2014年5月31日土曜日

婦人会錬成会ー。


今日は神奈川布教区の婦人会錬成会で講演をさせていただきました。

準備もギリギリまでかかり、申し訳ない次第です。

約300名もの方々にご参加いただきました。本当に、有難いです。

京都佛立ミュージアムで開催していた「宮沢賢治と法華経」について、分かり範囲のことをお話させていただきました。

もう、賢治からブラジルになって、さらにインドになって、またブラジルになっている時だから、頭の引き出しを入れ替えるのが大変で、弱りましたー。

しかし、やっぱり、自分にとって、自分のご信心にとって、宮沢賢治は欠かせないものであることを、痛感しました。

今から22年前、平成4年、1992年に書いていた日記に、はじめて賢治さんのことを書きました。

変な字。

丸い字。

生意気。

しかし、よかったです。

話をしながら、思うのは、やはり、何度お話しても、涙が出るということです。

百ぺん、どうにかなっても、助けにいくからね、待ってるからね、どこまでも、どこまでも、僕たち一緒に行こうね、と。

菩薩行の、原点ではないですか。

ほんたうの道だけ、分かっていただけたら、有難いことです。

2014年5月30日金曜日

カフェ・パウリスタつながり

二泊三日、大本寺・乗泉寺に宿泊させていただき、ご奉公させていただくことが出来て、有難かったです。

日晨上人にご剃髪をいただいてから33年、乗泉寺の末寺・妙深寺の住職を拝命してから来年で15年。

大切な節目となりました。

渋谷から世田谷まで移動しました。これから日歓上人の祥月ご命日法要、併せて大本寺奉仕会の修了式です。

さて、少し早く着いたので、世田谷別院の近くの喫茶店に立ち寄りました。

清顕師は、パッとスマホで検索し、ナビしてくれて。

入ってみたら、時間が止まったかのような、すてきな喫茶店でした。

上品な奥さまが珈琲を立てておられて。

なんと、このお店、パウリスタ、ということは、そう、お聞きしたら、あの銀座のカフェ・パウリスタとも関係し、三代も引き続き、昔は九段にあり、、、、と。

もはや、すごすぎて、こわいわ。

がんばろう、ブラジル展。

2014年5月29日木曜日

渋谷の朝

昨日から、渋谷の乗泉寺に寄宿させていただいています。二泊三日の日程の大本寺奉仕会。

明日までの日程です。

昨日も手術の方がおられ、今日も手術を受けられる方がおります。

ご祈願させていただきます。

2014年5月28日水曜日

お助行

ようやく、一つ、二つ、三つの、原稿が、書き終わりました。

 

もう2時

 

今日は、陸前高田へ搬送する巨大なモノをどうするか、打ち合わせ。13時から大和法深寺で支庁協議会に出仕させていただきました。

 

先ほど、いつもブログ等で励ましてくださっている方のお母さまが、脳梗塞で倒れられ、病院に搬送されたという連絡をいただきました。

 

みなさまの御題目口唱、ご祈願、お助行をいただければと、お知らせいただきました。

 

坂井禮子(さかいれいこ)さまというお名前です。

 

どうか、よろしくお願いいたします。

 

長松清潤拝、

2014年5月27日火曜日

「東日本大震災3年 復興支援 ハチドリのひとしずく展」エンディング

「東日本大震災3年 復興支援 ハチドリのひとしずく展」



これまでオープニング映像だけインターネットやフェイスブックで公開しておりました。



無事にフィナーレを迎えましたので、ここにエンディング映像を公開させていただきたいと思います。



少々長いですが、この企画展に対する想いを込めております。



よろしくお願いいたします。





テラコヤスコラvol.14 復興応援チャリティー講演会 NHKチーフ・プロデューサー 松丸慶太氏



2014年5月26日月曜日

静かなミュージアムにて

雨の京都。静かなミュージアム。

昨日をもちまして「ハチドリのひとしずく展」を終了させていただきました。

東日本大震災。

被災地から遠く離れた京都ではありますが、延べ2200名ほどの方々にご来館いただくことが出来ました。

昨日も、475名の方々にご来館いただきました。

心から感謝いたします。

そして、この企画展は、やはりボランティアの方々、佛教大学の学生の方々、スタッフ、委員の方々のご協力があってこそ、開催することが出来ました。

昨日も、佛教大学の学生の方々が、最後までボランティアとして参加くださっていて、感激でした。

隔週のような講演会や復興支援イベント、煩雑な支援物品の販売作業など、大変なことが多かったはずです。

それでも、みなさん笑顔でご奉公くださいました。

昨夜、NHKの松丸プロデューサーにも、本当に温かいお言葉をいただき、みなさまの姿勢、重ねてきたことについて、お褒めいただきました。うれしかったですー

本当に、みなさま、ありがとうございました。

ハチドリやキジのようにー。

少しでも、被災地の現実、被災地への支援、とにもかくにも知っていただいて、何らかの行動を起こせる、そうした中継点として、お役に立てたのであれば、存在価値もあり、開催してきた意義も増し、有難いことだと思います。

