが来ることになっていて、彼が来るまでお茶をご馳走になりながらお話を聞いた。彼女の願いは「良い旦那さんを見つけること」だそうだ。「ただの旦那さまではなく、『良い』旦那さまね(笑)」と。良誓師と「よし、御祈願しよう!(笑)」と話していた。現在はルームメイトと一緒に住んでいるとのこと。落ち着いたお宅だった。
ベッドサイドに御奉安された御本尊。その御宝前は、何とも温かく、柔らかく、素敵だった。イタリアの御戒壇の在り方は実に多様だ。なぜ、こうしたオリジナルの御戒壇がイタリアのHBSでは多いかというと、急速に進展するのスリランカのご弘通と同様に日本の形式の御戒壇が追いつかない。彼らは、初期の佛立講がそうであったように、古い日本式の仏壇を改造したり、イメージしながら「御本尊」の御奉安を精一杯されている。そして、特に開導聖人が「三方開き」で目指されたように、日本独特の奥まった仏壇ではなく、御本尊が誰からも見えるように「三方」に「開かれた」ような作りを目指す。
他の日蓮系仏教諸宗などでは、「ブツダン」について「これでなければダメだ」と言うらしい。非常に強制的だ。彼らは、ブツダンに水を上げても、そのまま捨てろと教えるし、野菜やフルーツをブツダンに上げることを禁じている。ずいぶん、HBSと違うものだ。
そうした宗派から転入する人は、いち早くそういう「ブツダン」を取り払う。そして、彼らはHBSの教えである「御本尊を誰もが拝見できるような形で御安置する」ということを守りながら、一生懸命に工夫しながら「御戒壇」を作り、御本尊を拝受いただくのだった。もちろん、日本などで「何でも良いですよ」という訳ではない。スリランカでもリーダーの指示でされているし、ブラジルでも豪華なキャビネットのような御戒壇や手作りの御戒壇など、多様な形式の御戒壇を拝見したが、全て御導師のご許可の下で行われている。イタリアでも、福岡御導師や良誓師の指導もあってされている。それは、住宅様式の変わった日本にも逆輸入したいくらい(事実、いま新しい御戒壇をひろし君用に開発中である。内緒)。
ミルトが到着して、全員でお看経。何より、みんなの御題目口唱の声が綺麗だ。スリランカでもそうだが、日本人よりも御題目の発音もはっきりしていると感じてしまうことがある。彼らは、言語の違いがありながら、丁寧に「ナムミョウホウレンゲキョウ」と口にしていることが分かる、伝わってくる。ありがたい。
また、お看経の後で、最近の彼らの菩薩行、ご奉公を聞いた。ミルトとサンドラは交代で次に訪問するパトリシアの家にお助行に通っているという。1週間に2~3回通って、彼女がご利益をいただけるようにご奉公しているという。パトリシアの抱えている問題については次に書きたいが、こうしたご奉公ができていることが嬉しい。
クラウディオさんの言葉
2月17日の日曜日。10時からフィレンツェ寺院(temple of Florence 香風寺別院)に於いて、盛大に御講を奉修させていただいた。良誓師が言っておられたが、遠くミラノやジェノバからもお参詣者があり、本当に感動的な御講だった。昨夜は部屋に戻ってからも胸に込み上げるものがあって、有難かった。こんな風に、ご弘通が進展して、嬉しいなぁって。
御講のことはさておき、最初にお助行のことを書きたい。時間が無くて書けなかったが、一人一人のお宅に伺うことで、彼らのご信心が分かるし、彼らのご信心の在り方、考え方をお聞きすることもできる。ぜひ、ご紹介したい。
お助行初日、最初のお席はクラウディオさんという方のお宅。フィレンツェ市内で、お寺からも近いお宅だった。クラウディオ氏はアパレル関係のお仕事をしている。日本のエビス・ジーンズとも取引があるそうで、山根社長も知っておられるという。私も御縁があるので驚いた。不思議な御縁。仕事は非常に順調にいるとのこと。良誓師は「クラウディオ氏は、本当に志が篤くて、お寺へたくさんの御有志をしてくださるのです。そのくらい、ご信心の有難さを感じているのです」と言っておられた。
現在は一人で暮らしておられ、二人のお嬢さまが週に一回訪ねてこられるという。ご信心との出会いは今から2年ほど前。良誓師からの勧めで「御題目口唱」という「修行」を始められた。これも大切なことだと思うが、「宗教に入る」と身構えたものではなく、「ブッダの教えを実践する」という「修行」=「口唱」を一番前にするのが末法相応であると思う。もちろん、彼は実践してみて、多くのことを感じた。だから、今は献身的なご信者になっている。HBSの信仰一筋という方だ。
時間の都合で20分ほどお看経。その後、少しだけインタビューさせてもらった。
クラウディオ氏曰く
「仏教は人生の哲学であると共に、それは遠くにあるものではなく実践的な教えだということを知った。自分にとってブッダの教えは人生の視界を広げてくれるものだったし、自然な自分を発見し、それを維持する術である。特に、御題目口唱は、心の中に本当の安らぎを与えてくれる。イタリアに宗教は、すぐそこにあると思っているかもしれないが、人々にとっては遠くにある。その宗教は、人生からかけ離れたものになっていて、説教の中だけ、テレビの中だけ、セレモニーとしての宗教なのだ。しかし、御題目のご信心は違った。ライフスタイルに密着している。ライフスタイルに密着させるからこそ有難いのだ。HBS WAYは本当にライフスタイルに密着したものだ」
