〝巡礼の旅は冒険と再発見の旅である〟
仏陀の足跡をたずねた人の言葉です。
二千数百年間、様々な国から、様々な人びとがインドを訪れて、仏陀釈尊がお生まれになった現在のネパール・インドの国境付近から、点々とご奉公をして歩かれた北インドの各地を旅してきました。
仏教の歴史からすれば最近のこと、それでも千五百年近く前ですが、〝西遊記〟のモデル、Hien Tsang、玄奘三蔵も、この天竺を目指して旅をしました。
彼の〝大唐西域記〟は、まさに〝冒険と再発見〟の連続だったようです。
〝冒険〟という意味は、〝危険を伴うことをあえてすること〟〝成功の見込みの少ないことを無理にすること〟という意味があります。
すごい意味です。
英語で〝adventure〟と言うと最近は遊園地のアトラクション程度に思ってしまうかもしれませんが、それは大変な危険や苦しみを伴う、そもそもリスクのある行動ということです。
〝再発見〟は〝今まで見すごしていたことに気づき,改めて認識しなおすこと〟という意味があると辞書に出ています。
〝ディスカバリー〟という言葉は〝発見〟という、驚きと感動の世界を指します。
〝再発見〟というのは、この言葉の前に〝re〟を付けて〝rediscovery〟とします。
ですから、もう一度、しっかり、驚きと、感動の世界を、味わおう、ということになります。
忘れっぽい、私たちに。
あれほど感動していたのに、感謝していたのに、忘れっぽい私たちに。
〝冒険〟と〝再発見〟
しかし、玄奘三蔵の時代ですら、仏陀がご入滅になられてから千年以上経っていました。
彼が活躍したのは中国が随から唐へと変わる時代、西暦600年代初頭です。玄奘三蔵は、インドにたどり着いて、ここで成熟した仏教に出会いました。
彼は、そうした最盛期の仏教を、いい意味でも、違う意味でも、見て、持って、帰りました。
その後、最盛期を迎えていたインド仏教は、イスラムの侵攻によって滅亡してしまいました。
実際、玄奘や義浄が学び、学僧は1万から2万、教職にある僧侶だけで千人いたナーランダー僧院(大学)は、イスラム王朝の侵攻によって破壊され、数え切れないほどの僧侶たちが惨殺され、仏像の顔は切り刻まれてしまいました。
高さ55メートルもあったバーミヤーンの仏像も、イスラム教徒の手によって顔だけ破壊されていた記憶があると思います。インドにあるほとんどの仏像の顔が削り取られているのは、この時から続いた破壊運動の結果でした。
2001年、バーミヤーンの巨大な仏陀の立像は、イスラム原理主義を掲げるタリバンに爆破、すべてを破壊されてしまいました。
インドの仏教は壊滅してゆきました。
ナーランダーの僧侶たちは殺され、膨大な書物は灰燼に帰してしまいました。
ここに収蔵されていた極めて重要な仏教書はすべて燃やされてしまいました。
これを燃やし切るのに、6ヶ月かかったと伝えられています。
イスラムの恐ろしさ、むごさは言うまでもありません。
しかし、仏教退廃の原因は、仏教界そのものにもあったのだと言われてしまうのです。
当時のインド仏教界は、人びとの暮らしから乖離していました。
平和と平等の宗教と言いながら、小難しく、堅苦しく、特権主義で、狭い世界の中に閉じこもっていたのかもしれません。
確かに、多くの学僧たちも、教職にある僧侶も、もはや何が仏教のエッセンスなのか、分からなくなっていたのだと思います。
戒律についてもそうですし、禅定についてもそうですし、教義についてもそうでした。
仏陀の最晩年は穏やかではありませんでした。
長らく共に修行した高弟との別れがあり、近隣諸国の政情不安もあり、さらには教団内はもめごとに終始するという事態が、仏陀の周りにはありました。
一説には、御歳70台の後半になられてから、こうした問題に取り囲まれていたとあります。
お辛かったのではないでしょうか。
そう考えるのは、愚かなことでしょうか。