まだまだ、足りないかもしれませんが、微力ではあるが、無力ではないのだから、続けてゆきたいと思いますし、続いてゆくと信じています。

今日は、ひっそりと静まったミュージアムで、次回企画展「ブラジルと仏教展」の最終の詰めを行っています。

終わりなし。

果てしなし。

妥協なし。

まだまだ全く目立たない、小さな小さなミュージアムのくせに、精一杯ご奉公させていただけば、この世界はよりよく変わってゆくはずだと、本気で信じていますから、ありがたいし、おめでたいです(笑)。

ご奉公って、全部そうだと思います。

御教歌
〝世の中を うらむはおろか かひもなし 苦楽はおのが 報ひ也けり

他人のせいにしても仕方ない。

世の中を恨んだって、仕方ない。

自然災害も増え続けてゆくし、考えられない事件や事故もあります。

来年は世界大戦の終結から70年の節目を迎えるというのに、一触即発とも思える危険な兆候が見て取れます。

本当に、恐ろしいです

でも、後になって嘆きたくはない。

〝自業自得〟と言われる前に、出来ることをしなければ。

そういう意味で、日々のご信心も、日々の菩薩行も、こうして京都佛立ミュージアムという場所をいただいて、ご奉公させていただくことも、有難いこと、意味あること、意義あることだと思います。

世界はよりよく変わる。

本気でそう信じること。

ハチドリみたいに小さいミュージアムですが。

とにかく今日は没頭しますー。

2014年5月25日日曜日

知らずにいるのは罪になる

壮絶な、しかし極めて客観的事実に基づく、素晴らしい講演です。

電力に依存しながら生きている私たち一人ひとりにとって、知らずにいるのは既に罪です。

京都佛立ミュージアムに、松丸プロデューサーが来てくださり、このような素晴らしい講演会が開催できたことは、本当に、有難い。

『福島原発事故への道のり』 本日14時より京都佛立ミュージアムにて講演会

『福島原発事故への道のり』

本日、14時から京都佛立ミュージアムでチャリティー講演会があります。

講師には、NHKの番組チーフプロデューサー、松丸慶太氏をお迎えいたします。

今朝、門祖総講を勤めさせていただき、少し遅れましたが私も京都に向かっています。

真実の一端、その背後に蠢く様々な力、その歴史を、この講演会を通じて、知っていただきたい。

インターネットでも中継いたします。本当に、松丸プロデューサーには感謝です。

「義を見てせざるは勇なきなり」

ぜひ、ご来館、ご視聴ください。

http://www.ustream.tv/channel/HBSjapan

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復興応援チャリティー「講演会」

講師:NHK チーフ・プロデューサー 松丸慶太氏
 
平成26年5月25日(日) 14:00~
京都佛立ミュージアム/Kyoto HBS Museum
 ※見学料無料/参加予約の必要はありません。どなたでもご参加ください

テーマ『 福島原発事故への道のり』

被爆国が原発を導入したのは平和のため?!
原発に最後まで尻込みしていたのは電力会社?!
「安全神話」は国と電力会社と住民の合作?!
日本の原子力発電の歴史を紐解き、
私たちの「これから」を考える… 
 
地震と津波という自然の営みに、原発の安全神話は脆くも崩れた。
今なお続く復旧作業の傍らで、“犯人捜し”が繰り広げられている。
 
世界唯一の被爆国として、自然災害への対策を講じることなく、安全神話という幻想を生み出したのは、なぜか。

震災後、NHKはこの疑問に答えを出すべく、膨大な文書資料を読み解き、関係者への取材を敢行し、ETV特集として3本立てのドキュメンタリー番組を制作した。
 
ディレクターとして、責任の一角を担った松丸慶太氏を迎え、福島原発事故の真相を明らかにするとともに、エネルギーに限らずあらゆる面で、今後の課題について考える。
 
東日本大震災を、素晴らしい未来の扉を開くきっかけにするために…

USTREAMでの閲覧は下記よりアクセスください。
http://www.ustream.tv/channel/HBSjapan

2014年5月24日土曜日

今日は妙深寺オープンデー

昨日、無事に帰国しましたー

今日は妙深寺オープンデー。午前中は子育て学講座、13時から妙深寺寄席です。

私は12時から教区御講。いま向かっております。帰山後、17時から仏教講座。ボーズバー。まったく容赦ありません。ありがたい。

今日の妙深寺寄席は、第一回にもご出演くださった、立川志の八さんに再びご登場いただきます。

《志の八さんプロフィール》
神奈川県横浜市戸塚区出身の落語家。神奈川県立汲沢高等学校を経て町田デザイン専門学校を卒業。その後は会社勤めをしていたが、二〇〇〇年五月、落語立川流・立川志の輔門下に入門、兄弟子の志の吉に続く二番弟子となる。二〇〇九年二月、二つ目に昇進。二〇一一年三月、第十回さがみはら若手落語家選手権にて優勝。第一回妙深寺寄席に出演。