こういうコメントを心に刻んでおく必要がある。日本の葬式仏教などは論外。しかし、本門佛立宗のご信心は、彼の言葉の通り、活きたものでなければならず、ライフスタイルに密着したものでなければならない。もし、開導聖人の開かれた本門佛立宗が、単に儀礼的・セレモニー化したものになったり、ライフスタイルとかけ離れたものになっていたとしたら恥ずかしい。いや、「佛立信仰」というものは本来ライフスタイルに密着した活きた仏教なのである。間違った「イメージ」を持って勘違いをしていてはいけない。クラウディオ氏の言うとおりだ。
私は、「特別に、御祈願などを持っていますか」と尋ねた。クラウディオ氏は、
「私に特別な御祈願はありません。御題目をお唱えする、という『修行』を、ただただ丸呑みにして、朝夕に実践している。それで、十分にご利益があるんです。ご利益を感じているんです。自分と人生がナチュラルなものになる」
続いて、私から「お教化はどうなんでしょうか。あなたはご信心を他の人に勧めたことがありますか?」と「こう言っておられても、お教化はしてないんじゃないかなぁ」とイジワルな質問をしてみると、クラウディオ氏と良誓師が喜び勇んで、
「えぇ、もちろん。既に、フィレンツェにあるHBSのお寺のこと、ご信心のことを伝えて、彼は友人を連れてきました。そして、その友人もご信心をするようになり、今でもきちんとお参詣するようになってます」
と答えてくれた。
と答えてくれた。
参った。すごい。木で作った素敵な箱をプレゼントしてくれた。ありがたい。
2008年2月16日土曜日
フィレンツェ近郊を走り回り
ひどいジェットラグで、昨日の後半はとても眠かった。
しかし、充実していて、本当に有難い一日だったなぁ。フィレンツェに到着してから、12時間後にはご奉公に駆け回っているんだから、眠いのも仕方ない。海外弘通の先駆者である福岡御導師はいつもこういうスケジュールなのだから、若い私たちはボーッとしている訳にはいかない。息つく暇も与えてくれないのは嬉しい悲鳴だ。
そのことを麻樹ちゃんにメールをしたら、お父さまである福岡御導師とロスへご奉公に行かれた時を思い出されて、
「海外は特にみんなお教務さんを恋しく、首を長くして待ってるんです。だから、滞在期間中、めいいっぱいご奉公がびっしり。自由時間なんて、気の聞いた配慮はありませんでした。むこうも、いいたいことや相談、随行ご奉公で精一杯なんですね」
と書いてきてくれた。
今回は日曜日と火曜日に麻樹ちゃんに会える。日曜日はローマからフィレンツェにお参詣してくださるし、火曜日は私がローマにご奉公に伺う。こうしてイタリアにいて、連日一緒ということはないけれど、麻樹ちゃんがいてくれることでどれだけ心強いか。有難い。
とにかく、昨日はフィレンツェ近郊をアントニアの運転で走り回ってご奉公させていただいた。それぞれ小さな街の、一人一人のお宅に伺ってお看経とお話。こんな有難いご奉公はない。
今日は夕方にフィレンツェのお寺に行く予定。昼間はホテルの部屋にこもって、明日の御講の準備をするつもり。昨日、ご奉公しながら肌で感じたイタリアのご信者方の雰囲気を、明日の法話の中に盛り込みたい。明日の主なテーマは「エクソシスト」!たのしみ~!って僕が言うのはおかしいなぁ(汗)。
2008年2月15日金曜日
フィレンツェの朝
眠い目をこすりながら、朝食のために部屋を出た。昨日は曇っていたのだが、今日は青空が見えている。
ホテルを10時に出て、センターに向かう。そこからタクシーでアントニオの家に行ってお助行。次のお宅にはアントニオの車で移動していくという。
このホテルには4度目の滞在。最初に妙深寺からの団参で泊まらせてもらった時から他のホテルを使わずにこのホテルを使うようにしている。屋上に、とても広いテラスがあって、市内を見渡せる。駅にも近いし、ローマに出るときなどは便利だ。
周りを見渡すと教会ばかりだから、写真も教会だらけになる。それは許していただこう。フィレンツェには有名なサンタ・マリア・デル・フィオーレ寺院があり、このドゥオモは市内のどこからでも見える。ジョットの鐘楼も大きい。朝食を食べる部屋の窓から、朝日を浴びて浮かび上がっている。すごいものを建てたものだ。100年近くかけて建設されたというのだからすごい。圧倒的な迫力がある。
しかし、この街で、仏教徒が育っているのである。それを思うと、福岡御導師やダニエレ・良誓師たちのご奉公の素晴らしさが分かる。カトリックの本家、しかもフィレンツェというサヴォナローラまで生み出したカトリシズムの強い街で、仏教が、本門佛立宗の信仰が求められ、語られ、伝えられているという事実こそが尊いではないか。そのことの意義を知らなければならない。
それにしても、このホテルの朝食は美味しい。いつもながら、ただのハムなのに、なんでこんなに美味しいのだろう。チーズも特別なものではないし、パンだって普通のものだろうに、口に運ぶとびっくりするほど美味しい。
「少し食べ過ぎたかな」と思うくらい。いや、今日の一日、元気でご奉公させていただくために、しっかり朝食をいただいて、スタートしよう。
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