それも、すべて御法門を取り結ぶための出来事だとしても、仏陀の周囲にはこうした出来事ありました。
特に、仏陀の従兄弟で、弟子でもあった提婆達多は、仏陀のやり方が甘すぎるとして、弟子たちをそそのかし、唯一無二のお師匠さまであるはずの仏陀に反旗を翻した、と伝えられています。
彼は国王を味方につけ、権力者に取り入り、実際に教団から離脱してしまいました。
結果は、提婆達多の無残な死によって、賞と罰という、現証の恐ろしさを伝えています。
しかし、こういう出来事に辟易して、仏陀は最後の旅に出たのだという説もあります。
ここにも、エッセンスがあります。
それは、提婆達多という個人の問題ではなく、これが象徴的な謗法と罪障であるからです。
中道から離れ、僧侶と信徒の間に溝が広がり、エッセンスが失われてゆくこと。
仏陀は、旅の途中、クシナガラで涅槃を迎えられました。
今回、また、その地を、訪れました。
この地で、仏陀は、寄り添うアナンダ(阿難陀・阿難尊者)に、ご遺言なされたのでした。
様々な伝承が、この言葉、教えを伝えています。
〝私ではなく、法を頼りにせよ〟というご遺言。
ここにも、エッセンスがあると思います。
仏陀がご入滅になられてから、実に数百年間、仏陀の像を作ることは許されていませんでした。
事実、誰一人、仏陀の姿を刻み、仏陀を拝むことはありませんでした。
あらゆるレリーフが作られ、弟子や信徒たちが仏陀を取り囲んでいるのに、その中央に位置しているはずの仏陀は、描かれず、刻まれずにいました。
あくまでも「ダルマ」、つまり「法」を尊ぶ、「法」こそ仏陀そのもの、仏陀の実存、ということです。
仏陀の三身論、応身仏、法身仏、報身仏という、結局、そう整理するしかなくなりますが、もっと身近にエッセンスを感じられるはずです。
仏陀のご遺言に従い、仏陀を描かず、仏陀を刻まず、修行していた時から数百年が経ち、主にガンダーラの教団から、仏陀を刻んだレリーフや仏像、仏画が生まれてゆきました。
そして、いつの日からか、仏教とは仏像そのものとなりました。
今でも、多くの仏教徒にとっては、そのようです。
仏教とは、仏像である。
ご遺言からして、そうではないはずですよね。
振り返れば予言のとおりですが、正法時代から像法時代へ入り、多くの仏像が造られ、それらを祀る塔が建立されてゆきました。
ブッダガヤの大塔の周辺やナーランダー僧院の周辺を見まわすと、紀元後5世紀、7世紀、9世紀の仏像や仏塔が所狭しと建立されています。
ガンダーラ芸術、グプタ王朝時代の宗教美術などは、その当時の信仰心の篤さを知る上でも、そのまま人類のかけがえのない芸術作品としても、素晴らしいものです。
これらは、僕たちが知る限りの、今回の人類の、歴史の証明、軌跡です。
しかし、もう一度、よく振り返って見てみれば、それは、仏陀のご遺言に沿ったものではない。
仏教のエッセンスから、外れてはいないでしょうか。
ナーランダー僧院すら、1871年に調査が始まったばかりです。大きく発掘されたのは、日博上人がブラジルに行く4年前、田中日廣上人がインドに来られる僅か3年前のことです。
ルンビニーも同じです。
仏陀が誕生した聖地、ネパールのルンビニーも、開導聖人のご遷化から数年後にようやく発掘されたのです。
それまで、長らく歴史に埋れたままだったのでした。
まだまだ、まだまだ、これからだと思います。
飛行機ですら、1903年に発明されたというのです。
それまで、今回の地球は、とっても広かった。
しかし、あれから100年以上が経ち、私たちは、人類史上、歴史的な分岐点に立っています。
間違いないです。
私は、仏教の、仏陀の、本源的なエッセンスを継承し、今に伝え、実践しているのは、上行菩薩後身、お祖師さま、日蓮聖人がお教えくださり、門祖聖人、開導聖人によって清く受け継がれてきた、Primordial Buddhism、本門佛立宗の教えと信仰しかないと確信しています。