今日のスケジュール。

10:00~ 仏教的!? 子育て学講座(妙深寺ガラスの間)
13:00~ 第3回 妙深寺寄席
15:00~ お坊さんの書道教室(妙深寺ガラスの間)
17:00~ 誰でもわかる仏教講座(妙深寺本堂)
18:00~ ボーズバー“Lotus”(妙深寺ガラスの間)
※「仏教講座」「ボーズバー」は、例月と時間が変更になっています。

2014年5月23日金曜日

主役は

今回の主役は、この青年でした。

ユージ。

このインドで、得度を決意、みんなの前で、表明しました。

誓い。

みんな、泣きました。

たくさんの誓い、決意、思いのあったインドでした。

ユージが、そうしてくれました。

あと、50年後まで、本門のご信心は、大丈夫と期待する。

信じます。

あまりにも、泣いてしまって、ドクターと一緒に〝泣き虫〟と言われました(涙)。

でも、本当に、涙が出るほど、ありがたかったです。

ユージ、ありがとう。

佛立教務は、世界一、宇宙一、すてきな、幸せな、もったいない生き方だと思います。

よー、決意してくれた。聞かせてくれた。

ありがとう。

さらに、特別の旅になりました。

2014年5月22日木曜日

忘れません

もう少しで、インドから離れます。

再出発。

一年365日ある中で、お釈迦さまのお生まれになった満月の夜。

月、太陽、霊鷲山。

天を動かすのは大変なことですが、私たちは導かれるように、ここに、この日に、来させていただき、素晴らしい夕陽と夜明けを拝見することが出来ました。

そして、果てしなく続くインドの荒野と同じように、その前途は尋常ではないほど険しい道になるかもしれませんが、ラージギルのバライニ村にご弘通の拠点を開くことが出来ました。

この厳しい旅へ、命がけで参加くださった小林御導師にご唱導いただいてスタートできたことは、かけがえのない歴史となりたした。そのお徳をいただき、想いと誓いを新たにして、ご奉公させていただきます。

ご奉公する私たちにとって絶対のご因縁があり、小林御導師でなくてはならなかったことが、次々と、現証として明らかになり、まさに御法さまと御導師には恐れ入るばかりでした。

決して、忘れません。

3年前より道が悪く、ハードスケジュールで体調を崩された方もありました。体力有り余るブラジルの方々ですらそうでしたから、厳しい旅、苦しい旅でした。

しかし、だからこそ、本当に、仏陀の足跡を確かにたどり、その全ての場所では御題目をお唱えさせていただき、それぞれの信心の、本当の懺悔、改良、増進になったのだと信じます。

そして、それを、本物にしたいから、各国に帰る皆さまに、お伝えしたいと思います。

苦しい旅と書きましたが、私が思うに、信心だけになれたこの期間ほど、幸せはありません。

それぞれの国に帰れば、いろいろなことがあります。いろいろなご奉公があります。

もっと面倒な、もっと複雑な、もっと政治的で、もっと微妙な、いろいろなことがあります。

しかし、それを、純粋に、ご信心を立てて、シンプルに、まっすぐに、乗り越えてゆかなければなりません。

欲もあり、怒りも愚かさも、自屈、上慢、二乗心、謗法と罪障の深い私たちだから、それはとっても大変で、きっと、この旅の方がずっと楽なのだと思います。

月の満ち欠けも、潮の満ち干きも、朝陽も夕陽も、私たちにはどうしようもありませんが、ご信心をさせていただいていて、罪障消滅を願い、ご弘通の想いをまっすぐに持っていたなら、それらとすら確実に調和することを、教えていただきました。

15日と16日にもかきましたが、興奮しすぎていて、美しすぎて、不思議すぎて、分かりにくいのですが、本当に、霊鷲山、ラージギルの開園式、感激しました。忘れないように、いや、決して忘れずに、ご奉公させていただかなければなりません。

法華経・如来神力品に曰く。

〝日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅し、無量の菩薩をして畢竟して一乗に住せしめん。

是の故に智あらん者、此の功徳の利を聞いて、我が滅度の後に於て斯の経を受持すべし。

是の人仏道に於て、決定して疑あることなし。〟

本当に、こうならなければ、ならないのだと思いました。

そこが、最大の御利益へ至る唯一の道です。

最大の現証の御利益とは、此処にあって、耐え難い苦悩、絶え間ない欲望、居たたまれない失望、怒りや憎しみから離れることです。

なかなか、いただけない御利益ですが、だからこそ最大の御利益というのですね。

ご信心に決定して疑いなく、自分も三毒強盛の凡夫と観念して、謙虚に、人びとの心の闇を照らそうと精進する中に、最大の御利益があると思います。

悟りを開く宗旨ではないのに、勝手に開けてゆく。これが、法華経本門の、末法の仏教、仏道修行です。

御教歌
〝さとれるを さとらずといひ さとらざる
人をさとるといふ宗旨なり〟

デリーに着きました。

タージマハルまで

ようやく、アグラーのタージマハルまで、みなさん無事に到着しました。

これからデリーに移動し、国立博物館を見学し、真夜中の便で、ブラジル、スリランカ、私たちは日本へ帰ります。

確かに、タージマハルは美しい。

永遠の愛の象徴と言うが、はかなく、つたないから、憧れるのでしょうか。

王さまの愛よりも、映画〝スラムドッグ・ミリオネア〟に出ていた、タージマハルの近くでたくましく生きる、少年たち一人ひとりの人生や愛の方が美しく感じるけど。

タージマハルの美しい建物やレリーフは、今や世界中の人びとに開放され、みんなが憩い、愉しむ場所となっているから、よかったです。

2014年5月21日水曜日

2014 サッカーワールドカップ ブラジル開催記念 特別企画 「ブラジルと仏教 展」

「ハチドリのひとしずく展」も、25日の講演会を控え、いよいよクライマックスを迎えます。

辻先生にお許しをいただいて、「ハチドリのひとしずく」という素晴らしいお名前を冠して開催してきた東日本大震災 復興支援の企画展。

企画展は終了となりますが、まだまだ、まだまだ、この大災害は終わっていません。まだまだ、ここから学び取ることも十分に出来ていません。まだまだ、動けていません。

これからも、ずっと忘れずに、ハチドリのように、キジのように、雨ニモマケズ、デクノボーと呼ばれても、みんなで進んでゆきたいです。

さて、京都佛立ミュージアムの公式ホームページでも告知させていただきましたので、私からも6月10日からの次回企画展についてご披露させていただきます。

まったく小さな私たちですが、ここまでたどり着けました。

ご協力いただいた、関係団体のみなさま(涙)。ご協賛までいただけることになり、感謝の言葉も見つからないほど、あり得なく、有難いです。アドバイザーの先生方には申し訳ないほどです。

なにもなくても、すべてあります。

絶対に、世界のどこを探しても、ここでしか見れない、感じられない、学べない、企画展にします。

京都佛立ミュージアム主催

2014 サッカーワールドカップ ブラジル開催記念 特別企画

「ブラジルと仏教展 一番遠くて近い国」

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サッカーワールドカップの開催に湧くブラジル。
2016年にはオリンピックを控え、日本中、世界中の注目を集めています。

南米大陸の約半分を占める広大な国土は、世界第5位、日本の約23倍。
カラフルな国旗は、豊かな自然を表す緑、豊富な資源を表す黄、透き通った空を表す青、と言われます。
私たち日本人にとって遙か2万キロ離れたブラジルは、地球を半周した正反対にある、最も遠い国のひとつです。

サッカー王国、サトウキビやコーヒー、サンバやボサノバ、カーニバルなど、様々なイメージが浮かびますが、決して忘れてはならない事実があります。
それは、世界最大、150万人に及ぶ同胞、日系移民を擁する国であるということです。

最も遠い国に、日系人が150万人も暮らしている。
その人たちは、多種多様な民族や文化が渦巻くブラジルの中で、誰よりも力強く生き、その強靱さで尊敬を集めている。

はたして想像できるでしょうか。

ブラジルは、もっとも遠くにありますが、実は日本に最も関係の深い国なのです。

始まりは、今から106年前、明治41(1908)年に神戸港を出発した781人の日本人移民でした。

新天地への移民を企画したのは、水野龍という人物です。本門佛立宗の信徒であった彼は、過酷な開拓生活に信仰の力は欠かせないと考え、僧侶の同行を求めました。

これに応えて第一回移民船・笠戸丸に乗船したのが、当時22才の青年僧・茨木現樹、後の茨木日水でした。

移民たちの生活は熾烈を極めました。夢は血と汗の中に消え、わずかな希望も照りつける太陽によって渇いてゆくようでした。

しかし、彼らは決して立ち止まることなく、この南米の大地に確固たる足跡を刻んでゆきました。

今では、「日本人が来てくれたからこそ豊かな国となった」「日本人に任せておけば大丈夫」「ジャポネス・ガランチード=日本人なら信頼できる」という言葉もあるほど、日系人はブラジル社会に欠かせない存在となりました。