そうでなければ意味がないと思っています。
個人的な信仰を深めるためとか、そういうことではなく、インドを、世界中の佛立教講と、巡らせていただいています。
インドには、多くの国から仏教徒が訪れ、仏教の聖地には様々な国や団体の仏教徒が祈りを捧げています。
インドに実在した仏陀を、仏像として祀り、拝むのではありません。
その法の最たるものをいただき、そこに向かわなければ、仏陀ご自身のご遺言に背くことになります。
幸い、法華経本門八品にお出ましになられた上行菩薩は、そのお約束のとおりに、末法という悪世にご出現になり、予言のとおり、度重なる流罪や、斬首されそうになるなど、大きな難は4度、小さな難は数え切れないほどの目に遭われて、謗法と罪障の深い私たちに、御題目と、その信仰の実践を、お授けくださいました。
ここで、すべてが、一つになります。
私たちは、仏像は拝みません。
しかし、仏陀を敬います。
だって、佛立宗です。
〝仏陀の立てた宗〟です。
世界中に、このような、すごい、すばらしい名前をいただいた宗はありません。
しかも、名付け親は上行菩薩。
開導聖人は、その他は、みんな、ご遺言や、エッセンスから外れたり、忘れたりしている〝人の立てた宗〟だとお示しです。これを、〝佛立宗〟に対して〝人立宗〟と言います。
すごいことです。
誇るべきことです。
もう、インドからネパールに入り、ずっと電話もメールも、ネットも何も通じないので、こんなに長く、つらつらと書きました。
4時過ぎに起きて、カピラヴァストゥに向かいます。
仏陀がご入滅になられた地で、紀元前3世紀、アショーカ王が建立したダルマ(法)・ラージカ(王)・ストゥーパの基盤前、仏陀を荼毘に付した場所の近くを流れるヒラニャパティー河の川床から発掘されたグプタ期の涅槃像を迎えた涅槃堂内に御本尊をご奉安し、一座の法要を勤めさせていただきました。
堂内に、御題目の声がこだまして、本当に、美しかった。ビルマ、インド、タイ、韓国の方々も、静かに、共に、祈ってくださっていました。
仏陀生誕の地、ルンビニーでも、同じように御題目をお唱えさせていただきました。
〝今回の旅を、何としても、私たちのご信心が増進する旅にしなければならない〟
小林御導師のお言葉を、コレイア師がみんなに伝えてくださり、深く感激しました。
今回、スリランカから良潤師が同行しています。本当は、同じ時期のイタリア団参に参加させてもらえるかと思っていたのですが、それが出来なくなり、〝そうであればインドでご奉公させていただきたいです〟ということで、インドまでご奉公に来てもらいました。
妙深寺の教務さんと同じように、ラージギルからそのまま帰国してもよかったのですが、未来のことを考えて、ここでも算盤を逆さまに持って、身を削ろうと思い、同行させました。
インドで、ブラジルのお教務さんやご信者さんと約10日間も交流できる機会は、そうあるものではありません。しかも、仏教国・スリランカにとって、インドは特別な国であり、聖地を巡礼しておくことは彼のスリランカ国内での指導者としての経験に不可欠です。
この際、と覚悟を決めて。
彼が同行していることも、きっと未来につながると、確信しています。
海外弘通。
点ではなく、点と点、それが線となり、面となり。
先師上人方のご奉公が、本当に実りつつあります。
どうしても、美味しい食事、きれいなトイレ、快適なベッド、ゆったりとしたスケジュール、楽しい観光、ということとは、かけ離れてしまいます。
睡眠時間、移動時間、食事、どれも、タフな、旅です。
やはり〝冒険と再発見の旅〟。
通常の海外旅行とは異なってしまいます。
ご信心の想像力をフルに発揮して、小林御導師が仰せのとおり、ご信心増進したいと思います。
仏教の、エッセンス中のエッセンス、上行所伝の御題目、その正しく実践されるご信心に極まる、〝仏教〟の尊さ、すごさ、有難さ。
本当に、ありがたいです。