そのようになり得た理由の核心部には、辛酸極まる歴史の中でなお輝きを失わなかった、日本人の誇るべき徳性と精神性がありました。
そして仏教は、彼らの傍らで脈々と生き続け、その魂を支え続けてきたのです。

「ブラジルと仏教展」

第一回移民船・笠戸丸によって伝えられた仏教は、すでに「日系人の仏教」から「ブラジル人の仏教」へと広がり、人びとの心を照らしています。
ブラジル日系移民106年とはブラジル仏教伝来106年。その軌跡と現在を、ご覧いただきたいと思います。

ワールドカップ・イヤーである今年は、いろいろな場所で「ブラジル」という名を耳にするでしょう。そんな時、どうか、はるか彼方のブラジルに、日本人の素晴らしいアイデンティティ、その誇りや喜びを見つけてください。
同時に、南米ブラジルに力強く息づく「仏教」という人類普遍の思想について思いを新たにしてください。

サッカーワールドカップを入り口に、ブラジルと日系人の歴史、その未来を、仏教の視点から見つめます。

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期間    2014年6月10日(火)~ 2015年2月1日(日)

会場    京都佛立ミュージアム     京都市上京区御前通一条上ル東竪町110
開館時間    平日   10時~16時     土日祝   10時~17時
休館日    月曜日※但し、月曜日が祝祭日及び25日のときは開館。翌日を代休日とします。
入場料    無料

主催    京都佛立ミュージアム

後援    本門佛立宗

協力
・MUSEU DO FUTEBOL(ブラジル・サンパウロ州立サッカーミュージアム)
・MUSEU DO CAFÉ(ブラジル・サントス・カフェミュージアム)
・Museu da Imigração(サンパウロ州立移民博物館)
・ブラジル日本文化福祉協会
・ブラジル日本移民史料館
・サンパウロ人文科学研究所 日本支部
・財団法人 日伯協会 
・移住ミュージアム
・JICA横浜 海外移住資料館
・サンパウロ日伯援護協会
・ブラジル仏教連合会
・JORNAL ニッケイ新聞
・株式会社 シックス
・UCCコーヒー博物館
・株式会社 カフェーパウリスタ
・国立国会図書館
・株式会社 商船三井
・外務省外交史料館
・広島県立文書館
・本門佛立宗ブラジル教区
・茨木日水ミュージアム

協賛    UCC上島珈琲株式会社

アドバイザー
・中牧弘允 (吹田市立博物館館長・国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授)
・山崎圭一 (横浜国立大学大学院国際社会科学研究院 教授)

祇園精舎の鐘の声

ネットの環境、道の状況が悪いです。

それでも、ネパールからインドに戻り、シュラヴァスティまで辿り着き、無事に仏陀の聖地への訪問と、一同での口唱会は、すべて終わりました。

最後の聖地は、いつも祇園精舎のあったシュラヴァスティです。

ここには、大きな鐘がありました。

京都の祇園の原点もここ、平家物語の冒頭もこの場所のことからはじまります。

「祇園精舎の鐘の声、

諸行無常の響き有り。

沙羅双樹の花の色、

盛者必衰の理を顕す。

奢れる人も久しからず、

只春の夜の夢の如し。

猛き者も終には亡ぬ、

偏に風の前の塵に同じ。」

こちらの朝陽を眺めながら口ずさんでいたら、なぜか、平家物語なのに、涙が浮かびました。

これから、ラクノーからアグラ、デリーへ向かいます。

2014年5月20日火曜日

〝冒険〟と〝再発見〟

〝巡礼の旅は冒険と再発見の旅である〟

仏陀の足跡をたずねた人の言葉です。 

二千数百年間、様々な国から、様々な人びとがインドを訪れて、仏陀釈尊がお生まれになった現在のネパール・インドの国境付近から、点々とご奉公をして歩かれた北インドの各地を旅してきました。

仏教の歴史からすれば最近のこと、それでも千五百年近く前ですが、〝西遊記〟のモデル、Hien Tsang、玄奘三蔵も、この天竺を目指して旅をしました。

彼の〝大唐西域記〟は、まさに〝冒険と再発見〟の連続だったようです。

〝冒険〟という意味は、〝危険を伴うことをあえてすること〟〝成功の見込みの少ないことを無理にすること〟という意味があります。

すごい意味です。

英語で〝adventure〟と言うと最近は遊園地のアトラクション程度に思ってしまうかもしれませんが、それは大変な危険や苦しみを伴う、そもそもリスクのある行動ということです。

〝再発見〟は〝今まで見すごしていたことに気づき,改めて認識しなおすこと〟という意味があると辞書に出ています。

〝ディスカバリー〟という言葉は〝発見〟という、驚きと感動の世界を指します。

〝再発見〟というのは、この言葉の前に〝re〟を付けて〝rediscovery〟とします。

ですから、もう一度、しっかり、驚きと、感動の世界を、味わおう、ということになります。

忘れっぽい、私たちに。

あれほど感動していたのに、感謝していたのに、忘れっぽい私たちに。

〝冒険〟と〝再発見〟

しかし、玄奘三蔵の時代ですら、仏陀がご入滅になられてから千年以上経っていました。

彼が活躍したのは中国が随から唐へと変わる時代、西暦600年代初頭です。玄奘三蔵は、インドにたどり着いて、ここで成熟した仏教に出会いました。

彼は、そうした最盛期の仏教を、いい意味でも、違う意味でも、見て、持って、帰りました。

その後、最盛期を迎えていたインド仏教は、イスラムの侵攻によって滅亡してしまいました。

実際、玄奘や義浄が学び、学僧は1万から2万、教職にある僧侶だけで千人いたナーランダー僧院(大学)は、イスラム王朝の侵攻によって破壊され、数え切れないほどの僧侶たちが惨殺され、仏像の顔は切り刻まれてしまいました。

高さ55メートルもあったバーミヤーンの仏像も、イスラム教徒の手によって顔だけ破壊されていた記憶があると思います。インドにあるほとんどの仏像の顔が削り取られているのは、この時から続いた破壊運動の結果でした。

2001年、バーミヤーンの巨大な仏陀の立像は、イスラム原理主義を掲げるタリバンに爆破、すべてを破壊されてしまいました。

インドの仏教は壊滅してゆきました。

ナーランダーの僧侶たちは殺され、膨大な書物は灰燼に帰してしまいました。

ここに収蔵されていた極めて重要な仏教書はすべて燃やされてしまいました。

これを燃やし切るのに、6ヶ月かかったと伝えられています。

イスラムの恐ろしさ、むごさは言うまでもありません。

しかし、仏教退廃の原因は、仏教界そのものにもあったのだと言われてしまうのです。

当時のインド仏教界は、人びとの暮らしから乖離していました。

平和と平等の宗教と言いながら、小難しく、堅苦しく、特権主義で、狭い世界の中に閉じこもっていたのかもしれません。

確かに、多くの学僧たちも、教職にある僧侶も、もはや何が仏教のエッセンスなのか、分からなくなっていたのだと思います。

戒律についてもそうですし、禅定についてもそうですし、教義についてもそうでした。

仏陀の最晩年は穏やかではありませんでした。

長らく共に修行した高弟との別れがあり、近隣諸国の政情不安もあり、さらには教団内はもめごとに終始するという事態が、仏陀の周りにはありました。

一説には、御歳70台の後半になられてから、こうした問題に取り囲まれていたとあります。

お辛かったのではないでしょうか。

そう考えるのは、愚かなことでしょうか。

それも、すべて御法門を取り結ぶための出来事だとしても、仏陀の周囲にはこうした出来事ありました。

特に、仏陀の従兄弟で、弟子でもあった提婆達多は、仏陀のやり方が甘すぎるとして、弟子たちをそそのかし、唯一無二のお師匠さまであるはずの仏陀に反旗を翻した、と伝えられています。

彼は国王を味方につけ、権力者に取り入り、実際に教団から離脱してしまいました。

結果は、提婆達多の無残な死によって、賞と罰という、現証の恐ろしさを伝えています。

しかし、こういう出来事に辟易して、仏陀は最後の旅に出たのだという説もあります。

ここにも、エッセンスがあります。

それは、提婆達多という個人の問題ではなく、これが象徴的な謗法と罪障であるからです。

中道から離れ、僧侶と信徒の間に溝が広がり、エッセンスが失われてゆくこと。

仏陀は、旅の途中、クシナガラで涅槃を迎えられました。

今回、また、その地を、訪れました。

この地で、仏陀は、寄り添うアナンダ(阿難陀・阿難尊者)に、ご遺言なされたのでした。

様々な伝承が、この言葉、教えを伝えています。

〝私ではなく、法を頼りにせよ〟というご遺言。

ここにも、エッセンスがあると思います。

仏陀がご入滅になられてから、実に数百年間、仏陀の像を作ることは許されていませんでした。

事実、誰一人、仏陀の姿を刻み、仏陀を拝むことはありませんでした。

あらゆるレリーフが作られ、弟子や信徒たちが仏陀を取り囲んでいるのに、その中央に位置しているはずの仏陀は、描かれず、刻まれずにいました。

あくまでも「ダルマ」、つまり「法」を尊ぶ、「法」こそ仏陀そのもの、仏陀の実存、ということです。

仏陀の三身論、応身仏、法身仏、報身仏という、結局、そう整理するしかなくなりますが、もっと身近にエッセンスを感じられるはずです。

仏陀のご遺言に従い、仏陀を描かず、仏陀を刻まず、修行していた時から数百年が経ち、主にガンダーラの教団から、仏陀を刻んだレリーフや仏像、仏画が生まれてゆきました。

そして、いつの日からか、仏教とは仏像そのものとなりました。

今でも、多くの仏教徒にとっては、そのようです。

仏教とは、仏像である。

ご遺言からして、そうではないはずですよね。

振り返れば予言のとおりですが、正法時代から像法時代へ入り、多くの仏像が造られ、それらを祀る塔が建立されてゆきました。

ブッダガヤの大塔の周辺やナーランダー僧院の周辺を見まわすと、紀元後5世紀、7世紀、9世紀の仏像や仏塔が所狭しと建立されています。

ガンダーラ芸術、グプタ王朝時代の宗教美術などは、その当時の信仰心の篤さを知る上でも、そのまま人類のかけがえのない芸術作品としても、素晴らしいものです。

これらは、僕たちが知る限りの、今回の人類の、歴史の証明、軌跡です。

しかし、もう一度、よく振り返って見てみれば、それは、仏陀のご遺言に沿ったものではない。

仏教のエッセンスから、外れてはいないでしょうか。

ナーランダー僧院すら、1871年に調査が始まったばかりです。大きく発掘されたのは、日博上人がブラジルに行く4年前、田中日廣上人がインドに来られる僅か3年前のことです。

ルンビニーも同じです。

仏陀が誕生した聖地、ネパールのルンビニーも、開導聖人のご遷化から数年後にようやく発掘されたのです。

それまで、長らく歴史に埋れたままだったのでした。

まだまだ、まだまだ、これからだと思います。

飛行機ですら、1903年に発明されたというのです。

それまで、今回の地球は、とっても広かった。

しかし、あれから100年以上が経ち、私たちは、人類史上、歴史的な分岐点に立っています。

間違いないです。

私は、仏教の、仏陀の、本源的なエッセンスを継承し、今に伝え、実践しているのは、上行菩薩後身、お祖師さま、日蓮聖人がお教えくださり、門祖聖人、開導聖人によって清く受け継がれてきた、Primordial Buddhism、本門佛立宗の教えと信仰しかないと確信しています。

そうでなければ意味がないと思っています。

個人的な信仰を深めるためとか、そういうことではなく、インドを、世界中の佛立教講と、巡らせていただいています。

インドには、多くの国から仏教徒が訪れ、仏教の聖地には様々な国や団体の仏教徒が祈りを捧げています。

インドに実在した仏陀を、仏像として祀り、拝むのではありません。

その法の最たるものをいただき、そこに向かわなければ、仏陀ご自身のご遺言に背くことになります。

幸い、法華経本門八品にお出ましになられた上行菩薩は、そのお約束のとおりに、末法という悪世にご出現になり、予言のとおり、度重なる流罪や、斬首されそうになるなど、大きな難は4度、小さな難は数え切れないほどの目に遭われて、謗法と罪障の深い私たちに、御題目と、その信仰の実践を、お授けくださいました。

ここで、すべてが、一つになります。

私たちは、仏像は拝みません。

しかし、仏陀を敬います。

だって、佛立宗です。

〝仏陀の立てた宗〟です。

世界中に、このような、すごい、すばらしい名前をいただいた宗はありません。

しかも、名付け親は上行菩薩。

開導聖人は、その他は、みんな、ご遺言や、エッセンスから外れたり、忘れたりしている〝人の立てた宗〟だとお示しです。これを、〝佛立宗〟に対して〝人立宗〟と言います。

すごいことです。

誇るべきことです。

もう、インドからネパールに入り、ずっと電話もメールも、ネットも何も通じないので、こんなに長く、つらつらと書きました。

4時過ぎに起きて、カピラヴァストゥに向かいます。

仏陀がご入滅になられた地で、紀元前3世紀、アショーカ王が建立したダルマ(法)・ラージカ(王)・ストゥーパの基盤前、仏陀を荼毘に付した場所の近くを流れるヒラニャパティー河の川床から発掘されたグプタ期の涅槃像を迎えた涅槃堂内に御本尊をご奉安し、一座の法要を勤めさせていただきました。

堂内に、御題目の声がこだまして、本当に、美しかった。ビルマ、インド、タイ、韓国の方々も、静かに、共に、祈ってくださっていました。

仏陀生誕の地、ルンビニーでも、同じように御題目をお唱えさせていただきました。

〝今回の旅を、何としても、私たちのご信心が増進する旅にしなければならない〟

小林御導師のお言葉を、コレイア師がみんなに伝えてくださり、深く感激しました。

今回、スリランカから良潤師が同行しています。本当は、同じ時期のイタリア団参に参加させてもらえるかと思っていたのですが、それが出来なくなり、〝そうであればインドでご奉公させていただきたいです〟ということで、インドまでご奉公に来てもらいました。

妙深寺の教務さんと同じように、ラージギルからそのまま帰国してもよかったのですが、未来のことを考えて、ここでも算盤を逆さまに持って、身を削ろうと思い、同行させました。

インドで、ブラジルのお教務さんやご信者さんと約10日間も交流できる機会は、そうあるものではありません。しかも、仏教国・スリランカにとって、インドは特別な国であり、聖地を巡礼しておくことは彼のスリランカ国内での指導者としての経験に不可欠です。

この際、と覚悟を決めて。

彼が同行していることも、きっと未来につながると、確信しています。

海外弘通。

点ではなく、点と点、それが線となり、面となり。

先師上人方のご奉公が、本当に実りつつあります。

どうしても、美味しい食事、きれいなトイレ、快適なベッド、ゆったりとしたスケジュール、楽しい観光、ということとは、かけ離れてしまいます。

睡眠時間、移動時間、食事、どれも、タフな、旅です。

やはり〝冒険と再発見の旅〟。

通常の海外旅行とは異なってしまいます。

ご信心の想像力をフルに発揮して、小林御導師が仰せのとおり、ご信心増進したいと思います。

仏教の、エッセンス中のエッセンス、上行所伝の御題目、その正しく実践されるご信心に極まる、〝仏教〟の尊さ、すごさ、有難さ。

本当に、ありがたいです。

2014年5月18日日曜日

もっと生きよう

何もかも変わってゆくのに、どれだけ歳月を経ても変わらないものがあります。

あまりにも人間たちが変わってゆくから、変わらないものに手を合わせたくなるのでしょうか。

ガンジス。

マハーバーラタの時代から人びとの信仰を集める川であり、この街。

ワーラーナシー。

〝大いなる火葬場〟と呼ばれる聖地。

〝葬儀場がある街ではなく、街が葬儀場なのだ〟

人びとは、末期の水もガンジスの水から取ると言います。

そうして輪廻から逃れるのだと。

少し路地を入ると小さな部屋がいくつもあるアパートがあり、死を待つだけの老人が横たわっています。

ゆっくり川を下ってゆくと、川辺で焼かれてゆく人間を見ます。

日本では、病も、老いも、死も、死ねば身体を燃やして灰になるということも、なにか自分と遠いところにあります。

豊かになって忙しくなり、賢くなって信仰を失い、家族や地域の絆も弱ってしまいました。

病人は病院へ入り、老人は老人の施設へ入り、遺体はキレイな火葬場の扉の向こうに消えてゆきます。

大切なことが、遠くにあるように感じます。

でも、ここには、人間の生と死が、つまりは自分の生と死が、とても身近にある。

お祖師さま、日蓮聖人は〝臨終のことを先に習へ〟と仰せでした。

人間の生と死を、身近に置いておくと、生きれるようになり、死ねるようになるということでしょうか。

〝非日常〟にしていると、修行にならないことが多過ぎるのです。

見えないものは多すぎます。

せっかく生きているのに、見えてなかった、見ていなかった、見ずにいた、目をそらしてた、誤魔化していた、では勿体無いです

最初で最後と思っていたガンジス川から昇る朝陽を、もう一度見ることができて、幸せでした。

信仰の原点を、大気、景色、光景、炎、煙、臭い、熱さ、冷たさで、学び直すことが出来ました。

大いなるリセット。

いま、今回の旅で最もきつい、バスの移動10時間。

ベナレスからクシナガラへ。

昨夕、次期首相になることが決まったモディ氏が、今日私たちが行った場所に来てガンジスに祈りを捧げたとのこと。

このことからも分かるとおり、彼は敬虔なヒンドゥー教徒です。そのために宗教対立を助長したという批判も受けています。

米国との関係もどうなるか。

それにしても、すべてのタイミングが不思議なものです。

ガンジス川は、何も教えてくれない。

とにかく、もっと生きよう。

今日は飛行機、明日は電車

今日は飛行機を使わせていただいて、明日は小倉駅から新幹線、京都駅でサンダーバードに乗り換えて敦賀、敦賀で北陸新幹線に乗り換えて長野へ向かう予定です。 小倉から京都は591キロで148分、京都から敦賀は94キロで52分、敦賀から長野は353キロで110分だそうです(乗換案内さんが教...